第二章 覚悟の在り様④
(……頑張らないと)
蓬莱月子は覚悟していた。
強くなる覚悟だ。
あの怪物と再会してから今日まで幾度も泣いて苦しみ、怒って憎んだ。
吐き出せる感情をすべて吐き出した。
おかげでようやく心が落ち着いてきたが、怒りや憎悪が消えた訳ではない。
亡き両親への悲しみもだ。
あの怪物には必ず報いを受けさせる。
復讐のため。その想いがないと言えば嘘になる。
ただ、同時にあの怪物を止めなければいけないと思っていた。
あの怪物が存在している限り、何度も悲劇は生み出されることになる。
きっと、父と母が殺された後も、あの怪物は悲劇を撒き散らしていたはずだ。
――もうこれ以上、あの怪物の好きにはさせない。
(だから私は)
どんな厳しいことにも耐えてみせる。
そう覚悟していた。
月子は立ち上がり、拳を強く固めた。
『……良い気迫なの』
彼女の覚悟を察した時雫が頷く。
「ねえねえ! 時雫!」燦も立ち上がって時雫に尋ねた。
「これからどんな修行をするの?」
『まずは基礎からになります。燦さま』
燦の方に目をやって時雫が答える。
『恐らく月子にとって最も相性がよく、完全に習得すれば将来得る予定の力を前倒しで得られるような術です』
「へえ~」エルナも興味深そうな眼差しを向けた。
「面白そうね。あ、けど、時雫」
『何でしょうか。エルナさま』
「私たちにも敬語はいいわよ。月子ちゃんとごっちゃでややこしいでしょう?」
エルナは同じく立ち上がった芽衣や葵、エルナの後ろで控える茜にも目をやった。
最後に月子の隣に立つ燦の方にも視線を向けて、
「いいよね。みんな」
そう尋ねるエルナに「OKだよォ」「うん」「はい」「うん。いいよ」と全員が承諾した。
『……承知しました』
時雫はエルナたちに頭を下げた。
『では、そのように。早速訓練するの』
時雫は改めて月子を見据えた。
『まずは成長して。月子』
「……はい」
月子は首肯した。大きく息を吸って集中する。
そうして――。
「……うわ」「おお~」
エルナと芽衣が驚きの声を上げた。
目の前の月子がみるみる成長し、あっという間に二十歳ほどの女性の姿に変わったのだ。
ふわりとした髪は腰まで伸びて、身長は芽衣よりも高い。
エルナたちにとっては初見の姿だった。
「……相変わらず、なんて見事な……」
と、すでに見たことのある茜が小さな声で呟く。
ただでさえ年齢離れしている月子のスタイルが今や芽衣にも匹敵する状態だ。
茜としては羨ましくて仕方がない。
「うわあ、相変わらず大人月子は凄いわ」
一方、燦はキラキラとした眼差しで月子の双丘を下から両手で押し上げていた。
「さ、燦ちゃん。流石に止めて」
と、頬を引きつらせて月子が言う。
葵も少し困った表情を見せていた。一時的に大人になる能力は葵も持っているので、これは我が身にもよくされることだった。
『まずはこれを安定させるの』
そんな中、時雫が言う。
『月子は体術主体の子だから、大人の筋力、リーチだけでも格段に有利になるの』
『……いや待て。時雫』
その時、ずっと沈黙して見物していた鬼火の一つ――狼覇が口を開いた。
『そなたに対し、愚問であると承知の上で尋ねるぞ。このような大きな変化を長時間続けて、月子さまのお体への負担はないのか?』
『それは大丈夫なの』
時雫は、狼覇の鬼火を見つめて微笑んだ。
『急激な成長ではなく、あくまで時間操作の結果だから。当然、長時間使用すれは魂力や体力を消耗するけど、後遺症的な負担はないの。だから』
そこで時雫は葵の方にも目をやった。
『そっちの子も今の内に慣らしておいた方がいいの。話によると、あなたも時間操作系の霊具を持っているのでしょう?』
「あ、はい」
急に話を振られて葵は動揺しつつも頷いた。
「私は《淫魔狼獣》っていう霊具を持ってます。一時的にだけど、今の月子ちゃんみたいに大人の姿になれます」
『それなら、あなたもそれを使用して』
時雫は言う。
『二人ともその変化を完全に習得してもらうの。まずは二時間。今日は大人の姿で組み手をしてもらうの』
「はい」と月子が頷き、「え? 私も?」と葵は目を丸くしていた。
それから、エルナたちも交えて体術主体の訓練が続いた。
そうして一時間後。
道場に荒い息が零れる。
月子は大の字になって大きな双丘を上下に揺らし、葵は横になって倒れていた。
二人ともすでに元の姿に戻っていた。
三十分経過した時点で葵の変身が解け、その三十分後に月子の姿も戻ったのだ。
それが今の彼女たちの限界のようだ。
「やっぱりリーチが長いと違うねェ」
と、水の入ったペットボトルに口をつけて芽衣が言う。
疲労困憊の月子たちに対し、芽衣を始め、エルナ、燦、茜は多少息を切らしてはいるが、体力的にはかなり余裕があった。特に燦はストレッチなどをしてとても元気そうだった。
「……ですが、芽衣さま。今のままでは短期決戦用です」
と、茜がタオルで頬の汗を拭きつつ、横になったまま「……ひィ、ひィ」と荒い呼吸を繰り返す妹を見やる。そして小さく嘆息し、
「情けない。もっと体力をつけなさいよ。葵」
「む、無理だよォ、お姉ちゃん……」
どうにか顔だけを上げて、葵は姉に言う。
「これって、どんどん、息が上がっていくの、凄くしんどい……」
「け、けど……」
葵の言葉に、月子が上半身を起こした。
いわゆる女の子座りに姿勢を正して、
「が、頑張らないと……」
「……あうゥ……」
月子ほどの気迫と覚悟がない葵は力なく呻いた。
「ねえ、時雫」
その時、エルナが時雫に尋ねた。
「まずは二時間って言ってたけど、最終的にはどれぐらい持続させるつもりなの?」
『一日が目標なの。最低でも半日』
「うえっ!?」
思わず葵が顔を上げた。月子は遠い目標に唇を強く噛みしめている。
時雫はさらに言葉を続ける。
『戦闘を考えるならそれぐらいは必須なの。それともう一つの強化のためにも』
「もう一つの強化?」芽衣が小首を傾げた。「これって次の段階があるってことォ?」
『そうなの』
対し、時雫は当然のように告げた。
『《魂結び》の第二段階。大人の姿になったら二人とも出来るの』
――と。
数秒の沈黙。
そして、
「「「「…………………え」」」」
全員が唖然とした眼差しで時雫に注目した。
一方、時雫はキョトンとして、
『??? 月子も葵も真刃さまの妃だと聞いたの。けど、真刃さまを受け入れるには未熟だから第二段階はまだだって――』
「ちょっと待って!?」
エルナが手を突き出して叫んだ。
「前倒しで得るってそういうこと!? 月子ちゃんたちを成長させて!?」
『うん。そう』
これまた当然のように時雫は頷いた。
『すでに輿入れしているのなら問題ない――』
「大問題だよ!?」
と、エルナがツッコむと、鬼火の一つが『エルナさま』と声を掛けて来た。
赫獅子の鬼火だ。
『時雫は幼く見えますが、実のところ、太閤殿――猿忌さまよりも古い世代でござる。従霊になる前、霊体で彷徨っていた頃の最古の記憶は平安の世だとか』
『まあ、五将筆頭殿は感性も常識もその時代のモノということじゃな』
と、芽衣の専属従霊である白狐も言った。
エルナも、他の妃たちも唖然としていた。
『え? ダメなの?』
時雫は何がダメなのか分からない様子で小首を傾げた。
『大人になれば負担も少ない。私は紫子さまと仲が良かったから、それがどれだけ大変だったか聞いたことがあったから』
「ああ~、大変だってことには同感。特に初めては――じゃなくて!」
芽衣が腕で『×』を作って叫ぶ。
「それはダメだよ! モラル的に!」
『そうなの? 二人とももう輿入れしているのに?』
未だ時雫はよく分かっていないようだ。
それから葵と月子を見やり、
『二人はどうなの?』
そう尋ねた。
二人とも目を大きく見張り、
「は、はうあぁ!」
葵は両手で顔を抑えて仰け反った。耳や首筋は真っ赤である。横たわったまま、体を何度も捩じってただただ悶えていた。
そんな妹の姿に、茜は言葉を失っていた。
(……え? そんな反則技ってありなの……)
ただでさえ妹にはかなり差をつけられている不安があったのに、さらに何馬身も差が開けられたような気分だった。
一方、月子は時雫を見つめていた。
(わ、私は……)
ごくり、と喉を鳴らす。
――今の月子には覚悟がある。
それは強くなるため、いかなることも受け入れる覚悟だった。
だから、
「――わ、分かりました! が、頑張りまふっ!」
そう返すのであった。
まあ、彼女の蒼い瞳はぐるぐると回転していたが。
さらに言えば顔は真っ赤だった。
そんな月子は自分の腹部を両手で抑えて、
「ちゅ、ちゅよくなれるのなら、と、というより!」
大きく息を吸って、
「もう遅かれ早かれだから、別に早くても良いかと!」
そんなことまで叫んだ。
とは言え、そんな彼女の先走った覚悟は、
「「「「――だからそれはダメだって!」」」」
と、月子と葵を除く、その場の全妃にダメ出しされたのだが。
何はともあれ。
決戦に向けて訓練は続くのであった。




