第二章 覚悟の在り様①
その朝、彼女はとても不機嫌だった。
十五歳の少女である。
場所は天雅楼本殿にある一室。
日本家屋の中にあって洋室である部屋だ。
ベッドにクローゼット、壁際の書棚に机、椅子。机の上には無造作にスマホと専属従霊の九龍が宿る銀色のブレスレットが置かれている。ベッドの上には、龍をデフォルメ化した大きなぬいぐるみが鎮座していた。
壱妃・エルナ=フォスターの私室である。
当然、不機嫌な少女とは、この部屋の主人であるエルナだった。
ベッドの上で胡坐をかいて頬を膨らませている。
「……ぐぬぬ」
口をヘの字にして呻いた。
ややあって、深々と嘆息した。
エルナはトレーニング用のアスリートウェアを着ていた。
現在、非常時と言うことで、エルナたち学生組はほぼ休学中なのであるが、非常時だからこそ訓練には精を出している。
今朝もこれから訓練道場に出向くつもりだった。
ただ、今はどうしてもやる気が起きない。エルナはずっと不機嫌だった。
その原因は前日にあった。
「ああーッ! もうっ!」
エルナは両腕を上げて声を張り上げた。
「なんでなのよっ! 虎の子の切り札まで切ったのに!」
続けて倒れ込み、ゴロゴロとベッドの上で転がった。
エルナの言う切り札とは自分の中に宿る零妃・大門紫子の魂のことだ。
その存在を真刃に伝えたのである。
それも紫子自身からだ。
きっとあの夜は、愛が爆発して自分は大人の階段を駆け上がるのだと思っていた。
しかし、結果は不発に終わった。
何事もなく、エルナは真刃のベッドの上で目を覚ましただけだった。
「……むむむ」
エルナは再び胡坐をかいて、自身の腰に片手を当てた。
そのままゆっくり腹部へと滑らせ、双丘の下部に触れる。
自身でも感じる柔らかさと、ずしりとした重み。
もう片方の手も胸の横に当てて、強く挟み込んでみる。
自信を持つには充分な弾力だった。
――そう。自分は決して幼児体型ではない。年齢不相応のスタイルを持っている。
そしてそれは真刃の好みからは外れていないはずだ。
伍妃、陸妃、漆妃。
何より最初の恋人だったという二代目零妃の事例からして間違いない。
まあ、準妃筆頭の例もあるので、真刃はそれ以上に内面重視なのかも知れないが。
「……はあ」
エルナは手を下ろして嘆息した。
(……まあ、紫子さんの性格からして私のことを気遣ったんだろうけど……)
実際のところ、期待はしつつも、そこまで至る可能性は低いとは思っていた。
人格は紫子でも、肉体はエルナのモノなのだ。
初めての大切な経験を他人に委ねるというのも辛いものがある。
優しい紫子なら絶対にそこは気遣うはずだ。
真刃もそれに応えたのだと思う。
「まあ、いいわ」
エルナは、パンと両頬を叩いた。
「まず重要なのは、紫子さんの存在を真刃さんに伝えることだったし」
今の状態は、エルナにとって分からないことだらけだった。
紫子の方も分からないことが多いらしい。
エルナにしろ、紫子にしろ、手探りで出来ることを確認しているのが実情だった。
そうして現時点で分かったことは二つ。
一つ目。紫子が万全な時、エルナは彼女と心の中で会話が出来ること。
また、紫子はエルナとは違う系譜術を持っていた。
大門家の未来視の系譜術。《断眩視》である。系譜術は魂に根付くモノだ。そのため、エルナの肉体であっても紫子の力は発現可能だった。
本来の《断眩視》は物品からそれに関する未来を断片的に知ることが出来る術式なのだが、紫子のそれは自身――この場合はエルナ――に関係する未来の光景を断片的に視ることが出来た。およそ数秒先から数日先までだ。
紫子曰く、生前の彼女にはこんな力はなく、今の状態になって初めて発現したそうだ。とても有用な術ではあるが、予知する未来が遠いほどに紫子の消耗が大きくなるので、二人で相談した結果、今は一秒先の未来視のみに使用を制限している。
けれど、エルナにとってはそれでも大きな力だった。
――一秒先の未来を知る。
それは戦闘において相当なアドバンテージだからだ。
おかげでエルナの戦闘能力は格段に上昇していた。ただ、あまり多用すると一秒先であっても紫子の消耗は避けられないので、使用回数もまだ手探りではあるが。
なお《断眩視》の使用判断は紫子に任せていた。
これが今の紫子とエルナのデフォルト状態。まさに二人で一人という共生状態だった。
そして二つ目。二人の人格の入れ替わりについてだ。
主導権は当然ながらエルナにある。
だが、エルナが許可すれば紫子と人格を入れ替えることが出来た。ただし、それをすると三日ほど紫子が休眠状態になることを確認していた。
さらに言えば、紫子は一時的にエルナの肉体の主導権を奪うことも出来るそうだが、それをすると、今度は二週間ほどの強制休眠に陥ってしまうらしい。
そうして先日、真刃との再会のために主導権を紫子に譲ったので、彼女は現在、深い休眠状態に入っていた。エルナが「紫子さん?」と呼び掛けても応える様子もない。
これが現状、エルナたちが把握していることだった。
(まさかこんな状態になるなんて)
エルナはググっと腕をストレッチしつつ、眉根を寄せた。
これ以上を知るには、この状態を仕組んだという悪魔に尋ねるしかない。
(真刃さんも探してくれるそうだけど……)
あの掴みどころのない男がそう簡単に捕まえれるとは思えない。
今はとにかく把握している範囲で努力するしかなかった。
「そろそろ道場に行こうかしら」
そう呟いて、エルナはベッドの上から降りた。
紫子が眠っていてもエルナ自身には何の支障もない。
出来れば、自分の系譜術と、紫子の《断眩視》の色々な可能性を試したいのだが、彼女が復帰するまでは基礎体力の向上に努めるつもりだった。
エルナは気持ちを改めて、ぐいぐいっと屈伸した体を慣らした時だった。
――コンコン、と。
不意にドアがノックされた。
エルナは視線をドアに向けて「あ、はい。待って」と声を掛けた。
それからエルナはドアに近づいて開けた。
そしてドアの先。
廊下に立っていたのは――。




