伍妃/犬猿の友②
それは二日前のことだった。
強欲都市の繁華街。とあるバーにて。
二人の男が、カウンターでグラスを傾けていた。
一人は三十代の男。白い紳士服を着こなした紳士だ。
髪も整えられ、一流のビジネスマンの風貌である。
もう一人は二十代半ばの青年。
縮れた茶髪に丸い眼鏡をかけており、その姿は大学生のようにも見える。
だが、
「……きひっ」
その顔に、一般人とは思えない不気味な笑みを浮かべた。
「いよいよかい?」
「……ああ」
紳士服姿の男が頷く。
「二日後、《夜猫》が強欲都市に来る。そのタイミングを狙う」
「おっ、そうかい。芽衣ちゃんが帰ってくんのか」
眼鏡の青年は双眸を細めた。
「ラッキー。前から狙ってたんだよな。あのおっぱいを是非とも堪能したくてさ。ああ、それで言うのなら《雪幻花》の方は帰ってこないのかい?」
「……彼女はいない」
グラスの酒で喉を潤して紳士服姿の男が言う。
すると、「残念」と眼鏡の青年は額に手を当てた。
「《雪幻花》の方も愉しみたかったんだがな」
「剛毅だな」紳士服姿の男が青年を一瞥する。「彼女は怪物だぞ」
「きひっ、それでも女に過ぎねえよ。捕まえちまえば堕とし方はいくらでもあるぜ」
額から手を離して嘆息する。
「まあ、いいさ。三輪華。まずは二輪から摘むことにすっか」
眼鏡の青年は双眸を細めて、紳士服姿の男を見やる。
「契約だ。どう扱ってもいいんだよな?」
「ああ。構わん」
一拍おいて、紳士服姿の男が言う。
「殺しても構わない。あの女がいては、私は自由になれないからな」
「きひっきひっ、綾香ちゃんも不遇だねえ……」
青年は下卑た笑みで、紳士服姿の男の横顔を覗き込む。
「一番付き合いの長い隷者に裏切られるとはねえ」
「…………」
男はグラスを傾けるだけで何も答えない。
「けど、殺しゃあしねえよ。もったいねえ。まあ、傷心の綾香ちゃんは俺らが可愛がってやんよ。芽衣ちゃんと一緒にな。だが、あんたは怯えなくてもいいぜェ」
そこで、きひきひっと笑う。
「なんせ、俺らの相手をして正気でいられた女はいねえしな。そんじゃあよ」
眼鏡の青年は立ち上がった。
「二日後だ。連絡待ってるぜ」
「……ああ」
紳士服姿の男が頷く。
眼鏡の青年は片手を上げて去っていった。
残された男はカランとグラスの中の氷を鳴らした。
(すべては覚悟の上だ)
男の名は郷田和房。
彼は西條家の先代当主から仕える臣下だ。
そして綾香にとって二人目だった隷者でもある。
綾香の信頼も厚い。
けれども、彼は今の状況に不満を抱いていた。
長年に渡って空白だった覇者の座。そんな強欲都市に遂に王が現れた。
綾香はそれに即座に順応した。
戦うのではなく、同盟を結び、実質的にNO2の地位を得たのだ。
その手腕は、流石は先代のご息女だと思う。
――だが。
(……あなたはそれでよろしいのですか。お嬢さま)
彼女が目指していたのは真の覇者の座だったはずだ。
確かに今の彼女は強欲都市を統括している。
しかし、それはあくまで王の代行に過ぎない。
今の状況は、本来の目標通りとはとても言えなかった。
(お嬢さま……あなたは)
郷田を始め、古参メンバーには思うところがあった。
――冷酷なる女帝。
もはや、彼女はただの女になったのではないか。
三輪華は揃って王に手折られたという噂もある。
実際に綾香は女王争奪戦の際、行方不明になった期間があった。
その時、王の女にされたのではないか。
同盟を謳っているが、すでに彼女は王に平伏しているのではないか。
そう思う者が多かった。郷田もその一人だ。
だからこそ、
(奴ら……そして私は贄だ。女帝を目覚めさせるための)
彼女は今一度、知るべきなのだ。
自分がどれほど醜く歪んだ世界にいるのかを。
そのために、今回の実行犯にはこの上なく外道な輩を選んだ。
――《蛇噛》。
先程の眼鏡の男が率いるチームだ。
快楽が第一で、混沌を好む刹那的な思想の連中だった。
それだけに、今の統治された強欲都市に不満も抱いている。
危険な連中だ。最悪の事態も考えられるが、真の女帝ならば打ち砕けるはず。
苛烈な苦境でこそ、彼女は鮮烈に咲き誇るのだ。
ただ《夜猫》には申し訳なく思う。《蛇噛》は極上な獲物であるほどしつこく喰らいつくので、たまたま帰還のタイミングを利用したのである。
(いずれにせよだ)
郷田も立ち上がり、バーを後にした。
(もはや計画は止まらない。二日後にはすべてが変わる)
心の中でそう考えていた。
……そう。
そんな風に考えていたのだ。
決行した当日。
今、この瞬間が訪れるまでは――。
「……ふむ」
そんな呟きが耳に届く。
《鮮烈紅華》が拠点にしているホテルのロビーにて。
郷田は言葉を失っていた。
このホテルに残っていた彼の部下たちもだ。
「……芽衣と綾香は留守なのか?」
想定外の訪問者。
帽子を被り、灰色の胴衣を着た紳士服姿の青年。
強欲都市の王――久遠真刃は、そう尋ねるのだった。




