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【第12部まで完結】骸鬼王と、幸福の花嫁たち  作者: 雨宮ソウスケ
第2部 『炎の刃と氷の猫』

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第一章 お仕事、頑張ろう!③

 とても広い道場。

 誰もいない板張りの部屋で、彼女は静かに刀を構えていた。


 ――いや、刀と呼ぶのは的確ではないか。

 彼女が手に握るそれは、刀身のない柄だけなのだから。


 彼女は言葉を発することもなく、その柄を正眼に構えている。

 それが、とても画になる。

 揺るがない正中線。

 姿勢の美しさもあるが、それ以上に彼女自身が美しいからだ。


 年の頃は十代半ば。顔つきは凛々しく、そのため年齢以上に大人びて見える。

 女性としてはやや長身で百六十後半ほど。大きな双丘に引き締まった腰。スタイルは抜群の一言だ。初対面だと高校生か、もしかすると大学生だと思う者も多いかもしれない。

 艶やかで長い黒髪は、頭頂部近くで白いリボンで結いでおり、袴姿が実に似合っている。美貌の女剣士という言葉を誰もが思い浮かべる少女だった。


 ――御影刀歌。

 御影家の長女であり、エルナ、かなたと同じ学校に通う中等部の三年生だ。


「――……」


 彼女――刀歌は真っ直ぐ前を見据えていた。

 その場に、まるで敵でもいるかのように微動だにしない。

 そして――。

 ――ゴウッ!

 突如、刀歌の握る柄が火を噴いた。

 鍔の先から刀身部分に当たる場所に火線の刃が生まれたのだ。

 その長さは七十センチほどか。まさしく熱閃の刀身だ。


 彼女の家系に伝わる系譜術(クリフォト)

 日本刀の柄を依り代に熱閃の刃を生み出す秘術――《火尖刀(イグニッション)》である。


 刀歌は、熱閃の刃を振り下ろした。

 火の粉が舞い、それだけで空気が灼ける。

 次いで、大きく踏み込み、横に薙ぐ。再び火の粉が散った。


 彼女の斬撃は止まらない。

 幾つもの熱閃が空気を灼いた。

 そのたびに火の粉が舞う。それが彼女の美しさをより彩る。

 それは、もはや素振りと呼ぶよりも、神事の舞踊のようだった。

 数分間、神事の舞踊が続く。

 が、彼女の頬に熱が帯びるごとに少しずつ変化が出てくる。 

 長い黒髪が躍動し、剣速がさらに速くなる。動きが全身を使ったものに変わった。

 そして、彼女の口元には、徐々に獰猛な笑みが浮かんできて――。 

 と、


「凄いです! 姉さま!」


 盛大な拍手と共にそんな声を掛けられた。

 刀歌はハッとして剣を止めた。熱気が一気に霧散した。

 刀歌が驚いた顔で振り向くと、そこには八歳ぐらいの小さな少年がいた。

 愛らしさと凛々しさを共在させたような少年。


 御影刀真。

 刀歌の可愛い弟であり、御影家の次期当主でもある少年だ。


「……刀真か」


 刀歌は、まだ少し高鳴る鼓動を抑えつけて、幼い弟に微笑んだ。

 それに対し、刀真は姉の腰に抱き着いて笑った。


「本当に凄いです! 父さまでさえ姉さまには敵いません!」


 と、尊敬の眼差しで姉を見上げる刀真。

 そこには、眩しいぐらいの純粋さがあった。


「……そうだな」


 刀歌は少し瞳を細めつつ、複雑な思いを抱いた。

 確かに、自分の技量は、平常時(・・・)ですでに現当主である父を凌いでいると思う。

 それに加えて、刀歌が生まれ持った魂力は215。一族の中でも最高値である。

 個人の力としては、もはや一族最強と呼んでもいいだろう。

 しかし、


「………」


 刀歌は、下唇を強く噛んだ。

 いざ戦いとなれば、きっと刀歌は父に勝てないだろう。

 父には母を始め、分家の数人に『隷者(ドナー)』がいる。分家以外にも、守護四家に次ぐ名家である御影家と親交を結ぶことを望んだ他家の者もいた。

 父の魂力の総量は、恐らく1800を超えるだろう。


「…………」


 刀歌は、静かに拳を固めた。

 父に魂力を補充する女性たち。

 魂力を他者より徴収し、魂力の総量を上げる儀式――《魂結びの儀ソウルスナッチ・マッチ》。

 この儀式は、両者合意の決闘によって成り立つ。

 勝った方が、相手の魂力を徴収できるようになるのだ。

 そのため、同性であっても成り立つ儀式なのだが、《魂結び》が真価を発揮するのは、相手が異性の場合であった。同性では徴収できる魂力は精々一割程度に過ぎない。しかし、相手が異性の場合ならば、性行為を行うことで八割もの魂力を徴収できるのだ。


(ふざけるな……何が必要な儀式だ)


 表情を険しくする刀歌。

 あれだけは、本当に気に入らない。

 あんなもの、ただの公認愛人ではないか。まさに、古き時代からの悪習だ。

 そんな悪習が、当然のように今の世にまで続いているのである。

 腹が立たないはずがない。


(こんなことは、断じて間違っているんだ)


 刀歌は、幼い弟の頭に手を置きつつ、思う。

 恐ろしいことに、《魂結び》は刀歌の学校内でさえ推奨されている。

 まだ幼い中等部の生徒でさえ、隷者になることを強制された者も少なくない。

 刀歌は、そういった者たちを解放していった。

 彼女たち、または彼らを解放するために、あえて学校が主催する《魂結びの儀》に参加し続けているのだ。負ければ、彼女自身が隷者となるリスクを背負ってだ。


 しかし、刀歌は負けたとしても隷者になるつもりはない。


(私の誇りは誰にも奪わせない)


 穢される上に、魂力まで奪われるぐらいならば、その場で自害するつもりだった。

 ――そう。彼女は自らの身命さえも賭けて、皆のために挑んでいるのである。


(……そうだ。そのために、私は……)


 そこで、彼女の心は、ズキンと痛んだ。

 ………………………………。

 ………………………。

 ………………。

 いや、違う。

 本当は、違うのだ。


(………………)


 刀歌は、自分の手の中の柄に目を落とした。

 確かに《魂結び》には怒りを覚えている。強い不快感もだ。

 そこに偽りはない。

 けれど、それだけではない。

 自分は、あの窮地を。

 圧倒的なまでに不利な、あの状況こそを――。


「……情けない」


 グッと唇を噛む。


「……私は、私はもっと強くならなければならないな」


 力と技だけではない。何よりも心を鍛えなければならない。

 でなければ、いつか自分の中の『獣』に……。


「姉さま? どうかしました?」


 刀真は、顔を上げてキョトンとした。

 姉の心情にはまるで気付いた様子はない。

 刀歌は自嘲の笑みを浮かべつつ、かぶりを振った。


「……いや。なかなかどうして、ひいお爺さまのようにはいかなくてな」


「……ひいお爺さまですか?」


 ――剣神・御影刀一郎。

 御影家の中興の祖。晩年は画家としても名を知られた、刀歌が憧れる曽祖父の名だ。

 彼のおかげで、御影家は画商としても、今も繁栄していると言っても過言ではない。

 実は、御影本家は刀一郎の弟の血筋になるので、正確に言えば、刀一郎は曽祖父ではないのだが、刀歌は尊敬の念を込めて、彼を「ひいお爺さま」と呼んでいた。

 曽祖父とは、彼女が五歳の時まで交流があった。


 しかし、曽祖父は、刀歌が六歳の時にどこかに旅立ってしまった。

 恐らく死期を悟り、死に場所を探しに出たのだろうと、一族は涙ながらに語った。

 曽祖父は、最期の最期まで武人だったからだ。


 刀歌の部屋には、曽祖父が最後に残した絵が飾られている。

 ――黒衣を纏った、炎の巨腕を持つ者の絵。

 タイトルは分からないが、刀歌はこの絵がとても好きだった。

 暇さえあれば、ずっと魅入っているぐらいだ。

 刀歌は最後に見た、曽祖父の背中を思い浮かべた。


(……ひいお爺さま)


 あれから、八年。恐らく曽祖父はもう生きていない。

 曽祖父は、その生涯を剣技と術を磨くことに費やした。

 妻も娶らず戦い続けた。その剣技は、まさに神技だった。

 曽祖父の剣に、刀歌は幼いながらも感動した。

 ――過剰な魂力など不要なのだ。

 自身の魂力と剣技のみで、曽祖父は畏敬を抱かれるほどの引導師と成ったのである。

 まさに、心技体を兼ね備えた傑物。剣神の名に恥じぬ人物だった。


「私はまだ、ひいお爺さまの域にはとても届いていない。これではダメなのだ」


 敵はおろか、自分自身にさえ負けているようでは話にもならない。


「……お姉さま」


 尊敬する姉の悲壮感さえ宿す表情に、刀真は初めて強い不安を抱く。

 いつか、目の前の姉が消えてしまうような気がする。

 そんな予感を抱いたのだ。


「お姉さまは……どこにも行きませんよね?」


 思わずそう尋ねると、


「当然だ」


 刀歌は、笑った。


「私には果たさなければならない使命がある。古からの悪習を一掃するのだ。それが私の目的なのだ。そう。私は――」


 そこで刀歌は手に持ったままの柄を強く握りしめて呟く。


「誰にも負けるものか。……敵にも、自分にもだ」

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