第五章 昼下がりのティータイム②
(……この男は)
山岡は表情には出さずに緊張していた。
――いや、緊張どころか緊迫しているとさえも言える。
執事服の下ではじんわりと汗までかいていた。
彼の長い人生でも、ここまで緊迫感を抱く相手は初めてだった。
(恐らく、人ではない)
応接室のソファーに座る男性。
茶系統の紳士服を纏う小柄な人物だ。左目には片眼鏡。入り口で預けたが、円塔帽子と杖も持参している。天を突く口髭が印象的だった。
古い喜劇にでも出て来そうな容姿とも言える。
「ほほう。これは……」
男は出されたコーヒーを堪能していた。
「実に美味い。良き豆だね。香りからして違う」
「……恐れ入ります」
山岡は頭を下げた。
一見だけならば相手はただの年配の紳士だ。
しかし、こうして対面すると分かる。
一般人ながらも幾度となく死線を潜り抜けた山岡の直感が警鐘を鳴らしている。
まるで底の見えない崖に落下し続けているような気持ちだった。
「この豆も素晴らしいが……」
そこで男が山岡を見やる。
「君も中々のモノだな」
そう言って苦笑を浮かべる。
「吾輩は普段から気配を極力抑えている。そのため、一般人は無論、引導師に悟られることも稀だ。だというのに、君はすでに吾輩の正体に気付いているのだろう?」
「…………」
山岡はあえて答えず、静かに拳だけを固めた。
「名のある引導師と見たが、君の名を聞かせてもらえないかな?」
コーヒーを再び味わいつつ、男はそう尋ねてくる。
「……山岡辰彦と申します」
男は「ふむ」と眉をひそめた。
「山岡氏かね? これは意外。初めて聞く名だ」
「私など、ただの執事ですので」
山岡は淡々と答える。
と、その時。
――コンコン。
応接室のドアがノックされた。
『失礼。お客人がいらっしゃっているとお聞きしたのだが?』
ドアの外からそんな声がかかる。
「失礼」
山岡は男を見やる。
「久遠さまの部下に当たる方です。ご挨拶よろしいでしょうか?」
「ふむ。吾輩は構わんよ」
男はにこやかに笑う。
「久遠君の部下とは興味深いからね」
「……では失礼します」
山岡は一礼してドアを開けた。
「失礼する」と言って入ってきたのは隊服姿の獅童と蒼火だった。
獅童は男を見やると、
「《久遠平原》・近衛隊の副隊長を務める獅童と申します」
頭を軽く下げた。蒼火も頭を垂れ、
「同じく隊員の扇です」
と、名乗る。
表情は変えずに獅童も蒼火も警戒する。
見たところ、ごく普通の紳士のように思える。
だが、山岡の顔色を見れば、非常事態なのは明白だ。
(人間ではないのか? まさか名付き我霊か?)
普通ならば引導師の拠点に単独で訪れるなど考えにくい。
だが、獅童はその可能性まで想定する。
(やはり要警戒だ)
部屋のすぐ外には六名の隊員がいる。
唯一在宅中だった準妃隊員であるホマレには武宮と数名が護衛についていた。
戦闘も想定した配置である。
「ふむ」
そこまで警戒される男はあごに手をやった。
「丁寧な挨拶、恐れ入る。だがしかし……」
そこで困ったような表情を浮かべた。
「やはりいささか以上に歓迎がすぎるな」
「……お客人? 何を仰って?」
――伏兵に気付かれたか。
内心でそう思いつつ、獅童が尋ねると、
「ああ。そうか。君たちは気付いていないのか。まあ、引導師であっても、ここまで世界に自然に溶け込んでいては気付けないのも仕方がないな」
男はそう答える。
そして、虚空を見据えて、
「済まない。吾輩は今日のところは何もするつもりはない。なので一部だけでも構わないので君らの姿を見せてくれないかね?」
そう願う。
数瞬の沈黙。獅童も蒼火も、山岡も少し訝し気に眉をひそめた。
すると、唐突に室内が輝いた。
「うおッ!」
思わず獅童が声を零す。蒼火も山岡も驚いた顔をする。
室内に次から次へと鬼火が現れたのだ。
百近いそれらの輝きは瞬く間に室内を埋め尽くした。
「……これは、若の……」
獅童がサングラスの下で目を瞠ると、男が苦笑を浮かべた。
「そう。久遠君の従霊だね。吾輩が訪れてから次々と現れて困っていたのだよ。吾輩の眼を以てしても視えない。なのにこのマンションを覆うように圧迫感ばかりが増していってね。恐らくマンションの上空には数百近く集まっているのではないかな」
普段、従霊はそれぞれが望む場所にいる。
様々な場所へ赴いたり、もしくは自我を希薄にして眠っていたりと自由だった。
そんなかなり大らかな行動をしている従霊たちが、真刃の命令でもなく、状況に気付いた者から次々と集結してきているのである。
「……完全に姿を消すと、ここまで感知できないのか……」
思わず感心の声を零した獅童だったが、すぐに表情を引き締め直した。
要は、従霊までが警戒するほどに危険な状況だということだった。
(……それほどの事態か)
改めて、獅童は警戒を強める。
蒼火も山岡も同様の結論に至っていた。
すると、
「さて」
男が鬼火たちを見据えて言う。
「恐らく山岡氏たちよりも、君たち従霊の方が事情を把握しているとみるが、吾輩の話し相手になってくれる者はいるかね?」
その呼びかけに鬼火たちは明滅した。
だが、それはすぐに納まった。
そして、今度は次々と姿を消していった。
すべての鬼火が姿を消すのに五秒もかからなかった。
「おやおや」
残された男は眉をひそめた。
続けて、
「話し相手にもなってくれないとは悲しいね」
と、大仰に肩を竦めた時だった。
「……貴様の話し相手など面倒なだけだからな」
不意に、新たな声が部屋に響いた。
獅童たちはハッとして、ドアの方へと目をやった。
いつの間にか、応接室のドアは大きく開かれていた。
そして、その入り口にいた者は――。
「おお。これはこれは」
男は嬉しそうに双眸を細めた。
「待ち人来るか。久しぶりだね。久遠君」
――そう。
そこにいたのは帰還したばかりの久遠真刃だった。
その傍らには、少しだけ緊張した様子の六炉の姿もある。
「おお! 若!」「王!」
身を乗り出す獅童と蒼火を片手で制して、真刃は室内に入る。
六炉も真刃のすぐ後ろに続いた。
二人は男の正面のソファーに腰を下ろした。
そして、
「桜華からは聞いていたが、まさか貴様の方から出向いて来るとは思わなかったぞ。相も変わらず笑えん道化ぶりだな」
指を組んで、真刃は久方ぶりにその忌み名を呼んだ。
「《恒河沙剣刃餓者髑髏》よ」




