第八章 想いの寄る辺⑨
『……ふむ』
骸鬼王の中で、鬼火状態の猿忌が呟く。
『どうやら、白冴が目覚めたようだな』
「ああ。そうだな」
真刃は頷いた。
剣神の中から白冴の強い存在感を掴める。
先程の結界も白冴の能力の一つだった。
『休眠状態だろうと推測していたが、主の気配に目覚めたか。しかし』
そこで猿忌は苦笑じみた声を零した。
『やれやれ。主の攻撃を防ぐために主の魂力を使うとはな』
「それは構わんだろう」
真刃は言う。
「御影の危機だったのだ。むしろ白冴は忠実に使命を果たしたに過ぎん」
それが己の攻撃であってもな。
続けて、そう呟く。
「専属従霊はこうでなければならん。だが……」
一拍おいて、
「ここからが本番だな」
と、告げる。
剣神は黒と白の双剣を構えていた。
さらに、その両肩辺りに水晶の盾が浮遊して待機している。
真刃は牽制として幾つかの光弾を放つが、それらは盾によって防がれた。
そして爆炎の中から剣神が飛び出してくる。
瞬く間に接近し、
――ザンッ!
白剣の袈裟斬りを繰り出した!
損傷は浅いが、懐に入り込まれるのはまずい。
骸鬼王は右腕を振り下ろすが、それは水晶の盾によって止められる。
その防御と同時に、黒剣が骸鬼王の大腿部を斬り裂いた。
何とも息の合った連携だった。
攻撃においても防御においても手数は圧倒的に剣神の方が上だ。
ならば、と骸鬼王は全身から業火を放った。
それはまるで炎の津波だ。
水晶の盾は剣神の前面に展開された。
同時に剣神は後方へと大きく跳躍した。
『流石は白冴。手強いな』
猿忌が言う。
『これもまた一種の攻防一体か。どうする? 主よ』
「どうするもない。もはや攻も防も関係ない」
猿忌の問いかけに真刃は即答する。
「《制約》は解き、頑強なる封宮も展開した。すでに状況は整えておる。ならば後は――」
一呼吸入れて、
「全力を以て蹂躙するまでだ」
そう宣言した。
直後、骸鬼王が静かに重心を沈めた。
右の巨拳が大地に触れる。
そうして――。
――ズズンッッ!
地震のような踏み込みをもって加速した!
魔猿を驚愕させた加速である。
いや、《制約》が解かれた今は、その時さえも比較にならない。
それはたった一歩だけでの加速だった。
相手にとっては、まるで山が突然目の前に現れたようなものである。
同時に巨拳も振り上げられていた。
桜華もまた驚くが、彼女はすぐに表情を引き締める。
「――白冴!」
『御意!』
桜華の呼びかけに、白冴は水晶の盾を巨拳の軌道に展開させた。
しかし、
――ガァゴンッッ!
水晶の盾は粉砕され、剣神は巨拳に殴打される。
そのまま大きく吹き飛ばされる。三度、四度とバウンドしてようやく止まるが、剣神に自身のダメージを確認する暇はなかった。
頭上に天へと跳躍した灼岩の巨獣の姿があったからだ。
これもまた信じ難い大跳躍だった。
巨躯のために錯覚を起こしそうだが、五百メートル以上は跳んでいる。
恐らく二万トンはあると思われる巨体が、だ。
白冴が傘のように幾重にも結界を展開するが、とても防げるような重量ではない。
結界は次々と押し潰されていった。
『――くゥ!』
桜華が呻き、倒れたままの剣神は、後転の要領で回避した。
直後、隕石のような勢いで骸鬼王が大地に降り立った。
超重量の衝撃に灼岩の地は大きく陥没し、灼けつく岩片が周囲に吹き飛んだ。
直撃こそ避けたが、余波だけで剣神は大きく弾き飛ばされた。
何度か転がって、その勢いでどうにか立ち上がる。
だが、骸鬼王の猛攻はまだ止まらなかった。
自ら生み出したクレーターの中から、赤い残光を纏うような加速。
一瞬にして目の前にいた。
そして右腕を伸ばして剣神に襲い掛かる――が、
『――侮るな!』
剣神は左手で黒の斬閃を繰り出した!
それはただの一太刀に見えた。
だが、実質は無数である斬撃は、骸鬼王の頑強な右腕に無数の亀裂を刻んだ。
黒い炎が迸り、灼岩の右腕が崩れ始める。
桜華は不敵に笑う。
――が、すぐに表情を険しくした。
右腕の背後から、一体いつの間に生やしたのか、灼刀で造られた巨大な竜尾が襲い掛かってきたのである。
それは黒の光剣を弾き飛ばした。桜華は舌打ちする。
間髪入れず、骸鬼王の左腕が剣神に迫った。
剣神は白の光剣の刺突で迎え撃つ。
だが、肩口を狙った刺突は、黒剣を弾かれた際に重心を崩していたこともあり、狙いがわずかに反れてしまった。
――ガリガリガリッッ!
肩口を大きく抉るが、巨腕を止めるまでには至らない。
月華の剣神は、灼岩の巨獣の左手によって捕らえられてしまった。
左手だけで両肩を抑えられ、そのまま大きく持ち上げられる。
骸鬼王は剣神を、灼岩の大地へと投げつける!
『……ぐうッ!』
数十メートル先の地面に背中から衝突した。
凄まじい衝撃に、桜華が呻く。
さらには、
――ズゥドンッッ!
一足跳びで間合いを詰めた骸鬼王の右足で押し潰される!
放射状に広がる灼岩の亀裂。
しかし、超重量の衝撃はそれでも収まらない。
剣神を大地に縫い付けたまま、岩石を撒き散らして火線を引いた。
ようやく止まったところで、骸鬼王は右足で抑えつけた剣神に向けてアギトを開く。
口腔から火が零れ、紅く輝き始めた――。
『させるかッ!』
対し、剣神は白の光剣を骸鬼王の頭部に向けた。
直後、
――カカッ!
白い閃光が十字に輝き、切っ先は裂光と化して骸鬼王の頭部ごと空を貫いた!
さしもの骸鬼王も大きく仰け反る――が、
……グググと。
すぐに姿勢を元に戻す。
裂光が直撃した頭部は、表層が黒く炭化していたが、健在だった。
アギトから溢れる炎もだ。
そして――。
――ゴォウッッ!
骸鬼王は右足で抑えつけた剣神に対し、アギトから赫光を放った!
大地が業火に包まれて鳴動する。
《制約》時の数倍の威力だ。
それも一度だけではない。二度、三度と続ける。
鳴りやまぬ激震。
業火と烈風が吹き荒れる。
灼岩の大地ごと粉砕していく。
剣神を抑えつけた自分の右足が崩れることも厭わない猛撃。
まさしく蹂躙であった。
そうして、七度にも渡る鳴動が終わった時、そこは巨大な溶鉱炉と化していた。剣神の全身は砕けてマグマの中で溶解し、すでに原型を留めていなかった。
煌々と赤い双眸を輝かせる骸鬼王だけがそこに立つ。
……勝敗は決まった。
もはや、桜華の生存さえも疑うような惨状であったが、
――ドンッ!
突如、剣神の残骸から何かが飛び出してきた。
それは六角柱の水晶だった。
人ほどの大きさだ。それが骸鬼王の肩にまで飛翔し、そこで六つに割れる。
そうして現れたのは桜華だった。
「…………」
彼女は、無言で骸鬼王の肩に降り立った。
頬や腕に酷い火傷を負っていたが、それはみるみる治癒していく。
「助かった。ありがとう。白冴」
桜華はハーフコートを脱ぎ捨てて、胸元の白冴に感謝を告げた。
『いえ。しかし、真刃さまもご容赦のないことでございます』
白冴は苦笑の混じった声で言う。
『このまま、奥方さまを殺されるのかと思いました』
「お前がいたからだろう。あいつはお前が守り抜くと信じていた。それに」
桜華は右手を横に向けた。
すると、その手に向かって元のサイズに戻ったヒヒイロカネの武具が飛び込んでくる。
桜華は、しっかりと武具を握りしめた。
「それだけあいつも全力で応えてくれているということだろう。今もだ」
そう言って、前を見やる。
同じく骸鬼王の肩の上。十メートルほど離れた場所。
そこには真刃の姿があった。
桜華は何も語らず歩き出す。手に握った武具からは白い光剣が生み出された。
――いや、それはただの光剣ではない。
六連の新月を描いて回転する。
彼女の象徴でさえ再現できなかった秘剣。月輪の太刀だ。
『桜華さま』
白冴が告げる。
『ここより先は桜華さまだけのお時間でございます。ご武運を』
「ありがとう。白冴」
桜華は感謝の言葉で答えた。
対する真刃は、静かに右腕を横にかざした。
すると、骸鬼王の肩から何かが突き出してきた。
それは、長大な穂先が炎に包まれた千成瓢箪の槍だった。
従霊の長・猿忌の真装である。
真刃は、最古の従霊の武具を掴んだ。
桜華は歩き続ける。
そうして六メートルほどの間合いで止まった。
月輪の太刀を静かに構える。
一方、真刃も穂先を下ろすと掌で柄を滑らせた。石突近くで強く掴む。
(間合いを最大に広げたか)
桜華は双眸を細めた。
間合いにおいて、剣と槍ならば、槍に分がある。
真刃は石突近くの柄を掴むことで、さらに間合いを広げたのだ。
(勝負は初撃)
間合いの広い真刃の一撃が先に届くか。
それとも、その一撃を回避し、桜華が剣の間合いに入るか。
(奴の太刀筋を見極める。それがすべてだ)
桜華は精神を集中させた。
骸鬼王の体は、灼岩の塊だ。
耐熱性に優れた桜華の戦闘服でも長くは持たない。
その上、呼吸をするだけで熱波が喉や肺を灼く。
勝負は数秒後だった。
そして――。
「――勝負ッ!」
桜華が跳躍した!
真刃の間合いに突入する。その瞬間、千成瓢箪の槍が加速した。
空気を斬り裂き、桜華へと迫る――が、
(見切った!)
彼女は、重心をさらに低くして槍の一撃を回避した。
穂先が掠って髪がひと房ほど散る。
しかし、間違いなく回避した。
(もらった!)
桜華はさらに加速した。
だが、その時だった。
ギシリ、と。
集中して時間さえも遅く感じていた桜華は、そんな音を聞いた。
恐らくは筋肉が軋む音だ。
そして信じ難いことが起こった。
振り抜かれたはずの槍が、凄まじい速さで戻ってきたのである。
切り返しだ。
しかも、それは初撃よりも速かった。
咄嗟に桜華は月輪の太刀で受け止めようとするが、間に合わない。
(しまった――)
桜華の体に衝撃が奔ったのは刹那の後だった。




