第八章 想いの寄る辺③
「………………は?」
その光景を前にして、ジェイは唖然としていた。
眼前に映し出されたモニター。
そこに映る死人どもが、次々と倒れ込んでいるのだ。
完全に操作不能。糸が切れてしまっている。
もちろん、ジェイが術を解除した訳ではない。
死人どもは勝手に倒れていた。胸部からは青白い鬼火が抜けて、その多くが天へと昇り、一割ほどがどこかに向かって飛翔している。
「おいッ! どういうことだッ!」
ジェイがモニターを操作して鬼火の向かう先に映像を移した。
そして、そこに映った存在は――。
「……なんだ、こりゃあ……」
茫然とする。
そこにいたのは、途方もなく巨大な灼岩の魔獣だった。
火の息を零して港湾区にて君臨している。
鬼火たちは、その巨獣の元へと集っていた。
「……くそッ!」
ジェイは手を突き出して、死人どもに干渉する。
しかし、隔絶している封宮内の死人どもはともかく、結界領域内の死人どもには全く干渉できなかった。
「くそッ! どういうこった!」
ジェイが舌打ちをする。と、
「なに。簡単な話だよ」
不意に背後から声を掛けられる。
ジェイがハッとして振り返ると、そこには一人の小柄な紳士がいた。
明るい茶色の紳士服と、同色の胴着。左目には片眼鏡を付け、鍔の広い円塔帽子を被っている紳士だ。手には杖を持ち、天を突く髭を片手で弄っている。
――《恒河沙剣刃餓者髑髏》。
ジェイの主がそこにいた。
「お、叔父貴……」
ジェイはその場で片膝をつく。
「……すまねえ。叔父貴に迷惑をかける気は……」
「ああ。分かっておるよ」
餓者髑髏は苦笑を零した。
「君にも相応の理由があったのだろう。だが、いささか以上に雑だね。エリーは不機嫌になるだろうな。吾輩はエリーが君をあまり叱らないように宥めに来たのだが……」
そこで双眸を細める。
「まさか、このような光景を見ることになるとはな」
「……叔父貴」
ジェイは主に尋ねる。
「こいつは一体どういう状況なんだ? 俺の術が全く効かねえ。訳が分かんねえよ」
と、言っている内に、唯一制御下にあった封宮の一つが破られたことを感じた。
御影刀歌を捕らえてあった封宮である。
あの巨獣の影響ではない。
どうやら中の封宮師が無力化されて解除されたようだ。
(嘘だろ……あれだけの数の駒があんな小娘一人に負けたのかよ)
内心で舌打ちする。と、
「君の術が効かないのは簡単な理由だよ」
餓者髑髏が答える。
「君も知識としては知っているだろう。一つの対象に同じ系統の術をかけた場合、主に二つの現象が起こり得ると」
一拍おいて、
「一つは先着順。ほぼ同じ術式の場合には先にかけた術が優先される。もう一つは似て非なる術式。類似した術の場合だ」
餓者髑髏は髭を撫でる。
「その場合は単純な力比べになる。要は彼との力比べに君は負けたのだよ」
「………な」
ジェイは目を見開いた。
次いで、巨獣の映るモニターを見やる。
「じゃあ、あれは我霊っすか? 俺ら以外の名付きがここにいたと?」
「いや、彼は我霊ではない」
餓者髑髏もモニターを見やり、そう呟く。
「遥か遠き日に吾輩はあれと同じモノを見ている。まさか、再びこの目にする日が来ようとは思ってはいなかったが……」
「……叔父貴?」
ジェイが眉根を寄せた。
一方、餓者髑髏は苦笑を浮かべた。
「彼の子孫か? だが、あそこまで強く力が引き継げるのか? いずれにせよ、ジェイ。君の舞台は破綻してしまったようだ」
「………く」
ジェイは歯を軋ませた。
餓者髑髏はコツンと杖をつく。
「本来ならば、ここらが退き際であろうな。これ以上は損失だけだ。だが、ジェイ。君には悪いが、少々吾輩の我儘を通させてくれまいか」
言って、パチンと指を鳴らす。
直後、ビルの屋上のフロアから銀色の刃が突き出して玉座と成った。
餓者髑髏は刃の玉座に腰をかける。
「我儘っすか? 叔父貴が?」
ジェイが怪訝そうに眉をひそめる。
「まあ、叔父貴の頼みでしたら、俺はどんなことでも応えるつもりですが……」
「ふふ、感謝するよ。ジェイ」
餓者髑髏は双眸を細めた。
「ならば、しばし撤退は待ってくれ。なにせ、実に興味深い状況だ。吾輩としてはもうしばしこれを見物したいのだよ」
言って、モニターに映る灼岩の巨獣を見据えた。
「はてさて彼が何者なのか。君も興味はないかね。ジェイ」
◆
同時刻。
この状況に興味を抱いていたのは、刃の王だけではなかった。
とあるホテルの一室。
ソファーに腰を降ろして、その老人は窓に目をやっていた。
正確には、大きな窓を通して見えるその光景にだ。
「…………」
老人は無言だった。
老人の傍らには二人の人物が控えている。
白い制服を着た少年と、紫色の制服を着た少女だ。
彼らの足元には、十体ほどの死体が横たわっていた。
ここに襲撃を仕掛けてきた死人である。
すべて、少年少女の手で斬り捨てられていた。
ややあって、
「……ふん」
老人――久遠刃衛は鼻を鳴らした。
海辺が遠方に見える光景。
そこには異形の存在が顕現していた。
かつて栄華を誇った帝都にて老人も目にした怪物である。
「騒々しい夜かと思えば、よもやあれを再び目にするとはな」
あごに手をやって呟く。
「あれの血が今代まで継がれていたということか。しかし、母体は誰だ? 大門の娘か? 火緋神の娘か? いや、二人とも子を成したという話は聞いておらぬ――」
そこで紫色の少女に目をやる。
「ならば御影の娘か? 男装してまで軍に身を置いておったあの娘もあれのお気に入りだったと聞く。任務の傍らに手籠めにして孕ませておったのか?」
一拍おいて、
「だとすれば、お前をわざわざ造る必要はなかったか。影刃よ」
「……破棄するの?」
影刃と呼ばれた少女が言う。
「私がいらないのなら処分するけど?」
彼女は、自分の喉元に手刀を向けた。
指先から、ボボボと紫色の炎が噴き出した。
「処分せずともよい。『至刃塵火』。『破刃瓢濫』。『白数刃百重』。『影刃基義』。数多なる作品を造れども、ここ五十年ほどで小生が銘を与えたのはその四振りのみだ」
刃衛は双眸を細めた。
「お前にはお前の使用目的がある。お前はそのために存在し続ければよい」
「了解」
ポツリとそう返す少女。
刃衛は再び巨獣に目をやった。
「『久遠真刃王儀』よ」
略称ではなく、かつて自分が与えてやった真銘で呼ぶ。
彼にとっては、まさしく始まりの一振りだった。
刃衛は指先を組んだ。
そして、
「破壊においては小生の作の中でも無二の傑作。されど大いなる欠陥品よ。貴様の残滓、どれほどのモノか見せてもらおうか」
そう告げて、彼もまた傍観するのであった。




