第七章 ブライド・ハント⑦
時間は少し遡る。
――《死門》のジェイの宣戦布告。
それと同時に、死人たちは引導師たちの元へと解き放たれた。
そして、あらゆる場所にて戦闘が始まった。
それは真刃たちも例外ではない。
しかしだ。
――グシャリ。
紅如意の刺突によって、死人の頭部は無残に砕け散った。
頭部を失った死人は力なく崩れ落ちた。
倒れ伏すのはその一体だけではない。すでに十体が倒れていた。
現れて十秒にも満たない間の結果である。
送り込んだ死人たちは、わずかな障害にもなっていなかった。
「おい。おっさんよ」
黄金の体毛に覆われて半獣人化した王が、紅如意を肩に担いで言う。
「こっちは片付いたぜ」
「ああ。こちらもこれで終わりだ」
と、真刃が答える。
彼の足元にも、十体以上の死人が倒れていた。
そして、真刃の灼岩の右腕には一人の青年が掴まれていた。
紺色の道着を着た二十歳ほどの青年である。
右手に刀を握っていたが、それはすでに折れて床に落ちている。
「……死者の魂を束縛して操る術か」
不快そうに真刃が眉をしかめる。と、
「―――――」
青年は何かを口にした。
それは女性の名前のようだった。
本来、死者には生前の記憶はない。
だが、魂を束縛するこの術式には、記憶もある程度残す効果があるのかも知れない。
もう理性などないというのに、青年はうわ言のように呼んでいた。
恐らく青年にとって、最も大切な者の名を……。
真刃は双眸を細めた。
そして、
「……輪廻の輪に還るがよい」
青年を猛火で包んだ。
瞬く間に青年の体は炭化して崩れ落ちた。
溢れ出す炎は倒れ伏している死人へも移り、それらも瞬時に葬った。
「……はン」
王が皮肉気に笑う。
「火葬ってか? お優しいことだな」
「どうとでも言え」
真刃が王の方を一瞥した時だ。
ふと気付く。
床にまだ影が残っていることに。
真刃と王があまりにも素早く殲滅したため、まだ閉ざされていなかったのだ。
そして、その一つに真刃の視線が移った。
その影の中から、右腕が生えていたからだ。
新手かと考えるところだが、その腕は頼りないほどに細く、まるで子供の腕だった。
それが必死に動いている。
手のひらを開けたり閉じたり、また腕を振ったりと忙しい様子だ。
どうにも死人らしくない動きだった。
「……猿忌よ」
真刃は猿忌に声を掛けた。
「しばし待機せよ」
『御意』
猿忌がそう返すと、真刃の灼岩の巨腕は崩れ落ちる。
代わりに床から巨大な岩熊が現れた。姿を変えた猿忌である。
真刃は影に近づいていく。
そして、必死に動く右腕を掴んで引っ張り上げた。
――ズプリ、と。
影から引き上げたのは一人の少女だった。
「………ふえ?」
片腕を掴まれた少女は、涙で溢れた目を瞬かせていた。
同時に影が完全に閉じてしまう。
真刃は少し驚きつつも、少女を地面に降ろした。
彼女は、ペタンとその場に腰を降ろした。
茫然とした様子で、彼女は真刃の顔を見上げていた。
その姿は、まるで天使か、妖精か――。
異国の系譜であることがよく分かる鼻梁に、絹糸のような長い菫色の髪。元々は左右で結いでいたのかも知れないが、今は片方が解けている。衣服こそ無残に引き裂かれて、胸元、四肢などは白い素肌を晒しているが、それが却って儚さを感じさせる。
年の頃は十四歳ほど。身長は燦と同じぐらいだ。とても小柄な少女である。思わず庇護欲を掻き立てられるような容姿ではあるが、綺麗な顔も今は涙の跡が凄かった。
いや、現在進行形でボロボロと泣き続けていた。
「……だ、助けでぐれたの……?」
真刃を見つめたまま、少女は言う。
「……うむ。そうなるな」
真刃はとりあえずそう答えた。あのまま放置していたら、この少女は間違いなく影の中に取り込まれていたので助けたことには違いない。
すると、彼女はさらに顔をぐしゃぐしゃにして、
「お兄ィざアアアあン! ありがどおおおおおッ!」
天に向かって吠えるように叫んだ。
「あのままだったらホマレ絶対死んでだああああああ! 我霊に散々エロいことされまくってから殺されでだああああああ!」
「……そ、そうか」
大泣きする少女――ホマレというらしい――に少し圧倒されながら真刃は頷く。
「助けることができたのならば、それは良かった。まだ結界領域は解けておらぬが、お前はどこかに身を潜めて――」
そう言いかけると、
「無理いィィ! それ無理だよおおお!」
ホマレはさらに大声で叫ぶ。
「いま放置されたら絶対死ぬよおォォ! ホマレの戦闘力はポメラニアンが鼻で笑うレベルなんだよォォ! 守っでええエェェッ! ホマレを守っでええええッ!」
滂沱の涙を流して、ホマレは真刃の片足にしがみついて懇願する。
「見捨てないでええ! お金ならあるがらあッ! 幾らでも払うがらああッ!」
「……いや、別に金銭を要求している訳ではないが……」
真刃が渋面を浮かべて言うと、
「お、お金じゃないの? な、ならッ!」
ぎゅうっと口元を強く結ぶ。
「ホ、ホマレの処女をあげるからああッ! 怖いけどあげるがらあああッ!」
「……いや、お前な……」
真刃はますます渋面を浮かべた。
一方、ホマレは、真刃の足に必死にしがみついたまま、自分をプレゼンし始める。
「ホマレのおっぱいは手のひらに収まるぐらいで堪能するにはお手頃サイズなんだよおっ! あばらとおっぱいの感触を同時に楽しむのはチッパイにしか出来ないんだよおっ! 他にもほらあっ! 脚線美にも自信はあるからあああッ!」
「……あのな」
真刃が重い口調でそう呟くと、ホマレはビクッと震えた。
「ま、待ってええッ! そ、その……一回だけじゃないからっ!」
さらに真刃の足にしがみつく。
「ホマレの開発権もあげます! ホマレは男の人は苦手だから本当に真っ新です! あなた専用になりますからあっ! 隷者にもなりますからあッ! ホマレの魂力は177もあるからお得だよおォ! だから、だから見捨てないでエェェ!」
『……うわあ……』
金羊が呻く。
『見た目はこんなにも可憐な美少女なのに、ものすっごい残念臭がする娘っスね。ご主人。ここはいっそ影にリリースするのはどうっスか?』
『……ふむ。そうだな』
岩の巨熊姿の猿忌が頷き、
『それが後腐れないかと思いますわ』
刃鳥までそう告げた。
これほど可憐な容姿だというのに、いつもの妃候補の話さえ挙がらない。
誰もがこれは地雷案件だと察していた。
「そうしたくともすでに影は消えたしな……いや」
思わず真刃もそう返したが、すぐにコホンと喉を鳴らした。
「……流石にそれは人道から外れるだろう」
そう言い直して、先程から見物人気取りの王に目をやった。
すると、王は紅如意で自分の肩をトントンと叩き、
「いや、こっち見んなよ。おっさんが拾ったんじゃねえか。俺はガキに興味はねえよ。マジで魂力が177あったとしてもな」
そう告げる。と、
「やだよおおッ! だって、そいつほとんど猿じゃんッ! 流石にやだよおおォ! 初めてが獣姦もどきなんてええええ!」
ホマレ自身がそんなことを叫んで拒否した。
「……ますますもって相手にしたくねえな」
王が半眼になった。
確かに今の姿は象徴の初期段階で半獣人のような姿だが、猿呼ばわりはない。
実のところ、ホマレは王の顔を知っているのだが、今はあまりに人相が変わりすぎていて気付いていなかった。なお、真刃の顔も知っていたりするのだが、彼女にしてみれば生きるか死ぬかの瀬戸際なのでそこまで判別できていなかった。
ともあれ、これでは話が進まない。
「……分かった。結界領域が解けるまでは己が面倒をみよう」
真刃は妥協した。
「だから、そろそろ足を離せ」
そう告げるのだが、ホマレはくしゃくしゃになった顔を上げて、
「やだああああ! 離したらきっと見捨てられるゥゥ!」
「……お前な」
真刃は、心底疲れた顔を見せた。
発熱でハイテンション化した燦相手でもここまで疲れた顔はしなかった。
真刃はホマレを一瞥して、
「このままでは動けん。お前を小脇に抱えるか、もしくは従霊……己の式神の背に乗せようと思うが、それでよいか?」
「ダメえええェ!」
その提案もホマレは一蹴した。
「それだとどっかに捨てられるゥ! きっとゴミみたいにポイ捨てされるゥ!」
「……お前は」
真刃は嘆息した後、
「ならば己が背負うのはどうだ? それならお前もしがみつけるだろう」
「それだと後ろから攻撃されたらホマレ盾じゃんッ!」
その案も却下された。
真刃は深々と溜息をつきつつ、ホマレのうなじを掴んで持ち上げた。流石にしがみついたままではいられず、ホマレは「ひぎゃああああああッ!」と叫ぶが、真刃はそのまま彼女を肩の上に移動させて抱えた。彼女の両足を右腕で支える。
まるで猫が人間の肩に乗ったような姿勢で、ホマレはキョトンとした顔をした。
「これでよかろう。後は己の肩にでもしがみついておけ」
そう告げられて、ホマレは目を瞬かせるが、
「―――ダアアアアリィィィンッッ!」
不意に、全身を丸めて真刃の頭に抱き着いた。
一方、真刃は眉をひそめる。
「だありん? 何だ? それは?」
『「ダーリン」。伴侶や旦那さまって意味っス』
と、金羊が補足する。
真刃は、これまでの人生でも初めて見せるような心底嫌そうな顔をした。
しかし、当のホマレは上機嫌だ。
涙を片腕で拭き、ようやく勝ち取った安全圏――彼女自身も理解していないが、何気にこの結界領域内で最も安全な場所でニコニコと笑う。両足もパタパタと動かして、
「ダーリン優しい! うん! 女に二言はないよ! 約束は守るから! けど、男の人はちょっと怖いし、本当に初めてだから今夜は優しくしてね!」
「子供がくだらん戯言を言うな。報酬など不要だ。助けてやるから大人しくしておれ」
真刃は、いささか以上に疲れた様子で返した。
一方、ホマレは「ええ~連れないよォ」と言いながら、真刃の帽子を手に取って被り、
「ホマレ、男の人に触られてるのにこんなにも安心するのは初めてなんだよ。なんか運命感じてるんだけどなあ。それとホマレ、こう見えても二十六だよ? 子供じゃないし」
「…………は?」
真刃は目を丸くしてホマレに顔を向けた。従霊たちも驚いた様子だ。
と、その時だった。
「……おい、おっさん」
王が声を掛けてくる。
「そろそろ茶番は終わったか? 続きと行きてえところだが」
ホマレを一瞥する。
「まさか、そんなのを抱えて俺とやるつもりかよ?」
そう問われて、真刃は表情を改めた。
そして、
「さほど問題もあるまい」
そう返す。
「どうせこれから己自身はほとんど動けなくなるのだからな」
「あン?」王が眉根を寄せる。「どういう意味だ?」
「ここから先は己も本気ということだ。まあ、お前を倒すというよりも、この状況のままではエルナたちが心配で気が気でないからな」
一拍おいて、
「まずはこの状況をねじ伏せることから始めるとしよう」
そう宣言した直後だった。
突如、倉庫のフロアがすべて光で覆われたのだ。
「――ふええッ!? なにこれ!?」
真刃の肩の上で、ホマレが目を丸くする。
それは無数の灯火だった。
恐らく、その数は万にも届く――。
「小僧」
真刃は忠告する。
「用件が済めば次は貴様だ。貴様も半端な姿はやめて全力で向かってくることだな。さて。すべての従霊に告ぐ」
かくして精霊殿の主は、ここに集いし、万にも至る精霊たちに命じた。
「――己に器を与えよ」




