第七章 ブライド・ハント➄
桜華がこの場所に来たのは、完全に偶然だった。
決戦の日は近い。
それも百年の想いが込められた決闘だ。
流石の桜華も緊張していないと言えば嘘になる。
そのため、街へと出向いていたのである。
気晴らしにではない。
むしろ精神を研ぎ澄ますためだった。
赴いた場所は、繁華街の人混みの中。
行ったことは隠形だ。
気配を完全に消して、すぐ傍にいても存在を認知させない。
それを人混みの中で実施した。
それは、実に見事なものだった。
客引きが、桜華越しにサラリーマンに声を掛けるほどである。
ここまで完璧な隠形には、桁違いの集中力を必要とする。
精神を研ぎ澄ますには持って来いの修練だった。
そうして、桜華は三十分ほど気配を消して人混みに紛れていた。
――が、そんな時に、結界領域に取り込まれたのである。
そして、名付きの我霊の馬鹿げた宣告。
状況の詳細も戦況も分からない。
ホマレに連絡を取ろうとしても装飾品は無反応だった。
この異常事態だ。彼女にも何か異変があったのかも知れない。
(……くそ)
ホマレの住居を確認していなかったことは失態だった。
これでは救援に向かうことも出来ない。
ともあれ、桜華は周囲を警戒した。
その時だった。
ビルの一つ。その屋上から巨大な炎の柱が立ち昇ったのは。
そこで戦闘が始まったと考えるのは当然だった。
桜華は、すぐさまその場所へと跳躍した。
そして、旧知の顔を見つけたのである。
かつて仕留め損ねた魔性の女の顔を――。
そうして、
「……お前は……」
さしものエリーゼも唖然としていた。
「……馬鹿な……久遠、桜華……?」
「……ああ」
桜華は頷く。
「久しいな、《屍山喰らい》。いや、今は《屍山喰らい》と呼ばれていたか?」
ふっと笑う。
「どちらでもよいか。どうせここで斬る」
言って、白き光剣を薙いだ。
「――お前ッ!」
その時、ルビィが鬼のような形相を見せた。
「お姉さまに対して無礼な! どこの引導師だッ!」
「……ふむ」
桜華はルビィを一瞥した。
「お前こそ何なのだ? 我霊でも引導師でもないな。もしや伝承に聞く古妖か? いや、それとも違うようだが……」
そこまで呟いてから、今度は未だ驚いた顔をしている蒼火の方を見やり、
「少年」
「しょ、少年? 俺のことか?」
「ああ。君のことだ。どうやら君は引導師のようだな。そっちの我霊擬きのような赤い女の相手は任せられるか?」
「あ、ああ」蒼火は困惑しつつも頷く。「構わないが――」
「――お前ッ!」
ルビィが気炎を吐いた。
「舐めた口を! そいつの前に殺してやるわ!」
そう言って、隣に控えていた人形が立ち上がった。
しかし、それが動き出す前に、
「……おやめなさい」
エリーゼが片手でルビィを制止させた。
「……ルビィの勝てる相手ではありませんわ」
「え? お姉さま?」
ルビィが目を瞬かせる。が、
「この女の相手は私がしますわ」
エリーゼは、構わずそう告げる。
そうして一歩前に踏み出した。
同時に、桜華も前へと進み出す。
二人の美女は、互いにゆっくりと近づいていく。
どちらも、散策でもするような、ごく自然な歩き方だ。
だが、異様な緊張感に、ルビィも蒼火も動けなくなっていた。
二人の美女は桜華の――剣の届く間合いで止まった。
「……いいのか?」
桜華はふっと笑った。
「その姿のままで? 本性を出す前に死ぬぞ?」
「……なるほど」
エリーゼは双眸を細めた。
「私の真の姿を知る者は数えるほどしかいません。引導師では皆無と言ってもいいですわ。すべて殺してきましたから。例外はあの忌まわしい女どもだけ……」
そこで、桜華の持つヒヒイロカネの柄を触媒にした光刃を一瞥する。
「そしてその光の刃。信じ難いことですが、あなたは本当に久遠桜華なのですね」
そう告げて、侮蔑するように口角を上げた。
「ですがその姿は何ですの? あなたはいつ我霊になったのかしら?」
「貴様のような人食いと一緒にするな」
桜華は言い放つ。
「『私』は今も人だ。いささか以上に特殊ではあるがな。だが、それを説明するのも面倒だ。どうせ貴様はここで『私』に斬られるのだから意味もないしな」
「大した自信ですわね」
エリーゼは馬鹿にするように鼻を鳴らした。
「確かに一度は不覚を取りましたわ。ですが、ここに金堂多江はいないですわよ? それともどこかに隠れているのかしら?」
そう尋ねるエリーゼに、
「……多江はもういない。いや……」
一拍おいて、桜華は左手を自分の胸に当てた。
「多江は……『私』の友は今もここにいる」
「あら、そうですの」
エリーゼは双眸を細めた。
「どうやら、あの女の方はちゃんと死んだのですね。残念。あの女も現れるようならば、今度こそ二人揃えて殺して差し上げましたのに」
「ふん。よく言う」
桜華は微笑を浮かべた。
「かつて『私』たちに殺されかけて泣きじゃくった女が」
そう告げた瞬間。
――ズンッ!
音がした訳ではない。
だが、周囲を巻き込んで圧力が一気に上がった。
ルビィや蒼火などは、威に呑まれて思わず倒れかけるほどだ。
それほどまでの殺気をエリーゼは放っていた。
長い沈黙。
そして、
「……ええ」
エリーゼが唇を開く。
「間違いなく、あなたは久遠桜華ですわ。人の神経を逆撫でにするその言い草はまるで変わりませんのね。本当にあの頃のまま。そう――」
一拍置いて、
「エリーの大っ嫌いな女」
どこか口調を幼くして告げる。
直後、
――ドンッッ!
エリーゼの腹部が爆発した。
いや、そう思わせるほどの莫大な触舌が腹部の腹から溢れ出したのだ。
ルビィと蒼火が目を見開くが、桜華はすでにその場にいなかった。
まるで空間でも跳んだかのように、屋上にある昇降口の上に立っていた。
そうして、白き光刃を薙いで、
「……いいだろう」
桜華は不敵に笑った。
「百年前の因縁を一つ、ここで消しておくことにしよう」




