第七章 ブライド・ハント②
(……これは)
予想もしていなかった異常事態に、かなたは表情を険しくした。
場所はフォスター邸のリビング。そこには自室に戻っている最中のエルナを除いて、すべての妃たちと、近衛隊の双子の姉妹がいた。
全員、流石に驚きが隠せていないようだった。
そうこうしている内に《死門》と名乗る名付き我霊の宣戦布告が終わり、その直後、獅童と武宮が率いる近衛隊の面々がリビングに現れた。
全員が険しい表情の中、獅童がリビングを一瞥して叫ぶ!
「――壱妃殿はどこだッ!」
「エルナさまは自室です!」
そう答えつつ、かなたは瞬時に思考を巡らせる。
そして、
「芽衣さん! 六炉さん!」
壱妃補佐の弐妃として、かなたは告げる!
「先にエルナさまの部屋へ! 合流お願いします!」
「うん! 分かった!」「了解」
芽衣と六炉は即座に応じる。
芽衣は、六炉の腕を掴んで即座に空間転移した。
彼女の系譜術・《無空開門》だ。
大人数は運べないので、最強の六炉と共に先に行ってもらったのだ。
続けて、かなたは妃たちに目をやった。
「各自戦闘に備えてください! 獅童さん!」
獅童の方へと視線を移す。
「数名の増援をエルナさまたちの元へお願いします!」
「承知した! 弐妃殿!」
獅童が応じ、
「俺が行く! 二人ついてこい!」
武宮がそう叫ぶと、二人の部下と共にエルナの部屋へと向かっていった。
そんな中、
「かなた!」
刀歌が叫ぶ!
「敵が来るぞ! 影に注意しろ!」
見ると部屋中に影が広がっていた。
床だけではなく、壁にも影が浮き出ている。
触媒の柄から炎の刃を噴き出させて、刀歌は構える。
双子は急激な事態についてこれず動揺しているが、それなりに実戦経験を持つ燦と月子は緊張しつつも身構えていた。無論、かなたもハサミを巨大化させて両手に構える。
獅童たちも、いつでも《DS》を使える用意をしていた。
そうして、床や壁から、徐々に人影が浮き上がってきた。
「……確かに死体だな」
獅童が呟く。
影から出てきたのは人間だった。
しかし、明らかに生気がない。その上、どこかしら負傷した人間たちだ。
「妃殿たちは我らの後ろに」
獅童がそう告げた時だった。
「…………」
おもむろに、死人の一人が虚ろな眼差しで刀歌を見据えた。
そして、
「……ミツケタ。マズ一人……」
そう呟いた。
◆
「いやいや何考えてるの!?」
停車した車から降りて、篠宮瑞希が青ざめた顔で叫ぶ。
「無茶くちゃじゃないか! この街にどれだけ引導師がいると思っているんだよ!」
「……それだけ自信があるのかァ」
同じく車から降りた大門が、赤く染まった月を見上げて呟く。
「それとも別の目的があるのかもしれませんねええ」
いずれにせよ、と言葉を続けて、
「まずは目の前の危機から排除しましょうかぁあ」
前を見やる。
路地の一角。そこには五体ほどの死人が影から出てくる姿があった。
「これって巻き込んだ引導師たち全員のところに送り込んでいるのかな?」
すうっと片足を上げて身構える瑞希。
大門は「恐らくはァ」と答えて、
「結界領域はァ我霊にとっての都合の良い世界ですゥ。どこまでの精度かはァ分かりませんがああ、気配程度なら把握できると考えるべきでしょうねえェ」
大門は戦闘用の式神を取り出して構えた。
五体の死人は、ゆっくりと間合いを詰めてくる。と、
――ゴウンッッ!
猛烈な火炎によって瞬時に焼失した。
大門と瑞希は目を瞠った。
火炎が噴き出した元を見やると、そこには葛葉がいた。
「……随分と舐めたことをしてくれるわね」
熱の余波で黒髪を揺らして彼女は言う。
それから、大門たちを見やり、
「お二人は燦……さまたちのところへ。私は別行動に移ります。引導師には非戦闘員も少なからずいますから、少しでも早く多くの人たちを助けないと」
「え、ええ。確かにそうですがぁ」
大門が困惑した様子で言う。
「いまァ別行動を取るのは危険ですよォ」
「大丈夫です」
葛葉は即答する。
「これでも私は最強ですから」
そう告げた直後、ドンッと跳躍した。
まるで砲弾のような跳躍だ。
唖然とする大門たちをよそに彼女の姿は瞬時に消えた。
(誰も殺させない。私が救う)
葛葉――否、杠葉は空高く跳躍した。
二十メートル、五十メートルと上昇したところで彼女の足元から炎が噴き出した。
それは瞬く間に質量を伴う火炎の龍と化した。
炎龍はそのまま杠葉を頭部に乗せて、遥か上空へと飛翔した。
そうやって、地上から何百メートル上昇したか――。
炎龍はようやく止まり、長い尾を揺らして滞空する。
この高さなら、この街の全容が見渡せた。
街の中央から、コンテナ船が停泊する港湾区までもだ。
それらを眼下に納めつつ、
「……一気に灼き払ってやるわ」
杠葉はそう呟いた。
当然、この街を焦土にするつもりはない。
ここから敵だけを排除するのだ。
それには神がかり的な精密さと集中力が必要になるのだが、神がかった力が必要というのならば神の力を使えばいいだけの話だ。
杠葉は虚空の門を開き、右腕を突き刺した。
そうして、ゆっくりと取り出したのは、真紅の大剣だった。
岩から削り出して造ったような歪な刃――神刀・《火之迦具土》である。
(……まさか、これを使うことになるなんて)
久しぶりに持った神刀は、とてつもなく重く感じた。
それは心の重さなのかもしれない。
だが、今は感傷に浸る場合ではなかった。
杠葉は神刀を静かに薙いだ――その時だった。
「……それは少しお待ちいただけますか?」
杠葉は思わず硬直した。
不意に、背後から声を掛けられたのである。
ギョッとして振り向くと、そこには一人の少女がいた。
杠葉同様に、滞空する龍の頭部に乗った銀髪の少女である。
ただし、その龍は炎龍ではなく、黒い鱗の龍――九龍だった。
『……杠葉、サマ?』
九龍は杠葉の姿を見て、驚いているようだった。
「……あなたは」
杠葉は眉をひそめる。
知っている少女だった。
燦から写真を見せてもらったことがある。
真刃の隷者の一人。壱妃と呼ばれている少女である。
「確か、エルナ=フォスターさん?」
「はい。それは当たりです。ですが、外れでもありますね」
そう答えて、銀髪の少女は微笑んだ。
そして、
「いずれにせよ、ここは少し待っていただけませんか。お嬢さま」
どこか懐かしさを感じる口調でそう告げた。




