第七章 かくして彼女はそう告げた①
それは激戦だった。
氷剣と黒い炎刃が交差する。
それも超高速の激突だ。
桜華が下段からの斬撃を繰り出せば、六炉は和傘を核にした氷剣を振り下ろす。
二つの刃が重なれば一瞬の拮抗が生まれ、次の瞬間には二人とも遠く離れていた。
ズザザザッと火線を引いて間合いを取ると、そこで跳躍。
二人は再び正面から激突した。
息をつくこともなくその攻防を繰り返す。
その光景を、エルナたちは唖然とした表情で見ていた。
二人とも体術や剣術メインの戦いだが、エルナたちでは目で追うのも難しい。
完全に次元が違うレベルの戦いだった。
「む、六炉さん、無茶くちゃ強いわね……」
と、エルナが軽く喉を鳴らして言う。
陸妃が妃たちの中で最強であることは日々の訓練で分かっていたことだが、それでもここまでのレベルとは思っていなかった。
だが、それ以上に気になるのが……。
――ギィンッ!
六炉の攻撃を平然と凌ぐ中華服の美女である。
正面から打ち合っても全く揺らがない。
それどころか、時折微笑みさえも見せている。
「……あの人は」
エルナは、いつしか傍に近づいていた刀歌に目をやった。
「本当に刀歌のひいお爺……」
そこまで尋ねたところで眉根を寄せる。
「……えっと、ひいお婆さまなの?」
そう言い直してみたが、やはり違和感を覚える呼称だった。
なにせ、相手はどう多く見積もっても二十歳ほどにしか見えないのである。
「う、うん……」
その違和感は、ある意味刀歌の方がより強く抱いていた。
「そうだと思う。少なくとも私とひいお爺さましか知らないことを知っていた」
「……それが本当だとしても……」
その時、別の少女の声が響いた。
かなたの声である。彼女は両膝をついたエルナに抱えられていた。
六炉たちが戦闘に入ってすぐにエルナが保護したのだ。
「もうしゃべっても大丈夫なの? かなた」
と、エルナが心配そうに尋ねる。
かなたは「はい」と答えて。
「だいぶ落ち着きました。ですが、刀歌さん」
かなたはまだ少し痛そうだったが、ゆっくりと上半身を起こした。
そして今も超高速の攻防を繰り広げる桜華を見据える。
「彼女が本当に刀歌さんの曾祖母だとしても、あの姿は一体……何よりも」
かなたは刀歌を――正確には、彼女のリボンに宿る蝶花に目をやった。
「どうして『久遠』を名乗っているのです? 蝶花。あなたは先ほど言いました。『久遠桜華』は真刃さまが名付けた名前だと」
『……う』
刀歌のリボンが震えた。
刀歌はムッとへの字に口を閉じるとリボンの端を掴み、エルナも蝶花を見据えた。
リボンの端は『あわわ!』と、ジタバタと動いていた。
「……蝶花」
リボンの端を自分の顔の前まで持ってきつつ、ジト目で刀歌は言う。
「確かにお前はそう言ったな。どういうことだ? 答えろ」
『そ、それは……』
リボンはより激しく暴れ出す。
と、その時。
『……まあ、待ってくれ』
声が掛けられる。赤蛇の声だ。
先程まで剣闘士だった従霊は、今はいつもの赤い蛇の姿になっている。
布製の蛇はしゅるしゅると動くと、かなたの肩に乗った。
『正直、オレらも混乱してんだよ』
赤蛇は言う。
『こいつは本来なら有り得ねえことなんだよ。それに……』
赤蛇は戦闘に視線を向けた。
『御影刀一郎が六炉嬢ちゃんと渡り合ってることもだ。確かに御影は強かったが、技量はともかく、六炉嬢ちゃんと正面から渡り合えるような膂力はなかったはずなんだ』
六炉の個人の魂力は1100を超える。
御影刀一郎だったという女性の見立てでは、現在は4000オーバーだそうだ。
対する御影刀一郎は、赤蛇の知識では32だった。
仮に《魂結び》や《DS》で増量しているとしても4000にまでは至れないはずだ。
だというのに、彼女は六炉と正面から剣戟を繰り広げていた。
(一体どういうことなんだ?)
あのかつての時代よりもさらに若々しく見える姿もそうだ。
果たして、御影刀一郎に何があったのか。
赤蛇の混乱は増すばかりだった。
『とにかく今はオレたちにも何も言えねえ。状況が分かんねえんだよ』
と、正直な想いで告げる。
エルナたちは不満げな顔だ。
すると、その時――。
……ズオォォ。
巨体がエルナたちの上空に移動して来た。九龍である。
九龍は鎌首を降ろすと、そのままとぐろを巻くようにエルナたちの周囲を覆った。
「九龍?」
エルナが顔を上げて自分の専属従霊を見やる。
『……ガウ。オレニモ状況ハ分カラナイ。ダガ……』
九龍が頭を上げて戦闘を見据えた。
二人の美女は、さらに加速していた。
『…………』
黒龍は双眸を細めた。
『ヒメタチハ、オレノ影ニ隠レロ。ソロソロ危ナクナル』
「……え?」
エルナが目を見開く。
その直後。
――ぶわあ、と。
輝く桜の花びらが大量に舞った。
驚いて九龍の影から戦闘を覗くと、そこには黒い炎刃を振り上げた桜華の姿があった。
――いや、炎の刃という呼称は正しくない。
黒い炎刃は光条と化していた。黒い光剣である。
「まさかあれはッ!」
刀歌が目を瞠る。
「白の位か! 御影家の極意技の!」
刀歌もまだ完全には習得していない秘剣。
色こそ黒だが、あれは間違いなく《火尖刀》の極意だった。
「……これもかわすか」
桜華は不敵に笑っていた。
一方、対峙する六炉は数メートルほど間合いを取っている。
「……むむ」
眉をしかめる六炉。
負傷はしていない。
しかし、彼女の氷剣は核である和傘ごと両断されていた。
鋼鉄製の骨組みも見事な切断面を見せている。
「お気に入りの傘だったのに」
そう言って、少し名残惜しそうに和傘を捨てた。
「一つ言っておこう」
黒い光剣を薙いで桜華は告げる。
「剣技において『私』を上回る者などいない。例え生まれもった剣才で『私』を大きく凌いでいたとしてもだ。なにせ『私』は――」
そこで皮肉気な笑みを零した。
「初めて剣を握ったのは三つの時。そしてその日から剣の道に身を置いて百二十年。積んできた修練の年月が違うからな」
「……そうなの?」
台詞だけだと冗談にしか聞こえないのだが、素直な六炉は目を瞬かせた。
「じゃあ、お前は百二十三歳なの? もしかしてもの凄い若作り? 凄い。ムロのテテ上さまでももっと老けてる」
「お前の父がどうなのかは知らんが……」
桜華はふっと笑う。
「若作りと言えば若作りなのだろうな。あの日、私の老化は完全に回復してしまった。その後も『私』の肉体は常に最盛期――十八の頃を維持しているようだからな」
そう告げると、自分の胸元に片手を当てた。
「不思議なものだ。肉体が若返ると、心にも強く影響が出るらしいな。決して色褪せぬと思っていた想いではあるが、今では昨日のことのように鮮明に感じ取れる。年月と共に摩耗していたはずの感情も感性も血が通うように蘇っていくのを感じる」
「その感覚はムロにはよく分からないけど……」
六炉は大きく息を吐いた。
「とりあえず接近戦では勝てないと分かった。だから……」
言って、六炉は右腕を薙いだ。
そして、
「ここから先は全力で行く」
そう告げた。




