第三章 乙女たちは動き出す➂
(ままならんな……)
そう思う者は他にもいた。
クラシックな純喫茶。
そこでコーヒーを嗜む黒い中華服を着た女性である。
妖艶な容姿、衣装でありながら静謐な佇まいで座っている。
他にも客はいるのだが、彼女のその雰囲気から声も出せずにいた。
微かな音楽だけが店舗内に響く。
しかし、彼女にとっては騒々しいことこの上ない状況だった。
『桜華ちゃん! 桜華ちゃん!』
耳元で声が聞こえる。
いや、正確には彼女の耳に装着した筒状の装飾品からだ。
小さな宝石のような装飾がチカチカと輝いている。
そのたびに、少女のような声が彼女の耳に聞こえてくるのだ。
「五月蠅いぞ。少し黙れ。ホマレ」
『酷い! サポーター兼相棒にその扱いは酷いじゃん!』
と、憤慨した様子でさらに騒ぎ立てる。
彼女――久遠桜華は嘆息した。
「……お前は変わらんな」
桜華が『ホマレ』と呼んだ存在。
それは桜華にこの装飾品をくれた自称スーパーハッカーを名乗る人物だった。
同時に引導師でもあると聞いている。
彼女とはとある事件以降、どうにも気が合ってこうやって行動を共にしていた。
と言っても一度も会ったことはないが。
声からして女だと思っているが、顔も知らなかった。
『それよりなんであんな約束をしたんだよ!』
ホマレはかなりご立腹のようだった。
桜華が眉をひそめた。
「何の話だ?」
『ワンちゃんに桜華ちゃんの処女をあげちゃう約束だよ!』
桜華はますます眉根を寄せた。
『最悪だよ! あんな奴に! 桜華ちゃんの処女を貰うのはホマレが先約なのに!』
「……三つほど指摘するぞ」
半眼を見せて桜華は言う。
「一つ。王に『私』をくれてやると言ったのはあくまで『私』との賭けに勝った場合だ。二つ。お前とそんな先約をした覚えはない。三つ」
そこでかなり小声になる。
「……『私』は処女ではない」
『――ウソだねっ!』
しかし、それをホマレはばっさりと切り捨てた。
『三つ目はウソだね! ホマレも一応処女だから分かるね! それも二十六年のそれなりの年代モノだよ! その経験からして桜華ちゃんは絶ッ対にまだ処女だね!』
「…………」
『《未亡人》ってのはホントだと思ってるけど、きっとあれでしょう! 旦那さまとはエッチできずに死別したケースなんでしょう!』
「…………」
『はっきり言うとホマレは女の子が好きなの! そんでもう桜華ちゃんには一目惚れだったよ! 出会った頃の王さまみたいな感じのハーフコートとレギンス姿もエロカッコ良かったけどさ! 郷に入っては郷に従えなんていうホマレの口八丁で中華服を着てくれた時なんてもう最高! 桜華ちゃんの生足は至高なのですッ!』
こっそり撮った画像は家宝にしております!
と、大きく叫んでから。
『だから桜華ちゃんを初めて見た時に思ったの! 桜華ちゃんのお手伝いをしてさ! しっかりと信頼を勝ち取ってさ! そんで復讐を果たした時、きっと傷ついちゃってる桜華ちゃんをホマレが美味しくイタダク……もとい優しく癒してあげようって!』
「…………」
桜華は完全に表情が消えていた。
そして、
「ああ。今まで世話になった。元気でな。ホマレ」
言って、耳の装飾品を壊そうとする。
『ああ! 待って待って!』
ホマレが叫ぶ。
『愛も多様性の時代だよ! 多様性とは相手を知る努力をすることだよ! 下心があるのはマジだけど、桜華ちゃんの手助けをしたいってことは本気だからさ! 全力だよ! 今までだってそうだったでしょう!』
「…………」
桜華の手は止まった。
『ホマレはこれからも役に立つよ!』
そう告げるホマレに、桜華は深々と溜息をついた。
「……いいだろう」
『ホント! ありがとう! 桜華ちゃん!』
ホマレが喜びの声を上げる。
『それじゃあ桜華ちゃんが復讐を果たしたら、ご褒美に桜華ちゃんを頂戴ね! ワンちゃんだけ特別な条件はズルいから!』
「……知るか」
桜華はうんざりした。
「その時、『私』が無事ならば好きにしろ」
『マジで! ありがとう! 桜華ちゃん!』
ホマレが声を張り上げた。
『これでモチベーションがMAXだよ! 惚れた女を手に入れる! うん! やっぱりこれこそが引導師の原動力だよね!』
(いや、それは嘆かわしすぎるだろう)
かつての時代を知る桜華は内心でそう思う。
しかし、ホマレはそんな先達者の哀愁などどこ吹く風だ。
『……グヘヘェ。あれしてさあ、これしてさあ、もう毎日がエッチ日和だよ。グへへェ、道具や衣装は手持ちで足りるかなあ……』
と、桜華でさえ寒気がするような呟きを零していた。
……これは本気で選択を間違ってしまったか?
流石にそう感じるところもあるが、ホマレが極めて優秀であり、桜華にとっては頭脳とも呼ぶべき相手であることは紛れもない事実だった。
現在、《黒牙》を利用できるようになったのもホマレの助言あればこそだ。
何より、龍泉の巫女と成ったことで常に最盛期を維持する肉体を得た――もはや永遠の乙女となった桜華であっても、やはり大正世代なのである。
令和の時代の利便さに不慣れなことは否定できない。そのため、現代の文明の利器に精通するホマレは実に頼りになる人材だった。
「……やむを得ないか」
桜華は溜息を吐きつつも、
「いずれにせよ、ホマレ」
悪寒を振り払って本題に入った。
「作戦会議に入るぞ。あの女を殺すためのな」
『あいよ! OKじゃんよ!』
ホマレも応じる。
『まず彼我の戦力差から確認しよっか。桜華ちゃんには隷者はいないって話だけど、改めて聞いとくね。桜華ちゃん個人の魂力ってどれぐらいなの?』
「通常では2800ほどだな」
桜華は即答した。
次いで、グッと拳を軽く握ってみる。
「最大では5万6000ほどになる。それと『私』の魂力が減ることはない」
『……えっと、桜華ちゃん?』
少し引きつった声でホマレが言う。
『桁おかしくない? しかも減らないって。それで勝てないの? 相手は怪獣なの?』
「……それに近いな」
桜華は皮肉気な笑みを零した。
「あの女の魂力は、恐らく20万は超えるからな」
『え? マジで怪獣?』
「神威霊具とはそれだけ格が違うということだ。だからこそ『私』もあの女に対抗するために手に入れようとしたのだが……」
桜華は遠い目をした。
『失敗しちゃったね』
ホマレが言葉を続けた。
「いや。今更だが、あれは失敗して良かったと思う。たとえ手詰まりであったとしても、無関係な人間を生贄にするなど考えるべきではなかった」
と、語る桜華に、『ごめん』とホマレが謝罪した。
『ホマレのアイディアだったもんね。無理強いさせちゃったよ』
少し気落ちするホマレに、
「気にするな。それも結局『私』が決めたことだしな」
桜華はかぶりを振った。
「だが、やはり性に合わない。あいつが生きていたら何をしていると言われただろうな。神威霊具を創り出すことは、今後は破棄でいくぞ」
『うん。分かった。なら……』
――《天国階段》開門。
ホマレがそう呟いたのが聞こえた。
『ターゲットをどう誘い出すかは別として、まずは桜華ちゃんがターゲットに勝つ方法が重要だね。現存する神威霊具はもうお伽噺だし、手に入れるのは難しいか……』
桜華にそう告げながら、同時にホマレは次々と何かの指示を出していた。
彼女の呟きは早すぎて、まるで呪文でも唱えているようだった。
だが、今日までの付き合いから桜華には分かる。
ホマレは今、大量の情報を信じ難い速度で処理しているのだ。
そうして、
『……《DS》か。これ使えるかな?』
「……《DS》だと?」
ホマレの呟きに桜華が眉根を寄せた。
「王たちがよく使うあれか?」
『うん。それ』ホマレは答える。
『あれって1000程度の魂力を増量させる薬物なんだけど、ワンちゃんとかクズビアンとかが使うと怪物になるのって知ってるよね?』
「ああ。最初に会った時、それで襲い掛かって来たな」
桜華はあごに手をやって呟く。
《黒牙》を潰して手中に収めた日である。
変わった能力とは思ったが、今の桜華にとっては造作もない相手だった。
『ホマレはね。あれこそが《DS》の真価じゃないかと思ってるんだ』
「……人を怪物にすることがか?」
少し不快そうに桜華が尋ねる。
すると、『厳密に言うと違うと思う』とホマレが言う。
『あれはきっと、より強い潜在能力を引き出すために人を超えた強靭な姿になっているんだ。疑似的な力の象徴。だから《DS》なんだよ』
「ならば『私』が服用すれば力の象徴が顕現するのか?」
続けてそう尋ねる桜華に、ホマレは『多分ムリ』と答えた。
『桜華ちゃんは強すぎるから。あの程度の薬物なんかきっと効かないよ。もっと純度の高いモノじゃないと……』
そこでホマレは考え込む。
『それこそ模擬なんかじゃない。本物の象徴を引き出すような……』
「…………」
桜華は無言になった。
こうなった時のホマレの思考を止めてはいけない。それを知っていた。
豊かな胸を支えるように腕を組んで、桜華は静かに待つ。
どれぐらいの時間が経ったか、ややあって。
『……ねえ。桜華ちゃん』
ホマレは桜華にこう問うた。
『《DS》のオリジナル。どうにかして手に入れれないかな?』




