第三章 乙女たちは動き出す①
カタカタカタカタ……。
暗い室内にて、キーボード音が響く。
一度も途切れることもなく一心不乱にその音だけが鳴っていた。
カタカタカタカタカタカタ……。
それはさらに十数分ほど続いた。
すると、
「入るわよ」
不意に声を掛けられる。ここは廃ビルだ。拠点とする際に最低限の機能だけは復旧させているが、ドアの建て付けは悪く、最初から開いていた。
「……ボロいわね」
そのドアを強引に閉じて彼女は部屋に入った。
年の頃は十代後半ほどか。まだ少女の面影がある長い髪の東洋系の女性である。
長い黒髪を左右でシュシュで結いでいる。スレンダーな体形で下はジーンズ。上にはタンクトップと、短い丈の黒いジャケットを羽織った女性だ。
首元には自分の尾に喰らい付く蛇の入れ墨が刻まれていた。
彼女は未だカチカチと鳴る方へと目をやった。
部屋の片隅にポツンとある机。
その机の上に置かれたノートPCの前に一人の男がいた。
上半身に蛇の入れ墨を入れた半裸の男。再会した時は黒に戻りかかっていた髪もくすんだ金へと染め直し、顔の至るところにピアスを着けた青年だ。
脱獄した鞭である。
「鞭」彼女は近づき、鞭の座る机に片手を置いた。
「何してんの?」
「おう。来たか。蘭花」
視線はモニターに固定したまま鞭が応じる。
モニターには数字の羅列が並んでいた。
「なに。お仕事って奴さ」
言って、ポンとキーボードを打つ。
すると、モニターが切り替わった。
どこかの監視カメラの映像だろうか。制服を着た子供の姿が映し出された。
「これ、何よ?」蘭花と呼ばれた彼女が眉をひそめた。
「どっかの学校の映像なの?」
「ああ」
マウスを動かしつつ、鞭は頷く。
「瑠璃城学園とかいう引導師の学校だ。そんで俺の目的は……」
視線とマウスを忙しく動かす。
そして、
「……ビンゴだ」
鞭が蛇のように双眸を細めた。
「無事に進学できたみてえだな。月子ちゃんよ」
映像には下校する月子の映像が映し出されていた。
その隣には、本命の火緋神燦の姿もあったので確認の手間が省けた。
「ふ~ん。綺麗な子ね」
蘭花がモニターを覗き込んできた。
「あんたの趣味からしてお目当てはこっちの金髪の子? 拉致るの? 背は少し低いけど、見たところ、十五か、十六ぐらい?」
「いや。こいつも拉致るつもりだが本命は隣のガキの方だ。こいつを王がご所望なんだよ。それと金髪のガキは十二だぜ」
「……は?」蘭花が目を丸くした。
「え? 十二? マジ? このルックスで?」
「おう。俺の食指が動いても不思議じゃねえだろ?」
言って、鞭は机に置いていた煙草の箱を取って一本火を点けた。
口に加えて肺一杯に煙を吸い、ふうっと一気に吐き出した。
紫煙が天井付近へと漂っていく。
「王から聞いてると思うが、俺はこいつのせいで地獄を見た」
煙草を再び咥えてそう呟く。
「クソガキが……」
まさに蛇のような双眸でモニターの少女を睨み据える。
「報いは必ず受けさせてやるぜ」
そう吐き捨てて、煙草を灰皿に擦りつけた。
「……災難ね」
一方、蘭花は少しだけ憐憫の眼差しを見せていた。
「この子も私みたいにされるんだ」
「けけ。お前とは違うさ」
「何が違うの……ん」
何かを言おうとした蘭花は、立ち上がった鞭に唇を塞がれた。
十数秒ほどキスを交わす。
ややあって口を離すと、親指で彼女の唇をなぞった。
「全然違うさ」
そして蘭花を抱き上げて、そのまま近くのソファーへと向かった。
蘭花はされるがままだ。鞭はソファーにドスンと腰を降ろす。次いで蘭花を自分の膝の上に座らせて背後から抱いた。
「おらよ。ご褒美だ。これが欲しくて来たんだろ?」
そう告げて、鞭は虚空から飴玉のような包み紙を取り出した。それを片手で解く。中身はやはり飴玉だった。淡い桜色の飴玉だ。
蘭花が大きく目を見開いて「うあ」と声を零した。
鞭は意地悪く笑うとそれを口に含み、背後から強引に彼女の唇を奪った。
舌を何度も絡めて、飴玉を彼女の咥内に移す。
それから、再び彼女の唇を堪能してからゆっくりと離した。
蘭花はトロンとした眼差しで鞭を見つめている。
早速効果が出ているようだ。
「……いきなりはやめてって言ったじゃない」
視線を逸らしながらそう告げるが、部屋に入った時の気の強さは鳴りを潜めていた。
そんな彼女に、
「けけ。お前はマジでいい子だな。蘭花」
鞭はニタリと笑う。
「こないだまではお前も《旗》なんか率いてイキがってたが、俺の熱心な教育もあって今となっちゃあこんなにも素直だ。お前は俺のお気に入りさ。だからいつも優しくしてやってんだろ? だが月子は違う」
視線が定まらない蘭花のジャケットを脱がしながら言う。
「あのメスガキは俺のそんな優しさを踏みにじりやがったんだ。調子に乗りやがって。もう優しくなんぞあり得ねえよ。いたぶって、いたぶって、いたぶり尽くしてやんぜ」
鞭の憎悪の籠った呟きに、蘭花は何も答えない。
薬物でどんどん過敏化されていく感覚に声も出せずにいた。
「だがよ」
鞭は、そんな調教済みの彼女の衣服を剥いでいく。
上半身はすでに裸だ。彼女を反転させて今度は正面に座らせる。
「あのメスガキにはとんでもねえ化け物が護衛についてんだよ」
「ばけ、もの……?」
熱い吐息を零しつつ蘭花は反芻する。鞭は「……ああ」と答えた。
「とても人間とは思えねえ怪物だった。ありゃあきっと王でも勝てねえ……」
出来ることなら二度と遭いたくない。
それどころか、近づきたくもない怪物だった。
だがしかし。
「……あの野郎は崩を殺した」
暗い表情で鞭は呟く。
「何かと口うるせえ野郎だったよ。だが、あいつは俺の数少ねえ朋友だったんだ」
「……復讐するの?」
鞭の殺意に当てられてか、少しだけ正気を取り戻す蘭花。
鞭は「そうだ」と答えた。
「いずれにせよ月子を手に入れんのにあの化け物は邪魔だからな。だが、俺じゃあ全く勝ち目はねえ。だったら化け物には化け物だ。蘭花」
鞭は彼女のうなじに手をやって視線を合わせさせた。
「あの女は今どうしてる?」
「昼から、いないわ」
蘭花は心ここにあらずの状態だったが答えた。
「知り合いに……会いに行くって、護衛も拒んで、出かけたわ」
「……そうか」
この国はあの女の故郷だと聞く。
知り合いがいてもおかしくはないだろう。
現在、鞭が所属する《黒牙》はほぼすべてのメンバーがこの国に来ていた。
傘下にある下部組織も含めれば、総勢三百名を超える大集団である。
目的はとある人物の殺害のためだ。
崩を失った影響なのか、かつての覇気を取り戻した王によって統率されている。
この廃ビルはその拠点だった。
だが、拠点こそ同じくにしているが、あの女は単独で動くことが多かった。
目的は同じらしい――と言うより、あの女の目的を王が叶えようとしている――が、協力も部下として利用する気もないようだ。
鞭が王に『好きにさせていいのかよ?』と尋ねたら、
『協力するのも独自に動くのもOK。これはあの人と俺の賭けなのサ』
そんなふうに嘯いて王は肩を竦めていた。
どうやらあの女と何かしらの約束を交わしたらしい。
しかし、これはチャンスだった。
あの女にこちらを利用する気がなくとも、鞭には利用する理由が大いにあった。
そのために、自分の隷者である蘭花をあの女の世話役に推したのである。
元名家の直系である蘭花はそれなりの実力を持つ引導師であり、護衛としても役に立つ。何よりあの女と同世代の女なので世話役として申し分ない。
王にも異論はなく、あの女も興味がないのか拒否をしなかった。
そうして蘭花は鞭の諜報員としてあの女の懐に潜り込んだのである。
「あの女の行動はこれからも逐一俺に連絡しろ。いいな」
「わ、分かった……」
本来は勝気な性格の蘭花が弱々しく頷いた。
鞭は下卑た笑みを浮かべると、彼女の背中を右手でゆっくりとなぞった。
「~~~~っっ!?」
蘭花は声も出せず大きく仰け反った。
「おっと」
鞭はソファーから落ちそうになった彼女の腰を支えた。
その際に、彼女の首筋に舌を這わせる。
それにも彼女は大きく震えた。
「流石は俺の自信作だな。いい感じにキマって来たか」
ニタニタと口角を上げる。
「そんじゃあ頑張ってくれてるお前のためにご褒美といくか。まあ、俺も随分と御無沙汰だったしなあ。ちょい激しくなるが、お前なら受け止めてくれるよな?」
そう尋ねるが、もはや全身が性感帯となっている蘭花には何も答えられなかった。
「けけけ」と嗤う。
それも分かった上での問いかけだ。
そうして、
(化け物には化け物だ……)
外道の蛇は、舌なめずりをする。
それは目の前の女に対するモノか、それとも――。
(潰し合ってもらうぜ。化け物どもよ)




