第八章 雪解けの夜②
抉られた芝生に、荒れ果てた地。崩れ落ちた店舗。
日中は家族連れで賑わう憩いの場での戦闘は激化していた。
中央にて身構える黒狼。
相対する三人と一機は、怪物を牽制しながら駆け巡っていた。
そして、
「やあっ!」
芽衣が爪棍を振るう!
途端、空間ごと切り裂く四本の刃が飛ばされる。が、
――ドンッ!
黒狼は地を蹴って回避した!
視認できる斬撃ではない。だが、芽衣の所作から攻撃を読んだのだ。
黒狼はさらに地を蹴り、芽衣との距離を縮めた。
「やばッ!」
空間転移で退避する芽衣。
しかし、獣の直感で出現場所を嗅ぎ取った黒狼は軌道を変えた。
宙空へと跳び、爪を虚空に向けて構える。
次の瞬間、その場に芽衣が現れた。
彼女は青ざめる。と、
『させんぞ! 小僧!』
黒い獅子が黒狼の片足を掴み、そのまま地面に叩きつけた!
『この娘は若のお気に入りなのだ。傷の一つも負わせてはお叱りを受ける』
言って、その場から後方に跳躍。入れ替わるように武宮が両手をかざした。
蜥蜴男の頭上に巨大な紫色の水球が生まれる。
『骨まで溶けちまいな!』
そして滝のような勢いで地面の黒狼に叩きつける!
芝と土が腐食し、白い煙が巻き上がる。
直撃すれば模擬象徴であっても溶解させられる一撃だった。
しかし、
――ズオオッ!
白い煙の中から、黒狼が飛び出してきた。
鋭い爪が蜥蜴男の胸元めがけて突き出される!
武宮には避ける余裕はない。
だが、その爪は蜥蜴男に突き刺さる前に止められる。
巨大な刀が、黒狼の肩に突き立てられたのだ。
阿修羅姫の刀である。刀はさらに炎を噴き上げた。
『――チイ』
黒狼は、舌打ちして左腕を振るった。
剛腕が空を切る。阿修羅姫は刀を残して上空へと退避した。狙いを定めさせない多角的な飛行だ。黒狼は跳躍して追撃しようとするが、阿修羅姫の背にある二本の手甲から小型ミサイルが幾つも撃ち出されて初動を潰された。
連続で起きる小規模の爆発に、黒狼は再び舌打ちする。
その隙に、武宮も間合いを取り直していた。
『おい! 頑丈すぎっぞ! こいつ!』
武宮が叫ぶ。
『模擬象徴の防御力の比じゃねえ! どんだけタフなんだよ!』
肩の刀を抜き、放り捨てる黒狼。
刀傷も、腐食液やミサイルのダメージもみるみる再生されていく。
『……その上、強力な再生能力まであるようだな』
それを見据えて獅童が言う。
『だが、どうやらあの動きを阻害する厄介な系譜術は使えなくなっているようだ。頑強さと身体能力を大幅に上げた代償といったところか』
「……それだけは朗報だよねェ」
芽衣も呟く。
「あの身体能力であんな系譜術を使われたら今頃全滅してるもん」
「けど、今のままやとあかんで」
扇子を手に千堂が声を掛けてくる。
「ジリ貧や。このままやとボクらの《DS》の効果が先に切れるで」
そして、パンっと扇子を開いて告げた。
「ここは一気に押し切るべきやな。やっぱ一番効果的なのは芽衣ちゃんの空間斬撃か。あれは当たれば防御無視で両断できるやろうし」
『そうだな』
獅童も同意する。
『さっきから奴も空間斬撃だけは回避に徹している。流石に四肢の欠損だけは再生にも時間がかかるだろうしな』
『おし。なら決まりだな』
武宮は拳を叩いて頷いた。
『俺と獅童と千堂の人形であの野郎の動きを抑える。そんで隙を見て、芽衣の空間斬撃で真っ二つにしてやろうぜ』
「……それが最善ね。けど」
芽衣は爪棍を強く握りしめて言う。
「千堂君のフィギュアはともかく、君たちは生身なんだからね。死んじゃダメだよ」
その台詞に、獅童と武宮は顔を見合わせた。
『お前に心配されるとはな』
『なんかキャラ変わってんぞ。芽衣』
そんな台詞を返してきた。
すると芽衣は「むむっ!」と唸った。
「別に心配なんてしてないもん! ただ、シィくんに任された手前、部下を死なせたらバツが悪いだけだから!」
「おお! 見事なツンデレ台詞やな!」
千堂が嬉しそうに言う。
「ごっそうさんでした。けど、安心しい。芽衣ちゃん。最前線に出るのはボクのお姫さんや。二人は死なさへんよ」
双眸を細める。
「これ以上、あのワンコロに人が殺されんのも堪ったもんやないからな」
『……ふん』
獅童は拳を固めた。
『ともあれ、方針は決まったな。行くぞ。武宮。千堂』
『お前が仕切んな』
武宮がそう告げるが、彼もすでに臨戦態勢だ。
阿修羅姫も高度を下げていつでも特攻できる構えでいる。
だが、その一方で。
(……どういうことだ?)
黒狼は、疑問を抱いていた。
象徴者三人に、三強の一角。
確かに強力な布陣だが、今の自分ならば問題のない連中だ。
今は拮抗しているが、空間斬撃にさえ気を付ければいずれ押し切れるだろう。
だが、疑問として気になるのはこれが最高戦力ではないことだった。
なにせ、今この場にはあの男がいない。
自分を打ちのめしたあの式神遣いの男がいないのだ。
(ここには《夜猫》がいる……)
あの夜、あの男に連れていかれた女。
すでにあの男の隷者になったと考えるのが妥当だろう。
他の三人もあの男の部下になったと考えるべきだ。
(だったら、何故ここにいない?)
部下と自分の女だけで充分だと判断されたか。
そうだとしたら屈辱だと感じるが……。
(いや、待てよ)
ふと思い出す。
そう言えば、《夜猫》が名付き我霊のことを示唆していた。
しかし、今回、あいつは一度も表舞台に立っていない。
表立って暴れていたのは自分だけだ。あいつはずっと裏方に徹していたはずだ。
だというのに、それを知っていたということは――。
(すでにあいつの存在がバレているのか? いや、あの男がここにいないのは――)
――ぞわり、と。
全身の毛が逆立った。
あの恐ろしいほどに強い男が。
あいつの元に向かっている。
その可能性に気付いた時、黒狼は考える前に息を吸いこんでいた。
それも大量の空気だ。上半身が冗談のように膨れ上がった。
流石に《夜猫》たちもギョッとして警戒した。
が、それにも構わず息を吸い続け、
――ゴフウッ!
一気に吹き出した!
だが、それは《夜猫》たちに向けたモノではない。
自分の足元、地面へと吹き出したのだ。
衝撃も伴う豪風は地と芝を削り、爆発したように砂煙を巻き上げた。
芽衣たちは警戒して間合いを取る。
砂煙に紛れて襲撃してくると考えたのだ。
しかし、五秒、十秒と経っても動きがなく、芽衣たちは眉をひそめた。
さらに警戒している内に、砂煙は晴れてしまった。
結局、黒狼の襲撃はなかった。
「……え?」
芽衣が目を瞠った。
砂煙が晴れた場所。そこに黒狼の姿がなかったからだ。
「どこ! どこに行ったの!」
芽衣が叫び、周囲を警戒する。
獅童や武宮も周辺に視線を向けるが、どこにも黒狼の姿はない。
完全に見失ってしまったのだが、黒狼が襲い掛かってくる気配はなかった。
そんな中、
「……こいつは」
千堂が上空の阿修羅姫に目をやり、眉をしかめた。
「阿修羅姫の熱源センサーに反応なしやと。あのワンコロ、まさか……」
舌打ちする。
『……あの男、この期に及んで逃げたのか?』
獅童のその呟きに、全員が言葉を失うのだった。




