第七章 凶星輝く➂
その日の朝。
真刃は久方ぶりに缶コーヒーを堪能していた。
場所は《久遠天原》総本部の執務室だ。
今は一冊も本がない状態だが、書棚を背負う執務席に座って大きく息をつく。
苦みのある缶コーヒー。
それを視線の位置まで掲げて目を細める真刃。本当に久方ぶりだった。
ここ数日、真刃自身が進んで望んだ訳ではないが、組織の立ち上げやこの暫定本拠地の準備などに追われ、一服する余裕もなかったのだ。
何故、出張先で旗揚げなどに至ったのかは今でも疑問に感じているのだが、とにかく芽衣が乗り気のため、ほぼ押し切られたような形だった。
まあ、真刃としてはこの組織、芽衣が命名した《久遠天原》は一時的なモノだ。
荒れに荒れている強欲都市を平定し、天堂院六炉を見つけ出す。
その後は西條綾香に全権を移譲して組織は解体。真刃は地元に帰ればいい。
その点においては、西條綾香は話の通じる相手でよかった。
恐らく相当に強かな人物でもある。
今後の強欲都市も巧く運用していくことだろう。
これで問題の一つは解決したことになる。
(だが、まだ問題は山積みだな)
コツンと空になった缶コーヒーを机の上に置いた。
未だ六炉の居場所は掴めない。
SNSには目撃情報があるが、駆けつけてもすでに遅く、そもそもデマも多い。
金羊が強欲都市中の監視カメラにアクセスしてみたが、どうも彼女はカメラを警戒しているらしく、ほとんど姿が映っていなかった。
もう一つの目的である狼覇の封印地も、《久遠天原》の団員――要は武宮や獅童の部下たちに探させているが、そちらもまだ報告が上がっていなかった。
どちらも一向に進捗がないと言える。
「……やれやれだ」
額に指先を当てて、真刃は嘆息する。と、
『あ。ご主人』
スマホの中から金羊が声を掛けてきた。
『そろそろ朝の芽衣ちゃんタイムっすよ』
「何だ、その名称は……」
疲れ切った表情で真刃は立ち上がった。
それから部屋の中央にまで移動した。
すると、直後、重厚なドアが勢いよく開かれる。
「ウチが来たっ!」
腰に手を当て、そこに仁王立ちしていたのは芽衣だった。
真刃と視線が重なると、ふにゃっと口元を崩して。
「シィくゥ――んッ!」
途端、彼女の姿が消えた。
彼女の系譜術。《無空開門》だ。
しかし、それももう見慣れたものだ。
真刃は彼女が消える直前から移動を始めていた。
「あれっ!?」
次の瞬間、姿を現した芽衣は目の前に真刃がいないことに目を丸くした。
そしてガクンッと体を持ち上げられた。真刃の肩に担がれたのである。
「ええッ!? なんでウチが出てくる場所が分かったん!?」
「流石に何度も見れば読める。直前の目の動きなどでな」
言って、真刃は芽衣を担いだまま執務席まで移動し、彼女を机の縁に座らせた。
芽衣は「むうゥ!」と頬を膨らませた。
「ひっどォい! 『寵愛権』の侵害だぁ!」
「いや。己はその権利を認めておらぬのだが……」
嘆息しつつ、真刃は再び執務席に座った。
芽衣は顔を真刃の方に向けた。
「芽衣」
真刃は近衛頭に尋ねる。
「六炉の行方は分からぬか?」
「うん」
芽衣は頷いた。
「全然掴めないよ。たぶん《雪幻花》ちゃん自身も警戒して身を隠してるみたい」
「……そうか」
真刃は顔を上げて天井を見上げた。
「そうなると手強いな。我霊の動きも気になるところだというのに」
『そうっスね』
金羊も語り出す。
『例の惨殺事件。十中八九、名付き我霊が関わってるっスよ』
「え? マジ?」
芽衣が眉をしかめた。
「確かに引導師の仕業としては無茶くちゃだけど、なんで我霊が?」
「さあな」
真刃はぼそりと呟く。
「絶望的な状況は人の醜さだけでなく美しさも引き出す。それを期待してか……」
「え? どういうことォ?」
芽衣が小首を傾げた。
自ら悲劇を演出して人の心の美しさを観る。
怪物擬きどものあまりにも歪み切った人間賛歌。
名付き我霊のそんな行動理念はほぼ知られていないため当然の反応だった。
「それは機会があれば語ろう。だが今は――」
『どうやって目的を果たすかっスね』
金羊が言葉を継いだ。
『強欲都市の平定自体は手段っスから、目的は二つっス。どこかに封印された狼覇の兄者を見つけること。それとムロちゃんをGETすること。あと、出来れば芽衣ちゃんも妃として連れて帰りたいところっスね』
「ウチはまだ妃としては無理だよォ」
芽衣が困った顔をして答える。
「今の子たちが独り立ちしないと。けど、強欲都市を平定させたらウチの施設もかなり安心だろうし、送金なんてどこでも出来るからお持ち帰りはOKなのです」
腰に手を当ててフンスと鼻を鳴らす。
一方、真刃は額に手を置いてかぶりを振っていた。
と、その時だった。
――コンコンと。
執務室のドアがノックされた。
真刃と芽衣がドアに視線を向けた。
すると、「若。失礼します」という声が聞こえた。
真刃を『若』と呼ぶ人間は一人だけだ。
「獅童か。入っていいぞ」
真刃がそう告げると、ドアは開かれた。
そこにいたのは、やはり獅童だった。
獅童は部屋の中に進むと、真刃の前で頭を下げた。
「お忙しいところ失礼いたします。若」
「それは構わんが……」
真刃は渋面を浮かべた。
「その『若』はよせ」
何故か獅童だけは真刃をそう呼ぶのだ。
すると、芽衣が「あはは」と笑った。
「そうだよねえ。シィくんは若って歳じゃないもんねえ」
「確かに己の戸籍上の年齢は二十七だが……」
「え? 意外と若い? ウチよりも十歳ぐらいは上だと思ってた」
「……実際の年齢は二十二か、三ほどだ」
「………………え?」
目を点にする芽衣をよそに、真刃は獅童に問う。
「どうした? 何か進展があったか?」
「いえ。大きな動きはありません。ですが……」
一拍おいて。
「若に客人が来ています」
獅童はそう告げた。
「え? 総本部に?」
芽衣が眉をひそめる。
「ここって今、綾香ちゃん以外には誰にも知られてないよねェ?」
「……そのはずだったんだがな」
獅童も困惑した表情を浮かべていた。
が、すぐに表情を改めて。
「ですが、若にとってメリットのある人物と判断しました。今は応接室に通しています」
どういたしますか?
続けてそう尋ねる獅童に、真刃は沈黙し、
「会おう。興味がある」
言って席を立った。芽衣も机の上から降りる。
そして獅童と芽衣を引き連れて長い廊下を歩き、応接間に向かう。
途中で、ボボボと猿忌も姿を現す。
これから会う人物が重要だと感じたからだろう。
そうして応接間に到着し、入室すると三人の人物がいた。
三十代の男性が一人。二十代の女性が二人だ。
女性は双子の姉妹なのか容姿がそっくりだった。
三人とも和装を纏っている。
彼らは、男性を真ん中に女性二人が挟んでソファーに座っていた。
芽衣が「え?」と目を剥いた。
知っている顔だった。
知り合いではないが、とても有名な男だったのである。
「おお~、君が久遠君やね」
男は立ち上がり、真刃の手を取って握手をする。
そしてその男は、
「ボクの名は千堂晃。《崩兎月》のリーダーや。よろしゅうな」
そう名乗って、ニッコリと笑った。




