第五章 蟲毒の壺④
その日の夜。
《雪幻花》こと、天堂院六炉はうんざりしていた。
場所は、とある高層ビルの屋上だ。
そこには、死屍累々と人が倒れていた。
殺してはいないが、恐らく二十人ほどはいるはずだ。
六炉に襲いかかってきた輩の末路である。
「なんでこうなったんだろ?」
六炉としては首を傾げるばかりだ。
数か月前、強い引導師が集まる街と聞いて六炉は強欲都市に訪れた。
確かにそれなりに期待できる者も多かった。けれど、結局、彼女の望みを叶えてくれるほどの者はいなかった。少しがっかりしつつ、そろそろ次の街へ行こうと考えていた矢先、鬼塚から住処の提供の話がきたのである。
この街にいる限り、衣食住を保証してくれると言うのだ。
六炉にとって有難い話だったので、お世話になることにした。
正直に言えば全国行脚にも少し疲れていた。ここで骨休みしたかったのである。
そうして一月ほど経った頃だった。不意に異母妹から連絡がきたのだ。
小動物を模した伝令式神を使った手紙だった。
そこには、異母妹と異母弟が結婚したというとんでもない話も書かれていて、六炉は異母妹の近況が凄く心配になって、久しぶりに会うことにした。
そうして聞いたのが『久遠真刃』の話だった。
天堂院家の者にとって『久遠真刃』の名は特別な意味を持つ。
その名を継承する者が現れたのだから、興味を引かれない訳がない。
『とりあえず、今後はこれで私と連絡を取ってください』
呆れた様子で異母妹に手渡されたのはスマホだった。
そこには、すでに彼の画像も保存されていた。
その日から、六炉は暇さえあれば『彼』の姿を眺めていた。
異母妹の言う三代目『久遠真刃』。
どんな人なのか?
どんな性格なのか?
好きな食べ物は何なのか?
ちなみにムロは『豚まん』さんが好き。
一緒に食べてくれるだろうか?
そんなことを考えるようになった。
強さ以外で男の人に興味を持ったのは初めてのことだった。
そんな日々を過ごしていたら、異母妹から連絡があった。
話を聞くと、どうも異母妹が考えていた当初の計画からは大きく変更となったようだが、とりあえず、『彼』は自分に会いたいとのことだった。
心臓が跳ね上がる想いだった。
それから会う日時と場所を決めると、六炉はお世話になった鬼塚にもお礼と別れを告げて、この日に備えたのである。
だというのに――。
「……むう」
ビルの縁にて和傘を回転させながら、六炉は頬を膨らませた。
あの日は、凄く緊張していた。
朝から部屋の中を行ったり来たり、その合間に、もきゅもきゅと『豚まん』さんを食べたり、何度も入浴もした。夜の六時を過ぎたあたりから、待ち合わせの場所をホテルの一室にしたのは変だったかなと考え始めた。自分の容姿は凄く目立つので密室にしたが、男女で密室は誤解されないだろうか。そう考えると凄くそわそわした。
その後も、溜息のような吐息が何度も零れ落ちたのを憶えている。
そうした緊張の中、ようやく夜の八時を迎えようとした時。
いきなり襲撃を受けたのである。
相手は数人の獣人たちだった。模擬象徴たちである。六炉は驚いた。そしてそれが隙になってしまったらしく、異母妹から貰ったスマホが壊されてしまった。
『――何をするのっ!』
これには六炉も怒った。
虎の頭を持つ獣人を、和傘で思いっきり殴りつけてやった。
虎の獣人は、コンクリートの壁を突き破って、ホテルの外へと消えていった。
その後、獣人の一人が巨大な火球を吐いて部屋を破壊した。獣人たちは全員倒したが、ホテルはもの凄い惨状であり、流石にその場から逃げざるを得なかった。
その日以降、ずっと襲撃を受けている。
「どういうこと?」
この状況には、六炉も頭を悩ませていた。
どうして襲われるのか。
いや、それはとりあえずいい。
問題は『久遠真刃』と会えなくなってしまったことだ。
今さら壊れたホテルに戻っても、そこに彼はいないだろう。
スマホも壊されたため、異母妹に連絡を取ることも出来なかった。
代わりに伝令式神を送ったが、返信にはどうしても時間がかかってしまう。
「……どうしよう」
六炉は、子供のように唇を尖らせて俯いた。
困っているというよりも拗ねた顔だった。
「……会えなくなったらどうしよう……」
それが不安だった。
足を屈めて、何気に芽衣よりもほんの少しだけ大きい胸を膝の上に乗せる。
視線を眼下の夜景に向ける。
無数の輝きに満ちた街。このどこかに彼がいるはずだ。
けれど、どうやって見つければいいのか、六炉には分からなかった。
本当に途方にくれていた、その時だった。
「クワクワクワ……」
不意に。
不気味な声が背後から聞こえてきた。
六炉はゆっくりと立ち上がり、視線を声の方へと向けた。
「……あなたは誰?」
そこにいたのは、黒い貫頭衣を着た男だった。
異様に長い両腕。左腕には灯火のないランタン。微かに光沢を放つシルクハットと、白い梟の仮面を被った異様な人物である。
「私か? 私は挨拶に来ただけの男である」
異様な人物――悪魔はそう告げた。
「……そう」
六炉は琥珀色の瞳を細めた。
「なら、尋ねることを変える」
一拍おいて、
「あなたはなに?」
和傘を畳み、縁から屋上へと降りる六炉。
「あなたからは命の鼓動も死の気配もしない。引導師じゃない。我霊でもない。かといって式神とも思えない」
「クワクワクワッ!」
悪魔は高らかに笑う。
「見事なる鑑定眼だ。いや、正しい言葉は慧眼か? いずれにせよ、流石は妄執の魔王の娘といったところか。だが」
長い人差し指で六炉を差す。
「私が何であるかはどうでもよい話だな。説明するのも難しい。複雑なのでそもそも私の語彙力では説明できない気がする」
「……そう」
和傘を片手に、六炉は距離を詰めていく。
「けど、大丈夫。ムロもおしゃべりはあまり得意な方じゃないから。だから、お話が理解できるまであなたの説明に付き合ってあげるよ」
「クワ。意外と根気強いな」
クツクツと笑う悪魔。
「しかしながら、私は本当にここには挨拶のためだけに訪れたのだ。すでにこの地での用件も済ませてあるからな。これから帰るところである。ただ、折角の機会なので陸妃殿とも顔合わせだけはしておこうと思っただけだ」
「ろく、ひ?」
足を止めて、六炉は眉をひそめた。
「それは何?」
「詳細は久遠真刃に聞くとよいぞ。いや、猿忌が教えてくれるか」
「……あなたは本当になに?」
六炉は双眸を細めると、微かに重心を沈めた。
すでに自分の間合いにある。一撃で仕留めるつもりだった。
それを感じ取ったのか、悪魔は急に焦り始めた。
「クワッ! 待てっ! 私は全知だが全能ではないのだ! すこぶる貧弱なのだ! お前に殴られたら砕け散ってしまう!」
そう叫んで、右手を遮るように振った。
「不快だったのなら謝罪しよう。いや、謝罪の代わりに一つ教えよう」
「……何を教えてくれるの?」
「うむ。そうだな」
身構えたまま、六炉が尋ねると、悪魔は指先を立てた。
「久遠真刃の素性についてはどうだ?」
「……………」
六炉は無言だった。
「お前は何も知らぬのだろう? 今代の久遠真刃のことを」
「……あなたは」
六炉は口を開いた。
「知っているの? 彼のことを」
「無論だ」
悪魔は頷いた。
「私は全能ではないが全知なのだ。知らぬことなどない」
「……うさん臭い」
六炉がジト目で率直に言った。
「でも聞く。知りたい」
それもまた、率直な想いだった。
なにせ、『久遠真刃』については何も知らないに等しいのだから。
たとえ出鱈目だったとしても、聞いてから判断すればいい。
六炉は重心を戻して、黒衣の男を見据えた。
「全部話して」
「うむ。心得た。いやはや陸妃殿はやはり慧眼だ」
悪魔は嬉しそうに首肯した。
「では、語ろうか」
そうして。
火の消えたランタンを掲げて、悪魔は語り出す。
「とあるお伽噺を。古にある《千怪万妖骸鬼ノ王》の真実の物語をな――」




