第三章 強欲都市①
――西に魔都あり。
そう呼ばれ始めたのはいつ頃からだろうか。
この国には、首都以外にも大都市と呼べる街が幾つもある。その中の一つ、人口880万を超える大都市が西の地にあった。
過去の時代より、商いの要所として栄えていた地。
現代においても人流及び物流も多く、インフラ整備も充実している。
だが、強い光があれば、影もまた深く濃くなるものだ。
盛況なるその地は、我霊、引導師にも強い影響を与えていた。
この地は、国内でも屈指の我霊発生率を弾き出しているのである。
しかも、多数の名付き我霊が拠点を置いているのではないかと噂されるほどだ。
だが、我霊以上に、この地の影響を受けているのは引導師たちだった。
西の要所たるこの大都市には、大家と呼ばれる引導師の家系がいないのである。
古の時代より、この地は群雄割拠の舞台だった。
他の地方でも首都も含めて、群雄割拠の時代は幾度もあった。
しかし、必ず時代ごとに覇者はいたものだ。
東の地ならば火緋神、天堂院など。
南の地ならば南風原、鳳。
北の地ならば不破、大神、伏見など。
そうした戦場を制した者が、後の大家となったのである。
だが、この西の地には未だ覇者がいないのだ。
仮に覇者の座に近づいた者は、すぐに複数の者によって淘汰された。
人の流れが激しいゆえに、他の地方から家を追われたはぐれ引導師たちも流れ着き、徒党を組んで連日のように新たな勢力も生まれた。
彼らは互いに潰し、潰され、常に吸収し、吸収される。
そうして覇者が不在のまま、苛烈な勢力争いは延々と続き、いつしか、西の地は無数のチームが覇権を求めて蠢く魔都と化したのである。
他の地方からすれば、もはや完全なる無法地帯だった。
ただ、そんな無法地帯にも、協定や暗黙のルールは生まれるものだ。
例えば、引導師の存在は秘匿せよ。争うのは夜間のみ。余計な痕跡は残すな。
例えば、一般人には手を出さない。
例えば、我霊に対してだけは協定を結び、最優先で対処すること。
まさしく最低限のルールである。
もし、それらを破るチームがいれば、他の全チームが全力で叩き潰していた。
『――だが、そのルール以外なら何をしても構わねえ』
かつて、とある有力チームのリーダーが敵対チームに対してこう告げた。
『使命に走るな。自分を愛せ。強欲であれ』
拳を握る。
『それが俺たち引導師だ。使命は忘れねえ。だが、欲しいモノは必ず手に入れる』
不敵な笑みを見せた。
『女も金も力もだ。だからよ』
不敵な笑みが、獰猛な獣の笑みと化す。
その視線の先には、敵対チームのリーダーがいた。
『今夜、てめえの力を全部喰らうぜ』
――強欲と強欲が、際限なくぶつかり合う。
西の魔都が、『強欲都市』とも呼ばれる所以である。
強欲の街は、今日も眠らない。
この地を統べる覇者が生まれるまでは――。
◆
コツコツコツ……。
足音が響く。
コンクリートの階段を降りる音だ。
白いレインコートを纏い、フードを深々と被る人物の足音だった。
コツコツコツ……。
さらに数分ほど降り続けると、鉄製の扉が現れた。
扉は、スマホを読み取るリーダーによってロックされていた。
レインコートの人物はスマホを取り出し、QRコードを読ませた。
カシュ、と音を立ててロックが解除される。
鉄扉を手で押し開けた。
光が視界に差し込んでくる。
同時に、ガヤガヤと騒々しい声が耳に入ってきた。
――そこは地下街だった。
世間一般では『ダンジョン』と揶揄されるような複雑な地下街。
そのさらに地下に存在する広大な裏地下街。それが『大闇市』だ。
覇権よりも利益を求めるチームによって建造されたという、強欲都市においても最大クラスの物資流通の場である。
国内においても、ここで手に入らないモノはないと言われるほどの場所だった。
レインコートの人物は、地下街を進んだ。
道沿いに店舗が並んでいる。大体は霊具か霊薬を取り扱う店舗ばかりだ。まあ、もっと奥に進めば、店舗の種類も趣も大きく変わってくるのだが。
レインコートの人物は角を曲がった。しばらく進んで一つの店舗の前で止まる。
霊薬を専門的に扱う店だった。表社会ではかなり有名なドラッグストアを真似た名前とロゴが看板に記されている。
レインコートの人物はその店に入った。
本家のドラッグストアには遠く及ばない小さな店内。
店主とはすぐに目が合った。
「おう。らっしゃい」
レジに両手を置き、エプロンを着けた剃髪巨漢の店主がそう告げる。
「いつもご愛顧ありがとよ。グレイ」
「気にしなくていいさ。おっさん」
レインコートの人物は、少年の声で答えた。
「俺がここに来るのは、ここならあれが確実に手に入るからだ」
バサリとフードを下ろす。そこから現れた顔はやはり少年だった。
線の細い美形。恐らく十七歳ほどの高校生だ。
「《DS》。幾つある?」
「……五つだ」
言って、店主はレジから小さな箱を取り出した。
蓋を開けると、そこには五本の筒状の容器が納められていた。
「最近入荷がより難しくなって来てな。これで在庫は全部だ」
「全部買うよ」
グレイと呼ばれた少年は即答した。
恐ろしい上限額のカードを取り出して早々と支払う。
「……グレイよ」
店主は眉をひそめた。
「お前さんは上客だ。だから忠告するぞ」
店主は指先で、コツコツと容器の一つを突いた。
「こいつは相当にヤべえ代物だぞ。象徴者のお前さんは確かに適合率が高い。だが、それでも乱用は控えるべきだ」
「…………」
グレイは無言だ。淡々と箱から容器を取り出して虚空にしまっていく。
「末期になると、いずれ言語にも影響がでてくるらしい。今はまだ影響はないようだが、このペースで使用すれば時間の問題だぞ」
店主はさらに続ける。
「効果の持続時間も精々十五分が限界。連続投与しても間を空けねえ場合は一分も持たねえ。結局のところ、こいつは短期決戦用のブースターに過ぎねえんだよ。お前が孤独を好むのは知ってるが、悪いことは言わねえよ。魂力の底上げは隷者でしときな」
「…………」
グレイは未だ何も答えない。
店主は再び嘆息した。
「余計なしがらみが嫌なら魂力娼館を使えばいい。良い店を紹介してやるよ」
――魂力娼館。
それは、この地下街の奥にも無数にある隷者を貸し出す店舗だった。
彼らは強欲都市の敗北者たち。様々な理由で戦えなくなり、他者に一晩のみの契約限定で魂力を貸し与えることで生きている者たちだった。
すでに敗者なので《魂結びの儀》の決闘も不要な者たちでもある。しかしながら《魂結び》が真価を発揮するのは、やはり第二段階――性行為を行ってからだった。
理由があって第一段階で契約する者もいるが、ほとんどは第二段階まで望んでいた。
従って、その店舗は娼館の形式をとっているのである。
元より美形が多い引導師。そこには美しい娼婦もいれば、男娼もいる。
そのため、快楽目的だけに利用されることも多いが、基本的には一時的にでも魂力の総量を上げたい者が訪れる店であった。
「……俺に隷者は不要だ」
そこでグレイは初めて語った。
「……俺にも隷者はいた。だが、今はいない」
「……奪われたのか?」
ポツリと呟く店主。この都市ではよくあることだ。
それを取り戻すために、この少年は無茶をしているのかもしれない。
しかし、グレイはかぶりを振った。
「いや。俺は自分の意志で彼女たちと別れたんだ」
「……なに?」
店主は眉根を寄せた。
「俺の隷者は三人いた。一人は幼馴染。一人は分家の娘で許嫁だった。最後の一人は義妹だ」
「……まるでエロゲの設定みたいなメンツだな」
「……うるさい。それは散々言われたよ」
グレイは嘆息する。
「彼女たちとは一緒にこの街に来た。この誰もが恐れる強欲都市で名を上げ、俺こそが次期当主に相応しいと証明することが目的だったんだが――」
そこで双眸を細める。
「彼女たちとの契約はすでに破棄している。今はそれぞれの家に戻っているはずだ」
「……なんでまた……」
そう尋ねる店主に、グレイは淡々と告げた。
「隷者がいたら、隷者になれないからだ」
「………は?」
「俺はこの街で彼女と出会った。彼女を守ることこそが俺の使命だと思った」
一拍おいて、グレイは言う。
「ずっと探していた。そしてようやく見つけた。今夜、決闘場に彼女は現れるそうだ」
店主は目を剥いた。
「おい。今夜の決闘場ってブラマンだよな? 《黒い咆哮》主催の……」
そこで店主は察した。
「……そういうことか。彼女は《黒い咆哮》のリーダーの女になった噂があったな。ならお前がご執心の女っていうのは……」
「……ああ。《雪幻花》だ」
グレイは「だが、一つ言っておくぞ」と言葉を続けた。
「その噂はデマだ。あの《雪幻花》が《黒い咆哮》のリーダー程度を相手にするものか。彼女はこの強欲都市さえも手中に収めることが出来る最強の女王なんだぞ」
やや興奮気味にそう語る。
そして、
「……そう」
少年は、顔を上げて宣言した。
「俺は彼女の騎士になるんだ。それこそが俺の望みなんだ」




