第二章 薄幸姫の願い④
『ご主人って幸薄い子には本当に甘いっスよね~』
料亭からの帰り道。
送迎のタクシーを断って、歩道を一人歩く真刃に金羊がそう言った。
『それともあの子が好みだからっスか? 見事な黒髪ロングっスから』
そこで『う~ん』と唸る。
『人妻なのが残念っス。まあ、黒髪ロングはともかく、おっぱいとか、足の肉付きとかは流石に「彼女」には遠く及ばないっスけど』
「……握り潰されたいか? 金羊」
スマホを取り出して足を止め、淡々と告げる真刃。
金羊のスタンプが慌てて画面にポップアップしてきた。
『じょ、冗談っス! それより驚いたっス! 特にあの子っス!』
言って、画面を変える。代わりに表示されたのは天堂院六炉の画像だ。
『……ああ。その娘か』
スマホの画像を、猿忌が覗き込んできた。
『何度見ても見事な美貌だな。伝説の雪妖かと見紛うばかりだ。天堂院七奈もそうだが、父に似なかったのは救いだな』
『ええ。確かに美しき娘ですわ』
ボボボッと。
珍しく刃鳥が孔雀姿の霊体で姿を現した。
『本当っスね』
画面の隅にスタンプをポップアップさせて、金羊も頷く。
『スタイルはエルナちゃんや刀歌ちゃんよりも凄いっス。二年前って話っスけど、胸の大きさは見たところ90は確実っスね。この時点で「彼女」よりも大きいっスよ』
『……ふむ』
猿忌があごに手をやった。
『美貌は申し分ない。魂力に至ってはもはや別格。主に近いほどだ』
『そうっスね。天堂院家ってのは気になるところっスけど、この子は出奔してるって話っスからね。これはもう確定っスか』
『ええ。年齢も十九。初の適齢期ですわ。魂力的にも問題なく、すぐにでも真刃さまの愛を受け入れられます。他の従霊たちも納得するでしょう』
「……おい。待て」
不穏な密談に、真刃が眉根を寄せる。
「まさか、この娘まで妃にすると言い出す気ではないだろうな?」
そう告げる主に、従霊たちはキョトンとした表情を見せた。
『いや。それは当然であろう』
『魂力は1000越え。おっぱいは90越えなんスよ』
『金羊のセクハラ発言は後で叱るとして。やはり逸材かと思われますが』
「……お前たちは」
従霊たちの返答に、真刃は深々と嘆息した。
が、すぐに表情を改めて。
「己は、別件でこの娘に用があると言ったであろう」
淡々とした声でそう告げる。次いで従霊たちに問うた。
「分からぬか? この娘を見て」
『え? どういう事っスか?』
金羊が小首を傾げた。猿忌と刃鳥は改めて画像に目をやる。
そして、
『……ああ。そういうことか』
最初に気付いたのは猿忌だった。
『……なるほど。これは気になりますわね』
次いで刃鳥も呟く。
『ええ? どういう事なんスか?』
金羊は、スタンプをクルクルと回転させていた。
「……この娘の瞳だ」
双眸を細めて、真刃は言う。
「琥珀の眼差し。このような瞳の人間がそう多くいると思うか?」
『琥珀の……あッ!』
そこで金羊もハッとする。
『あの男の! 悪魔が残した詩っスか!』
「……そうだ」
真刃は頷く。
「ただの符丁に過ぎんかも知れんが、この機会でこの娘が現れた」
『……裏にあの男がいるやも知れんと?』
神妙な声で猿忌が言う。
「それも分からんが……」
真刃は、スマホをポケットにしまった。
「会ってみる価値はある。そう判断した」
『なるほどな』
猿忌が頷く。
『確かに天堂院九紗に会うよりも先に会ってみる価値はあるな』
「そういうことだ」
再び歩き出す真刃。
同時に刃鳥も姿を消した。ペーパーナイフに戻ったのだ。
『そうっスね!』
ポケットの中で金羊が言う。
『この子を味方にすれば、天堂院九紗にも面通し出来るっス! 何よりも!』
誰も見ていないが、金羊は親指のスタンプをポップアップさせた。
『いよいよ伍妃もGETっスよね!』
「……だから妃にするな」
真刃は、疲れ切った様子で嘆息した。
「そもそもこの娘の魂力は1000越えだぞ。己の魂力を偽装するためなのが、お前たちのいう妃たちではなかったのか。己にも届きそうな娘を隷者にしてどうする」
『いや。それは違うぞ。主よ』
猿忌が言う。
『確かに妃たちには偽装の役目もあるが、最たる目的は主を幸せにすることだ。その資格を持つ娘たちを妃に選んでおるのだ』
『そう言う意味では、彼女はまだ最終選考……性格の確認は出来ていませんわね』
と、ペーパーナイフに宿った刃鳥も言う。
「……お前たちは」
真刃は再び溜息をついた。
「まあよい。いずれにせよこの娘とは会うぞ」
強く拳を固めた。
「あのふざけた男を見つけ出すためにもな」
◆
一方、同時刻。
「クワックワックワッ」
その男は、とある山中にいた。
明らかに登山に向かない黒衣。ランタンを片手に険しい山道を登っている。
周囲は暗いが、悪魔と名乗る男がランタンを灯すことはない。
「クワ。そろそろか」
悪魔は山道を抜けた。
視界が開ける。目の前にあるのは古びた祠だった。
木々の中に埋もれるように朽ちた建造物。
恐らく管理もされていない。
地元の人間でさえも、何が祀られているのか知らない祠だった。
「クワワ。これでようやく最後か」
悪魔は、心底疲れたように肩を落とした。
「他の海中深くや、活火山の中などよりはマシではあるが、山登りも堪える」
額に指先を当てて、悪魔はかぶりを振った。
「私は全知であるが全能ではないのだ。寝床にするならば場所の配慮を要求する」
と、愚痴を零しつつ、祠へと近づく。
そして、
「目覚めよ。王の守護者よ」
指先で祠の扉に触れた。
直後、祠が倒壊した。土煙が上がって黒衣の男を呑み込む。
十数秒後、
「クワワ。これで三つ」
土煙が晴れた時、悪魔の指先には蒼い宝玉が収まっていた。
「ようやく揃ったな。出来れば最後の一つも……」
と、呟いたところで、黒衣の男はブルブルと震えた。
「いや、あれを奪うのは怖い。今の彼女は昔よりも怖いからな」
ふう、と嘆息する。
「私は全知だが全能ではないのだ。迂闊に怒らせて首でも刎ねられたら死んでしまう。そもそもあれは彼女への正式な贈り物だ。正当なる所有者だ。私が奪ってどうするのだ」
そう結論付けて、悪魔は虚空を開いて蒼い宝玉を保管した。
そして結構堪える山道を、今度は下り始めた。
数分ほど進むと、木々の間から月光が差し込んできた。
「クワワ。よい月だ」
足を止めて、空を見上げた。
今夜は三日月だった。
悪魔は、しばし月の輝きを見つめていた。
そして「クワクワ」と鳴いて、
「ふむ。久遠真刃が、天堂院六炉に出会うのももうじきか」
再び、歩を進め始める。
「しかも舞台は西の魔都。かの『強欲都市』だ。これは騒がしくなるな」
かくして。
悪魔は山道の中へと消えた――。




