第八章 王の審判➂
その頃。
薄暗い廊下を歩く者がいた。
蒼い髪の青年。扇蒼火である。
彼は、ただ一人だけでドーンタワーの中にいた。
場所は十三階。転移はさせられたが、彼は下の階層に飛んだだけだった。
転移直後は六階にいた蒼火は、少し考えた。
今回の件、黒幕は間違いなく名付き我霊である。
知性を持つ化け物ども。奴らは人を弄び、悦に入ることを好むと聞く。
それゆえか、高所に陣取ることが多いらしい。文字通りの高みの見物というやつだ。
ならば、このドーンタワーの上階に居座っている可能性が高い。
ドーンタワーには、イベント専用のフロアが幾つかある。
蒼火は下から順に、そのフロアを回っていた。
エレベーターはリスクがあるので、階段を使って昇っている。
(名付き我霊は強敵だ。だが、放置などできん)
単独で挑むのは危険な相手だが、引導師として見過ごせない。
蒼火は、大きな扉の前に辿り着いた。
この階層にある目的の部屋だ。扉をゆっくりと開く。
照明は点いていないが、蒼火は室内に足を進めた。
その部屋は大きな広場だった。床一面には赤い絨毯が敷かれており、壁沿いには低い棚のあるガラス窓が並んでいる。そこからは壮大な夜景も見えた。海沿いの光景である。遠くには大観覧車が見えるので、この景色は夜の国のモノだろう。
しかし、それ以外に目につくモノはない。
(ここも外れか)
そう判断し、背を向けた時だった。
「あら? もう行くの?」
チャリン、と。
鈴の音と共に、声を掛けられる。
蒼火は目を見開いて、声の方へと振り向いた。
そこには、赤い女がいた。年齢は二十歳ほどか。勝気そうな眼差しの栗色の髪の女だ。
彼女は、窓際の棚に腰を掛けていた。
その傍らには、直刀を片手に持つ、四十代ほどの和装の男もいる。
「何者だ?」蒼火は問う。「名付き我霊か?」
通常の我霊と違い、名付き我霊は人の姿をしていることが多い。
だからこそ、そう尋ねたのだが、女はかぶりを振った。
「いいえ。ルビィは我霊ではないわ。ルビィは引導師よ」
「……引導師だと?」
蒼火は眉根を寄せた。
たまたまドーンワールドに来ていた別口の引導師たちなのか。
そう考えるが、その時、ふと気付く。
照明が点いていないため、気付くのが遅れてしまったが、ルビィと名乗った女の横に、横一列にボーリングの球ぐらいの物体が四つほど並べられていたのだ。
それらを見やり、蒼火は大きく目を瞠った。
それらは、人間の生首だった。
しかも、蒼火の見知った顔ばかりだ。
(倉敷、新堂、真壁……)
最後の首に目をやる。綺麗だった髪をばっさりと斬られた首だ。
彼女は、絶望した表情で目を見開いていた。
(……宝条……)
ギリ、と。
蒼火は、静かに歯を軋ませた。
「貴様。それはどういうことだ?」
「あら? これのこと?」
彼女は、ポンと近くの首を叩いた。
「ルビィの戦果よ。これが多いほど、ルビィはあの方に愛されるの」
「……あの方?」
「《宝石蒐集家》さまよ」
そう答える女に、蒼火は息を呑んだ。
その名は聞いたことがある。名付き我霊の一体だ。
やはり名付き我霊が黒幕だったか。
だが、この女は自分は引導師だと名乗った……。
「……貴様」
蒼火は、不快そうに眉をしかめた。
「我霊に堕とされたのか」
「まあ、そうかもね。けど、後悔はないわ」
女は恍惚とした表情で、自分の腹部を両手で押さえた。
「彼ってば本当に凄いのよ。果てることなんてないの。最初の時なんて私もまだ素直じゃなかったこともあって一晩中は注がれ続けたわ。あの快楽の前では、引導師の使命も人の倫理もどうでも良くなるわ」
「……そっちの男はなんだ?」
蒼火は、静かに佇む和服の男に目をやった。
「女の名付き我霊に魅了でもされたか?」
「彼は引導師だけど引導師ではないわ」
和服の男は語らず、代わりに女が言う。
「ただ、あなたと戦うだけの人よ」
「……そうか」
蒼火は、小さく嘆息した。
それから、四つの生首に視線を向けた。
「俺は、どうも感情の抑揚が少ない淡白な男だと思われているらしくてな」
一歩前に踏み出した。
同時に、拳大の炎球が彼の周辺に出現した。
彼の名前通りの蒼い炎だ。
「この性格のせいなんだろうが、正直、友人が多いとも言えない。そこにいる連中とも、もめることの方が多かった。だがな」
蒼火は、双眸を鋭くして二人の外道を見据えた。
「それでも同胞を無残に殺されて黙っていられるほど冷めてはいない」
言って、右手を広げて上げた。
対し、和装の男が女の前に出る。
「主よ」
男が望む。
「命令を」
「ええ。分かってるわ」
ルビィは、クスクスと笑った。
そうして蒼火を指差して、
「あれが次の獲物よ。殺して。『観世武蔵』」
「御意」
和装の男は、静かに直刀を構えた。
………………………。
…………………。
……………。
『……ふ~ん』
同時刻。同じくドーンタワー。
二十四階。鳳凰の間にて。
《宝石蒐集家》の意識が宿るピエロ人形は、カクンと首を動かした。
『それなりに強そうなのに出遭ったね、ルビィ。けどまあ……』
ピエロは、あごに手をやった。
『ルビィにはたっぷり注いでいるし、負けることはまずないか。ここは声援でも贈ってあげたいところなんだけど……』
ピエロは、呆れたように肩を竦めた。
『少し来るのが早すぎやしないかい? 山岡さん』
そう呟くと同時に、静かに部屋の扉が開かれる。
ピエロが目をやった。
そこに立つのは、老紳士だった。
しかし、その表情は、とても紳士的なモノではない。
鋭い眼光に、全身から溢れ出るような覇気。
まさしく、歴戦の戦士の面持ちだった。
『やあ。山岡さん』
ピエロは、パタパタと手を振った。
『来てくれたんだね。ありがとう』
「人質などを取っておいて、よく言ったものですな」
山岡辰彦は言う。
「約束は守ったのです。瑞希君を解放しなさい」
そう告げて、磔にされた瑞希を見やる。
生きていることは分かるが、あまりにも無残な姿だった。
山岡は、静かに拳を固めた。
『アハハ。それはまだダメだよ』
ピエロは、陽気な声で返した。
『彼女は景品だからね。熱いベーゼを交わしたいならオイラを倒してからじゃないと』
「……何を言うかと思えば……」
山岡は嘆息した。
「なるほど。彼女を巻き込んだのは、瑞希君が私の恋人とでも思ったからですか。馬鹿げたことを。彼女は私の弟子ですよ」
言って、拳を固めて構えを取る。
「ですが、彼女が私の大切な人であることは変わりませんか。いいでしょう。ここであなたを倒させていただきましょう」
『アハハ! 弟子の心、師は知らずだね!』
ピエロは腹を抱えて笑った。
人形のためか、動作の一つ一つが大げさだ。
『けど、それはそれでいいよ。サフィの反応も面白そうだし』
と、山岡にはよく分からないことを嘯いて、両腕を広げた。
『さあ。山岡さん』
そして、歪なピエロは言う。
『三十年前の決着と行こうじゃないか』




