第三章 帰ってきた幼馴染①
某日。アメリカ合衆国にある、とある空港。
その場所から、いま一人の少年が旅立とうとしていた。
年の頃は十五、六歳ぐらいか。
精悍な顔つきに、逆立つ浅黄色の髪。百八十前半ほどの大柄な体躯。そして、何よりも褐色の肌が印象的な少年だ。
「さて、と」
トランクケースを片手に、少年は空港のエントランスを進む、と、
「――ゴウト!」
不意に後ろから、声を掛けられた。
足を止めて、少年は振り向いた。
すると、そこには一人の少女がいた。
年齢は十五歳ほどか。腰まで伸ばした金の髪に、スレンダーな肢体。清楚な白い制服がよく似合う、碧眼の美しい少女だった。
少年は笑う。
「おう。セイラか」
「……本当に帰るの?」
「ああ」
少年は頷く。
「あの国には、待たせてる奴もいるしな」
「…………」
少女――セイラは無言だ。少し俯き、キュッと唇を噛んでいる。
この少年がこの国に来たのは一年前。
交換留学生として、やって来たのだ。
セイラの家は、彼のホームステイ先として面倒をみていた。
「あなたは最低よ」
ぶすっとした表情で、セイラは言う。
「たった一ヶ月で、何回私の入浴とかち合ったのよ」
「いや、悪りい」
ボリボリ、と少年は頭をかいた。
「気をつけてはいたんだけどな」
「気をつけてて、どうしてかち合うのよ……」
セイラは、深々と嘆息した。
この少年は、本当に自由奔放な人間だった。
危ない場所でも、ズンズン突き進んでいくところがある。
生まれながらのトラブルメーカーなのだ。
その結果、あの危険なチームにも――。
「よう! ゴウト!」
その時。
三人目の声が割り込んできた。
セイラが、ムッとした様子で振り返る。
そこには、一人の少女がいた。
年齢は十七歳ほどか。少年と同じ褐色の肌。短い黒髪の少女だった。
革のジャンパーに、腹部を剥き出しにした黒のタンクトップ。下には破れたジーンズを履いている。たゆんっと揺れるその双丘は、セイラとは正反対だ。
セイラがムムっと唸ると、
「おう! ラシャか!」
少年は笑った。
「あんがとな。お前まで見送りに来てくれたんだな」
「いやいや。違うさ」
ラシャと呼ばれた少女が、少年の元に駆け寄った。
それから、少年の腕を掴み、その豊かな胸で挟み込んでくる。
「アタシは、あんたを帰さないために来たんだよ。だって、あんたはもうアタシらのボスなんだぜ。なんで帰るんだよ。とにかくさ、ゴウト」
ラシャは、髪と同じ色の瞳で少年の顔を見上げた。
「これから、ホテルに行こうぜ。そこでアタシを女にしてくれよ」
「――はあっ!?」
セイラが目を剥いた。
「ちょっと! 何を言ってるのよ! ラシャ=グラーシャ!」
「あン? セイラ=ロックスかよ」
そこでようやく存在に気付いたように、ラシャはセイラに目をやった。
「お前はいいよな。一年間もずっとゴウトと一緒に暮らしてたんだろ? なら、とっくにゴウトの女で隷者なんだろ?」
「――なっ!?」
愕然と目を丸くするセイラだったが、すぐに顔を真っ赤にして、
「そ、そんな訳ないじゃない! わ、私はロックス家の娘だし、そ、その、嫌じゃないけど、ゴウトには……」
「おっ。なんだ。そうだったのか」
ラシャは、ふんと鼻を鳴らした。
「うちのチームも、野郎どもはみんな隷者になったのに、アタシも含めて、女たちは一人もなしだったからな。もしかしてとは思ってたけどさ」
そう呟きつつ、
「なあ、ゴウト……」
ジト目で尋ねる。
「お前って、女に興味がネエの?」
「そんな訳あるか」
少年もジト目で返した。
「無茶くちゃ興味あるわ。今だってお前のおっぱいにドキドキしっぱなしだぞ」
「おっ! そうなのか!」
大きな胸をより押し付けて、ラシャがニカっと笑う。
「なら、今からホテルに直行な! 大丈夫! もう予約も取ってるからさ!」
「ちょ、ちょっと! ラシャ=グラーシャ!」
セイラが、顔色を青くさせた。
「何言ってるのよ! ゴウトはこれから帰国するのよ!」
「帰国させネエために言ってんだよ」
ラシャはセイラを見やる。その表情は、意外にも真剣なモノだった。
「アタシは真剣だ。どんな方法を使ってもここでゴウトを引き止めてみせる。そうだな。セイラ=ロックス」
黒の少女は、白の少女に言う。
「なんなら、お前も一緒でもいいぞ」
「―――なっ!?」
その台詞に、セイラは仰天した。
「なななっ、何言ってるの!? ラシャ=グラーシャッ!」
「アタシは本気だぞ」
少年の腕を捕えたまま、ラシャは言う。
彼女の真っ直ぐな眼差しに、セイラは気圧された。
セイラは、引導師育成の名門校の生徒。
その家系こそまだ若く、セイラの代でようやく六代を迎えた程度だが、積極的に近代兵器を術式に取り込んだことで、今や全校生徒の中でも屈指の実力であると自負している。
一方、ラシャは、様々な理由で一族に放逐された引導師くずれたちを率いるチームのリーダーだった。今はスラム街を根城にしている輩の麗しきボスである。
本来ならば、決して交わることもない二人だ。しかしながら奇妙な縁から出会い、セイラとラシャ=グラーシャは、幾度となく激突する運命にあった。
それこそ、命がけの対峙もあったぐらいだ。
それは、ある意味、誰よりもその性格を理解している人物ということでもある。
だからこそ、ラシャが本気なのが肌で感じ取れた。
「け、けど……」
セイラは、不安そうに呟いた。
「わ、私は、あなたと違って、まだ経験がなくって……」
「おう。その点なら大丈夫さ」
ラシャはニカっと笑った。
「アタシだってまだ処女だから」
「うそおっ!? というかあなた、初めてなのに三人で誘ってるの!?」
「おう。そうさ。なあ、セイラ=ロックス」
ラシャは、真剣な眼差しを再びセイラに向けた。
「あんたとは何度もぶつかり合った。けど、共闘したことだってあったよな」
「……あなたのスラム街での事件よね」
セイラが神妙な口調で言う。
八名が死亡した凄惨な事件だった。
そこで活躍したのが、少年とセイラ。そしてラシャだった。
「だから、今回も共闘だ」
ラシャは言う。
「ホントはお前もアタシと同じ気持ちなんだろ? なら前へ出ろ。足を踏み出せ。これはアタシらの二度目の共闘だ。アタシら二人の想いで、ゴウトを引き止めるための」
「…………」
セイラは何も答えない。
その表情は、逡巡していた。強い葛藤を抱いていた。
けれど、
「…………」
セイラは無言のまま、前へと足を踏み出した。
恐る恐る指を組み、顔を耳まで真っ赤にしつつも、しっかりと少年の顔を見上げた。
ラシャもまた、少年の顔を見つめる。
少女たちの想いに、少年もまた真剣な表情を見せていた。
ここまでの彼女たちのやり取り。
それを見て、何も察しないほどに少年は鈍感ではない。
――けれども。
「……二人とも。隷者の話はなしだ」
少年は、言う。
「お前らの気持ちは嬉しい。本当に嬉しい。けど、それはダメなんだ」
「なんでだよ」
ラシャがムッとした表情を見せた。
「どっちかを選べって話じゃネエぞ。引導師の世界だと女が大勢いんのも当たり前だしな」
「確かにそうだよな。まあ、その逆パターンもあるけれど。けどよ」
少年は、双眸を細めた。
「俺の好きな女は、それを嫌う奴なんだよ」
その台詞に、セイラもラシャも顔色を変えた。
――好きな女。
それが自分でないことは、二人とも察していた。
「ガキの頃から古風っていうか、とにかく頑固な奴でさ。仲間や同志ならいい。けど、愛する人になるのは一人だけだ。愛人同然の隷者なんて悪しき慣習だってのが口癖だった。きっと、今も意地を張り続けているんだろうな」
懐かしそうに双眸を細める。が、すぐに嘆息して。
「けど、それも今の時代だと無謀な話だ。いくら強いあいつでも、いつかは負けちまう。無茶くちゃ綺麗で、ずば抜けた魂力まで持っているあいつを狙っている野郎どもは、それこそうじゃうじゃいるんだ。だから俺は……」
少年はトランクケースを離して、拳を固めた。
「強くなるためにこの国に来たんだ。誰よりも強くなって、同世代じゃあ無敵だったあいつに勝って、あいつを俺の嫁さんにするために」
「……ゴウト」
セイラが呟く。ラシャは仏頂面だ。
「だから、お前らの気持ちには応えられねえ。すまねえ。セイラ。ラシャ」
「……あなたって、本当に最低ね」
涙ぐんだ眼差しで、セイラが言う。
「こんな魅力的な女の子たちを、二人揃ってフるの?」
「……すまねえ」
そう告げつつ、少年は腕を掴むラシャの頭をくしゃりと撫でた。
ラシャは、すっと腕を離した。
少年は、この国での戦友でもある二人の少女の肩を抱き寄せた。
「お前らは凄げェ良い女だ。けど、ここでお別れだ」
そう告げる。セイラとラシャは、震える手で彼の大きな背中を掴んだ。
「……いいか。ゴウト。帰っても、ちゃんと連絡しろよ」
「ああ」
「……食べ過ぎには注意よ。あなたってすぐ食事に夢中になるから」
「ああ」
抱きしめ合ったまま、三人は些細なことを語り合う。
「じゃあな。セイラ。ラシャ」
少年は最後にそう言って、二人を離した。
そのまま背中を向けて、少年は歩き出す。
静かに、片手だけを上げて。
その後ろ姿を、少女たちは見つめていた。
ただ、
「……あの馬鹿。随分と時代錯誤な女に惚れているみたいね」
「ああ。そうだな」
「とりあえず、私は自分の身辺整理を急ぐわ。旅立つ時に面倒にならないように」
「おう。アタシもそうするよ。チームのボス役も、他の奴に引き継がなきゃな」
「ともかく」
「おうよ」
彼女たちは言う。
「「まず、その時代錯誤女をどうにかしないと」」
その呟きは、少年の耳には届かなかった。
いずれにせよ、その日。
一人の少年がアメリカを去った。
彼の祖国である、日本へと帰るために。
「今、帰るからな」
飛行機の中で、少年は呟く。
「待っててくれよ。刀歌」
故郷で待つ、共に育った少女と再会するために――。




