第七章 王と戦士とおしゃべりな猫④
室内に緊張が奔る。
部屋にいる全員が声のした方へと振り向いた。
と、そこにいたのは――。
「……みゃあ」
一匹の猫だった。
どこにでもいるような三毛猫である。
猫は、後ろ足で耳を掻いていた。
「……今の声は空耳か?」
男たちの一人がそう呟くと、
「貴様など、招いた憶えなどないのだがな」
真刃が淡々とした声で猫に告げた。
すると、
【フハハハッ!】
唐突に。
猫が人語で笑った。
【君はやはり手厳しいな! 久遠君!】
「「「―――ッ!」」」
信二たちは息を呑んだ。
その声は、よく知る声だった。
忘れるはずもない。最も忌まわしい男の声だ。
「……貴様が餓者髑髏か」
桜華が、警戒した声で確認する。
対する猫は【いかにも!】と軽快に答えた。
「その猫は式神か? 生きているようにも見えるが?」
真刃がそう尋ねると、猫は双眸を細めて耳を掻き、
【本物の猫さ。少々体を拝借している。使い魔という術だ。吾輩は数年ほど異国にいたことがあってね。その国で出会った同胞に教わった術さ】
「……また面妖な術だな」
真刃は、ふんと鼻を鳴らした。
「それで何の用だ? 何をしに現れた?」
【そのようなこと、決まっているではないか!】
意気揚々に、猫は答える。
【君たちと打ち合わせをするためだよ! 今宵の興行を素晴らしきモノにするためのね!】
「何言ってやがる! てめえは!」
猫の台詞で火が点いたのは、岳士だった。
立ち上がって、握りしめた拳を突き出す。
「てめえのせいで何人が死んだ! てめえのせいで先生までッ!」
【……ああ。武宮君のことか】
猫は、岳士に視線を向けた。
【彼にはすまないことをしたと、吾輩も反省している。吾輩の失態だ。演出が独りよがりであったのだろう。ゆえに、こうして君たちの意見も聞きに馳せ参じたという訳だ】
「てめえはッ!」
岳士は、今にも猫に跳びかかりそうだった。
――いや、岳士だけではない。
ほとんどの男が、怒りの表情を浮かべて立ち上がろうとしていた。
一方、猫は呑気に欠伸をしていた。
恐らく猫自体の本能の行動だろうが、それが怒りに火を注ぐ。
「この糞野郎が!」
岳士が叫ぶ。と、その時だった。
「――静まれ」
真刃の声が、室内に響いた。
決して大きな声ではない。むしろ淡々とした声色だ。
しかし、その声一つで、岳士たちは動けなくなってしまった。
例えるなら、あまりにも巨大な生物が、突然、目の前に現れたかのように。
そんな感覚を全員が抱いていた。
「気持ちは分かる。だが、その猫はただの憑依体だ。捕えても意味はない」
真刃は言う。
「まずは座れ。この男の狙いを探る方が重要だ」
「あ、ああ」岳士は頷いた。そしてその場にドスンと腰をつき、胡坐をかく。
他の男たちも、軽く喉を鳴らしつつ、同じように腰を降ろした。
「……真刃」
その時、桜華が呆れたように告げる。
「あまり周囲を威嚇するな。お前の威嚇は引導師でも委縮するのだぞ」
「……いや。威嚇したつもりはないのだが……」
真刃は、少し困った表情を見せた。
むしろ、冷静に声をかけたつもりだったのだが、それが威嚇のように思われたようだ。
真刃を不機嫌にさせてしまった。そう感じたらしい。
「この反応は、いささか不本意ではあるが……」
真刃は猫を見やる。
「それで、貴様は何を打ち合わせする気だ?」
【ふむ。そうだね】
猫は耳を掻く。
【その前に、まずは君たちが知りたい情報を開示しよう】
「……人質に関してか」
真刃がそう言うと、信二たちは、ハッとした表情で猫に注目する。
猫は【うむ】と頷いた。
【現時点で無事生きている人間は三十九名だ】
「「「――――ッ!」」」
信二たち、桜華も息を呑む。
想定よりも多い。しかし、やはり人数が大きく減っている。
【だが、その内、十五名は数時間の後に死を迎えることになりそうだがね】
「――ふざけんな!」
男の一人が再び立ち上がる。
「じゃあ、俺の女房は……いや、その人数は昨日の――」
【うむ。その通りだ】
猫は答える。
【昨夜、亡くなった戦士たちの伴侶たちだよ】
「やめろッ!」
すると、今度は別の男たちが立ち上がった。
「やめてくれ! それじゃあ、すずりさんは! 先生の大切な人はッ!」
そう叫ぶのは、昨夜、武宮志信に救ってもらった青年の一人だった。
すると、猫は【ああ。立花すずり君か】と呟いて、
【安心したまえ。彼女は無事だ】
「え?」
【こちらにも色々とあってね。彼女はその十五名の中に入っていない】
ただし、と続けて、
【立花君の代わりに、午後には死を迎えるであろう十五名の中には、君たちの伴侶が一人混じっているということだがね】
「――なんだとッ!」
これには、全員が顔色を変えた。
気の短い岳士は無論、穏やかな信二までもが、
「僕たちが生きている限りは、彼女たちには手を出さないと言っていたはずだぞ!」
怒りを露にして叫ぶ。
それに対し、猫は困ったように尾を揺らした。
【それに関しては、吾輩も心苦しいのだよ。約束を違えるつもりはない。だが、これは彼女の方からの申し入れだったそうだよ。立花君の代わりに自分を連れて行けと】
「……なんだって?」
信二は眉根を寄せた。
「……おい。屑野郎」
その時、信二を腕で遮り、岳士が前に出た。
彼の表情は、どこか覚悟を宿していた。
「教えろ。その女の名は……いや」
一拍おいて、岳士はその名を口にする。
「すずりさんの身代わりになったのは、俺の女房――多江か?」
【おお! 素晴らしい!】
猫は目を見開いた。
【よもや状況だけで察したのかね! なんという美しき愛だ! 感動したよ! 君は奥方のことを本当によく理解しているのだね!】
肯定する猫に、岳士はギリと歯を鳴らした。
【彼女は立花君の面倒を見ていたようだしね。ただ、気休めかも知れんが一つ教えよう】
「……何をだ」
岳士が感情を押し殺した声で尋ねると、
【先程言った十五名は、何も殺す訳ではない。まだ生き延びる可能性はあるのだよ。特に君の奥方は、その可能性が最も高いと思っているよ】
「……多江はまだ生きているってことか?」
【希望を捨てるには、まだ早いとだけ言っておこうかな】
「……そうか」
岳士は拳を固めた。そしてそれを猫に向けて突き付ける。
「なら、俺はあいつが生き延びることを信じるさ。だがな」
岳士は、鬼の形相で猫を睨みつける。
「もし多江が死んだら、俺はてめえを許さねえ。地獄の果てまで追っててめえを殺す」
【おお。それは中々に面白い】
猫は双眸を細めた。
【君の決意は心に留めておくよ。さて】
猫は、改めて真刃の方を見やる。
真刃、そして桜華も険しい表情で猫を見据えていた。
【すまない。話が随分と逸れてしまったかな?】
「別に逸れてはいまい」
淡々とした声で、真刃は言う。
「彼らにとっては、何よりも重要なことだ」
【ふむ。確かに】
うんうん、と猫は頷く。
が、すぐに双眸を細めて、
【ともあれ本題だ。そろそろ始めることにしようか】
猫は、笑う。
【素晴らしき今宵のために。綿密な打ち合わせをしようではないか】




