第八章 太陽を掌に⑧
……ボオオオオオ。
船が進む。
多くのコンテナを乗せた船舶。
その甲板の上で、王は港を見据えていた。
彼の片腕にはアタッシュケースが握られている。
しかし、そこにはもう手錠はない。
「……ボス」
その時、一人の男が声を掛けてきた。
部下の一人だ。
「……崩さんは……」
「……あいつは」
王は、ポツリと呟く。
「やると決めたら最後までやる男ダ。昔からそうだっタ」
「…………」
「……鞭の奴は、クズで、馬鹿で、女の扱いに関しては馬が合わなかったガ……」
ふっと口角を崩す。
「それでも、俺の頼みだけはいつも必ず果たしてくれたヨ」
「…………」
部下は無言だった。
そしていつしか、そこには他の部下たちも集まっていた。
「……俺は、あいつらのボスだったんだな」
王はそう呟いた。
すると、
「ああ。その通りだ」
拳を固めて、部下の一人が言う。
「あの二人だけじゃねえ。あんたは俺たちのボスだ。俺たちの『王』なんだ」
「……ボス」「ボス……」
他の部下たちも、前に進み出る。
あの女が《黒牙》に居座ってからは、呼ぶことを禁じられていた名称で呼ぶ。
王は、自嘲の笑みを見せた。
「……覇道、カ」
手を空にかざした。
日が落ちた夜の空。そこには月が輝いていた。
「……俺の道は、まだ続くんだナ」
グッと月を掴む。と、その時だった。
「………ッ!」
王は目を剥いた。
突如、轟音が響き、夜が照らされたのだ。
王も部下たちもハッとし、視線を輝きの元――港へと向けた。
「お、おい!」「なんだありゃあ!」
次々と部下たちが驚きの声を上げた。
そこには夜でありながら、太陽が輝いていたのだ。
コンテナ倉庫の上空。
そこで、燦々と小さな太陽が天地を照らしていた。
「……おいおイ」
異常事態に、王も驚きを隠せなかった。
「ありゃあ、もしかして模擬象徴なのカ?」
一人残った崩。
その最期の戦いが、果たして、どういったものになったのかは分からない。
だが、事態は最終局面を迎えたのだとそう感じ取った瞬間だった。
――ドォゴンッッ!
突如、大地が噴火したのである。
大量の土砂、岩石、そして溶岩流が天へと向かって柱となる。
あまりの事態に、誰もが言葉を失った。
そして――。
大地の柱の中に見える巨大な影。
その姿に、王たちは唖然とするのだった。
◆
「――燦ちゃん!」
その時、月子が叫んだ。
一方、燦は、
「……ああ、あ、うああァ……」
喉元を両手で押さえて、苦しそうに喘いでいる。
バチバチ、と全身からは雷が奔っていた。
徐々に後ずさっていく。
「――燦ちゃん!」
離れていく親友の元に、月子は駆け出そうとした。が、
「――月子!」
それは、真刃の手によって止められた。
次いで、真刃は月子を片腕で抱きかかえて、後ろに跳躍した。
その直後だった。
「……ああ、ああああああああああッッ!」
燦が絶叫を上げた。
そして彼女の全身が発光し、衝撃波が全方向に放たれた。
『……ぬうッ!』
猿忌が全身を盾にして、主と少女を庇う。
真刃も両腕で月子を抱え込んで、衝撃波から守っていた。
衝撃波自体は、数瞬程度のものだった。
月子は顔を上げて唖然とする。
そこには、燦がいた。
宙空に浮かぶ、燦がいたのだ。
背中には、黄金の火の粉を散らす日輪。
その肢体には、同じく黄金色のドレスを纏っている。
燦の炎のドレスを実体化させたような衣装だ。
実際のところ、それは精緻な炎なのだろう。ドレスの先端が微かに揺らめき、全身からは火の粉も散らしていた。
――模擬象徴。
そう呼ぶには、その姿は、あまりにも神秘的だった。
『……あの老害に倣って名付けるとすれば……』
猿忌が呟く。
『《天壌無窮天都ノ乙女》といったところか……』
『……うわあ』
金羊が、苦笑を浮かべた。
『猿忌さまのネーミングセンスも……その、なかなかのもんスね』
『……まあ、猿忌さまのセンスはともあれ』
刃鳥も、警戒するように翼を広げて呟く。
『燦さまのお姿。これはもう象徴と呼んでも差し支えないのではないでしょうか』
と、その時。
「――燦ちゃん!」
月子が、燦に手を伸ばして叫んだ。
「しっかりして! 燦ちゃん!」
そう声をかけるが、燦には届かないようだ。
月子には見向きもせず、無表情のまま、さらに上空へと上がった。
そして――。
――カカッ!
雷光が全方位に迸る!
それらは倉庫内を灼き、天井を撃ち砕いた。
燦はそのまま、日が昇るように空へと浮かび上がっていった。
「待って! 燦ちゃん!」
月子が叫んだ。
「……やられたな」
月子を片腕で抱えたまま、真刃が小さな声で呟いた。
「まさか、自爆の裏で、燦の暴走を狙っていたとはな……」
命を賭けた者の執念を侮っていたか。
「おじさま!」
月子が、蒼い瞳に涙を浮かべて真刃を呼ぶ。
「燦ちゃんが! 燦ちゃんが!」
彼女は、パニックを起こしていた。
「どうしよう! どうしよう! 燦ちゃんが!」
「……落ち着け」
「けど、燦ちゃんが!」
一向にパニックが収まらない少女に、真刃は目を細めた。
「……落ち着かんか。月子」
真刃は両腕で月子を抱え直して、彼女の額を指で軽く突く。
月子は「……あ」と呟いた。
「あの娘を見捨てるつもりはない。そう言ったはずだ」
真刃は、月子を見つめた。
「……己の言葉を信じられぬか?」
「……おじ、さま」
トクン、と鼓動が高なった。
「月子」
真刃は尋ねる。
「お前の願いは何だ? お前が今、心から望む我儘とは何だ?」
「わ、私の願いは……」
月子は、キュッと唇を噛んだ。
「さ、燦ちゃんを……」
そして心からの願い。我儘を告げる。
「助けてあげて。お願い。私の友達を助けて」
「……うむ」
真刃は、優しい眼差しを見せた。
「よく言ったぞ。月子。後は己に任せよ」
「……はい。おじさま」
微かに頬を朱に染めて、頷く月子。
真刃はふっと微笑みつつ、
「……さて」
一呼吸入れて、天井を見上げた。
その時には、すでに燦の姿はかなり上空にあった。
『……主よ』
猿忌が口を開く。
『あの娘を見捨てない意向は承知した。しかし、どうするのだ? 今のあの娘は、我らでも手を焼くぞ』
「……分かっておる」
真刃は、自嘲の笑みを浮かべた。
「刃鳥の言う通り、あれはもはや象徴だ。象徴には象徴で対抗するしかあるまい」
そう告げた時。
――フオンッ、と。
その場に、無数の流星が降りた。
百を超える流星。真刃の従霊たちだ。
「月子」
真刃は、腕の中の少女に声を掛ける。
「これから少々怖い目に遭わすかもしれん。良いか?」
そう尋ねると、月子は真刃を見つめた。
「……はい」と頷く。
「大丈夫です。おじさまの好きなようになさってください」
「……お前は、本当に良い子だな」
真刃は口元を綻ばせつつ、月子をその場に降ろした。
次いで、くしゃくしゃと月子の頭を撫でて。
「だが、今後は、もっと素直に我儘を言ってもよいと思うぞ」
「……はい」
月子は、微笑んだ。
「これからは、おじさまにだけは、もっと甘えるつもりです」
真刃は「そうか」と破顔する。
それから天に浮かぶ太陽――燦を見据える。
そして、
「では、行くぞ。お前たち」
火と大地の王は、臣下に命じる。
「すべての従霊に告ぐ。己に器を与えよ」




