第八章 太陽を掌に⑦
『行くっスよ!』
最初に動いたのは、金羊だった。
黄金の雷羊が、バリバリッと放電する。
無数の雷光は一筋に収束され、雷の矢となって泥人の脇腹を撃ち抜いた!
泥人の腹部には大きな穴が開いた。
『どうっスか!』
ふふん、と鼻を鳴らす金羊だったが、残念ながら効果は薄いようだ。
泥人の腹部の穴は、みるみると泥で埋められた。
泥の体は、伊達ではないようだ。
『ぬうんッ!』
泥人は右腕を大きく横に薙いだ。
その腕は、積み立てられたコンテナにぶつかり、礫のようにコンテナを弾き飛ばした。
三体の従霊と、その奥にいる真刃たちに迫るコンテナ群。
対し、刃鳥が動く。翼から無数の刃を上空へと撃ち出した。
それらは宙空で巨大化。飛翔するコンテナ群の上に降り注いだ。
――ガガガガガッ!
コンテナ群は、巨大な刃に縫い付けられることになった。
だが、この攻防の隙に、王たちは動き出す。
泥人の背を一瞥して撤退に入る。
この港には、元々この国を脱出するための船舶を停泊させている。
王たちは、そこへ急いだ。
『あッ! あいつら逃げる気っス!』
金羊が叫んだ。
そして逃げる男たちに雷光を放とうとするが、
――ズオオオ……。
巨大な泥の手で、視界を覆われた。
その掌が金羊に叩きつけられる――その直前に、
『油断するでない!』
厳しい指摘と、咆哮が轟いた。
黒鋼の巨熊のアギトから放たれた衝撃波は、泥人の体を強く打ちつけた。
泥の体の何割かが、周囲に散っていく。
『今は、あやつらのことは忘れよ』
従霊の長は命じる。
『こやつは弱敵ではない。そう言ったはずだぞ』
『うっス。申し訳ないっス』
金羊は反省した。
やはり、自分は戦闘が苦手だと思った。
けれど、今は月子ちゃんも見ているのだ。ここは頑張らねば!
『ういっス! 行くっスよ!』
バチバチバチッ、と全身に雷光を奔らせた。
『その意気ですわ。金羊』
刃鳥も、銀色の翼を大きく広げて言う。
『我らが王と、未来の肆妃の御前で醜態はお見せできませんもの』
『意気込むのは良い。だが、油断はするなよ』
猿忌が言う。
そして刃鳥は飛翔し、猿忌と金羊は同時に駆け出した。
一方、泥人の中で崩は歯を軋ませていた。
(……くそッ)
――やはり強い。
刃の嵐、雷光の乱舞。
そして全身を激しく揺らす衝撃波。
三体の式神の猛攻に晒され、泥人は完全に防戦状態になっていた。
(……はァ、はァ、はァ……)
心臓が痛い。視界はすでに赤く染まっている。
自分の命が凄まじい勢いで消費されていることがよく分かる。
これが、この力の代償だった。
(……だというのに)
崩は眉間に深いしわを刻んで、『敵』を見据えた。
対峙する三体の式神ではない。
その奥にいる、二人の少女を抱く黒いコートの男をだ。
今の自分の魂力は、恐らく、3000を超えているはずだ。
あの恐るべき毒婦と戦うために用意した力だ。生半可な力ではない。
だが、そんな自分を相手に、三体の式神は互角以上に渡り合っている。
その理由も分かっていた。
奴らの攻撃を受ければ、嫌でも理解した。
恐ろしいことに、この三体の式神、それぞれが当主クラスの魂力を有しているのである。
そんな破格の式神を三体も操り、その上であの男は涼しい顔をしているのだ。
(本物の化け物なのか……)
畏怖さえも覚える。
ここまで脅威を感じたのは、『あの女』以来だった。
――バシンッッ!
その時、再び雷の矢で腹部を撃ち抜かれた。
損傷した部位はすぐに復元できるが、消費した魂力までは回復できない。
このままではマズい。
王たちが出航し、安全圏まで行く時間が稼げない。
(……どうする。どうすればいい)
崩は赤く染まった視界で、必死に考える。
このまま戦い続けるのは愚策だ。いずれ押し切られる。
ならば――。
(……ああ。そうだな)
グググッ、と自分の顔を掴み、皮肉気に口角を歪めた。
(俺の人生の最期だ。華々しく散らせてもらうか)
◆
(……む)
その異変に、最初に気付いたのは猿忌だった。
不意に。
泥人が動きを止めたのだ。
両腕をだらりと下げて、棒立ちになっている。
刃鳥の刃。金羊の雷光に撃ち抜かれても、再生する気配もない。
(……魂力が尽きたのか?)
一瞬、そう考えたが、
(いや。違う)
黒鋼の巨熊は、双眸を細めた。
『金羊! 刃鳥よ!』
そして従霊の長は叫んだ。
『主の元に集え! あやつは何かを企んでおる!』
そう命じて、自身は跳躍した。
――ズズンッッ!
黒鋼の巨熊は、主の前にて着地した。
超重量に軽い地響きが起きる。
「うわッ、うわッ!?」「きゃあッ!?」
唐突な事態に、燦と月子が声を上げる。
一方、真刃は冷静だった。
「何かをする気だな」
『……うむ』
主の呟きに頷き、猿忌は両腕を広げて自身を防壁とした。
遅れて刃鳥、金羊も真刃の傍らに駆け付けた。
その直後のことだった。
――ドパンッッ!
いきなり、泥人の巨躯が膨れ上がったのだ。
そして、土砂のようになって周囲に広がっていく。
――いや、膨大な土砂で、世界を塗り替えていっているのである。
コンテナ倉庫は、みるみる泥の世界へと変わっていった。
「……封宮だと?」
真刃は、眉をひそめた。
「今さら、何故そんなものを展開する?」
そう呟く。と、
「おじさん! あれ!」
小脇に抱えていた燦が前を指差した。
その先にはこの世界の主。泥人の姿があった。
膨れ上がる前と同じ姿だ。
だが、その両手には、ある物が掴まれていて……。
『《御霊奉炉》!? あれ、《御霊奉炉》っスよ!』
そう叫んだのは、金羊だった。
『あいつ、あんなモノで何を――』
と、呟いた時。
――ガパリ、と。
今まで口がなかった泥人が、大きな口を開けた。
そうして、盃のように《御霊奉炉》を掲げて――。
『はあッ!?』
金羊は目を見開いた。
燦と月子も目を瞬かせ、真刃も少し驚いた顔をしている。
泥人は大口を開けて、《御霊奉炉》の中の銀色の液体を呑み干したのだ。
ガランッ、と空になった黒い坩堝を投げ捨てる。
そして――。
ボコリ、ボコリッと。
巨大な気泡を全身に浮かび上がらせた。それは次々と生まれていく。
その姿は、まるで……。
(そう来るか!)
真刃は表情を変えた。
「猿忌よ!」
『御意!』
そう応えて、猿忌は全身をさらに巨大化させた。
刃鳥もまた体を巨大化させる。
そして、ドームのように両翼で巨熊と主たちを覆った。
『アッシも!』
金羊も体を丸く大きく膨れ上がらせて、刃鳥ごと覆う雷の防御膜を展開した。
「――燦!」
真刃は、さらに叫ぶ。
「炎を解け!」
「え?」
燦は目を瞬かせた。
「え? ええッ!? これ解くとあたし裸――」
「いいから解け!」
そう強く命じられて、燦はコクコクと頷き、炎のドレスを解いた。
絶世の美少女が、産まれたままの姿になった。
真刃は膝をつき、その少女の腰を強く抱き寄せた。
カアアアっと燦の顔が、一糸まとわぬ肌が赤く染まった。
「己の首にしがみつけ!」
「は、はいっ!」
燦は赤い顔のまま、真刃の首に手を回す。
真刃は、さらに叫ぶ。
「月子! お前もだ! 己に強く掴まれ!」
「――はい!」
月子は頷き、燦と重なるように体を強く密着させた。
真刃は二人を抱えると反転し、自分の背中を少女たちの盾にして衝撃に備えた。
泥人は、もはや破裂寸前にまで膨れ上がっていた。
そして、一際巨大な気泡が頭部に生まれて――。
――カッ!
刹那、世界は閃光に包まれた。
遂に、泥人が大爆発を起こしたのだ。
「きゃあッ!」「わあッ! うわあッ!」
襲い来る強い衝撃に、少女たちが悲鳴を上げる。
真刃は、しっかりと彼女たちを抱きしめた。
打ち上げられた岩石は、金羊の雷光も、刃鳥の翼も徐々に剥がしていく。
衝撃は十数秒にも渡って続いた。
そうして、
「お、終わったの?」
真刃にしっかりと抱き着いた燦の呟きが零れ落ちる。
衝撃は、すでになかった。
だが、そこには、爆発の痕跡はなかった。
そこは、元のコンテナ倉庫だった。
猿忌たちの戦闘の跡はあるが、大爆発した様子はない。
『……ふむ』
体が一部欠けた猿忌が呟く。
黒鋼の巨熊は立ったまま、周囲を見渡した。
『……どうやら、封宮が解けたようだな』
完全に、元の世界へと戻っている。
術者が自爆したことで、封宮も自然と消えたようだ。
『し、死ぬかと思ったっス』『危ないところでしたわね』
と、金羊と刃鳥も、安堵の声を零した。
二体とも、かなり消耗している様子だった。
「自爆など愚かな真似を……」
真刃が呟く。と、
「お、おじさん……」
燦が、顔を真っ赤にして口を開いた。
「さ、流石に離して……」
「……ああ。すまん」
言って、真刃は燦を離した。
ついでに、少し放心状態の月子も、その場に降ろした。
「こ、こっちを見ないで!」
全裸の燦は、慌てて叫ぶ。
「すぐに炎を纏うから! 見ないで! いずれは見てもいいけど今はダメなの!」
燦は両手の掌で、真刃の視界を遮った。
「今日はまだお風呂も入ってないし! だからまだ見ないで!」
「ああ~、分かった分かった。早く炎を纏え」
真刃は、疲れきった様子でそう告げた。
放心していた月子も「あはは」と笑った。
緊張していた空気が緩和する。
真刃も、猿忌も、苦笑を零していた。
金羊も、刃鳥も、すでに決着を確信していた。
だからこその油断だった。
「うん。じゃあ、すぐに……え?」
そう告げようとした燦は、不意に足元に違和感を覚えた。
何かが、右足に触れたのだ。
足元を見てみる。と、そこには……。
「……え?」
無痛注射器を両腕で抱えた、小さな泥人形がいた。
青い液体が入っていたその注射器は、すでに空の状態だった。
そうして、
……ニタリ、と。
小さな泥人形は、不気味に笑って崩れ落ちた。




