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第三章 保護者面談②

『私が憎い? かなた』


 ベッドに座って母は言う。

 生前の父がよくしてくれたように、かなたを膝の上に乗せて。


『憎いよね。私はお父さんを裏切ったのだから』


 幼いかなたは、ブンブンとかぶりを振った。

 悪いのは母ではない。これは仕方のないことだった。

 父は《魂結びの儀ソウルスナッチ・マッチ》に敗れ、死んでしまった。

 だから、代わりに母は、あの男に隷者になるよう命じられた。

 むしろ、あの男の狙いは、最初から母だったのかもしれない。

 十代後半でかなたを産んだため、六歳になる子がいるとは思えないほど、母はとても若く美しかったからだ。


 母は毎日、夜になると、あの男の元へと赴いた。

 そう命じられているからだ。


 時には朝に出かけて、そのまま丸一日、戻ってこなかった日もあった。

 あの男が、母に何をしているのか。

 幼かったかなたにはよく分からなかったが、きっと辛いことなのだろう。

 戻ってきた母はいつも酷く疲れており、かなたが呼びかけても答えてくれない。

 ただ、苦痛に耐えるように口元を強く結んでいた。


 それが、母にとって父を裏切るような行いなのかはよく分からない。

 けれど、やはり仕方がないと思う。あの父をも倒した恐ろしい男に命じられては、どんなことでも応じるしかないのだから。


『母さまは悪くない』


 だから、かなたはそう告げた。


『違うの。違うの』


 すると、母はかなたを抱きしめて泣いた。母の細い肩が震えている。


『本当はあの人の仇を取るつもりだった。実は何度もそうしたの。残されるあなたがどんな目に遭うかなんて分かりきっているのに』


『……母さま?』


『けど、ダメだった。あの男はずっと遊んでいた。わざわざ私の《制約》まで外して。なのに殺せない。何度も何度も失敗して、その度にあの男は私を……』


 母は、ボロボロと泣き始めた。


『今日もやっぱり失敗して、罰と称して散々愛撫されて、焦らされて、私はとうとう自分からあの男を求めてしまった。あの時、私はあの人のことを忘れてしまったの。そんな私を見て、あの男は満足そうに笑ったわ。そして……』


 母は、両手でかなたの頭を抱きしめた。母の長い黒髪が、かなたの頬に掛かる。

 そこで、ふと気付く。三ヶ月前。この館に来た時に、母とかなたに着けられた赤いチョーカーが、母の首元からなくなっていることに。

 これは文字通りの首輪だ。かなたたちが叛意を抱けば身につけた衣服を操って拘束する。衣服を身につけていなければチョーカー自体が喉を絞める。そういう呪いだ。

 それが母の首元からなくなっている。


『私は、もうダメ』


『……母さま?』


『もうあの男を殺せない。私の心は完全に屈してしまった。()からもう離れられない』


『……母さま……』


 そんなことはないと、告げようとした時だった。

 コンコン、とドアがノックされる。母が緊張した面持ちで『どうぞ』と告げると、執事服を着た男が入ってきた。フォスター家の執事。分家の引導師だ。


『ご当主さまがお呼びだ』


 男は、苦笑じみた笑みを見せる。


『今日は「記念日」として、もう一度、お前を堪能するそうだ』


 ――隷者の義務は、一日一度だけと約束したはずです。

 いつもの母なら、凜とした表情でそう返すのだが……。


『ゴ、ゴーシュさまが? は、はい。すぐに参ります』


 母はベッドの横にかなたを降ろすと、熱病に浮かされたようにふらふらと歩き出した。

 よく見ると、母の胸元が汗ばみ、白い肌が火照っているのも分かった。

 娘の視線に気付き、どこか陶然としていた母の顔が済まなさそうに歪む。

 だが、足取りは止まることなく、ドアへと向かっていた。


『……かなた』


 そんな中、せめて一瞬だけでも母親の顔を見せて。


『あなただけでも、いつか自由になって』


 母はそう告げた。

 それからの母は、徐々に、かなたよりもあの男の傍にいることが多くなった。

 かなたは、フォスター家に敗北した家系の者として、分家や他の配下たちに混じって訓練を受ける日々を過ごしていた。その頃には、母とは滅多に会わなくなっていた。

 母を見かけるのは、あの男の近くにいる時だけだった。

 あの男の傍らで佇む母は、娘の目から見ても、驚くほどに美しくなっていた。

 身に纏う豪華なドレスだけではない。女として、彼女は生気に溢れていた。

 それこそ、父が生きていた頃よりも、遙かに美しく、生き生きと。

 かなたは、黙って、そんな母の姿を見ていた。


 けれど、そんな日々は唐突に終わる。

 五年前のある日。母が交通事故で帰らぬ人になったからだ。

 かなたは、本当に一人になってしまった。そして、母の庇護をなくした彼女は、生き延びるため、フォスター家の役に立つことを示さなければならなかった。

 牙を研ぎ、牙を隠し、感情を殺して自由になるチャンスを窺っていた。


 だがしかし。

 とある仕事にて、父を殺し、母を屈服させたあの男の、常識外の圧倒的な実力を初めて目の当たりにした時、心が折れてしまった。


 ――こんな怪物から、逃れられるはずがない。

 絶望したかなたは、すべてを諦め、フォスター家の道具として生きることにした。

 そうして、任されたのが今回の任務だというのに。


「………」


 ベッド以外、ほとんど物のない殺風景な部屋。

 かなたは、固定電話の受話器を取った。

 そして――。


『……何だ?』


 威圧的な男の声が響く。


「……ご当主さま」


 かなたは、告げる。


「申し訳ありません。トラブルが発生しました。ご報告したいことがございます」




 ……――数日後。

 空港のロビーにて、かなたは、とある人物の到着を待っていた。

 大勢の客が降りてくる。かなたはその流れを、視線を変えずに見つめて、


「……………」


 無言のまま、恭しく頭を垂れた。


「……ふん。ここが日本か。初冬だというのに存外日差しがキツいな」


 白いスーツにサングラス。手にはトランクケース。

 年齢は三十代前半ほど。身長は百九十センチを越える。銀色の髪と顎髭、服の上からでも分かるほどに筋骨隆々なその男は、サングラスをずらして、かなたを凝視した。


「……かなたか?」


「……はい。ご当主さま」


「お前と会うのも四年ぶりか。存外美しくなったな。見違えたぞ」


「光栄です。ご当主さま」


 銀髪の大男はトランクケースを片手に歩き出す。かなたもその後に続いた。


「俺は三日しか滞在できん。面談は今日の夕刻だったな?」


「はい。お忙しいところ、申し訳ありません」


「構わん。妹を教育するのもまた兄の役目だ。それと、お前の報告にあった引導師ボーダー。エルナを隷者ドナーにした男も、その面談に来るのだろう?」


「はい。担任教師からそう聞いております。ですがまだお嬢さまが隷者になったとは……」


「ふん。甘いな。エルナはその男ともう半年以上も同棲しているのだぞ。すでに手遅れだな。まったく。何のためにお前をつけたのやら」


 男は、サングラスの下の蒼い双眸を細めた。


「とは言え、卵ではなく本物の引導師相手では仕方がないか。フォスター家の直系の娘に手を出すなど大家の者なら避けるのだが、在野とは盲点だった」


 そこで足を止めて、かなたを見やる。


「かなた。前髪を上げてみせろ」


「はい」


 かなたは前髪を片手で上げた。黒曜石のような瞳がはっきりと現れる。

 男は「ほう。これは想像以上だったか」と呟いた。


「もう下ろしても宜しいでしょうか?」


「ああ。構わん。しかし、お前は本当に美しくなったな。母にも劣らんぞ」


「……恐縮です」


 表情を変えずに、そう返すかなた。男は「ふむ」とあごに手をやる。


「お前は、まだ男を知らんのか?」


「……はい」


「ほう。それは良いことを聞いた。よし。決めたぞ」


 男はニヤリと笑った。


「今回の騒動の罰だ。今夜、お前と《魂結び(ソウルスナッチ)》を行うぞ。いや、今夜だけではない。滞在中の三日間は、お前をとことん抱き潰して楽しむことにしよう。今から覚悟しておけ」


「…………」


 数瞬の沈黙。かなたは微かに目を見開き、静かに喉を鳴らした。

 ドクン、と鼓動が跳ね上がる。 

 だが、感情が揺らいだのは、その一瞬だけだった。

 ――やはり、母同様に自分もこの男からは逃げられない。

 そう思い、かなたは瞳を閉じた。


「返事はどうした?」


「……はい」


 そして、すべてに諦観し、彼女は「承知しました」と頷いた。






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[良い点] 楽しく読ませてもらっています [気になる点] 穢れの概念は無視されるのですね [一言] みんな好き 理性の敗北 世の真理
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