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黒の守護者  作者: K-JI
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シンエン

 夜の学校の屋上で武斗と別れ、いつものように獲物を探していると、ヤナガは不意に虫の知らせのようなものを感じた。それが何を言おうとしているのかわからなかったが、喜ばしいことではないという気はした。またその知らせが武斗に関わることのような気もし、とりあえず武斗の様子を見に行くことにしたのだが、ヤナガはそんな自分を笑っていた。まさか我が人間の心配をするとは、と。

 そして朝日荘にやってくると、その心配は的中しており、殺戮の限りを尽くされたあとの惨状の中で、武斗は力なく廊下に座り、涙で顔を濡らしたまま呆然としていた。その朽ちた姿は、見た者が人間であれば胸打たれていただろうが、闇の世界の住人であるヤナガにとって感傷的になるものではない。そもそも、ヤナガに悲しいという感情があるのかさえ疑わしい。

 それはともかく、朝日荘の惨状を見て、これを起こした張本人が次に何をするか予想がついたヤナガには、武斗が使い物になるかならないかを確認する必要があり、結果、ヤナガにとって好都合のものとなった。

 そして今、武斗を背に乗せて、もの凄い早さで真夜中の町の中を駆けている。

 アパートを出てからというもの、武斗は一言も喋らなかった。ただただ、夜狩人の力をこれでもかと高め、青い炎を不気味なまでに静かに燃え狂わせていた。やがて化け物の存在が感じられると、憎しみの炎を高々と燃え上がらせた。

 だが、ヤナガの足がよく知る神社の前で止まったとき、頭の中にこびりついて離れない朝日荘の残酷な光景の中に、紗夜や照臣の姿が重なった。たまらず、武斗の意識がぐらりと揺れ、ヤナガの背から転げ落ちそうになる。もしも既に紗夜と照臣が殺されていたらという最悪の結末を頭から払えず、機敏に対応することは出来なかったが、危ういところでヤナガの背にしがみつき、難を逃れていた。

 その動揺ぶりに、ヤナガは嫌味ったらしく「ふん。使い物にならないのなら、ここから去れ。邪魔なだけだ」とハナを鳴らす。その嫌味は武斗に対して有効だったようで、武斗は「うるせえ!」と一声放つと、今度は機敏な動きでヤナガの背から飛び降りて鳥居をくぐり、ヤナガもそれに続いた。

 月の光が雲に遮られているせいで、八城神社の境内は真っ暗だった。だが、今は暗さに目が慣れているからであろう、武斗にはあまり関係なく、足下や周囲の障害物に注意することなく敵の気配を追おうとした。すると、ヤナガがそれを制した。

「小僧は本殿へ行け」

 そう言いながら、学校の屋上で試した新しい夜狩人の武具を体の中から吐き出す。それは刃渡り六十センチほどの二本のナイフ。一見、相手に接近しなければどうにもならないようだが、この武具には仕掛けがあり、十メートル以上向こうの敵まで刃先を飛ばすことが出来るようになっている。そしてその刃先はグリップ部とワイヤーのようなもので繋がっており、手元である程度コントロールすることが出来るようになっていた。ただし、自在に操るにはそれなりの練習が必要のようだったが。

 その武具を急いで拾い上げ、本殿に紗夜たちがいるのか、二人は無事なのか、と矢継ぎ早に聞く。だが、それは知らぬとあっさり答えてすぐに姿を消し、残された武斗は、二人の無事を願いながら本殿へと走った。

 そして、拝殿の向こう側にある本殿が見えると、扉の片側が大きく開かれているのがわかった。その光景が、戸が開けっ放しになっていた利根林の部屋と重なり、血に染まる朝日荘の光景が次々と蘇っていくと、心臓がどくんと大きく脈打ち、顔面から血の気が引いていく。

 しかし、さらに近付くと本殿から微かに聞こえる声が武斗の耳に届き、絶望的な気持ちを振り払い、「紗夜っ!」と全速力で本殿へ走った。そして、足下に転がっていた蝋燭立てに気付くことなく本殿に駆け込むと、その光景に、安堵と驚愕の入り交じった表情となった。

 本殿内は、限られた範囲ではあったが一本の蝋燭の火でオレンジ色に照らし出されており、そこには横たわる照臣と、その傍らにぺたんと座り込み、涙を流しながらこちらを向いている紗夜がいる。武斗の登場に、不安と恐怖で押し潰されそうだった紗夜は「武斗くん……!」と、その心情をそのままに震える声で呟いた。

「大丈夫か! 怪我はないか!」

「叔父様が……、血が、いっぱい出てるの……!」

 どうやら紗夜の方に怪我はなさそうだったが、照臣の脇腹付近はべったりと血に染まっているようで、その血は自分の足下へ点々と続いている。この状況と八城神社に来たときの敵の気配で、既に二人が襲われた後だと理解できる。

 たまらず、武斗は紗夜のすぐ隣に膝を突き、「おじさんっ! しっかりしろよ!」と声を張り上げる。それまで意識がやや遠のいていたのだろう、ここでようやく、武斗が来たことに気が付き閉じていた目を少しだけ開いた。

「武斗か……」

「ああ俺だ! こんな所で寝てんじゃねえよ! ちゃんと目を開けてろ!」

「寝て……、いたのか……。そうだな……。寝てなど、いられないな……」

 照臣の声にいつもの力強さはなく、どうにか絞り出しているといったもの。そのような状態の者に声を張り上げるのはムチを振るう行為のようでもあるが、もしも深手を負っているのであれば、意識を保たせるためにそうする必要がある。武斗は照臣に声をかけ続けるよう紗夜に指示し、その間に傷口を確かめるべく右手のナイフだけを放して、照臣の寝間着をたくし上げる。

 脇腹の数カ所が切り裂かれており、その周辺が血に染まっている。出血はある程度止まってきているようだったが、内臓の破損がどれほどかわからず、もしも外見よりも深刻な傷を負っているのであれば今すぐ病院に運ばなければならない。

 さらに、病院に連れて行くとなると、救急車を呼ぶかヤナガの助けを借りて直接運ぶしかない。しかし、無理に動かして傷を広げてしまったり出血をひどくさせたりする可能性を考えると、救急車を呼ぶのが一番良いだろう。武斗は携帯電話を持ってきていない自分に舌打ちをすると、「今から母屋に行って、救急車を呼んでくる。だから俺が戻るまで、お前はここでおじさんを見ててくれ。いいな?」と紗夜に告げた。

 正直なところ武斗は、紗夜のことを思うと、ヤナガが来るのを待ってから電話をしに行くこともちらりと考えたのだが、銭湯から真っ直ぐアパートに帰っていればという後悔が武斗を急がせていた。

 武斗のその言葉に、紗夜はイヤだと言いたかった。再び一人で照臣を見なければならないという不安と、化け物が再び襲ってくるかもしれないという恐怖、そして何より、武斗の身の案じる想いから彼を引き留めたかった。だが、その言葉を口に出すことは出来なかった。

 前者二つは、紗夜の弱さ。といっても、相手が紗夜でなくともこの状況で強い心を持ていう方が難しいだろうが。そして武斗が電話をしに行くというのは、照臣のことを考えれば拒絶することは出来ない。

 以前の紗夜であれば、間違いなく武斗にすがりついていただろうが、弱い自分のままでは駄目という意志を支えに、紗夜は無理に笑顔を作って「早く、戻ってきて?」と武斗の腕に両の手のひらを置いた。

「当たり前だ」

 武斗はそう答えるとすっと立ち上がる。同時に、武斗の腕から紗夜の手がするりと離れていった。それが紗夜には堪らなく辛く、歩き出す武斗へと思わず手を伸ばしかけた。だがその腕が伸びきる前に、手をぎゅっと握ると膝の上に置いていた。

 そんな紗夜を、照臣は悔しげに眺めていた。自分が傷を負わなければ、紗夜に辛い思いをさせずに済んだのにと。

 そして、二人を置いて本殿から出ようとしたそのとき、行く手を阻むようにヤナガが扉の前に現れた。

「ヤナガ! さっきはどこにっ!」

「雑魚どもを始末してきただけだ。それより、どこに行くつもりだ?」

「見りゃわかんだろ! 救急車呼びに行くんだよ!」

「ほう」

 ヤナガは横になっている照臣に目を向ける。武斗の言うとおり、脇腹が血に染まっており、手当の必要があることはわかった。

 するとヤナガは、武斗に驚くべき提案をしてきた。

「なるほど。ならば我の血肉でも使ってみるか?」

 あまりの提案に思わず言葉を詰まらせた武斗だったが、それが照臣の傷を治し、命を救う手段だと取った武斗は、神妙な顔で尋ねる。しかしヤナガの回答は、見事に武斗を裏切った。

「ンなこと出来んのかよ」

「我の血肉を、我の意志で十分に同化させてやればよい。ただし、運が悪ければ拒絶反応を起こして死んでしまうがな」

「それじゃ意味ねえだろ!」

「しかし、成功する可能性もあるのだぞ?」

「じゃあその可能性はどんぐらいあんだよ」

「最初に試した幼い人間は成功した。副次的作用はあったがな」

「なんだよその作用って。つうか、成功したのは最初だけってことじゃねえか! くだらねえこと言ってねえでそこをどけ!」

 無駄な時間を使ってしまったと声を荒げる武斗に、ヤナガは機嫌を少々損ねたようで、「なら好きにしろ。ただし、人を呼んだところで意味はないと思え」と言い捨てた。

 なぜ、と言おうとしたところで、駆け付けた救急の人たちが襲われる可能性を示唆していることに気づき、武斗は「そんときは俺とお前で守ればいいだろ!」と言い返す。

 ヤナガの姿も見えず声も聞こえない紗夜には、先ほどから武斗が独り言を喋っているように見えていたが、そこにヤナガがいることは理解しており、武斗の言葉から話の一端を読み取ろうとしている。

 そして、ヤナガはその核心を口にした。

「まだわかっていないようだな。ヤツの狙いは貴様なのだぞ?」

「俺が狙いだ? 意味わかんねえことぬかしてんじゃねえっ!」

「そうでなければ、貴様の近しい人間を一度にああまでする意味がないからな。それともあれは、単なる偶然だと言うつもりか? 気まぐれで彼らを皆殺しにしたと?」

 それは、朝日荘の惨劇となった原因が武斗にあるということ。

「なんだよそれ……。それじゃ俺が、原因だってのかよ……。俺のせいでみんなが……」

「やっと理解したようだな」

 自責の念の中で自分が原因だと言ってはきたが、こうして直接に言われると、改めて罪の意識が自身を激しく責め立てて、それは呪いの言葉となって武斗にまとわりつき、そしてやるせない憤りとなって「だったら、俺の何が目的だって言うんだ。俺が狙いなら、俺を直接狙えばいいじゃねえか! なんでそうしねえんだよっ!」と叫ぶ。

「それでは楽しくないのだろう?」

 ヤナガは不機嫌にそう吐き捨て、あまりにも救いのないその理由に、武斗は半笑いの表情で言葉を失った。会話の内容も武斗の表情も見えない紗夜は、この沈黙を見守り続けることができず、武斗に声をかけようとする。しかし先に口を開いたのは武斗だった。

 その口調は、最初は押し殺しながら笑っているようだったが、最後は怒りに震えるものとなっていた。

「楽しくねえだと……? そんな理由で、殺されたってのか……? そんな……、理由で……。ふざけんなよ……、ふざけんなよっ……! ふざけんじゃねえぞおっ!」

 そう叫び終えたとき、突如として出現した強大な禍々しいプレッシャーが、武斗の激情を一瞬にして沈めた。そしてそのプレッシャーは照臣にも伝わり、紗夜もその異様な空気に体が震えだし、ヤナガは外へと視線を向けて「やっと来たか」と憎々しげに呟いていた。

 プレッシャーは急速に膨れあがり、武斗を圧倒し、全員を飲み込もうとする。照臣がその恐怖に飲まれなかったのは、闇の世界の住人に対する彼の精神的強さがあってのもの。だが紗夜にはそこまでの強さはなく、このまま完全に飲み込まれでもしたら、精神が完全に破壊されてしまうだろう。照臣はそうさせまいと、異様に重い自分の腕を動かして紗夜の手に触れる。一瞬、紗夜はびくりと触れられた自分の手を見ると、怯えきった瞳を照臣に向けた。

「紗夜、私に手を、握っていなさい」

 何かにしがみつきたい程の恐怖に襲われていた紗夜は、言われるままに照臣の手を両手で強く握りしめ、唇を振るわせている。そんな紗夜を励ますように、「心配ない。ヤナガもいるし、武斗もいる。だから、何も心配ない」と笑顔を向け続けていた。

 そして武斗は、目の前の拝殿を飲み込みながら、地面から少しずつせり上がってくる巨大な真っ黒いドームを、目を見開いてじっと見つめていた。プレッシャーの大きさは、そのドームの大きさに比例して増していく。そうして半球状になるまでせり上がったときには、拝殿がすっぽりと隠れるほどの大きさになり、地面の近くには、人間の目と同じ形をしたものが現れていた。

 そこまで至り、ようやく武斗は半ば呆然とした表情で「なんだよ……、こいつは……」と口を開いた。だが、ヤナガのもったいぶった言葉に、圧倒され静まり返っていた武斗の心に紅蓮の炎が劫火の如く燃え上がった。

「言ったであろう? 我についてくれば会えると」

「こいつが……!」

「そうだ。全てはヤツの仕業だ。そうだろう? シンエン」

 家族同様に暮らしていた朝日荘の人たちや、本当の兄と慕っていた堂本、そしてその他の人々を無慈悲に殺した真の敵を前に、憎しみに顔を歪めた武斗の体が、夜狩人の力に染まっていく。その大きさは、ヤナガが目を細めるほどに巨大なものとなっていった。

 シンエンと呼ばれた半頭の如きモノは、ざらついた低い声で、嬉々とした様子で答えた。

「久しぶりだな。ヤナガ。元気そうで何よりだ」

 小馬鹿にするようにシンエンがヤナガにそう言うと、ヤナガもハナを鳴らして「貴様も元気そうだな」と答える。

「そうでもない。もうじき眠りに入るのだから」

「ならば、遊んでなどおらんでとっとと眠れば良かろう」

「何もせずに迎えるというのは、面白くないだろう?」

 このやり取りを前にして、武斗がすぐに手を出さなかったのは、膨れ上がる憎悪に際限がなかったからだった。だがそれも、シンエンに挑発されるまでのこと。

「ところで、私からの豪華なプレゼントは喜んでもらえたかな? そこの夜狩人よ」

 この一言で、武斗は激情のままに咆哮を上げ、ヤナガを一蹴りで飛び越えてシンエンへと突進していった。

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