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黒の守護者  作者: K-JI
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布団の中の小さな幸せ

 翌日、紗夜は高熱を出して学校を休んだ。ずぶ濡れのまま何時間もいたのだから、風邪を引くのも当たり前というもの。そして紗夜のいない教室では、昨日の一件のことが学校中で騒然と話されていた。しかも様々な脚色が好き勝手になされ、あっという間に、まるでマルチストーリー構成の壮大な青春ラブロマンスといった体を成していた。

 この状況にちとせは、頭を抱えながら「なんか、どえらい話になっちゃったわね……。きっと、御子杜さんがこれ聞いたら……」と言い掛けたところで、「大喜びするかもね……。」と苦笑していた。

 なお、今回の一件で慎二に対する評価が大きく変わっていた。特に女子の評価が。慎二が要所要所で的確に指揮していた実績が認められたわけだ。

 そして武斗はというと、さぼりということにして学校を休んでいた。

 昨夜、紗夜を連れて八城神社へとやって来た武斗は、ここまで車で運んでくれた友人に礼を言い、紗夜を抱きかかえながら母屋に入っていった。そしてその友人は、残してきた捜索隊の六人を回収するためにとんぼ返りした。

 母屋には、近所の主婦が数人待機していた。事前に紗夜の状態を知らせておいたので、濡れた体を拭いたり着替えをさせたりするのに女手が必要になるということで、照臣が近所の親しい人に声をかけてお願いをしておいたのだ。

 主婦たちは、紗夜の姿を見るととても驚き、何て可哀想にと呻くと、すぐに紗夜を空いている客間に通すように武斗に指示した。同じようにずぶ濡れの武斗は、紗夜を客間に運ぶと後のことは任せて、用意してくれていた風呂で疲れを取った。

 なお、服は風呂場でめいっぱい絞ったあと乾燥機に放り込んだのだが、風呂から上がるときにはまだ乾いておらず、下着だけはドライヤーでどうにか乾かし、他は照臣から借りた浴衣で間に合わせていた。ズボンやシャツでは、がっしりした体躯の武斗には少々きつかったからだ。

 これでひとまず落ち着いた武斗は、居間でお茶を飲みながら、紗夜に見られてしまったものを照臣に説明した。化け物の姿、ヤナガ、そして化け物と戦う武斗の姿のことを。

「そうか……。あの子は、見てしまったのか……」そう落胆する照臣の顔は、明らかに疲れきっている。

「で、どうすんだ? たぶん、目が覚めればあいつは聞いてくるぞ?」

「だろうな……。私としては、出来ることなら今日見たことも、文江殿の言葉も忘れて欲しいところだ。しかし、それは無理な話だからな。せめて、辛い思いをしないようにしてやりたい」

「また本当のことを隠し続けてか?」

「それは無理だろう……。それに、最終的な判断をするのは本家だ。私ではない」

「また本家かよ」武斗は吐き捨てるように言う。紗夜のことも武斗のことも本家の意向がすべてで、本人には何の決定権もないような口ぶりに、心底吐き気がしていた。

「そんなに偉いのかよ! 本家のやつらってのは!」

「そういう世界なのだよ。お前にはわかるまいが、私や紗夜のいる社会は」

「けっ。わからねえしわかりたくもねえ。じゃあ本家が喋るなって言えば、また何も教えないつもりか?」

「そうだ。それに……、知ることがあの子にとって幸せなことなのか、正直私にはわからないのだよ。もしも知ったことによってお前のように苦しむのであれば、むしろ知らないままの方が幸せなのかもしれない」

 知ることで悩み、苦しむのであればという照臣の気持ちがわからないわけではない。だが、このまま教えられずにいて、紗夜は幸せだと思っていられるのだろうか。それで、悩み苦しまずにいられるだろうか。

 確かに、物事には知らない方が良いこともある。だが、紗夜は聞いてしまい、見てしまった。それでもなお誰も何も教えないというのは、それを教えられた紗夜が絶対にその真実を乗り越えられないと言うようなものだ。

 真実をどう受け止めるかは、周りが決めることではない。本人が悩み苦しみながら決めることだ。そしてその悩みや苦しみは、たった一人で背負い続けなければいけないものではない。周りの人に支えられながら答えを見つけていけばいいこと。そう。武斗が紗夜に救われたように。

 だから、紗夜に真実を語るべきだ。

 それが武斗の結論。隠すのではなく、真実を伝え、周りが支えればいい。

「俺には、本家もクソも関係ねえ。だから、俺は俺がおじさんから聞いたことを、あいつに話す」

「しかし……」

「もしあいつがそれを聞いて苦しんだら、俺も一緒に悩んで、苦しんで、叱って、慰めて、あいつの隣で泣いてやる。そうやって、あいつを守ってやる。俺が朝日荘のみんなにそうしてもらったみたいに。それと、紗夜にしてもらったみたいによ」

 その言葉には、揺るぎない強い意志があった。そんな武斗を、照臣は正直うらやましいと感じた。何者にも縛られることなく、自分を信じ、自分を貫こうとするその強さを。

 とそこで、紗夜の世話を終えた主婦らがぞろぞろと居間にやって来た。照臣は丁寧に礼を言うと、主婦らは気にしないでとパワフルに笑い、明日の朝、また様子を見に来るということと、これからどんどん汗をかくだろうから、拭ける部分だけでも拭いてあげてねという言葉を置いて、自分たちの家へと帰っていった。

 その晩、紗夜の看病は照臣が一人でずっとしていた。せめてこれぐらいは力になりたいと武斗に言って。そして武斗は、照臣の部屋で眠った。

 翌朝、宣言どおりに近所の主婦が数名やってきた。彼女らは汗だくの紗夜の体を拭き、汗でぐっしょりと濡れた傷口のガーゼや包帯を取り替え、布団を取り替え、町医者を力ずくで呼びつけて紗夜を診療させたのち、もし必要ならいつでも呼んでくださいと言って帰っていった。

 主婦らが帰っていくと、あとは俺が看るからおじさんは休めと言って、照臣に仮眠を取らせ、武斗が紗夜の看病を引き継いだ。

 布団の中の紗夜は苦しそうに何度も寝返りを打ち、その度に布団をかけ直し、吹き出る汗も、首と顔ぐらいだったが、こまめに拭き取っていた。そうして、数分で終わる簡単な昼食を途中にはさみ、三時頃までずっと世話をしていると、紗夜の様態はどうやら落ち着いてきたようで、あまり寝返りを打たなくなり、汗も昼過ぎほどかかなくなってきた。

 これでひとまず安心だと武斗はほっと胸を撫で下ろすと、さっそく慎二とちとせにメールを送った。やっと紗夜の熱が治まってきたと。

 そしてさらに一時間して、紗夜は目を覚ました。ただし、すぐには傍らにいる武斗の存在に気付かなかった。しばらくぼーっと天井を見上げて、武斗のいる方とは反対の方に寝返りを打ち、少しして反対側に寝返りを打って、そこでようやく武斗に気付いた。

「武斗くん……?」不思議そうな顔で武斗を見ながら紗夜はぽつりと言う。

 いつもは楯村くんと呼んでいる紗夜がそう口にしたのには少し驚いたが、きっと意識がまだはっきりとしていないせいだろうと、武斗は受け流した。

「おう。調子はどうだ?」

「どうして……?」

「どうしてもクソも、風邪でぶっ倒れてるバカタレの面倒を看なきゃなんねえんだから、しょうがねえだろ」

 武斗はわざと口悪く言った。優しい言葉をかけるよりも、こっちの方が楯村武斗らしいと思ったからだ。すると紗夜は、自分が大汗をかいて寝込んでいることをぼんやりと思い出した。そして、武斗の言葉に嬉しそうににこりと笑みを浮かべ、布団の中から手を出してきたので、武斗はあぐらをかいたまま布団のすぐ側まで寄り、その手を優しく包むように握った。そして満足そうに、紗夜は弱々しくも少しだけ力を取り戻したような小さな声で「そういう意地悪言う武斗くん、嫌いです……」と言って、クスッと笑った。

「そいつは良かった」

「はい。良かったです……」

「んじゃ、良かったところでもう一眠りしとけ。まだ熱は下がりきってねえんだから」

「そうですね……」

 紗夜はそう言って目を閉じ、武斗は紗夜の手を布団の中に戻そうとした。すると、紗夜が目をつむったまま「お願い」と言ってきた。

「ん? なんだ?」

「私の手、握っていてください……」そう武斗にお願いをする紗夜の手は、容易く振りほどけるほどか弱い力で、武斗の手を離したくないと握っていた。

「わかったよ。そんかわし、俺に風邪うつすなよ?」

「それは、保証、出来ません……」

「まあ、そんときはソッコーで慎二あたりに風邪をくれてやりゃあいいか。馬鹿は風邪引かないって言うから、うつしたところで風邪引かねえだろうし。……そうか。なるほど。こういう馬鹿の使い道もあるのか」

 とそこまで言って、紗夜がもう寝息を立てていることに気が付き、口を結ぶ。そして、もうずっと昔のように感じる、線路下のトンネルから帰ってきたときの紗夜を思い出していた。

 すべてが始まったとも言えるあの夜の、心地よさそうに武斗の手のひらに頬を埋める紗夜。あの晩、結局紗夜が武斗の手を離すまでの二時間、ずっと寝かせてもらえず、紗夜の穏やかで可愛らしい寝顔を眺めていた。

 そして今、風邪を引いて寝ている紗夜の顔を見ている。

 不思議なものだ。なんとなくそう思いながら、今回は何時間こうすることになるのだろうと苦笑していた。


 武斗が解放された、というか手を離したのはそれから三十分ほどして。近所の主婦が様子を見に来たからだった。その後、自室で眠っていた照臣も起きてきたので、武斗は、今日のところはこれで家に帰ると紗夜と照臣に告げた。紗夜はそれを聞いて、ひどく残念そうにしていたが、ずっとここにいるわけにもいかない。

「明日も来るから、大人しくしていろよ」

 武斗は最後にそう言って八城神社を出ると自宅に戻ったのだが、数時間後にまたやって来ることになった。というのも、武斗の部屋でお酒を飲んでいた利根林と巻野と慎二と他の部屋の住人二名に、部屋の主であるはずの武斗は追い返されてしまったのだ。

 部屋に入ると早々に、不法侵入者たちは「何しに帰って来た!」「紗夜ちゃん置いて帰ってくるとは何事よ!」「付き添いで病院に泊まってくれた恩を仇で返すのか!」「男の甲斐性はないのか!」「好きな人が苦しんでるときは、ずっと側にいてあげるものだよ」などなど、問答無用にがなり立てられたり諭されたりと一斉攻撃を受けた。

 これには武斗も「う、うるせえ! つうか俺の部屋だぞ、ここは!」と返すのが精一杯。野次馬的発言も多々あったが、紗夜の側にいてやりたいという気持ちは武斗にもあったので、真っ向から言い返せなかった。

 結局、肩身の狭い思いで自分の部屋に小一時間ほど滞在し、いつの間にか勝手に着替えの下着やら洋服やら歯ブラシやらCDやら詰め込まれた紙袋を手渡され、八城神社に戻ってきた。

 武斗は、このばつの悪さを、あとで慎二を殴ることで解消しようと一度心に決めたのだが、戻ってきた武斗を本当に嬉しそうに喜ぶ紗夜の顔を見て、まあいいかとその決心を消去していた。そして、事の経緯を聞いた照臣は笑っていた。

 紗夜の熱は、七時頃になるとだいぶ治まり、起きておかゆ二杯と梅干し三つとシラスを食べられるほどに回復していた。お腹が満たされると、自分の部屋に新しく敷かれた心地良い布団に入り、ほどなくして武斗が薬と水を持ってきた。紗夜は薬を飲むため体を起こし、持ってきてくれた武斗にありがとうと言うと、少しだけ躊躇ってから「ねえ、武斗くん」と声をかけた。

「ん?」

「あの可愛いライオンのぬいぐるみ、取って?」

「ああ。随分と気に入ってるみたいだな」

「うん。一番好き」紗夜はそう言って受け取ると胸に抱き、視線を下に落とした。

「武斗くん?」

「今度はなんだ?」

「もう、昨日みたいに、言ってくれないの?」

「何をだよ」

「私のこと、『紗夜』って……」

 そういえば、と武斗は思いだした。昨日の夜、紗夜を助けるとき無意識のうちに『紗夜』と呼んでいたことを。そのことを気恥ずかしく思った武斗は、「そ、そりゃあ……」と言葉を濁す。すると、紗夜は「まだ、だめ?」と、少し寂しそうな目を向けてきた。

 はっきり言ってそれはズリーぞ! そんな目で言われたら、駄目とは言えねえじゃねえか!

 武斗は心の中でそう叫んだ。そしてそれは自分の負けを認める行為でもある。しかもそんな武斗がこれ以上ない追い打ちをかけられては、素直に降参するしかない。

「私、すごく嬉しかったの……。武斗くんは、覚えてる? 前に、私のこと『紗夜』って呼んでくださいって、私が言ったこと。その方が親しそうだからって。あのときからずっと、『紗夜』って呼んで欲しかったんです……。今では、親しそうだからじゃなくて……、その……。私……、武斗くんのこと……――」

「ま、待て! その先は言うな!」

「武斗くん……」紗夜は、それを拒絶だと受け取ってしまったようだった。

 だがそれは彼女の誤解。紗夜が言おうとしている言葉はさすがの武斗でもわかる。ここまで言わせておいて、自分の気持ちを誤魔化すわけにはいかない。ここは男として、紗夜よりも先に、はっきりと言わなければいけない時だ。武斗はそう考えての言葉だった。しかし悲しいかな、腕っ節は強くてもこういう場面は未経験。言い出した途端言葉がうまく出てこなかった。

「あ、ちげえよ! そういう意味じゃなくて! それは男の俺が先に言う台詞だから……、だからよ……、俺は、その……、お前は、だな……」

 このような自分自身に、恥を晒すようにしどろもどろになるのは男じゃないと、心臓をばくばくと打ち鳴らしている自分を鼓舞し、深呼吸を三つすると、腹をくくってどうにか言い切った。

「お、お前は、じゃなくて、紗夜は、俺にとってスゲー大切な人で、スゲー好きな人で、だからつまり、俺は紗夜のことを、一人の女性としてスゲー好きだっ!」

 あまり格好が良いとは言えない台詞だったが、紗夜にとっては、これ以上ないほどの武斗の告白だった。そして紗夜は、心から嬉しい涙をこぼしながら、「私も、武斗くんのことが、大好きです」と自分の想いを伝え、武斗の胸に飛び込んでいった。

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