彷徨う心
武斗の携帯が鳴ったとき、武斗は自分の部屋で慎二と馬鹿話をしていたところだった。電話を掛けてきたのは照臣で、ひょっとしたら昨日の件で、本家から何かしら話があったのかもしれないと思いつつ電話に出た。
「珍しいな。おじさんが電話してくるなんて」
「ああ、困ったことになってな……」
困ったこと、と聞いて、自分の予想が正しかったと思った武斗は「どうせ困ったことになるって分かってたんだから、あとは出たトコ勝負さ」と、鼻で笑うように答えた。しかし、「そうではない。紗夜のことなんだ」という返答に、武斗の表情が途端に変わり、嫌な予感をそのまま顔に浮かべた。
「御子杜? あいつがどうかしたのか?」
「それがな……、今日、本家の人間に偶然会って、何か聞かされたらしいのだ」
「……何かってなんだよ」
「お前のことや、あの子の役割のことだ……」
「なっ!?」
「役割については、その内容は何も聞かされていないようだったが、どうやらお前のことは、多少聞かされたようだ。すまないが、今からこちらに来てくれないか?」
「それはいいけど……、御子杜は今どうしてんだ?」
「あの子は……、家を飛び出してしまった。すぐに追って探したのだが、結局見つからなくてな……」
「な、何やってんだよ!」
「言い訳のしようもない。もしかしたらお前のところに行くかもしれないが……、それは私から管理人に頼んでおくから、とにかくこちらに来てくれ」
「馬鹿言ってんじゃねえよ! こっちに来るかもしれないなら、ここで待ってた方がいいだろ!」
「しかし、お前のところには行かないかもしれないんだ。だから」
「だったら今から探しに行く方が先だ! こっちのことは俺が話しつけっから!」
「そう……だな……。すまない、正直、私もどうすればいいのか、よくわからないんだ……」
珍しく動揺しうろたえている照臣の様子に少し驚きながら、今は自分がしっかりしなければいけないときだと、武斗は深呼吸を一つして自分を落ち着かせ、今すべき事を考えた。
「とにかく、俺は今から探しに行く。それと、今電話で俺に伝えられることを言ってくれ。その方がおじさんも気が楽になるだろ」
「あ、ああ……、そうだな……」
照臣は、紗夜が口にしていた言葉を一つ一つ思い出し、それを告げた。
武斗が人間ではなく、化け物を倒すために造られた存在であること。
武斗は紗夜の役割を知っており、代わりに囮になり、戦ったこと。
そして、紗夜のせいでまわりの人たちが迷惑しているということ。
それらを、偶然会った本家の人間から聞いたということ。
「くそっ! 最悪じゃねえか。んじゃあ俺はこれから探しに行くから、そっちで何かわかったら教えてくれよ」
「わかった」
「ああそれで、ヤナガのヤローはどうしてんだ?」
「そう……だったな……。彼にも頼まねば……」
「頼むぜ。おじさんよりも先に見つけたら、俺があいつに頼んでおくから」
「そうしてくれ」
「じゃまたあとでな」
武斗はそう言って電話を切ると、慎二に「お前、今晩暇か?」と尋ねる。慎二は、電話でやり取りしていた武斗の言葉からなんとなく状況を理解し、「暇じゃなくても暇にするさ。それで、御子杜さんがどうかしたのか?」と答えた。
「家を飛び出したんだと」
「なんで」
「家の事情らしい。とにかく、手伝ってくれないか?」
「そういうことなら、他の暇そうな連中にも声かけようぜ。こういうのは、人海戦線に限るからな」
「それを言うなら人海戦術だ。ってんなこと言ってる場合じゃねえ」
武斗はすぐに隣の部屋に駆け込み、利根林にもっともらしい事情を話して後を任せると、自分の部屋に戻り頭の悪い友人やちとせに連絡しようと携帯を取り出した。しかし、慎二が呆れた様子でそれに待ったをかけた。
「どこをどう探すつもりなんだ?」
「どこもクソも、手当たり次第探すしかねえだろ」
「ば〜か」
「て、てめえにだけは言われかねえ……!」
「こういう場合は計画的にやらないと、無駄に時間が過ぎるだけだぜ?」
慎二が出した案は、次のとおり。
まず紗夜が家を飛び出した時間から逆算してその行動半径を絞り、捜索部隊を編成し、担当区域を決めて探す。それとは別に、タクシーやバスを利用した場合のことを考えて、近くを通るバス会社やタクシー会社に問い合わせる。ずぶ濡れの女子高生が乗れば、運転手はおそらく覚えているだろうし、その確率は非常に高く、行方を知る手がかりを得られるだろうということで。
そして前者の捜索部隊については、八城神社に一度集まり、諸々を決めてから動いた方が効率は絶対に良いと、また後者については、インターネットなどで色々調べられて、なおかつ頭の切れる人物を司令塔に据える必要があるなどと、かなり具体的なものだった。
これら一連の説明をスラスラとした慎二に、武斗は思わず「どんな馬鹿にも、得意なことって一つはあるもんなんだな……」と目を点にしていた。
「それが今の俺に言う言葉か?」
慎二の目は、少しばかり怒っていた。そして二人は、ひとまず八城神社に向かいながら方々に電話をして、協力者を募った。
家を飛び出した後、紗夜は自分がどこをどう走ったのかまったく覚えていなかった。とにかく足の向く方へ走り続けた。そして息が切れてくると立ち止まり、近くにバス停を見つけると、そこでずぶ濡れになりながらバスを待ち、やって来たそのバスに乗り込んだ。
頭の中はぐちゃぐちゃで、とにかく、何処かへ行きたいという思いだけだった。八城神社から遠くて、武斗の家から遠いところへ。
バスの運転手や他の乗客たちは、水を滴らせながらポールに掴まっている制服姿の紗夜を物珍しそうな目で眺めながら、結局誰も声をかけず、紗夜はそのままバスの終点まで乗っていた。そして終点に着くと、運転手に「終点ですよ」と声をかけられ、ふらふらとバスを降りた。
そこは電車の駅の前。なんとなく、このまま遠くに行ってしまおうかと思い、適当に小銭を入れ、適当に切符を買い、適当に電車に乗る。車内は帰宅ラッシュを迎えようとしている方向とは逆だったのであまり混んでおらず、空いている席に座った。しかし、バスでは気付かなかった周囲の好奇な目と、紗夜のことを好き勝手に想像しながらひそひそと話す声が、電車の中では良く聞こえていた。その声が自分を嘲笑っているかのように感じられると早々に耐え難くなり、次の駅で堪らず降りていた。
そして再び、雨に打たれながら足の向くままに歩き始めた。降りた駅の前は、先ほどの駅前に比べネオンが多く、仕事帰りのサラリーマンや、学校帰りの学生らに混じって、吸い寄せられるようにそのネオンの中へと歩いていく。ここでも、好奇の目とひそひそ話はあった。だがどこか虚ろな瞳にはその光景は映らず、声も雨音でかき消されていた。
そうしてしばらく雨に濡れながら歩いていると、濃紺に白の細いストライプが入った背広を着た若い男が、ふらふらと歩く紗夜に「きみ、どうかしたのかい?」と、手に持っている傘を紗夜の上にかざしながら、心配そうに声をかけてきた。
紗夜はその声に反応し、その男の顔を見る。まだ二十代後半といった感じだが、物腰はとても落ち着いており、身だしなみもしっかりしていて、もっと上のような印象を与える風貌だった。といっても、今の紗夜の瞳に映るのはぼやけた世界だけで、男の印象など何もない。
「なんでも、ないです……」
紗夜はそう、聞き取りにくいほど小さな声で答えると、男から視線を離し、ふらふらと歩き始める。しかし男は、「何かあったのなら、僕が相談に乗るよ?」と言いながらぴたりと紗夜の横につくと、そのまま並んで歩き始めた。
「それに、今の君を放ってはおけないよ。このままじゃ風邪引いてしまうし。とにかく、どこかブティックにでも入って、とりあえず服を着替えてさ、それから落ち着いて話さないかい? ねえ、聞いてる?」
男は一方的に話し掛けるが、その声が遠い向こうの静かなざわめきのように聞こえている紗夜は、まるで男を無視するかのようにただ黙って歩いている。それでも男は諦めずに声をかけ続ける。
「ちょっと、シカトはないんじゃない? 心配してあげてんだからさ。それとも、僕を怖い人だとか思ってる? それだったら誤解だよ。だから安心して? ね?」
しかしここで苛立ちを隠せなくなり、眉間にシワを寄せて舌打ちをした。そんな自分に気が付いた男は、それを気取られていないか紗夜の様子をうかがい、聞かれていないことを確認してから、このままでは埒があかないと考え、試しに紗夜の肩に手を置いてみた。
すると紗夜に抵抗する意志は見られず、男はこれなら大丈夫と、優しい言葉を並べ立てながら紗夜を引き寄せ、そのまま紗夜を目的地へと誘導した。
男は途中、細い路地裏を通り、そこで着ていた自分の上着をわざわざ裏返して紗夜の肩に掛け、その後何度か路地に入ったり、携帯電話で誰かとなにやら話をしたり、最後は、チェック柄の薄手のジャケットを着た女性と落ち合うと、紗夜の肩に掛けていた背広を取り、あとを任せたと言ってどこかに行ってしまった。
そしてその女性は、チェック柄の自分のジャケットを紗夜の肩に掛け、最終目的地へと紗夜を連れて行った。二人が向かったのは雑居ビルの裏手にある事務所。その事務所の応接間に通された紗夜は、勧められるままにソファーに座った。
「今バスタオルと替えの服と、それから暖かい飲み物も持ってくるように頼んでおくから、ちょっと待っててね」
女はそう言って、紗夜を一人応接間に残し部屋を出ると、先に戻っていた先ほどの男に話しかけた。
「ちゃんと、くれるものくれるんでしょ?」
「ほらよ。駄賃だ」
女は金を受け取ると、早くバスタオルと着替えと暖かい飲み物を持って行ってあげなと乱暴に言って、事務所から去っていった。
ソファーに座る紗夜の意識ははっきりしていなかった。家を飛び出したときからずっと思考は停止に近い状態になっており、さらに今では全ての感覚がぼやけている。今自分はどこにいて、何をしているのかさえほとんど考えていない。だからこそ、ここまで来てしまったわけだが。
やがて紗夜は、目の前に差し出されたバスタオルを膝の上に置き、出された暖かいコーヒーに口を付けながら、ここはホストクラブの事務所だから、落ち着いたら服を着替えて、お酒でも飲んで、嫌なことを忘れてしまおう、などという声を遠く聞きながら、いつの間にかソファーで眠ってしまっていた。