不意打ち
ホテルの一室、男は八城神社でのことをときおり思い出しては、その度に忌々しげに恨み言を吐き散らしながら、ノートパソコンで報告書を作成していた。
男の名前は箱崎。彼は本家の意向を八城照臣に伝え、それを実行させるために、今日この町にやって来た。だが照臣とは平行線の末に物別れとなり、さらにその神社で夜狩人の末裔と遭遇した。
この衝撃的な偶然の出会いに箱崎は驚いたが、それ以上に、武斗に受けた屈辱的行為に対する怒りの方が遙かに強かったようで、こうして夜になっても、あのガキだけは絶対に許さないと何度も口にしていた。
その怒りは、一夜明けてもまったくおさまらず、どうやって武斗に復讐してやろうかと腹立たしく考えながら一日の多くを過ごしていた。そしてその次の日の午前中、箱崎はどんよりとした灰色の空の下、前日同様、楯村長幸に関する情報をさらに集めるべく足を動かした。
本来であれば、八城照臣に関する報告書を持って昨日のうちにこの町を離れるはずだった。しかし思わぬ形で武斗の存在を知り、その件を急いで本家に伝えたことにより状況が変わり、箱崎はこの地で楯村長幸と楯村武斗に関する情報をもっと集めるよう指示された。
報告書については、使いの者を向かわせるからその者にデータを渡すよう言われた。メールでデータを送信すれば事足りることなのにと思ったが、それは言わず、かしこまりましたと従順に従っていた。
楯村長幸に関する情報を多少得て二時過ぎにホテルに戻ってくると、箱崎は報告書にその内容を付け加え、この部屋で待ち合わせをしている使いの者を待った。そして三時過ぎ、予定よりほんの少し遅れてやって来たのだが、その人物に驚いてしまった。
「文江様!」
「あら、そんなに驚くことないでしょ? それとも、私では不服だったかしら?」
文江と呼ばれたその若い女は、そう言って意地悪な笑みを浮かべた。年は三十歳前後といったところで、岡崎よりも確実に若い。
「そ、そんなっ、滅相もございません! 私はてっきり、私のような下の者が来るのかと思いまして!」
「それじゃあ私も、あなたと同じ下の者ということね」
「いえっ! 決してそのような意味ではなくてですね! 文江様ほどの方がわざわざ出向くほどの用件ではないという意味でして!」
「冗談よ」焦った様子で弁明する箱崎に、女はけたけたっと笑った。
「報告書はちゃんとできてるんでしょ?」
「はいっ!」
動揺したままの箱崎はばたばたと動きながら、データを格納したメモリースティックを女に渡した。女はそれをハンドバッグの中に無造作に突っ込むと、「はい。一つはこれでおしまい。それで?」と箱崎に目を向け、箱崎は女が何を求めているのか理解できず、「あ、あの……、他に何か……」とあたふたと尋ねた。
「決まってるでしょ。あなたの感想よ」
「感想……、と仰りますと……?」
なかなか答えられない箱崎に、女はにこやかな表情を一変させ、「ほんと使えない男ね……」と見下すような目で見つめた。
「す、すみません……」
「だから、楯村武斗に対するお前の感想よ!」
「あ……、ああ! はい、それはですね」
「わざわざ私がこうして出向いた意味ぐらい、すぐに察しなさいよ」
「申し訳ございません!」
「まったく。気分悪くなったわ」
女は不機嫌そうにそう言うと、踵を返して部屋から出て行こうとする。箱崎はどうすればいいのか分からないといった様子で困惑していると、女は「何してるの!」と怒った。
「え!? あ……の……」
「こんな狭っ苦しい部屋にいたんじゃ、余計気分悪くなるに決まってるでしょうが! 行くわよ!」
箱崎は、どこへ?と出そうになった言葉を飲み込み、さっさと歩き出した女のあとを慌てて追った。なお、財布だけを持ってやって来た箱崎は、それがお前の仕事道具の全部?と冷たい目で怒られ、ノートパソコンやメモ帳などを大急ぎで鞄に詰め込み、再び走って女の後を追っていた。
二人が行った場所は、ホテルからずっと離れた、落ち着いた雰囲気の喫茶店だったのだが、この店を目指して来たわけではない。途中、女は好き勝手に行動し、次々と買い物をした末に、一休みするために入った店だった。なお、買った物はすべて宅配で送らせることにしておいた。
「はあ〜。やっぱり来て良かったわ〜。あんな窮屈な家にばっかりいちゃ、体も心も腐っちゃうわ。あなたもそう思うでしょ?」
「はい、そ、そうですね」箱崎は愛想笑いをして答える。
「本当にそう思ってる?」
「はい、勿論です」
「じゃあ、家にずっといる人は、みんな腐ってるっていうことになるわね?」
「え? あ、それは……、ですね……」
答えに苦しむ箱崎に、女は満足そうに「無理に答えなくていいわよ」と意地悪く笑うと、ノートパソコンを出せと命じ、そのまま席を立った。女がトイレに行っている間、箱崎は言われるままに取り出し、電源をつける。そしてパスワードを入力し準備が整うと、コーヒーに口を付けながら帰りを待った。
女が戻ってくるほんの少し前に、後ろの席に数人の若い女の客が座った。その話し声を、箱崎はやたら耳障りに感じていた。ただでさえ、ついさっき目の前に座っていた女、御子杜文江の相手をしているという緊張感でがちがちになり、神経質になっているのだから、後ろでわいわいきゃっきゃと黄色い声を鳴り響かされては、イライラするのも仕方のないこと。それに、昨日のことでずっとイライラがあった。
トイレから戻ってくると、文江はハンドバッグからホテルで受け取ったメモリースティックを取り出し、差し出されたノートパソコンに挿入する。そしてそのまま報告書を読み始め、その間箱崎は、報告書の出来に対する文江の評価を気にしながら黙っていた。
報告書の内容は、照臣の回答と、楯村長幸と武斗に関する現時点での調査報告、それと八城神社で武斗にされたこと。
武斗と武斗の父親の調査報告は、調査を始めたばかりとあって少ないが、それは仕方のないこと。
文江は報告書を読み終えると、楽しそうに「へえ〜。面白いわね」と静かな歓声を上げた。それを、自分の報告書に対する評価だと思ってしまった箱崎は、「ありがとうございます」とにこやかに言った。
「何言ってんの?」
「え? と……」
「それで? 彼に対するあなたの感想はどうなの?」文江は呆れ顔で尋ねる。思い違いをしていた箱崎は、顔を紅潮されるほど恥ずかしく思いながら感想を述べた。
「ほ、報告書にもありますが、楯村武斗はとても攻撃的で、凶暴で、危険な男です。実際、幾度となく暴力事件を起こしておりますし、私も殺されかけましたし」
「それなんだけど、どんな風に?」
「それはですね」と箱崎は身振り手振りで説明をした。その説明に、文江は「つまんないわねえ」と不満顔で文句を言った。
「そんなの普通じゃない。もっと化け物の末裔らしいやり方で、派手にやんなくちゃ。じゃなきゃ、せっかくスカウトしても面白くないじゃない」
「スカウト? まさか、あれを!?」
「お爺さまはどう考えてるか知らないけど、私としてはスカウトしたいのよね。なんなら、私専属ってことで個人的に飼ってもいいし」
「しかしあの男は本当に凶暴で、そのような化け物を受け入れるのはあまりにも危険です!」
「だからいいんじゃない。毎日危険と隣り合わせなんて、ぞくぞくするじゃない? それに、昔は違うけど、今じゃ化け物を飼ってる人間なんてどこにもいないし」
心底楽しげに喋る文江にこれ以上反論して機嫌を損ねてはと考え、真正面から反論するのではなく、違う方向から訴えることにした。しかも、武斗への恨みを晴らせるように。
「……これはあくまでも私の推論ですが、今回の化け物どもが起こしている事件で、ひょっとしたらヤツも、嬉々として人間を殺しているのではないかと思っているんです」
「はあ? 急になに言い出してるの?」
「ですから私の推論です。ヤツは自分が囮になって化け物を一匹倒したと、それにも書いてありますが、実はヤナガと組んで、自分たちで人間を殺しているのではないかと思うのです」
「そお? 私にはそうは思えないけど?」
「楯村武斗に殺されかけたあと、立て続けにヤナガに食い殺されそうになりましたが、彼の一言であの化け物は私を見逃しました」
「それもこれにあるわね」
「はい。それで考えたのですが、ヤナガは我々と契約を結んでおりますが、その契約内容を律儀に守るとは私には思えませんし、そもそも人間を喰らってはならないという契約を結んではいないと、私は記憶しております。そして今、囮となる者もなく単身で好き勝手に動いている。正直、今この辺りで起きている事件にヤナガも加わっている可能性は大きいと思っています。そしてヤナガをたったの一言でいさめた楯村武斗。彼も人間ではなく、しょせんは化け物ですから、ヤナガと密約を結び――」
「もういいわ」
「は?」
武斗を陥れてやろうと舌なめずりしながら始めた推論を中断させられ、どうして、という目で文江を見る。
「これ書いたの、ほんとにあなたなの?」
「勿論です!」
「はっ。それでそんなこと言ってるわけ?」
「で、ですが……!」
「おおかた、腹いせにこの子を悪く言っておとしめてやろうなんて気になってんでしょ? たく、くだらない」
見事に胸の内を悟られてしまった箱崎は、何も言えなくなってしまった。
「あなたは知らないでしょうけど、堂禅寺の倉庫から多数武器がなくなってるのよね。なくなったのは、最初は夜狩人のもの。二度目は一ノ関のもの。おそらく、盗み出したのは彼か、もしくはヤナガってところでしょうね」
「そ、それです! ヤツはそれで人間を――!」
「ほんっと浅はかで愚か者ね」
「う……」
「そんなもんなくても、大勢の人間をあっという間に、しかも簡っ単に殺せるだけの力を持っているようなヤツが、わざわざそんなものを盗み出すと思う? それに、今のところ一人を狙ったものしかないでしょう? 殺人鬼になった夜狩人が、もっと大量に殺せる武器を使って一人ずつ殺していくと思うの?」
「それは……、偽装、するために……」
「はあ……。ほんっと呆れるわ。お前には」
「……」
すっかり意気消沈している箱崎にため息をついた。
「これじゃ、ここでの調査を別の者に替える必要があるわね」
「そ、そんな」
「お黙り」文江はそう言って箱崎を黙らせると、もう一度報告書を読み直し、にんまりと笑みを浮かべた。
「私の考えが正しいければ、本気でこの子を私のものにしたいわあ。だって可愛いじゃない? 自分から囮になるとか言っちゃってるんだもの。きっと、この子が実際に囮になったっていうのも、一匹倒したっていうのも本当よ。武器を盗んだのもきっとそのためだわ。まるで、お姫様を守る狂戦士ってところね」
「まさか」
「だって、この子知ってるんでしょ? 御子杜紗夜の役目を」
「それはまだ、確認しきれておりませんが……」
「そう言ってるようなもんじゃない」文江はノートパソコンを指さしながら言う。報告書を二度読んだだけで文江はここまで推測していた。ただしそれができたのは、要領よく的確に整理された、詳細な報告書を箱崎が作成していたからこそなのだが。
「だから自分が囮になるなんて言ったのよ、きっと。ほんと可愛いわよね。そういうのって。それにひきかえ、気楽なものよね。御子杜紗夜は。自分のせいでまわりがこれだけ苦労させられてるってのに」
とそのとき、後ろのテーブルにいた一人が椅子を倒しそうな勢いで立ち上がり、そのまま振り返り文江に向かって言った。
「その話、私にも詳しく聞かせてください!」
文江は驚きと困惑の表情でそう言ってきた女の子、御子杜紗夜を見て、この知っている人物に「あらま」と少しだけ驚いた顔をした。対して紗夜は、文江を見てそれが誰だかまだ気付いていない。そして座りながら振り返ってぎょっとした箱崎に、紗夜も驚いていた。
「あなたは、一昨日の……!」
「まさか盗み聞きされてたとはねえ」と文江。
「それは謝ります! ですから、今の話を」
「ん〜、どうしよっかなあ〜」
「お願いします!」
「そうお願いされてもねえ〜。本家の人間の顔も覚えていないようなお馬鹿さんに言っても、しょうがないしい」
そう言われて、紗夜は目の前の人物が誰なのかを思い出した。いかんせん、今までほんの数回ちらっと見かけたことがあるだけなので、すぐにわかるはずもなく、そもそも覚えている方が凄いと言える。
「文江叔母様……!」
「今頃遅いのよ」
「すみません……!」紗夜は慌てて文江に深々と頭を下げて謝った。文江は不愉快な顔で「ふん」と鼻を鳴らすとハンドバッグを手にして席を立ち、そのまま紗夜を無視して横を通り過ぎた。
「ま、待ってください! お願いします! 私に教えてください!」
その声に文江は足を止め、「そうねえ」と思案げな顔をするとにたりと笑い、紗夜の前へと数歩戻り、顔を間近に近づけてこう言った。
「あんたのことは秘密事項だから言えないけど、楯村武斗についてならいいわよ? あれはねえ、化け物を殺すために造られた化け物の末裔なの。つまり、人間じゃないってこと。わかった?」
「そん……な……」一瞬、やっぱり自分は化け物だと笑った武斗の顔が鮮明によぎる。
「……そんなこと、そんなことありません! 楯村くんは!」
「残念ながら、本当なのよねえ。なんだったら本人に聞いてみたら? それが無理なら、照臣に聞いてみることね。彼なら、たぶん私よりも詳しく知ってると思うわよ? あの子のことをね」
「っ……!?」
「ふふっ。じゃあね。この役立たず」
文江は十分満足したといった様子で踵を返し、再び歩き始めようとした。するとその前にまさみが立ちはだかり、文江は「なに?」と怪訝な顔でまさみを見る。
「いくらなんでも、そこまで酷い言い方しなくたっていいじゃない!」
まさみもそうだが、ちとせも里子も、箱崎と文江が何を話していたのかまったく知らず、なぜ紗夜が急に席を立ったのかその理由はわからない。だが今の彼女たちにとってそれは問題ではない。紗夜がここまで侮辱されたことが大問題なのだ。
「ふうん。あなたたち、この能なしのお友達ってこと?」
「だからそんな言い方するなって言ってるでしょ!」
「ああもう、キーキーうるさいのよ」
文江は目を細めてまさみを睨む。その迫力に、勢いよく怒鳴ったまさみだけでなく、ちとせや里子もたじろいでしまっていた。そんな彼女らを鼻で笑うと、次に紗夜をせせら笑った。
「しっかし、あんたみたいな根暗な子に、こんな元気のいいお友達ができるとはねえ。よかったわねえ。紗夜ちゃん?」
紗夜は頭の中が整理できずにいるため言い返す余裕もなく、まさみたちも気迫負けし何も言い返せず、そんな彼女らを残し、文江は箱崎と店から出て行った。