誓いの果てに
想像していたものとは、だいぶ違っていた。
「なんか、逃亡者って気分だな。これじゃ……」
武斗は今、闇の世界の住人、といっても人間を捕食対象にする者に限定して、それらを呼び寄せる為の餌役になって、堂本が殺された場所を中心に据えて町の中を適当に歩いているのだが、その姿は、犯人を捜す警官というより、警官に追われる犯人といった様相を呈していた。
しかしこればかりは仕方のないこと。
こんな時間に町中をうろうろとしているところを警官に見つかりでもしたら、職務質問されるのは当然のこと、相手が楯村武斗となればそれだけでは済まない。そもそも、大量血痕事件は依然として起き続けているのだから、武斗でなくとも交番に連れて行かれ、事情聴取で一夜明かすことになるだろう。
それでは化け物探しどころではなくなる。ある意味、化け物よりも警察の方が厄介かもしれない。
ちなみにここへは、ヤナガの力を借りてやってきた。ものは試しにとヤナガに「俺をそこまで連れてけ」と言ったところ、意外なことにヤナガは素直に了承したのだ。
そのヤナガは今、闇に紛れ、餌にかかる獲物が近くにいないか見張るのと同時に、警察官が近くにいないか見張り、武斗にとっては便利なレーダーとなっている。そうして一時間ほど歩いているのだが、今のところ何も起きていない。
「なあ、本当に食らいついてくれんのか?」
「いつかはな。それがいつになるのかは知らん」
「たく……。毎晩こんなことするってのも、結構まずいってのに」
なかなか餌に食いついてこないこの状況に、武斗はぽつりと漏らす。
「もう恐れをなしたか?」
「チゲーよ。御子杜からの風当たりを気にしてんだ」
「どう関係がある。我には分からぬぞ?」
「つまりだ、夜中こうしていれば睡眠時間がなくなる。少ない睡眠時間で学校に行けば、当然学校で寝ることになる。学校で寝てばっかだと、御子杜の機嫌が悪くなる。機嫌が悪くなりゃ、俺に対する態度が厳しくなる」
「貴様が寝ることで、なぜあの娘の機嫌が悪くなるのだ」
「そんだけ心配してくれてるってこったろ」
「それは、あの娘がお前を好きだと言ったことと関係があるのか?」
にたりと笑っていそうなヤナガのその声に、別れ際に言った紗夜の言葉をとっさに思い出した武斗は、思わず大声を出しそうになった。だが、夜の夜中に大声を出せばどうなるかは考えるまでもなく、慌てて言葉を飲み込み、「それは言うな」と静かに釘を刺した。しかもヤナガに向けて瞬時に力を解放し、手に持っている一ノ関のクローナイフで威嚇するようにして。
今の武斗は、夜狩人としての力を自由に引き出したり引っ込めたりすることが出来る。その力にはまだまだ余力がありそうだったが、今はこれで十分だろうというのがヤナガの見解で、こうして仇討ちに出られるようになったのは、実はヤナガの推薦があってのことだった。
誰もいない教室で、武斗が制御下で力を自由に解放したり引っ込めたりする様子に、これなら実戦に出られるとヤナガは判断し、今夜からどうだと武斗に提案した。武具の扱いに多少不安はあったが、一ノ関の武具なら使いこなせるだろうと考え、武斗がその提案に賛成すると、この旨をヤナガが照臣に伝え、このような運びとなったのだった。
何だかんだと言いながら、ヤナガは確実に武斗の復讐の手助けをしているわけで、武斗のヤナガに対する感情もいつの間にか、性悪の相棒、というものに近くなっていた。
町中を歩き始めて二時間。
学校のこともあるからと、今夜はこのへんで終わりにしようと武斗は考え始めた。今夜中に獲物がかかる保証はどこにもなく、空振りの可能性の方が遙かに高い。
「そう簡単にいくわけねえよな」
落胆の顔でそう言うと、せっかくあれだけウォーミングアップしてきたのにと愚痴をこぼした。
八城神社に行く前に、武斗は夜狩人の力がどれだけ自分の運動能力を変えるのかを知る為に、学校の屋上で色々試してみた。しかも、今日は来ないだろうと思っていたヤナガもやってきて、ヤナガ相手にある程度自分の力を計っていた。
さて帰るかと思った武斗は、ヤナガに声をかけた。しかし、ヤナガはそれに応じるのではなく、「貴様は運が良いな」と言ってきた。それはつまり、獲物がかかったという意味。
「来たのか?」
「ああ。お前のすぐそばにおるぞ?」
ヤナガがそう言った瞬間、武斗の足下がぐらりと揺れた。
「早く言え!」
武斗は右足で地面を蹴りその場を飛び退こうとするが、足下がぐにゃりと沈み、危うく転びそうになった。とっさに、倒れる方向へ反対の左足を一歩大きく前に出し、どうにか踏ん張る。だが、顔を上げると周囲は真っ黒い壁にかこまれていた。しかもその高さは頭の上に達し、コップの縁が絞られていくように空が消されていく。
武斗は、夜狩人の力を引っ張り上げようと意識を集中する。武斗の意志に従い、力が自分の体を真っ黒く染め上げていく。ただしそれは表面を染めるだけ。体を支配するのはあくまでも武斗自身。力ではない。
そうして、意識を残しすべてが黒く染まると、両の手に握っているクローナイフに、力を伝えた。クローナイフは流し込まれるままに力を飲み込んでいくと、禍々しいまでの力を宿していく。
ここまでの作業を、武斗は一瞬のうちに行っていた。僅か数日前までは、力の先端を見つけるだけでも四苦八苦していたというのに。
戦闘態勢を整えた武斗は、この状況から脱出すべくすぐに行動に移す。左足に全体重を乗せたまま深く両膝を曲げて腰を落とすと、上体をねじり、左腕を大きく使って、左手のクローナイフを右足の足下から左足の爪先の方へ走らせる。その道筋にあった黒い物体は裂かれ、踏ん張りのきくその場所に武斗は右足を移した。
そして刃はそのまま黒い壁の上も走り、壁を切り裂くと、間髪入れず今度は右足に全体重を乗せ、右腕を下から上に大きく振って壁をさらに切り裂くと、その裂け目から脱出すべく思い切り地面を蹴った。武斗の体は化け物の中から飛び出し、そのまま十メートルほど離れた場所まで退避した。
相手の姿形が分かっていれば、脱出直後に攻撃に転じられる距離までしか脱出しなかったが、何の情報もない段階では危険が高すぎる。そもそも相手は人間ではなく、常識外の化け物なのだから。
化け物との距離をとった武斗は、警戒しながら相手の様子をうかがう。真っ黒い筒といった形の化け物には、すぐに攻撃をしてくる様子はなかった。それどころか、化け物は膨らんだお餅がしぼんでいくようにその体を小さくさせている。
もう終わりか?
武斗は油断せずに相手を見つめながらちらりとそう考えたのだが、その考えはすぐに捨て、相手の出方に注意する。そして化け物はしぼむだけしぼみ、ぶるっと全身を震わせると、まるで縮めるだけ縮めたスプリングが一気に伸び上がるように、その体の先端を筒状にして武斗を襲ってきた。その早さは瞬きする間もないほどで、しかもその大きさは武斗を一飲み出来るほどの大きさ。今手にしている武具で迎え撃つには大きすぎると判断し、いったん横に飛び退いた。
化け物はそのまま通り過ぎ、全身を反対側へと移した。
今のところ、相手の化け物の攻撃は武斗を丸飲みしようとするものだけで、ヤナガやヤナガが戦っていた相手のように、その体から触手のようなものを伸ばして攻撃してきてはいない。
ということは、それしか攻撃方法を持たないということなのか、武斗がそう考えていると、化け物は先ほどと同じように再び体を筒状にして襲いかかってくる。これを武斗は難なく横へ飛び退くが、それを予測していたように、相手は体の後ろ部分をL字状に曲げてきた。
予想していなかったこの二段攻撃に、しまったと思ったときにはすでに遅く、何も出来ずに思い切り全身を打たれ、そのまま吹っ飛ばされ地面に打ち付けられた。
武斗はその痛みに短い呻き声を上げたが、痛がっている暇などあるはずもなく、すぐに体勢を整えようとする。だが、吹っ飛ばされてから立て直すまでに相手に時間を与えすぎてしまっていた。相手の化け物は三度武斗に襲いかかり、武斗に飛び退く猶予を与えなかった。
退路のない状況に、武斗は迎え撃つしかないと瞬時に判断し、片膝をつき、まるで楯を作るかのように両のクローナイフを構える。そして次の瞬間、武斗の体が化け物に飲み込まれた。
化け物は、飲み込んだ武斗を長い体の奥に送ろうとしてか、すくい上げるように口先を持ち上げながら、なおも進む。しかし化け物の行動は、武斗を完全に飲み込む為ではなかった。化け物の口先が持ち上げられ、自身の体も上に持ち上げながら、反対側へと体を入れ替えた。
そして武斗は化け物の中ではなく、膝を突いて迎え撃った場所にいた。
どうやら化け物は、クローナイフでその身を再び裂かれてすぐ、その刃から逃れる為に体を持ち上げて、いったん武斗から逃れようとしたのだった。
化け物は反対側で再び潰れた餅のように形を変えた。懲りずにまた来るのだろうと武斗はすぐさま向きを化け物に向け、次の手を考える。今までのところ、防戦に徹しているという状態である。はっきり言って、これがずっと続くとなると埒があかない。武斗が付けた傷は、餅のように潰れては修復しているので、効果があるようには見えない。しかし武斗が受けるダメージは確実に蓄積されていくだろう。
となれば、このままでは武斗が圧倒的に不利ということになる。
「くそ、せめて急所でも分かりゃ……」
武斗は一瞬、ヤナガに答えを聞こうかと思った。あいつの弱点はどこで、どこを潰せば息の根を止めることができるのかと。だが、武斗の意地がそれを拒んだ。あいつに頼むんだったら、自分一人でやれるところまでやってからだと。
化け物は四度、体をぐんと伸ばし襲ってきた。
「芸がねえんだよ」
武斗は先ほどと同じように構える。そして化け物は突進してきた。しかし、武斗のすぐ手前で先端をくんと横に向け、武斗の脇を通り抜けた。武斗はその行き先を確認したかったのだが、化け物の長い体はまだ武斗の正面で続いており、先端を目で追いすぎれば、正面からの意表を突いた攻撃に対応出来なくなってしまう。
そして敵は、先端をぐるりとUターンさせて武斗の背後を襲ってきた。それを気配で感じ取った武斗は、このままでは挟み撃ちにされると上にジャンプする。しかし完全には避けきれず、足をすくわれてしまった。しかも化け物の後ろの部分がムチのように武斗へと襲いかかる。中空にいる武斗には体勢を変える足場がない。為すすべなくまた全身を強打され、吹っ飛ばされ地面に叩きつけられた。
ここまでただ傍観しているだけだったヤナガは、防戦一方となっている武斗にそろそろ手を貸した方がよいかと思った。しかし、すぐに体を起こし構えた武斗の雰囲気が、それまでと大きく変わったことに気が付くと、もう少し様子を見ることにした。
相手は好き放題攻撃し、自分は防戦一方というこの屈辱的な展開に、武斗は心底頭に来た。そしてその怒りが、更なる力の解放となっていることに武斗は気付いていなかった。
「……上等だあ、てめえをミンチにしてやらあ」そう言うと、武斗は猛然と化け物に向かって突進し、それまで相手の出方をうかがいながらの戦い方から一転し、これが自分のスタイルだと、自ら攻撃に出た。
対して化け物も、先端を武斗に向けて突進する。しかし動きの早さは怒り心頭の武斗の方が断然早く、化け物がさっきと同じように向きを変える前に、武斗のクローナイフがその先端を切り刻んでいく。
化け物はこの事態に、武斗の攻撃から逃れる為に突進するのを止めて、前半分を持ち上げた。だがその行動は、結果的に武斗にとって都合が良かった。武斗は中空の部分を切り刻むのではなく、まだ地面についている部分へと一蹴りで移り、そこを凄まじい早さで切り刻む。そして化け物の太さの三分の二を一瞬にして切り裂いたとき、持ち上げていた前半分を支えきれなくなったようで、ばたりと地面に落下していく。その間、化け物は身をよじりながら、傷を修復しようと伸びた体を縮めようとした。
「逃がすかよ」
武斗は残り三分の一を切り刻むべく、振り落とされないように片方のクローナイフを突き刺して化け物の体に乗り、もう一方のクローナイフで残りを切り刻んだ。そして見事に、化け物の体を二つに切り裂いた。
切り離された前半分はずるずると地面を滑り、武斗は足場がその前半分だったので追撃することが出来ず、その場から飛び降りた。前半分はすぐに止まり、ピクリとも動かなくなると、ちりちりと消え始めた。
それを見て、武斗は「頭じゃないなら、ケツをミンチにしてみるだけだ」とにやりと笑みを浮かべると、すっかり小さくなった化け物へと突進する。化け物はそれでもグンと体を伸ばしてきた。
武斗の狙いは先端ではなく最後尾。手間をかけずにそこを攻撃すべく、ぎりぎりまで近付いたとき、武斗は右斜め前方へと地面を蹴った。そしてその先にある壁に足をつき、化け物の最後尾の手前の地面へと壁を蹴る。
化け物に逃げる時間はなかった。地面に着地した武斗は、力ずくで勢いを殺しつつ、クローナイフで最後尾に一太刀入れる。化け物はその一撃に、悲鳴を上げるようにのたうつ。
「ビンゴ」
動きが鈍くなった化け物に容赦なく刃を走らせ、瞬く間に最後尾から切り刻んでいった。やがて化け物の動きが完全に止まったが、完全に息の根が止まったのか判断がつかないため武斗は切り刻み続け、化け物の残った体がちりちりと消え始めて、ようやくその手を止めた。
時間にすれば僅か数分の出来事。だが、武斗にはもっと長く感じられていた。疲れた体で地面に座り、深く息を吐き出し、一息ついた武斗は「勝った……のか」と勝利を実感する。だが、初陣での勝利を素直に褒めないのがヤナガ。
「みっともない戦いだったな」
「うるせえ。勝手がわからなかっただけだ。戦い方がわかってくりゃ、もっと楽に勝ってやるさ。それと武具の方もな。やっぱ接近戦用だと厳しいものがあるぜ」
「確かに、武具の力も勝敗を大きく左右させる要素だが、貴様の場合はまだまだ力が足りていないだけだ」
「いちいちいちいち……、たく。次はぜってえいちゃもんつけさせない戦い方してやる。でもって、堂本さんの仇もきっちりとって――」
とここで、大切な質問を武斗は思い出した。
「そういや、今のヤツは堂本さんを殺したヤツとは違うのか?」
武斗はその為に夜狩人の力を受け入れ、こうして餌役となり、化け物と戦ったわけだ。
その武斗の問いに、ヤナガはつまらなさそうに答えた。
「今お前が殺した相手がそうだ」
一日も早く仇を討つことを願い、この初陣でそれを果たしたいと思っていた武斗だったが、正直、そううまくいくとは思っていなかった。故に、ヤナガの答えを受け止め、誓いを果たしたことを実感するまでに、しばらく時間がかかってしまっていた。