贈り物
特訓場所が学校の屋上というのはどうかという気持ちはあった。前日に続き、この日も武斗はヤナガと深夜の屋上にいた。
「他にねえのかよ」
「遠くへ行けばいくらでもあるだろうがな。この辺りで人目につきにくく広い場所といえば、このての建物の屋根ぐらいだろう。それとも、もっと良い場所を貴様は知っているのか?」
「知ってりゃ先に言ってる。つうか、広い場所じゃなくてもいいだろ」
「ふん。まだ力の出し方もわからぬのか?」
「るせえ。コツはつかみかけてんだ」
「ならば、昨日の成果を見せてもらおうか」
昨日の夜、武斗は夜狩人の力を得る決意をし、最初の数十分だけだったがヤナガに教わりながら、というより遊ばれながら指導を受け、自分の仕事があると言ってヤナガがいなくなったあとも、結構な時間まであのときの感覚を再現させようとがんばっていた。
ヤナガが言うには、力を引き出す手っ取り早い方法は、感情を激しい憎悪で埋め尽くすことらしい。それであのときのヤナガの行動が理解できたわけだが、今回も前回と同じように、というのは難しい。
そこで、出来る限り憎悪の念を自分の中でこねあげ、僅かに顔をのぞかせるあのときの感覚を引っ張り上げる、という試みを何度も繰り返した。ただ、どうこねあげれば顔をのぞかせてくれるのか分からず、どうやって感覚を引っ張り上げるのかも分からない為、最初は頭で考えながらの作業だった。
そうして何時間もやっていると、なんとなくだが、力の出し方みたいなものを掴むに至った。要は、集中させる精神の落とし所の問題。現在の精神状態では、ただただ憎悪の念だけを強めても駄目だということに気が付いた。
ということで、特訓の内容は、半ば修行僧の精神統一に近いものだった。
そしてその成果を、ヤナガの前で出していた。武斗自身から感じ取れるそれはヤナガが期待したものには届いていなかったが、悲観するものでもなかった。この結果に、ヤナガは当初の予定どおり、あるモノを武斗に差し出した。
「まだその程度しかイメージ出来ぬか。ならばこれでも使ってみろ」
「なんだ? それ」
ヤナガの体の中から出されたそれは、肘から手の甲までを覆う革製のプロテクターの上に、全長一メートル以上あろうかという鋭利な刃物を、立てた格好で四本取り付けられたようなもの。それが両腕分ある。前腕部と手の甲の刃は守りの為にあり、甲から先は、攻撃の為にと両刃になっている。
「堂禅寺の蔵から拝借してきたものだ。夜狩人のためのものらしいから、何かしら役に立つかもしれぬぞ? では、またそのうち顔を出そう。それまでにどうにかしておくのだな」
ヤナガはそう言って、武斗の言葉を待たずに闇の中に消えていった。屋上に一人となった武斗は、今日もここでやる必要ないじゃないかと不平を言いながら、置いていった武器を間近に見る。
刃先は、触れただけで切れてしまいそうなほど鋭く、赤黒いプロテクター部の大きさは、武斗の太い腕には少し小さく感じられ、どうやら刃を固定するためだけのもののようで強度はあまりなさそうだった。そしてこの武具を固定するためのベルトが三本ぶら下がっている。
簡単に観察すると、次いで実際に手に取ってみた。触れたときに何か起きるのではないかと思っていたが何も起こらず、刃先に触れないように取り扱いながら腕に装着させてみた。それでも何も起こらず、偽物じゃないのかと試しに武具へと意識を向けてみた。
途端に、吐き気が湧き上がるほどに体中が騒ぎ立て、その感覚に武斗は慌てて武具を外し、投げ捨てた。
「な、なんだ今の……!」
体の中の全てがその武具へと引きずり込まれていくような感覚。下手をすれば意識も根こそぎ持って行かれてしまうのではないかと思えるほど危険を感じた。
「これ、ほんとに役に立つのか? 蔵からかっぱらって来たって言ってたけど、あいつを信用していいのか?」
そこで武斗は、今はこの武具は使わず、昨日と同じように精神統一で感覚の先端を探り当てようとした。だが、探り当てはするものの引っ張り上げることが出来ず、一時間経ってもまったく先に進めず、このままではマズイと焦るようになっていた。
ヤナガはまた来ると言っていた。それが嘘か本当かは分からないが、本当だとすれば、少しは成長していないとなに言われるか分かったものではないだろう。正直、ヤナガの明らかに見下した憎まれ口にはうんざりしており、鼻をあかしてやりたいという気持ちも格段に強くなっている。
ならば、今は悠長に昨日と同じことをやっている場合ではない。
一度使うことを止めた武具に目を向けると、苦々しい思いで片方の腕にだけそれを取り付け、意識を向けた。
やはりさきほどと同じ感覚が武斗を襲い、またもすぐに外していた。
「くそっ! ほんとにこれ夜狩人の代物か?」
信用できない相手から受け取った信用できない代物。それを信用して危険に向き合えというのは酷な話である。しかも、一歩間違えればたちまち死を迎えてしまう可能性がないわけではない。
しかしだからといって、安全な手段でのんびりと時間をかけてやっていいとは言えない。大量血痕事件は、まだ依然として起き続けている。それにもう一つ。
武斗の「お前が殺したのか」という問いに、ヤナガは常に明確に答えない。だからいつも疑って見ていたのだが、ここにきて、どうやら本当に堂本を殺していないような気がしていた。どうしてと聞かれれば答えに窮してしまうが、そんな気がしていたのだ。
そうなると、自分の手で仇討ちを果たす前にヤナガに先を越してしまう可能性は十二分にある。もしそうなったとしたら、腹立たしいことこの上ない。また、すでに先を越されている可能性もある。だがこの可能性については、問いただしたところでまともに答えるとは思えない。
結論として、とにかく一日も早く力をつけて仇討ちのチャンスを掴み取らねばならぬということだ。
「上等だ。やってやろうじゃねえか」
武斗は意を決し、武具を着け、意識を集中させる。三度目も同じ感覚が襲ってきたが、前回より半秒長く我慢することが出来た。ただし、胃の中は空っぽになっていた。
以前に大量血痕事件があった現場から一キロほど離れた場所で、一人の若い女性が襲われていた。五本足の全身どろどろに溶けた大男のような真っ黒い闇の住人は、一方の長い腕でその女の口と鼻を塞ぎ、もう一方の腕で露出の多い女の服を破り、腹部をまさぐっている。そして血走った目からは涙が溢れ、まさぐられている腹部は血まみれになっており、内臓が見え、腸もはみ出ている。
この闇の住人の腕のようなものは、実は口であった。一方の口から伸ばす舌のようなもので女性の口内をまさぐり、一方でその体を喰らっていたのだ。女性は次第に意識を遠のかせ、徐々に白目をむいていく。自分がもう助からないことは、彼女自身も理解していた。そして意識が閉じかかったとき、その瞳にもう一体の狼の如き黒い化け物が映った。
「悪趣味な食い方だな」
その瞳に映ったヤナガが鼻を鳴らすように言うと、五本足の化け物は食事を中断させず、頭であろうものをぐにゃりと倒してヤナガを見た。そして感情のないその頭部はそのままに、女性の口と鼻を塞いでいたその口で、顔を噛み千切った。噛み千切られた部分から大量の血が吹き上がり、女の顔面は真っ赤に染まり、アスファルトも血の海と化していく。
その様子を、ヤナガはそれ以上なにもせず退屈そうに眺めていた。五本足の化け物は、相手には自分を襲う意志はないと思ったようで、大量の血をまき散らしながらそのまま黙々と食事を続ける。そして内臓をきれいに食べ終えると、大きく膨らませた二つの口で食い千切りながら、残りを四口で平らげた。
そうしてそこに残ったのは、女性が持っていた有名ブランドのショルダーバッグと、女性の大量の血痕。それと、ヤナガともう一体の闇の住人。
それまで黙って眺めていただけのヤナガが、食事を終えた五本足の化け物に「やっと最後の晩餐が終わったみたいだな」と言った。ヤナガほど知能を発達させていないこの化け物にはこの言葉を理解することは出来ない。そもそも、言葉そのものを理解することが出来ない。故に、ヤナガの発した音に一度反応しただけで、そろそろ自分の世界に帰ろうと動いた。
だが、動かそうとしたその足が動かなかった。化け物は頭らしきものを垂らして自分の足を見る。すると、五本の足すべてに平べったい剣のようなものが突き刺さっている。化け物は頭らしきものをヤナガへと向ける。ヤナガは、「そう急ぐな。せっかく気を利かせて、最後まで食事させてやったのだからな」と笑っていた。
五本足の化け物は、頭らしきものをぶらぶらと揺らすと、ヤナガを敵と認識し一本の口を伸ばす。それはヤナガの体に噛みつき、食い千切ろうとする。だが次の瞬間、爆薬で爆破されでもしたかのように、口から肩口であろう場所までが木っ端微塵に吹き飛んだ。そしてそれがあった場所には、ヤナガの長槍があった。
片方を失った五本足の化け物は、頭らしきものをぴたりととめ、残っているもう片方の口を伸ばす。しかし今度はヤナガに届く前に切り裂かれ、ぼとりと地面に落ちた。
「もう終わりか。餌がなくなって面倒になったというのに、こうも殺し甲斐がないと、本気で契約を破りたくなるというものだ」
ヤナガはそう愚痴を言うと、突き刺した触手で五本の足を切り落とす。足を失った化け物は慌てて本来自分のいるべき世界へ帰ろうと、闇にその身を沈めようとするが、ストレス解消とばかりにヤナガがその体を細かい肉片へと切り刻み、化け物は死んだ。
これで一仕事終えたヤナガは、殺された人間のことなどまったく気にすることなく、さて今頃どうしているかと、武斗のもとへと向かった。
屋上に着いてみると、ヤナガは少し驚いていた。身に着けている武具によるものか、もう片方の側に置いてある武具によるものかは分からないが、いずれにしろ武具でつけたであろう血を滴らせる傷を、右腕と両足の太ももに多数つけた武斗の様子もそうだが、それ以上に、武斗から感じられる力に対して。
この場を一度離れたのはおよそ三時間前。その時の武斗から感じられた夜狩人としての力は粗末なものといった程度だった。だが、今感じているのは、先日ここで戦ったときに最後に見せた力に及ばないものの、それに近いものだった。
「ほう。やはりあれを持ってきて正解だったようだ。だが……」
正直なところ、ヤナガはここまでは期待していなかった。これは嬉しい誤算であったが、手放しで喜べるものでもない。武斗の意識は力に飲み込まれかけている。このまま放置すれば、あと数時間でその体は滅するだろう。悲惨な最期を迎えた過去の夜狩人たちと同じように。
「まったく世話の焼けるヤツだ」
ヤナガは武斗の意識を完全に奪ってその危険を回避させようと近付く。すると、武斗が小さくて抑揚のない声で「うるせえ」と答えた。
「なら、自分でそれを外してみろ」
しかし武斗は「うるせえんだよ」と言うばかりで、動く気配がない。仕方なく、ヤナガは「ふん。出来ぬようだな」と言いながら近寄った。すると武斗は、武具を着けた腕を突然ヤナガに向けて一振りした。
ヤナガはこの武具の特性を知らない。故に、刃の長さは変わらないと思い込んでいた。だがその刃は何倍もの長さになってヤナガを襲った。虚を突かれたヤナガはすんでのところでかわして難を逃れたが、あと少し反応が遅れていたら、致命傷にはならないが屈辱的な傷を負うことになっていただろう。
これには少々腹が立ったが、この段階でのこの力は素直に喜べるものだったようで、にたりと笑いながら「少しはマシになったようだな。小僧」と言った。
そして武斗は、武具を着けていない右手で側にある武具を取ると、その刃先を、靴下を脱いだ自分の足の甲に浅く突き刺した。見ると、反対の足の甲にも傷がある。
これで意識を少し取り戻した武斗は、手に取った武具をまた側に置き、その手で左腕の武具を外し、そこで意識を失った。
「己を傷つけることで意識を保つとは、われわれには考えられぬ行動だな。本当に、飽きぬ存在だ」
ヤナガは独り言を言うと、どこか嬉しそうに笑った。