月下の決意
堂本の血痕があった現場には、花束やら飲み物やらが置いてあり、武斗が置いたグローブもそのままになっていた。それらを前に、武斗はしゃがんで手を合わせる。
「堂本さん。俺、真っ当な人間じゃないんだってよ。化け物を退治する為に造られた人間、じゃなくて化け物なんだと。笑っちまうだろ」
今は夜の十時半過ぎ。映画を見終わった後、会話のないまま紗夜を八城神社まで送り、一度家に戻って服を着替えてからここにやって来た。
「ほんと、笑っちまうぜ……。この俺が、女の子に励まされちまうしな。あんたが生きてたら、きっと思いっきり笑ってただろうな。女に縁のないお前が?って。まあ、俺も同感だけど。なんたって、ついこの間まで同じ年ぐらいの女とほとんど口聞いたことなかったんだからな。それが、そいつと知り合った途端、いっぺんに色んなことが起きて、そいつの前で泣いて、そいつに慰めらてもらって、今じゃ俺にとって――」
とそこで、自分の素直な気持ちがちらりと顔を出そうとしたので言葉を切った。
「……それはともかく、あんたにも会わせてやりたかったぜ。そいつをさ。……さてと、そろそろ行くか。それじゃな。兄貴」
武斗はそう言うと、ヤナガが指定した学校の屋上へと向かった。
深夜の高校の屋上に来るのはこれで二度目となる。ただし今回は武器を携帯していない。その代わり、来る途中で買った飲み物を持っていた。
「また遅刻かよ」
武斗は文句を一つ言うと、適当な場所に腰を下ろして夜空を見上げ、そういえば、と今日観た映画のワンシーンを思い出した。それは、建物の屋上に身を隠す主人公が満天の空を見上げ、なんて無情な空だ、と涙するシーン。
「無情な空ねえ。空に情があるとは思えねえけど」などと、昨日感傷的に夜空を見上げた自分を隅に置き、武斗は現実的な感想を口にした。そして、珍しく武斗の感想に同意する言葉をヤナガが言った。
「それは同感だ」
「いるならいるで隠れてんじゃねえよ」
影となっている場所から出てきたヤナガを見ながら、武斗は不機嫌にそう言うと、飲み物に口を付けた。
「人間とは本当に不思議な生き物だな。感情などというものを持たない存在に、さも感情があるかのような言葉を使うのだから」
「人間じゃないお前に分かるわけねえだろ」
「まだ己が人間ではないと自覚していないのか?」
「ほんっとに嫌味なヤローだな。さっさと用件を言え」
「では、お前に尋ねよう。ここで犬死にすることを選ぶか? それとも、化け物として仇討ちすることを選ぶか?」
やはりそう来たか、と武斗は思った。そしてその答えは得ている。それが伝わったようで、ヤナガが「フン。答えは決まっているようだな」と満足げに言ってきた。武斗の瞳には今や迷いや恐れはない。
「なあ、お前昨日、俺に言ったよな。自分を人間だって言うことに何の意味があんのかって。まあ、お前が理解できるとは思ってねえから、どうでもいいけどよ。お前の言うように、俺の体は真っ当な人間とは違うんだろうな。それに、周りから見れば確かに化け物かもしれねえ。でもな、俺のここは、れっきとした人間だ」
武斗はそう言いながら、自分の心臓を指さした。
「意味が分からぬな」
「だからてめえの脳味噌じゃ理解できねえって言っただろ?」
「それで、お前の答えは犬死にすることか?」
「誰が。俺は堂本さんの仇をとる。その為なら、使える力は何だって使ってやる。それが俺の答えだ」
ヤナガは武斗の答えをどう解釈すればよいのか理解しがたい部分はあったが、とにかく己の力を拒絶する意志はないと判断した。
「まあ良いだろう。それでは貴様に、力の使い方を教えてやる」
「その前に聞かせろ。なんでお前は、俺にこんなことをする。殺したけりゃ俺にいちいち言わないで好きに殺しゃいいし、じゃなきゃ放っときゃいいだけだろ。それとも、俺が夜狩人の末裔だからか?」
「当然であろう。ただの人間であれば、貴様など我にはどうでもよい存在だ。他の連中に食われようが、勝手に犬死にしようが、我の知ったことではない。だが貴様には、役に立つだけの力がある」
「役に立つ、だと?」その言葉に、武斗は怒りをあらわす。ヤナガの目的が、武斗を利用することだと分かったからだ。ただし、どう利用するつもりなのかが特定できない。
「てめえ、なに企んでやがる」
「企みなどという大袈裟なものではない。なに、貴様に我の手伝いをさせようと思ったまでだ」
「手伝い? 化け物退治のか?」
「そういうことだ。契約した際の条件を変えられてしまってな、少々面倒になっていたのだ。我としては契約を破棄しても良かったのだが」
「どうして破棄しない」
「貴様らを見ていると、本当に退屈しないからな。ただそれだけだ」
ヤナガの言葉を、武斗は信用してよいものか考えた。そもそも、信用してよい相手とは考えにくい。どちらかと言えば信用できない相手であろう。だが一つ確かなことがある。
ヤナガが武斗の力を利用しようとしていることは間違いないだろう。その為には、武斗の力を引き出す必要があり、その力を武斗が使えるようになれば、武斗にとってプラスになるということ。問題は、武斗にとってマイナスとなるものがどれだけ含まれているかということだが、今の武斗にとってそれは問題ではない。大切なことは、堂本の仇を討つことなのだから。
「退屈しのぎってわけか。随分なご身分だな」武斗は憎々しげに鼻を鳴らすと、「ま、てめえの契約なんて俺には関係のないことだから、どうでもいいけどな。それより、一つ確認させろ」と、真剣な目でヤナガを見据えた。
「なんだ?」
「じじいは殺してないって言ってたけど、てめえ、堂本さんを殺していないんだな?」
「しつこい人間だ。我がやったのであれば、貴様はどうする?」
この場で殺してやる、と言えればいいのだろうが、数日前のここで、武斗はヤナガに敗れている。しかもその時のヤナガが本気だったとは今になってみれば思えない。つまり、どちらにしろ今の武斗には仇を討つ術はなく、その術を得るにはヤナガの協力が必要であり、彼が殺していようがいまいが、どのみち選ぶ道は一つしかない。
「今は無理だろうけど、そのうちてめえの寝首をかいてやるさ」
「寝首をかく、ときたか。クカカッ。本当に貴様は面白いことを言う。出来るものならそうしてみろ。無理だと思うがな」
楽しげに笑うヤナガに、武斗は「そうやって調子こいてろ」と文句を言うが、なんとなく、ヤナガは本当に堂本を殺していないように思えていた。
「それで、これからどうすんだ? 夜間授業でもおっぱじめんのか?」
「いかにも。さっきも言ったが、力を使えない貴様など役立たずだからな。だから我が、力の使い方を特別に教えてやろう」
「どこまで偉そうな野郎なんだ……」
「実際、貴様は我より下等なのだから当然であろう?」
「くっそ……」
「では説明するぞ。数日前にここで我と戦ったときのことを覚えているか? 貴様が最後に見せたあの力こそが、夜狩人の力の先端だ。あのときの感覚をさらに引き出し、本能だけではなく、己の意識を持って自在に操ってこそ、本来の力になる」
「あのときの感覚……」
心が真っ黒に壊れ、視覚を除いたすべての感覚が断たれ、本能のままに動いていた。そこに自意識はなかった。それでは駄目らしい。
「まずはあのときの感覚を引き出せ。全てはそれからだ」
「引き出せって、そう簡単に出したりしまえたりするものなのか?」
「夜狩人の力は本来、常に解放されているものだ」
ヤナガのこの言葉は、武斗に衝撃を与えた。つまりそれは、四六時中あの感覚の中で生きるということで、死んでいった過去の夜狩人たちが、人としての感覚や人としての心をどれだけ失った中で生きていたのかを想像すると、深い悲しみと絶望が襲ってきた。そして、自分もそうなるのかという畏怖も。
ただしそれは武斗の思い違いで、生まれながらの夜狩人にとってはその感覚が当たり前で、苦しむことはなかった。それを知っていながら、ヤナガは「ククッ。だから人間ではないと言っただろう?」と意地悪く笑った。
「……それじゃあ、俺も、ずっとあの感覚の中で生きることになるのか?」
武斗は、これが力を得たときのマイナス事項なのかと背筋をぞくりとさせた。
「さあな。それは我にも分からん」
「……」
正直、あの感覚の中で生き続けて、果たして自我を保ち続けるか、その自信が持てなかった。自我を失えば、本物の化け物になってしまうかもしれないという恐怖。だが、それを恐れてここから逃げ出せば、ヤナガは躊躇なく武斗を殺すだろう。
故に、ここに来た時点で答えは常に一つしか用意されていない。いや、ヤナガに目を付けられた時点で選択肢はなくなっていたと言える。ならば、なるようになれと開き直るしかない。悩んだところで仕方のないことだ。
「どうした。怖じ気づいたか? なら選びなおすか? ここで死ぬ方に」
「う、うるせえ! 少し焦っただけだ!」
「まあ、そう怖がることもない。貴様は夜狩人としては亜種になるのだから、そうなるとは限らん」
「亜種?」
「生まれながらに夜狩人としての力を解放していない時点で、亜種と言えよう? なに、どうなるかなど誰にも分からんだろうし、駄目なら駄目で自ら死を選ぶか我に殺されるか、ただそれだけだ」
「簡単に言うんじゃねえよ。まあ、そりゃそうなんだけどな……。って、考えたってしょうがねえ。で、どうやって引き出しゃいいんだ」
「それは貴様が意識を集中させてやるだけのことだ」
「それが分かんねえから聞いてんだろが!」
「ならば、もう一度これを使うか?」
ヤナガはそう言うと、あのときと同じようにヤナガの背中から紗夜があらわれた。一瞬、武斗は驚きのあまり声を上げてしまったが、よく見るとそれはヤナガの体から伸びており、明らかに紗夜本人ではなく、それどころか細かいところが雑に出来ており、間近で見れば一目で分かるデキだ。
「て、てンめえ……、あンときも……」
「この程度のものなら容易いことだ。ただし声はさすがに作れんがな。しかし、まさかあそこまで貴様を欺けるとは思わなかったぞ? 貴様よりも我の方が驚いたぐらいだ。クハハハッ!」
ヤナガは思い出したように大笑いをした。無論、武斗にとっては腹立たしいだけだった。




