宣告
武斗の一声で、紗夜から色々と聞き出そうという輩はぱったりといなくなった。本当は恥ずかしくて顔を赤くしていたのだが、僅か数名を除き、それだけ激怒していたのだと受け取り、そんな武斗に油を注ぐような真似は出来ないというのが彼らの意見だった。
また別の効果もあった。紗夜を守ったその姿に、冷たい視線を向けるだけだった女子生徒の評価が多少変わったことだ。他にも、御子杜紗夜は騙されているんだと挑みかかる勇者があらわれなくなったこと、ゲスな挑戦者も尻尾を引っ込め挑んでこなくなったことなど、結局、武斗にとっては都合の良い結果となった。
そして、紗夜にとっては何より、紗夜と武斗を恋人同士と認定する者もぽつぽつとあらわれてきたことが嬉しい結果だった。その筆頭は無論、川村ちとせである。
六時間目が終わり、この日の授業が終わると、帰り支度を終えてさあ帰ろうという武斗の席へ、鞄を手にした紗夜がやってきた。
「楯村くん。この後って、何かご予定ありますか?」
「ああ。これから慎二たちと一汗かきにな」
「また剣道場に行かれるのですか?」
「いや。つうわけだから」武斗はそう言って、教室を出て行った。そして慎二も「ごめんね。順番待ちも出来ない馬鹿な客を接待しないといけないから」と笑いながら一緒に出て行った。この言葉が理解できなかった紗夜は「お客様の接待?」と小首をかしげていたが、周囲の者の多くは理解していた。喧嘩しに行くのだなと。
ちとせもその一人だったが、あえて紗夜にそれを伝えようとはしなかった。言えば絶対に武斗を止めようとするだろうし、紗夜が止めたところで、相手が喧嘩をやめてくれるとは思えない。結果、その喧嘩に紗夜が巻き込まれてしまうだろう。
そうなっては誰も喜ばないと思ったからこそ、ちとせは紗夜に「楯村くんも忙しいね」とだけ言って、まさみや里子も誘い、四人で放課後の買い物へと繰り出していった。
学校を出ると、すぐに客が大勢待っていた。彼らは皆、武斗が入院し、昨日退院したという情報を得て、手負いの武斗を潰してやろうと集まった連中。
対して武斗の方は、武斗と慎二、それと頭の悪い友人三人の総勢五人と少なかったが、個々の強さを考えれば、不利とはあまり言えなかった。
学校の目の前で始めるわけにもいかないので、彼らはぞろぞろと場所を移し、適当な場所を見つけると早速ゴングを鳴らした。
出だしこそ、数的不利な状況に手こずっていたが、相手の数が減っていくと形勢は一気に逆転していった。その中でも、武斗の強さは尋常ではなかった。相手の攻撃はほとんどかわし、背後を狙って振り下ろされた鉄パイプもたやすく受け止め、パンチやキックの威力は以前よりも凄まじいもので、武斗の仲間ですら信じられないほど圧倒的なものだった。
そして相手の敗北が濃厚になってくると、戦意を失う者が少しずつあらわれ始め、「誰が怪我してるなんて言ったよ!」「ズタボロだって話じゃねえのかよ!」「ガセネタだったんだよ!」「前よりもメチャクチャ強くなってんじゃねえか!」といった、悲鳴のような文句が聞かれるようになっていった。ついでに慎二らも「お前、俺たちも騙したな」と笑いながら文句を言っていた。
勝負はあまり時間をかけずに武斗たちの勝利で終わった。武斗の圧倒的な戦いっぷりのお陰で、慎二らのダメージも少なくすんでいたのだが、それが逆に少々物足りない様子だった。
「しっかし楯村。お前、ホントに熊と特訓したんじゃないのか?」と慎二。
「するわけねえだろ」
「ならあれか……」
「どれだよ」
「愛の力ってやつか」
「なに言ってんだお前」
「そうかあ、そうだよなあ。御子杜さんの愛の看病を受けりゃあ、そりゃ――」
「……慎二、今から天国まで飛んでけ」
「今、天国が一瞬見えかけたんですけど……」
すれすれで武斗のパンチをかわした慎二は冷や汗をたらしながら訴えた。
その後、挑戦者は次々とやって来たが、どれも数的不利を感じさせない程度の人数でしかなく、慎二らは期待していたほどの汗はかけずに終わっていた。そうして夕方の六時を過ぎた頃、今日の挑戦者はここらで打ち止めだろうということになり、それぞれの家へと解散した。
その帰り道、一人朝日荘へ向かう武斗の心は沈むばかりだった。この日の喧嘩での、自分の圧倒的な強さの理由に。
ヤナガと屋上で戦う前と今とでは、自分自身ですら別人にしか思えなかった。相手の動きは異様なまでに遅く感じ、自分の体は思い通りに鋭く動き、研ぎ澄まさずともある程度は周囲の気配を察知することが出来た。
慎二は、武斗が急激に強くなったのは熊と戦ったからか、などと冗談を言っていた。しかし武斗が相手したのは、ヤナガという真っ当な人間では到底敵わない相手。その相手と武斗は果敢に戦い、気を失うほんの少し前、肉薄していた。真っ黒に壊れた武斗が、彼の持つ本来の力の一部を使って。
本来の力。そしてその由来。それこそが、照臣が一生涯口をつぐもうとしていた真実。その真実を、武斗は知ってしまった。
「俺は……」
気付かぬうちに、武斗は歩きながらそんな言葉を譫言のように呟いていた。すると、先に声をかけようとしていた一団よりも先に、「よお、楯村あ」と、横から男の声がした。見ると、いかにもな格好をしている頭の悪そうな他校の男子生徒が、すぐそばのコンビニからぞろぞろと出てきた。この日最後のお客のようだった。
総勢九名のこの客人たちは、突っ立ったままの武斗を半円状に囲むようにして足を止めると、リーダー的な男が余裕の笑みを浮かべて「元気そうじゃねえか」と言ってきた。
「いい加減うぜえんだよ」武斗は苛立たしげに答える。
「あ? そんなこと言っちゃっていいのか? 情報は入ってんだぜ? 誰にやられたかは知らねえけど、てめえ、ボコボコにされて、入院してたんだって? しかも女に抱きついて、ひいひい泣いてたそうじゃねえか。落ちぶれたもんだよなあ。楯村武斗もよお!」
「死にたくなきゃ失せろや。あんま機嫌良くねえんだ」武斗はそう言うと、鋭い眼光を向けた。その迫力に客人たちは一瞬たじろいだ。しかし、これだけで引いてしまっては武斗に挑戦する資格などない。すぐに気を取り直し殺気立たせると、「お、女に泣きつくような手負いの化け物なんざ、怖かねえんだよ!」と吠えた。だがその言葉は、武斗の強さを例えただけでであっても今の武斗にとって禁句。
「誰が化け物だ……」
その瞬間、武斗の殺気が膨れあがる。だがその殺気は、武斗に向けられた女性の声によって違うものになった。
「楯村くん!」
その声に、武斗は心臓を締め付けられ、握り潰されるような感覚に襲われた。紗夜の登場に驚いたからではない。紗夜という存在を意識したことによって、照臣から聞かされた話が鮮明に思い出され、自己否定の気持ちが、心臓を直接掻きむしりたくなるほど強いものになったからだ。
紗夜やちとせらが、そこにいた。ただし、武斗を心配した表情の紗夜とは異なり、ちとせたちは怯えた様子で紗夜を制するように「駄目だよ、御子杜さん! 危ないよ!」と、関わっては駄目だと必死に言っている。
紗夜を見た客人のうちの数人は、ゲスな歓声を上げていた。
「いいねえ。まさかあんないい景品が付いてくるとはなあ。じゃあ、ちゃっちゃとこのポンコツ化け物を潰しちまうかあ!」リーダーがそう号令をかけると、一斉に武斗へと襲いかかった。
紗夜は思わず「やめてっ!」と思い切り叫んだ。だが、「今日こそ死ねや!」などと吠えながら武斗に襲いかかる客人らの声により、その声はかき消された。
このときの武斗は、完全に冷静さを欠いていた。全方位的に加えられる相手の攻撃を、計算し尽くしたかのようにうまくかわし、効率的に相手にダメージを与え、確実に相手の戦力を削っていくのではなく、まずは化け物と言った男を潰すことだけしか考えずにいた。ゆえに、「化け物じゃねえ!」と怒声を上げながらその男を仕留め、数発殴りつけている間に、多くのダメージを受けていた。
楯村武斗の名を知らない者からすれば、これはリンチ以外の何者でもない。さらに、武斗の強さを直接見たことのない者からしても同様。この光景に、「こんなの、ずるいよ……」とちとせたちは息を飲んだ。しかし、近くにいた傍観者気取りの若者は、「楯村相手に九人? 微妙だね」などと笑っていた。まるで娯楽映像を楽しむような言動に、ちとせらは不快感を感じていた。
一人仲間が減ったところで数的有利は変わらない。しかも、武斗は大きな怪我をしていると信じて疑っていない彼らは、すぐに潰れるだろうと思っていた。だが、最初の男を倒したあとの武斗は、「俺は化け物なんかじゃねえ! 俺は!」と叫びながら一撃必殺で相手をのしていく。そうして二人を仕留めると、男たちの表情に焦りが出てきた。
「いい加減に死ねや!」
「ほんとに手負いなのかよ!」
慎二らと一緒に喧嘩したときの相手と同じようなことを言い始める。その時、見かねた紗夜が駆け出し、「もうやめてください!」と客人の一人にしがみついた。紗夜のこの行動に、ちとせらは唖然とするしかなかった。そして我を失いつつあった武斗は、そのことに気付かずに各個撃破するように確実に一人ずつ倒していく。俺は化け物じゃねえ!という悲痛な叫び声を上げながら。
その間、紗夜に抱きつかれた男は、邪魔すんじゃねえ!と、紗夜の髪を引っ掴みながら剥がそうとする。それでも「お願いです! もうやめて!」と訴えていた。
九人いた客人は、たいした時間もかからずに着実に減り、紗夜の相手をしていた男がようやく紗夜を振りほどいたとき、自分を含めて残り二人となっていることを知った次の瞬間、その一人が「俺は! 俺は!」と叫び続けている武斗に思い切り殴られ、道路に叩きつけられていた。
「う……そ、だろ? おい……、だって、怪我してるって……、あ、あれ?」
最後の一人となったその男は、血を流し呻き声を上げて倒れている仲間の姿に、足が震えだしていた。
そして、武斗の目に、道路に倒れている紗夜の姿が映った。その瞬間、ある日の光景が脳裏によみがえった。
紗夜がヤナガに弄ばれるように惨殺されていく光景が。
次いでその光景が、ヤナガが自分となって、紗夜を惨殺しているものにすり替わった。
「違う……、俺は、違う……」
武斗は譫言のように呟き始めた。その声が、起き上がろうとしている紗夜には泣き声のように聞こえた。そして生き残りの男には、完全にネジの飛んだ楯村武斗によるレクイエムに聞こえた。
「……わ、悪かった、俺たちが悪かったから、さ、勘弁……して……」
だが、彼の声は武斗に届かず、ヤナガとなって映っているその男に「俺は違う!」と叫ぶと、思い切り拳を振り下ろした。殴られた男はそのまま道路に叩きつけられ、それでもなお、武斗は「俺は化け物じゃない! 俺は! 俺は!」と叫びながら殴り続ける。男の顔面は血にまみれ、数人の見物客がその有様に顔を覆ったとき、叫び続ける武斗の腕を、紗夜が「もうだめだよ!」と叫びながら抱きつくようにして必死に抑えた。
そこで、武斗は我に返った。
「御子杜……」
「もういいよ、楯村くん……」
「俺、俺は……」
武斗はやや呆然とした面持ちで、目の前の男を見た。顔面は血まみれで、確実に鼻は折れ、唇も複数箇所切れている。
次いで、惨状となった周囲を見回した。最初に殴り倒した相手は、やはり顔面を血だらけにしながらひくひくと痙攣している。他の者も顔面を抑えたり腹を押さえたりしながら呻きもがいており、完全に失神している者もいる。
そして最後に、自分の拳を見た。その血まみれの拳に武斗は卑屈に口を歪め、力が抜けたように腰を落とすと、ぽつりと呟いた。
「……やっぱり、化け物じゃねえか」
「楯村……くん」
武斗のその顔は、笑っているようだった。深い絶望の中で。