病室にて
保健室を出た後、武斗は行き先を告げずに一人で八城神社に行き、照臣に会うつもりだった。だが、一人で普通に歩ける状態まで回復していない武斗を、紗夜が一人にさせるはずもなく、結局、紗夜とちとせの説得により、三人でタクシーに乗り病院に行くことになった。その際、ちとせは武斗に、意を決した様子で「楯村くん、今までごめんなさい!」と謝ってきた。
突然の謝罪に、武斗は思わず「あ? 何が」とキョトンとしてしまった。それは紗夜も同じだった。ただ、ちとせにとっては突然ではなかった。武斗への見方が変わり始めてから、早く謝りたいと思っていたのだ。そして今がチャンスと判断したその結果だった。
「だから、今まで……、陰で色々と酷いことばっか言って……。ほんと、ごめんなさい!」そう言いながら、怒鳴られたり引っぱたかれたりするのは覚悟していた。だが、武斗の返事は拍子抜けするものだった。
「何かと思えば、ンなことかよ。こっちはガキの時から楯村武斗って看板かついできてんだ。なこと、いちいち気にしてるわけねえだろ」武斗はやれやれといった顔でそう言うと、「分かったら、二度とンなこと言うんじゃねえ」と釘を刺した。
「あの、ありがとう……」
「なんでここで『ありがとう』なんだよ……。たく、御子杜といい川村といい、わけわなんねえ」武斗がそう言うと、しっかりと聞こえていた紗夜が「私は、分かりますよ」と言ってきた。
「……だろうな」
これで心のつっかえが取れ、だいぶ楽になったはずだったのだが、武斗の「看板かついできた」という言葉の意味に心を痛める結果となっていた。それはつまり、子供の頃から誹謗中傷を耳にしてきたことを意味している。そしてその誹謗中傷をしてきた一人が自分だと思うと、とても情けなく思えてならなかった。
病院に着くと、傷だらけの武斗を見た病院関係者はみな驚いていた。ついにこのような日が来たのかと。
それはともかく、武斗の状態から内科と外科の検査が救急扱いで行われ、その結果、複数の打撲と擦り傷に切り傷、内臓の機能低下も少し見られ、それに何より肋骨に二カ所のヒビが確認され、今日はこのまま入院することが決まった。しかも、入院患者が楯村武斗ということで、他の患者に何かあってはまずいとナースセンターに一番近い個室があてがわれた。
この入院という判断に武斗は医師らに向かって悪態をつき、さっさと病院から出ようとしたが、今となっては立ちふさがる紗夜には敵わない。しかたなく、この場は大人しくして、夜になったら抜け出して照臣のところへ行こうと決めていた。
だが、紗夜はそう甘くはなかった。
入院が決まると、紗夜は武斗から利根林の電話番号を聞き出し、武斗が入院した旨を病院内の電話を使って告げ、着替えなどを持ってきて欲しいと頼んだ。利根林はすぐに了解すると、それから一時間して、巻野と二人で荷物を持って飛んできた。
二人は、昨日武斗がアパートを出た後のことは詮索しようとせず、とにかく今はゆっくり休みなさいと言いながら、世間話で盛り上がっていた。また、慎二や頭の悪い友人らも見舞いに来た、というより騒ぎに来た。あまりにも騒がしいので、看護師に何度か注意されたほどだった。慎二ら友人グループは騒ぐだけ騒いで帰って行ったのだが、そんな賑やかな光景が、疲労困憊気味の武斗の心を癒してくれていた。
なお、慎二に頼んでいた借り物の回収は無事に完了し、武斗の部屋に届けられたとのことだった。
そしてその間、紗夜とちとせの姿はなかった。二人は利根林と巻野が来ると、入れ替わるように帰って行った。武斗は、今日のところはもう病院に来ないだろうと踏んでいたのだが、面会時間が終わる頃、私服に着替えた紗夜が小さな手提げ鞄を手に戻ってきた。その姿に、武斗はまさかと思ったのだが、そのまさかだった。
「あとは、私が側で見てますから」
紗夜は一度家に帰り、シャワーを浴び、着替えをして泊まる準備をしてきたのだ。
「うん。それじゃあ頼みますね。もし何かあったら、何時でも構わないから電話してね」と利根林が答え、巻野も「私にも連絡入れてね。ソッコー駆け付けるから」と恐ろしいことを言っている。
「ま、待てお前ら! 何の話してんだ! まさか御子杜……!」
「はい。楯村くんが脱走して、また危険なことをなさらないように、今夜は私が付きっきりで監視するんです」そう答えたときの紗夜の笑顔は、武斗にとってとても恐ろしいものに見えた。
「今夜って……、お前、それはいくらなんでもマズイだろ!」
「どうしてですか?」
「……どうしてって、マキさんもじいちゃんも、何か言ってやれよ!」
武斗は救いの手を二人に求めるが、二人の答えは問答無用だった。
「もし紗夜ちゃんを困らせるようなことしたら、分かってるよね? タケちゃん?」
「人の厚意を無にするような子じゃないものね。武斗くんは」
二人の目は、これ以上の抵抗は許さないという目をしている。しかも、巻野の目は本気だ。もし本当に紗夜を困らせたら、武斗の大切な体の一部が潰されかねない。それは今この瞬間においても同じこと。つまり、今より全ての抵抗を禁ずる、という宣言に他ならない。
そして、もはや武斗の抵抗する意志が砕け散ったと感じた紗夜は、トドメとばかりに笑顔で言った。
「楯村くん、私の寝顔、見たんですよね。ですから今度は私が、楯村くんの寝顔を見る番です」
自分の寝顔が紗夜に見られる、というのが恐ろしく恥ずかしいことに思えた武斗は、俺を殺す気かと本気で思いつつ、受け入れる以外に選択肢のないこの状況にがっくりと項垂れるしかなかった。しかも、看護師にこのことを説明したところ、紗夜の叔父、つまり照臣も了承しており、年の近い女の子が同泊するのは問題かもしれないが、武斗を一人にして問題を起こされるよりかは遙かにマシだという判断のもと、病院も承諾していた。
という経緯があり、武斗は紗夜とこの病室で一夜を過ごすこととなった。
紗夜がこの部屋に泊まると聞いたときは、拷問に近い時間が流れていくのかと思っていた。だが不思議と、時間はすぐに経っていった。部屋に設置されているテレビを見ながら、他愛のない会話をしていても苦ではなく、むしろ違和感をあまり感じなかった。ただ、ニュースで堂本のことが報じられると、どうしても涙が出てしまい、そんな武斗を、紗夜はただ手を添えるだけでそっと見守っていた。
そうして時間が過ぎ、二人とも寝静まっていた夜中の一時も過ぎた頃、武斗は空腹を訴える胃袋によって叩き起こされた。夜食が点滴だけだったのだから、それはそうだろうと思いつつ、ベッドから起きようとする。すぐそばでは、同泊者に貸し出される簡易ベッドで紗夜がすやすやと眠っている。
その寝顔を見て、武斗が紗夜にした質問を思い出した。
「どうしてこんなことしてまで、俺を監視しようとすんだよ」と武斗が呆れたように尋ねると、紗夜は、少し照れくさそうにこう言った。
「そばに楯村くんがいないと、なんだか不安なんです。不安で、眠れそうにないんです。だから、楯村くんが駄目だって言っても、私はそばにいます。ですから、どうか諦めてください」
こう言われては何も言えず、諦めのため息を盛大に落とす他なかった。
その時のことを考え、武斗は苦笑した。
「ったく、なんで俺相手だと、ああも堂々としてられるんだよ。フツー逆だろ」
武斗に接するときの紗夜と、武斗以外の者と接するときの紗夜のギャップに苦笑しつつ、武斗はこっそりと病室を抜け出した。目的地は八城神社ではない。体の痛みはだいぶ減り、すっかり食欲も戻ってきた今となれば、行こうと思えば行けるのだが、ここまで来て紗夜を裏切るわけにはいかない。
彼が向かったのは一階の売店横に設置されている自動販売機。この病院に来たとき、飲み物以外の自動販売機もあることを確認しており、腹の足しになるものがあるだろうと向かったのだ。
そしてコーヒーと菓子パンを三つほど買い、その場であっという間に平らげると、まだ足りないともう二つ買い、それらも簡単に食べ終え、満足げに自分の病室に戻っていった。
この出来事を知る者は、幸いに武斗本人のみだった。
その翌日の午前中から、武斗は紗夜に付き添われながら内科、外科ともう一度診察を受けたのだが、朝の段階から空腹を激しく訴えており、昨日の状態が嘘のように動くことができ、その様子に多くの医師が驚いていたが、あの楯村武斗ならありえると、深く考えないでいた。
午前中の診察の結果が出るのは二時頃。それまでひたすらに待つしかないのだが、診察が終わって間もない頃、一人の客がやって来た。その客人を見て、武斗も紗夜も驚きの声を上げていた。
「叔父様っ!」
「じじい……」
照臣は武斗の様子に、「随分と元気そうだな」と笑った。
「叔父様、どうして……」
「大切な姪を、いつまでもここにいさせられないだろう? 紗夜はひとまず一度家に戻りなさい。彼のことは私に任せて」
「でも……!」
「喧嘩などせんから、安心しなさい。なあ、武斗くん?」
照臣の意図していることは武斗には分かっていた。そしてそれは、武斗にとっても都合のよいもの。となれば、拒絶する理由はない。
「病院の中で喧嘩するほど馬鹿じゃねえよ」
「ということだ。なに、もうここへは来るなと言ってるのではない。診察結果が出れば、すぐにお前に知らせる。そうしたらまたすぐに来ればいい」
二対一では勝てないと察したのか、紗夜はやむなく同意し、照臣に玄関まで見送られて帰って行った。そして照臣は部屋に戻る途中、込み入った話をするから面会謝絶中にしておいてくれとナースセンターに頼んでから、武斗の病室に戻ってきた。
「さて、体の具合はどうだ?」
「まだ少し痛むけど問題ねえ。それより、とっとと話せ。その為にここに来たんだろ?」
「まあそう急くな」
「ここまで来てじらすんじゃねえ」
「それもそうだな」照臣はそう言うとそれまでの表情を一変させ、真剣なものにした。自然と武斗も身構える。
「今から話すことは、嘘偽りのない、本当の話だ。そのことを心して聞け。よいな?」
「ああ。だけどその前に、一つ教えろ。あの化け物、ヤナガとかいうヤツはどうなった」
「まったく、せっかちなヤツだ。ヤナガなら生きておる」
「また、俺を見逃したってことか……。くそっ、余裕かましやがって……!」
「では順を追って話すぞ。お前はヤナガや黒い虫たちを何だと思う?」
「何って、……そういや、闇の世界の住人、とか言ってたな」
「そう。彼らはこの世界とは異なる世界の者。我々は古来より、闇の世界の住人と呼んでいる」
「古来? つまり、昔からいるってことか……?」
「そうだ。我々の世界と彼らの世界は古くから繋がっており、たびたび彼らはこちらにやってきては、捕食し、帰って行く」
「人間を食いに、か」
「正しく言えばそれは違う。例えば小さな黒い虫のような闇の住人は、昆虫しか食べない。彼らはそれぞれ捕食の対象を選んでいるからだ。そして、こちらに来る彼らのほとんどは、お前がたまに目にする、小さなものがほとんどだ。しかし希に、人を喰らう者もこちらにやって来る」
「それが、ヤナガってわけか……」
「彼は違う。まあとにかく今は話を続けよう。そうした、希にあらわれる人を喰らう者は、特に世が乱れた時代には頻繁にやって来て、多くの人間を喰らっていった。だがその事実を知る者は皆無に等しかった。それが何故だか、お前なら分かるな」
武斗はその質問に、小さく頷き答える。その存在を見ることが出来る者と見ることの出来ない者がいる。見ることが出来ない人間が限りなく百に近い数であれば、それだけ認知される可能性は低く、その事実が受け入れられる可能性はそれ以上に低くなる。
「補足しておくが、特別な者以外は絶対に見ることが出来ない、というわけではない。彼らがこちらの世界の生き物を補食しようとするとき、その姿は見えるようになる。その時ばかりは、こちらの世界の法則に従わざるを得ないらしい」
「だったら、特別な力を持たない連中も、もっと知っていてもおかしくないんじゃ」
「彼らを見て、生き残れた者がそれ相応にいたらな。それと、闇の者たちの活動が夜に限られているのも理由の一つかもしれない。なぜ昼間では駄目なのかは、人間には分からぬことだ。そのような状況に、彼らの存在を見ることの出来る血筋の者たちの中で、どうにか対抗できないかと研究を始めた者たちがいた」
「それが、俺の先祖ってことか?」
「たどってゆけば、そうなる。対抗手段を考えた者たちはやがて屋倉という組織を作り、人を喰らう連中を人知れず退治するようになった。だがその為に多くの者が犠牲となっていった。もともと、生まれ持って彼らを見ることの出来る者たちは少ない。その上、戦いの度に仲間を失っていけば、早々に対抗するどころではなくなる」
「そりゃそうだろうな……」
武斗は、闇の者たちと戦う彼らの姿を思い浮かべる。その光景は、人間たちが圧倒される中でどうにか相手を倒し、周囲を見渡せば、多くの仲間が死んでいるというもの。
「そこで、屋倉の中で二つの意見が出てきた。一つは、直接戦うのではなく、霊力を高めて呪術をもっと強化し、闇の世界を封印してしまうべきだというもの。もう一つは、封印など出来るはずもないのだから、とにかく体術を強化し特殊な武具を用いて対応すべきだというもの。そしてその二つの意見は対立し、やがて屋倉は二つに分裂した。前者は御子杜一族が中心となり、後者は堂禅寺一族が中心となってな」
「御子杜って……。それじゃあいつも!? けどあいつは……!」
「そう。あの子には、闇の世界の住人が見えていない。彼らを見ることの出来る血筋にあっても、その力には個人差がある。あの子の場合、それが著しく弱いのだ」
「だから、あいつには見えないのか……」武斗はそう呟き、これが、御子杜紗夜から感じたものの正体なのかと思った。
「その後、御子杜一派は術者の強化を図りながら、神社を複数箇所に設置するなどして、結界をより強固にする為に、広範囲にその拠点を広げていった。八城神社も、その一つだ。そして堂禅寺一派は、体術の強化と武器の研究を重ねていった。だが……」
照臣はそこで一度言葉を切り、沈痛な面持ちでこう言った。
「この先は、今夜神社の本殿で話そう」
「な、なんだよそりゃあ! ここまできてそれだけなんて――」
「全てを話すつもりで来たが、やはり時間が必要だ。それに、現実を受け止めるための多くの時間が、お前には必要だからな。ただ、ヤナガに関しては簡単に説明しておく」
「ふざけんな!」
「今夜話す。それぐらい辛抱しろ。不服なら、これで話をすべて終わりにしてもよいのだぞ?」
「て、てめえ……!」
「納得してくれたようだな。先に言っておくが、ヤナガは少なくとも敵ではない。彼は我々と契約を交わし、人間を喰らいに来た闇の世界の住人を始末している。それと、彼は人を喰らっていない。少なくとも、この時代においては」