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黒の守護者  作者: K-JI
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休息

 武斗と紗夜が抱き合いながら泣いている間、周囲はあたふたとするばかりだった。それはそうだろう。二年一組に関して言えば、教室に入ってきたときの武斗の様相に言葉を失い、そのまま去っていくかと思ったら、突然紗夜が武斗の胸に飛び込み、心配でずっと泣いていたと言いながら涙を流しているのだから。

 他の教室に関しても、紗夜の涙に濡れる声に教師が教室から顔をのぞかせ、呆然としている武斗とその胸で心配だったんだからと泣いている紗夜に、何がどうしてこうなっているのか全く理解できず、一組で授業していた教師に事情を尋ねたり、自分の教室の生徒を教室内に戻したり、相手が楯村武斗とあって注意できずにうろたえるだけだったりと、右往左往していた。

 また生徒たちも、この光景に勝手な想像をぺちゃくちゃと話し始めたりして、騒然となっていた。そんな周囲などお構いなし、というか全く目にも耳にも入っていなかった二人だが、さすがにいつまでもこのまま、というわけにはいかないだろうと、ちとせが二人に近づき声を掛けた。こんなところじゃ何だから、保健室に行こう? 楯村くん、怪我してるし、と。

 怪我という言葉で、紗夜はようやく意識を周囲に向けられるようになると、少しだけ冷静さを取り戻し、体を起こそうとする。しかし武斗はその腕を緩めようとしない。ちとせは武斗に「楯村くんも、ね」ともう一度声を掛けてみるが、武斗にはちとせの声は届かないようだった。

 これでは二人を別の場所に連れて行きようがないと困ってしまうと、ちとせの背後から、「本来、野暮なことはしない主義なんだけどね」という声が聞こえ、続いて、男子生徒の足が武斗の頭を軽く蹴った。

「ちょっ! ちょっと何するのよ!」

 ちとせはそう怒鳴りながら振り返ると、内原慎二がそこにいた。そして慎二は平然とした顔で「なにって、起こしてやっただけだろ。ほれ」と言って武斗を指さす。つられてちとせは武斗を見ると、武斗は驚いた顔で慎二を見つめている。

 手段に問題は感じていたが、とにかくこれで二人を移動させられると、慎二の相手はせず「楯村くん、保健室行こう? そのまんまじゃ、御子杜さんだって大変でしょ?」と声をかける。

 紗夜の名に武斗は自分の腕の中にいる紗夜を見ると、いま自分のしていることに気づき、急に恥ずかしくなると強く抱きしめていた腕を慌てて離した。これでようやく体が自由になった紗夜は、ちとせに支えながらどうにか立ち上がった。

 武斗も立ち上がろうとするが、疲れ切った体は言うことをきかない。見かねて慎二が肩を貸し、ようやく立ち上がった。

「ずいぶんとやられたもんだな。まさかお前をここまでにするヤツがいるなんて。お前、熊とでも戦ってきたのか?」

「慎二……」

「あん? どうした? 幽霊でも見てるようなツラして。まだ夢でも見てんのか?」

「夢……?」

「こりゃ重傷だな」

「……慎二。俺を殴ってくれないか?」

「は?」

「いいから、俺を殴れ」

「お前、さっきので頭――」

「いいから殴れ! 早くしろ!」

 鬼気迫るその声に、慎二は訝しげに眉をひそめた。そしてため息を一つ落とすと、武斗を壁に寄りかからせ、そこまで言うならと同意する。慎二は、紗夜やちとせの制止を無視し、武斗の頬を思い切り殴りつけた。その拳には一切の手加減はなく、殴られた武斗はそのまま横に倒れた。

 殴られる瞬間に目をつむっていたちとせは、武斗が倒れる音を聞くと「楯村くん!」と武斗へと目を向ける。そして、同じく目をつむっていた紗夜は、倒れた武斗の姿を見ると、間髪入れず慎二へと歩み寄り、慎二の頬を思い切り引っぱたいていた。紗夜のこの行動には、皆が度肝を抜かれていた。

 御子杜紗夜が男子を引っぱたくというのもそうだが、それよりも、内原慎二を相手に引っぱたくという行為が半ば自殺行為に近いという認識が皆にあったからだ。武斗ほど恐れられてはいないが、荒れていた時代の慎二を知る者は決して少なくないのだから。

 そして叩かれた当人はというと、なんとなくこういう展開もあるかもと、武斗を殴る前に想像していた。そして実際にこのような展開になり、避けようと思えば簡単に避けられたのだが、それでは紗夜に恥をかかせることになり、男の子としては、無抵抗で受けるしかないと引っぱたかれ「いや〜。やっぱ野暮な真似はするもんじゃないなあ」と笑うしかなかったわけだ。

 慎二を叩いた紗夜はすぐに武斗に駆け寄り、大丈夫ですかと手を伸ばし、武斗が上体を起こすのを手伝う。そうして武斗は紗夜に支えられながらゆっくりと起きると、口の中に堪った血の混じった唾を吐き捨てた。

 紗夜はそれを見て、慌ててハンカチを取り出すと武斗の口元に当て、武斗はそんな紗夜に、ハンカチを持つ彼女の手を握り「大丈夫だ」と笑顔を見せた。

「あんなへたれパンチじゃ、蚊に刺されたも同然だ」

「ほう。なら次は、永眠させてやろうか」

「やれるもんなら、やってみろ」

「んじゃあ、お前が元気になったら試してみるか。今のお前を永眠させたところで、何の自慢にもなりゃしないし、その前に、御子杜さんに殺されかねないからな。マジで」

「それは……、正しいかもな」武斗はそう笑って紗夜を見る。慎二も頬をさすりながら笑い、教室の中に入っていった。

 その後、武斗の頭の悪い友人らが肩を貸そうと申し出たが、紗夜は自分にやらせて欲しいと言って受け付けず、結局紗夜一人で保健室まで連れて行くと、武斗はベッドに横になってすぐ眠ってしまった。


 再び目を覚ましたとき、武斗は目の前の光景が理解できなかった。ここは何処だと首を動かして周囲を確認しようとすると、右腕と胸部に重みを感じた。なんだろうと思い目を向けると、そこには武斗の手を握ったまま、武斗の胸を枕にするようにして眠っている紗夜がいた。

 それで武斗は思い出し、状況を理解した。

「そうか……。本当に、二人とも無事だったんだな……。本当に」

 しかしそうなると、二人が惨殺された光景は何だったのか。あれだけ幻だったというのか。武斗は少し考えてみたが、考えたところで何か分かるわけでもないと頭を切り換え、次にするべきことへと意識を向けた。

 ヤナガと戦う前、照臣は約束した。生きて帰ってこれたら、自分の過去や今起きていることを教えてやると。ならば、一刻も早く照臣のところへ行って、全てを聞くだけだ。もし彼が知っているのであれば、ヤナガはどうなったのか、自分は勝ったのか、それともまた見逃されたのかということも。

「とにかく、こんなところでじっとしてるわけにもいかねえんだが……」

 早く照臣のところへ行きたいという気持ちはあったが、眠っている紗夜を起こすのは気が引けた。一晩中泣いていたと言っていたのは事実だろうから。仕方ないと苦笑すると、左手をそっと紗夜の頭に置き、さらさらの黒髪を撫でた。

「御子杜、紗夜……か。変なヤツだな。お前は。会ってまだちょっとしか経ってないってのに、俺なんかのために、そんなに泣きやがって……」

 考えてみれば、初めて会ったのは一週間ほど前で、初めて会話をしたのは二日前。こんな僅かな時間で、どうしてこうなったのだろうと思い出してみる。

 化け物同士の戦いを前に、精気のない瞳で立っていた紗夜。

 朝日荘で目を覚ましたときの紗夜。

 一緒に食事をした紗夜。

 剣道場で汗を流していた紗夜。

 線路下のトンネルで泣いた紗夜。

 武斗のことをみんなに知ってもらいたいと言った紗夜。

 心を許したような笑顔でお喋りをしていた紗夜。

 堂本の悲報に悲しむ武斗に、いっぱいいっぱい泣こう、と優しく包んでくれた紗夜。

 武斗が復讐を誓い、アパートを出ようとしたときの紗夜。

 そして数時間前の、一晩中泣いたんだからと訴えながら、武斗の胸の中で泣いた紗夜。

「たったの二日だぞ? たったの」

 そう呟くが、武斗自身も分かっていた。その二日間があまりにも密度の濃いものだったことを。さらに言えば、武斗自身、紗夜に特別な感情を抱いていることも今でははっきりと気付いていた。それは、純粋な恋愛感情であり、彼女を守りたいという強い気持ち。

「ひょっとしたら、似た者同士なのかもな。俺たち……。そう思わないか? 紗夜」

 誰も聞いていないと思い、武斗は試しに下の名前で言ってみた。すると、紗夜が「ん……」と体を少し動かした。この反応に、実は紗夜は起きているのではと思い非常に焦ったのだが、紗夜が動いたのはそれきりだったので、ほっと胸を撫で下ろした。

 それから紗夜が起きるまでの間、武斗はずっと思い返していた。ヤナガと戦ったときの自分を。おぼろげに覚えている真っ黒に壊れた自分を。そして、帰らぬ堂本への無念の気持ちを、唇を噛みしめて。

 紗夜が目を覚ましたのは、五時間目の授業が始まった頃だった。すでに武斗は目を覚ましていたので、安心した紗夜は、またもうっすらと涙を浮かべ「大丈夫ですか? 痛いところはないですか?」と気遣った。そんな紗夜に「御子杜の涙は底なしだな」と冗談を言うと、紗夜は「楯村くんが、私を泣かせてばかりいるからです」と笑い返していた。

 この日紗夜が遅刻してきたのは、かなり遅い時間まで眠れなかったために朝起きられなかったから。武斗のこともそうだが、紗夜のことも心配だったちとせが、遠回りになるのにわざわざ通学途中に立ち寄ってくれたことで、この程度の遅刻で済んでいた。

 保健室を出たのは三時頃となった。それまでに、担任が一度様子見で来て、他にはちとせが数度顔を見せに来た。慎二や頭の悪い友人らとは顔を合わせていなかったが、見舞いの品、と言っても学食のパンとコーヒーだが、それらが置いてあった。とても食べられる気分ではなかったので、持ち帰ることにしたのだが、そこで武斗は一つ思い出した。

 知り合いから借りたクローナイフやダガーナイフなどを、屋上に置きっぱなしにしてきたままだった。まさかそれらを紗夜に直接取りに行かせるわけにはいかず、教室に慎二がいたらここに呼んできてくれないかと紗夜に頼んだ。

 保健室に来る前のこともあり、紗夜は嫌そうな顔をしていたが、あいつに頼みたいことがあるからと呼んでこさせた。紗夜が慎二を連れてくると、武斗は紗夜を廊下で待たせ、声を小さくして慎二に回収を頼んだ。

「それはいいけどよ。なかったらどうする?」

「弁償するしかねえだろ」

「ふうん。ま、とりあえず取りに行ってやるか。御子杜さんとの関係を教えてくれるって言ってるし」

「言ってねえだろ」

「照れるなこの色男。そうそう。ブツは後でお前のアパートに届けてやるよ。んな物騒な代物、御子杜さんの目の前で渡すってのもナンだろ?」

「こいつに頼んだのは間違いだったか?」

 つまり、うまいことやってやる代わりに、紗夜とのことを教えろということだ。ただ、ならお前には頼まない、と言えないのが辛いところ。なんだかんだ言って一番信頼できるのが、この内原慎二なのだから。

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