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黒の守護者  作者: K-JI
23/62

血の代償

 長い時間、紗夜の胸の中で泣き続けたあと、廊下で一人静かに呆然としていた間、武斗の心は青白き炎を燃え上がらせていた。そして、悲しみの色で塗り潰されていた虚空の心がその炎で満たされると、雄叫びを上げ、自室へと戻り、カッターを取り出すと鏡の前に立つ。

 その顔は、無表情で冷徹な殺人鬼と言っても過言ではなく、しばし自分の顔を見つめたのち、先日の頬の切り傷に沿って、カッターの刃をゆっくりと浅く走らせた。まだ塞がっていないその傷口から、刃を追うように真っ赤な血がにじみ出た。

 これは、化け物への憎しみを自分の体に刻み込む為。

 次いで武斗は、制服の上着を脱ぎ、ワイシャツとシャツも脱ぎ、上半身裸になると、頬から滴る血をべっとりと手のひらですくい取り、心臓の上あたりにそれを塗りたくった。

 これは、化け物への憎しみを自分の心に刻み込む為。

 そうして、武斗は自分の体と心にこの憎しみを刻み込むと、再び服を着て、復讐鬼となって部屋を出た。その顔を、紗夜にだけは見られずに済んだのは、武斗にとって唯一の救いだった。

 アパートを出た武斗は、八城神社へ立ち寄ってから堂本が殺された現場に行き、自分のグローブを供えると復讐を誓った。その後、ナイフ類を多く所有しているとある知り合いの家に行き、ダガーナイフとクローナイフを一つずつ借り、ついでにそれらを隠すためのバッグを借りた。武斗を迎えたときのその友人はすぐに顔を青ざめさせ、今にも人を殺しそうな雰囲気の武斗に、何に使うつもりだと尋ねた。そしてその問いに、武斗は「化け物退治だ。人間にも動物にも使わない。約束する。それと、このことは誰にも言わないでくれ。頼む」と答えていた。

 それから、銀行でお金をおろして革の手袋を購入。昨日紗夜にパフェを奢った喫茶店で軽食を取り、夜の十時を回ったところで学校へと向かった。


 夜の学校は薄気味悪いくらい静かで、どの教室も廊下も電気は消えており、非常口の緑色の光と非常灯の赤い光だけがぼんやりと浮かんでいる。そのような校舎の中を、武斗は靴の音を響かせながら歩き、屋上へ出る扉の前まで来たところでバッグを降ろす。そして中から革の手袋を取り出し手にはめる。指の部分はなく、手のひらと甲だけを隠すこの手袋を選んだ理由は、指先の感覚を手袋によって失ってしまっては、動きに僅かな遅れと微細なズレが生じ、微々たるものだろうが生き延びる確率が減ると考えたから。

 絶望的なまでに不利な状況だからこそ、それぐらい神経を使う必要があった。

 手袋をはめると、友人から借りたダガーナイフとクローナイフを取り出し、右手にクローナイフを、左手にダガーナイフを握る。素手で勝てる相手ではないのだから、当然武器は必要だ。

 そうして準備が整うと一度両の手の中を確認し、右手でノブを捻り、重い鉄製の扉を開いた。ただし、すぐに襲ってくることも考えられたので、ドアの前に立って開けるのではなく、体は壁に隠して開け、そのまま数秒ほど待機して様子を伺う。何もないことを確認すると、武斗は屋上へと出た。

 頭上の空は、ほとんど星が見えず、ゆっくりと移動する雲が、何光年も先から届く星の光を隠している。月も薄い雲に隠され、雲をすり抜け、うっすらとその光を地上にもたらしている。町の光だけは、相変わらずの姿を浮かべている。

 その光一つ一つの中には、それぞれの日常があるのだろう。昨日と大して変わらぬ日常や、大きく変わっても人間の日常が。だが、武斗が立っているこの場所は、人間の日常から大きく離れたもの。いや、まったくの別の世界。

 屋上には、あの化け物の姿はなかった。騙された、と考えてもおかしくはなかったが、武斗は絶対に来ると信じて疑っていない。ダガーナイフを握る手を強め、武斗は屋上の中央まで歩くと、そのままそこに立ち尽くす。目を細め、耳をそばだて、全ての感覚を研ぎ澄ませて。

 もし相手が人間なら、背中ががら空きになるような場所は選ばない。だが、相手は常識が通用しない化け物。こちらが有利になる場所などないだろう。ならば、広い場所で相手を待ち受けてやろうと考えての行動だった。

 そうして多くの時間が過ぎ、腕時計が十二時を知らせるピピッというデジタル音を鳴らした。

「愚かなヤツだ」この時間を待っていたかのように、耳障りな声が聞こえてきた。その声に、武斗は身構えることなく、一点を見つめながら耳を澄ます。

「逃げ出す猶予を、わざわざ与えてやったというのに。人間とは、本当に難解な生き物だな。まあ、だから飽きないのだが」

 半笑いでそう言うと、数十メートル離れた給水タンクのある小さな小塔の、光の届かない真っ暗な壁面から、狼の如きモノが浮き出てきた。そこに隠れていたわけではない。本当にそこから浮き出てきたのだ。

 やはり、常識は通用しない。

「さて、では自己紹介でもしようか?」

「化け物相手にするつもりは――」

 武斗が冷徹な口調でそう言いかけたところで、先端の尖った槍のようなものが、瞬きする暇などない早さで武斗に迫った。そしてこれを、武斗は表情一つ変えず首を少し動かすことでかわす。槍のようなものは、武斗の左の頬のすぐ側を貫いた。もしかわしていなければ、間違いなくそれは武斗の口内を貫いていた。

 狼の如きモノは、感心したように「ほう」と小さく歓声を上げる。

「だが、次はないぞ?」

「……」

「改めて自己紹介といこうか。我はヤナガ。見ての通り、この世界の住人ではない。闇の世界の住人だ」

「闇の世界……」

「まあ、今のお前には理解できぬ世界だ」

「そのお前が、何故ここにいる」

「簡単なことだ」ヤナガと名乗った狼の如きモノはそう言うと、にたりと口を歪めた。

「人間を、喰らい殺す為だ」

 その言葉に、武斗の表情がここに来て初めて歪み、奥歯をぎりっと噛む。

「次は貴様が喋る番だが、まあそれはいいだろう。何も知らぬ貴様の自己紹介など、聞く意味などないからな。それで、我になに用だ?」

「堂本さんを殺したのは、てめえか……」

「それがどうかしたか?」ヤナガはふざけた口調で答え、武斗は憎悪で顔を塗り潰す。そしてそんな武斗を楽しむようにくくっと笑った。

「用とはそれだけか? ならば我は帰らせてもらうぞ?」

「用は、これからだ」武斗はそう言って、ようやく身構える。

「我に挑もうというのか? ならば、かかってくるがいい。あの男と同じように死んでも良いというのであればな」

 武斗は、この挑発に荒ぶる自分の心を、一つ深く呼吸することで制御し、これからの戦いに全神経と全意識を集中させる。

「そうか。ならば死ね」

 ヤナガはそう言い放つと、三本の槍を水平に並べて武斗へと攻撃を加える。その早さは最初の一撃よりも早かったが、武斗は遅れることなく膝を折って上体を低くしかわす。三本の槍は武斗の頭上を真っ直ぐに通過した。そして間髪入れず、そのままだった最初の一本が、ムチのように武斗の頭部を狙う。これに対しても、武斗はさらに上体を低くしながら左のダガーナイフを立てて対応し、ナイフはその攻撃を受け止めた。だが、それを切り裂くことは出来ず、逆にはじき飛ばされそうになる。とっさに、武斗はナイフを握っている腕を緩めて攻撃を受け流し、その下をかいくぐり、一度体を回転させて体勢を立て直した。

 それは、常人の目には到底追えない、本当に一瞬の出来事。この武斗の対応に、ヤナガは再び感心したように言った。

「ほう。基本はそれなりに出来ているようだな。だが、今の貴様はそれだけだ。その程度では話にならん」

 そしてヤナガは、四本の槍を振り回しながら武斗を責め立てていく。その攻撃を武斗はどうにかかわしながら、じわじわとヤナガに近付いていこうとするが、防戦のみでは限界がある。すぐに相手の攻撃が武斗の体をかすり始め、そして強烈な一撃が武斗の腹を打ち、武斗は数メートル吹っ飛ばされた。

「が……あっ……!」

 武斗は呻き声を上げ、口から血を吐き出す。

「ふん。威勢のわりには他愛ない。それが貴様の本気か?」

「ぐ……」

「これでは余興にもならんな」

「ま、だだ……」見下すようなヤナガに、武斗はどうにか起き上がる。だが、今の一撃で武斗がこれ以上戦える状態でなくなったことは一目瞭然。勝敗は完全についた。だというのに、ヤナガはトドメを刺そうとせず、むしろこの余興をもっと楽しもうと「今のお前では面白くもない。しかしこのまま終わらせてしまってはもっと面白みがない。そこでだ、こういうものを用意してみたのだが、どうだ?」と言って、にやりと笑い、体をぞわりと震わせると、体から人影が伸び上がってきた。ヤナガの触手らしきものに支えられ、まるで十字架に張り付けられキリストのようにして意識を失っているその人影は、内原慎二のものだった。

「し……んじ……」信じがたいこの光景に、武斗の目が大きく見開かれる。

「これでもう少しは、楽しませてくれるだろう?」

 ヤナガはそう言って、一本の槍を慎二に向ける。そして武斗の悲痛な表情と「や、やめろ……、やめろお!」という声に満足そうな笑みを浮かべて、慎二の心臓を貫いた。

 慎二の体がびくんと動き、再び静かになった。

 目の前で行われた、親しき友の惨殺。呆然とする武斗の瞳から涙がすうっとこぼれる。そしてヤナガは、慎二の死体を横に投げ捨てた。物言わぬ骸はごろごろと転がり、フェンスに当たり動かなくなった。

 武斗は無惨な姿になった慎二を見つめるばかり。

「おや? 逆効果であったか?」ヤナガはやれやれと愚痴ると、吐き捨てるように言った。

「なんだ、つまらん」

 その言葉が、目の前の出来事にショックを受けていた武斗の心を、真っ赤な憎しみの色に染め上げていく。そして、それまでの青白き静かな憎悪に包まれた武斗ではなく、紅蓮の炎となった憎悪に包まれた。その姿は、まさに阿修羅のよう。

「……今、なんつった」

「つまらぬと言ったが、聞こえなかったのか?」

 再度聞くその言葉に、唇を噛みちぎりながら奥歯を噛みしめると、「うおおおお!」と吠え、それまで痛みで動けなかったのが嘘のように、武斗は猛然とヤナガに突進した。その動きは、ダメージを受ける前よりも鋭く、迎え撃つヤナガの攻撃をかわしながら距離を詰める。

 しかし、力の差は依然として開いたまま。肉薄するかに見えた武斗の突進は、残り半分の距離で右足を痛打され、痛みは何一つ感じなかったが、バランスを崩し倒れてしまう。倒れた武斗はがむしゃらに起き上がり、再度突進しようとする。その目の前に、武斗の頭部を狙って伸びてきた槍の尖端があった。

 その尖端を、武斗はすんでのところで右手のクローナイフで受け流す。だが、続く相手の攻撃が武斗の脇腹を打ち、武斗は地面に叩きつけられた。それでも、再び口から血を吐き出しながら、よろよろと立ち上がろうとする。そんな武斗をヤナガは「その程度か?」と機嫌の悪そうな声で言うと、武斗に受け流された自分の触手を彼の前でかざした。

「我に僅かながら傷を付けたことは、素直に褒めてやろう」

 ヤナガがそう言うように、切り裂くことは出来なかったが、クローナイフが付けた傷が残っている。先ほどまでは傷を付けることすら出来なかったのに。

「しかし、まだまだ遊び足りぬな。貴様の中の憎しみは、その程度のものか?」

「だ……まれ……」

「ふん。まあよい。次はこいつを使ってみるまでだ」

「つ……ぎ?」

 ぼやける視界の中、武斗はヤナガを見据える。そして、次の生け贄が現れた。その生け贄に、武斗は悲鳴に似た呻き声を上げ、そんなはずはないと頭の中で繰り返した。そこにいるのは、今頃は八城神社で眠っているはずの、意識のない御子杜紗夜。

「どうした? もう終わりか?」

「や……めろ……、やめてくれ……、そいつだけは……」

「ならば、我を止めてみろ」

「う、……ああああっ!」

 武斗は、紗夜を救いたい一心で突進する。だが、焦るばかりで完全に冷静さを欠いた武斗は、ヤナガの攻撃をかわせず、一撃で退けられた。

「早くしないと、この娘も死ぬぞ?」愉快そうに言うと、紗夜ののど元に槍を突きつけ、そのまま下に降ろした。紗夜の制服の胸元は裂かれ、一筋の赤い線が刻まれた、彼女の白い素肌が露わになる。

 その光景に、武斗は再び突進する。しかしやはり一撃で退けられ、今度は腹部の当たりを斜めに裁ち、同じように白い肌と赤い傷が露わになる。

 そして武斗は何度も突進し、その度に紗夜の体が切り裂かれていった。

 肩口が裂かれ、

 腹部が裂かれ、

 胸部が裂かれ、

 手足が裂かれ、

 紗夜のからだが真っ赤に染まっていく。

 やがて、武斗が完全に動けなくなってしまうと、ヤナガは落胆のため息を落とし、心底残念そうに告げた。

「貴様には失望したぞ。余興はもう終わりだ」

 それは、紛れもない死の宣告。もはや武斗は死を待つのみ。しかしそんな状況であっても、紗夜だけは救いという気持ちは消えなかった。しかしそんな武斗の気持ちを弄ぶように「己の無力さを呪うのだな」と吐き捨て、ヤナガは五本の槍を、無数の傷を刻まれた紗夜に向ける。そして、やめてくれと叫びながら必死に腕を伸ばす武斗を見つめながら、その全てを紗夜の胸や腹、ノドなどに突き刺した。

 その瞬間、武斗の心が真っ黒に壊れた。

 痛みは消え、音も消え、視覚以外の感覚が全て消え失せた。今の武斗は、手や足などの肉体を一切感じない、視覚だけを持った遊体に等しい。にも関わらず、武斗はヤナガへと突進した。そしてヤナガは、満足そうににやりと笑みを浮かべ、四方八方から攻撃を加える。それら一撃一撃は容赦なく次々と武斗を襲った。だが、武斗はそれら全ての攻撃を、全て見切っているかの如く見事にかわし、防いでいく。つい今し方まで、その一撃さえよけることが出来なかったというのに。しかも、少し傷を付ける程度でしかなかった武斗の武器が、確実にヤナガの触手のような槍を切り落としていく。

 そして、瞬く間にヤナガとの距離を詰め、手の届くところまで辿り着くと腕を伸ばし、ダガーナイフをヤナガの脳天と思われる場所へと振り下ろした。

 このまま勝負が決すると思われた瞬間、残りあと一センチというところで、その刃先が止まった。

 ぴたりと動きが止まった武斗の心臓付近に、ヤナガの触手が突き当たっていた。

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