告白
紗夜の部屋に、照臣がお茶と和菓子をお盆に載せて入ってきたとき、紗夜とちとせはだいぶ落ち着いた様子だった。ただ、二人とも照臣を見ると心配そうな顔を浮かべ、大丈夫でしたか?と尋ねた。
「ええ。このとおり」
「……でも、あいつ凄い剣幕だったでしょ? 怖くありませんでした?」とちとせ。
「はは。正直言うと、結構怖かったですね。なにぶん、相手が相手でしたから」
照臣はそう笑うと、持ってきたものをテーブルに置き、それじゃと退室しようとする。そんな照臣に、紗夜が「叔父様」と少し躊躇いがちに声を掛けた。
「何かな?」
「あの……、どうして、教えてくれなかったのですか?」
「ん? 何をだね?」
「楯村くんとは、お知り合いだったんですよね……。どうして言ってくれなかったのですか?」
「知り合いといっても、少し知っている程度だし、言う必要もなかったからねえ」
「それは……、嘘です」
この二人の会話を、ちとせは内心どきどきしながら傍聴していた。照臣は談笑でもしているかのような表情だが、紗夜は何か思い詰めた様子。この対照的な表情でのやりとりには、端から見ていてとても緊張感があった。
「なぜ嘘だと?」
「先週、私が楯村くんに好意を持たれているかもしれないという話を、叔父様もここでお聞きになりましたよね。その時、言ってくれても良かったではないですか。でも叔父様は、まるで赤の他人のような言い方をしてました。それに」
そこまで喋って、紗夜は下を向いていた目を照臣に向けて、問い詰めるような口調で言った。
「先ほど、楯村くんは言ってました。また隠すつもりなのかと。子供の頃とは違うとも。それ以外にも、少し知っている程度の話し方ではありませんでした」
見たことのない紗夜の強い口調とその様子に、傍聴していただけのちとせが、紗夜が感情的になってきていると思い慌てた様子で「御子杜さん、お、落ち着いて」と止めに入った。しかし紗夜の耳には届かず、「教えて下さい。楯村くんは、いったい何を話されたのですか」と、瞳に強い意志を宿し尋ねる。その瞳に、笑顔を浮かべていた照臣はため息混じりに答える。
「紗夜には関係のないことだ。これは、私と彼の問題なのだからね」
「……確かに、叔父様の仰るとおりだと思います。でも、私は知りたいんです!」
「ちょっと御子杜さん、落ち着こう、ね?」
「楯村くんのこと、もっともっと知りたいんです!」
「御子杜さんってば」
ちとせはどうにか紗夜を落ち着かせようとする。そんなちとせに、照臣は「川村さん、いいんです」と、紗夜を諭すのではなくちとせを諭すように言った。
「紗夜がここまで強く、自分の感情を相手にぶつけることは、今までなかったですから」
「でも……」
「いいんですよ」
そう照臣に言われてしまっては、ちとせもこれ以上何も言えない。渋々と大人しくするしかなかった。
「紗夜。武斗くんとのことを隠していたわけではない。本当に、言う必要はないと思ったからだ。それは信じて欲しい。それと彼と話した内容は、お前に話すわけにはいかない。とてもプライベートで、デリケートなものだからね。分かってくれるね?」
照臣は理解を求めるように尋ねるが、紗夜は瞳を下に落とし、不服そうに数度首を横に振る。その返事に、照臣はため息を落とし、静かに話し始めた。
「武斗くんが子供の頃、父親とよくこの神社にやって来た。彼の父親とは知った仲で、彼を一人遊ばせて、私は彼の父親とよく話し込んだものだった。だが、幼くして母親を失っていた彼は、十一歳の時に父親をも失った。まだ子供だというのに、独りぼっちになってしまったんだ」
この話に、ちとせは驚きのあまり思わず「うそ」と呟いた。だが紗夜は、両親の話を既に本人から聞いていたので驚かない。それもまたちとせには驚きで、「御子杜さん、知ってたの?」と聞いた。
「楯村くんに教えてもらいました。お母様と、お父様のことを。他にも色々と……」
いつの間に、と聞きたい気持ちでいっぱいだったが、話を脱線させてはまずいと思いぐっと飲み込み、ちとせは傍聴者に徹しようと口を結ぶ。だが、続く照臣の話に何度も驚きの声を上げ、紗夜も同様に驚いた。
「不憫に思った私は、彼をしばらく預かることにしたんだ。そして彼は、ここで暮らした。ちょうどこの部屋でね。だが、事情があって、ここで預かれなくなってしまったんだ。それ以来、彼がここへ来なることはなくなり、顔を合わせることもなくなってしまった。私が知っている彼は、子供の頃の彼だけなんだよ。」
照臣はそこまで喋ると、一呼吸置いて「彼と話した内容も、昔に関係することだ……」と付け加え、「もうよいかな」と表情を和らげて締めくくる。
だが紗夜は返事をしようとせず、俯いたまま。照臣は、それが返事と受け取るように部屋を出ようとした。そして完全に退室する間際、紗夜が潤んだ声で告げた。
「私は……、叔父様のこと、信じてます。……でも、楯村くんのことだけは、信じられません」
「それならそれで、仕方ない」
照臣はそう言って部屋を後にし、俯いた紗夜と、場の空気に戸惑うばかりのちとせだけとなった。しかも、ちとせが「御子杜さん、何もあそこまで言わなくても……」と言うと、紗夜が大粒の涙を流し出し、涙の理由など知る由もないちとせは「あとで一緒に謝ってあげるから」と必死に慰め続けることとなった。
紗夜は、胸が張り裂けそうなぐらい悲しくて切なかった。両親を失った武斗が、この部屋で、この場所で、ひとりぼっちで泣いていたのかと思うと。そして、トンネルの下で紗夜を慰めた時の、泣くだけ泣けばいい、後で笑えれば、という言葉にどれだけの想いがあったのかを思うと。涙は、枯れることを忘れたかのように溢れ続けた。
そうしてひとしきり泣き、ようやく涙が止まった頃には、なかなか泣きやまない紗夜にちとせが泣きたい気持ちでいっぱいになっていた。それ故、紗夜が泣きやんだときは心底ほっと息をついた。
「気は済んだ?」
「……はい。あの、ごめんなさい」
「気にしないで。それより、お茶飲む? 落ち着くよ?」
ちとせはそう言って紗夜に湯飲みを差し出す。目を真っ赤に腫らした紗夜は、こくんと頷き、湯飲みを受け取ると口を付けた。
「それにしても、びっくりすることばっかりだね。もう朝からびっくりしっぱなしだよ。ほんと、疲れちゃった。もうお弁当一つじゃ足りないぐらいだよ」笑いながらそう言って、紗夜の様子を見ると、どうやら気持ちも落ち着いてきたようだった。ただ、今から昼食というのは無理なようで、もうしばらく時間を要するだろうと、まだ昼食を取っていない空腹のお腹をさすりながら一つ尋ねた。
「あの、さ。答えたくなければ答えてくれなくていいんだけど……。楯村くんから両親のこと聞いたって、本当?」
その問いに、紗夜は少しだけ間をおいて頷いた。
「へ、へえ〜。いつの間にそんな話したの? 御子杜さんが言ってた、あいつに助けてもらったときに聞いたの?」
この問いにも少し間をおき、今度は首を横に振った。
「それじゃあ、いつの間に?」
再び間をおいて、ようやく言葉を出して答えた。
「ごめんなさい」
「なんで謝るのよ。って、そりゃあ私らがあれだけ言ってれば、言うに言えないよね。こっちこそ、ごめんね」
「違うんです……。私、嘘を付いていたんです」
紗夜が言う嘘が何を対象にしているのか判断しかねるちとせは「嘘って、何を?」と尋ねる。そして紗夜は、昨日と一昨日のことを話した。武斗に助けられたこと。日曜日の夜から翌日の朝にかけての記憶がないこと。不安な自分を武斗が一生懸命に元気付けてくれて、慰めてくれたこと、お互いのことでお喋りしたこと。そして、その時感じた武斗の優しさを、嘘偽りなく、あったこと、感じたことをそのままに。
それらを一通り話し終えると、にわかに信じがたいという顔のちとせに「やっぱり、信じてもらえませんか?」と不安げに聞いた。
「いや、そりゃまあ……、あいつのイメージがイメージだから、信じられない気持ちはあるけど……。でも、御子杜さんが嘘言うわけないからね。うん。信じる」
「川村さん……。ありがとうございます」
「ううん。それより、なんで記憶がないことを言ってくれなかったの?」
「それは……」紗夜は少し困った顔をして言い淀む。そんな顔をされては、無理に聞くわけにはいかない。「あ、やっぱいいや」と、この話題を打ち切ろうとした。しかし紗夜は、意を決したように静かに続けた。
「怖かったんです。見たこともない服を着ていて、目が覚めたら知らない場所にいて、記憶がなくて、もしそれを言ったら……。楯村くんは、泣くだけ泣いてから考えればいいって、無理に知ろうとしなくてもいいって、そう言ってくれましたけど、みんなは、私をどう思うのかなって、もしかしたら、私を変な目で見るかもしれないって考えたら……」
「なるほど。御子杜さんらしいっちゃあらしいかもね。まあ、中にはそういう馬鹿野郎はいるだろうけど、でも。ほとんどは御子杜さんの味方だよ。だから、これからはそんな心配する必要なんか、ないよ」
ちとせのその優しい言葉に、紗夜の瞳が安堵で再び潤み始めると、ちとせは「ああ、もう泣かんでいい」と苦笑いし、場の空気を変えようとあれこれと話題を持ち出し、紗夜の気持ちが良い方向に落ち着くのを待った。
警察署の一室。そこで聞かされた警官の説明に、海江多キックボクシングジムのトレーナーである滝が、顔を紅潮させ怒鳴った。それは間違いだ、嘘を言うなと。しかし、それが覆しようのない事実であることは、滝自身も理解している。
大量の血痕、DNA検査の結果、別の事件で押収されたバッグの存在、そのバッグを拾ったという浮浪者の証言、そしてバックに付着していた、微細な頭部の肉片。それらを重ね合わせれば、導き出される答えは一つしかない。それを理解しているからこそ、拒絶したい気持ちだけが募っていたのだ。
なだめようとする数人の警官や、一緒に来ていたジムの者らを振り回しながら暴れるだけ暴れ、ようやく現実が滝の心に染み渡っていくと、滝はその場で大声を上げ、膝を落として泣き崩れた。