センター・ピース
紗夜を強制連行した彼女らの質問は主に二つ。一つは、楯村武斗を優しい人と評した理由。もう一つは、一時間目の休み時間に武斗と二人で何を話したのか。これらの質問に対し、このような事態になるとは思ってもみなかった紗夜は、二時間目の休み時間の事情聴取に対する答えを用意していなかったため、最初に口にした「助けてもらったから」という言葉をどうにか取り繕うのに必死だった。
そして彼女が話した内容は次のようなものだった。
日曜日の夜、紗夜は知らない男性らに絡まれた。そこに偶然武斗が通りかかり、助けてもらった。だがその時ちゃんとお礼が言えなかったので、そのお礼を言うためにあのようにした。二人きりになったのは、皆がいるところで言うと、彼も照れ臭いだろうと思ったから。
皆、その話を信じられないという気持ちで聞いていたが、辻褄の合わない話ではないため、渋々ながら納得せざるを得なかった。だが、三時間目の授業が終わると再び紗夜を強制連行し、ひょっとしたら、紗夜に絡んできた男というのは武斗が用意したもので、紗夜に取り付くための自作自演かもしれないという意見が飛び出し、やはり気を許すべきではないと多くの者たちが口を揃えて言い出した。
これにはさすがに紗夜も我慢できず、声を少々潤ませながら「どうして皆さんは、楯村くんをそういう目でしか見ようとしないのですか。皆さん、酷いです」と声を上げた。
そんな彼女の様子に、皆、自分たちが紗夜をいじめているような気がしてしまい、これ以上とやかく言うのは止めるべきだという意識が生まれ、事情聴取はここで完全に打ち切られた。ただし、紗夜の武斗に対する評価は受け入れがたく、武斗への疑いの目がなくなったわけではなかった。
休み時間の終了を告げるチャイムが鳴ると、ちとせらはバツが悪そうに教室へと引き上げ、紗夜も教室へと歩き出す。すると前方から、武斗が眉間にしわを寄せて走ってきた。ちとせらは、てっきり自分たちに何かするつもりで来たのかと思い体を強張らせ、紗夜は、自分を心配して来てくれたのかと思った。そして武斗は、走りながらそんな彼女らに「邪魔だ!」と怒鳴る。
ちとせらは慌てて道を空けたのだが、紗夜だけは動かなかった。武斗は、紗夜の姿に一瞬だけ表情を変えたが、足を止めることなくそのまま通り過ぎていった。まるで、猛烈な勢いでハリケーンが通り過ぎていったようで、しばし誰もが、
「な、なんだったのかしらね……」
「なんか、スゲーこええ顔してたな……」
「喧嘩でもしに行くのかしら」
などと呟きながら、武斗が駆け抜けていった先を呆然と眺め、通りかかった教師に注意されて、ようやく彼女らは慌てて教室に戻っていった。
四時間目の授業に武斗の姿はなく、その授業中、ちらほらと武斗の話題が出ていた。休み時間中に教室にいた生徒の話によると、慎二と内緒話をしていたら突然大声を出し、とても怖い顔をして教室を飛び出していったということだった。何を話していたかは不明だが、どうせ喧嘩がらみだろうという見解で一致し、異論を持っていた者は、一人を除き誰もいなかった。無論、直接話をした慎二は最初から除外して。
その一人である紗夜は、廊下で自分を見つけたときに一瞬見せた武斗の表情が、どうにも気になっていた。
みんなが言っているような理由ではなく、もしかしたら、自分自身にも関わることかもしれない。
何故かそんな気がしてならなかった。だからどうにも気になり、授業が終わったら内原慎二に聞いてみようと心に決めた。そうして授業が終わると、早速、慎二の元へ行った。見守るような視線を受けながら。
「あの……、内原くん」
「あれえ? 俺に話し掛けちゃっていいのかなあ?」慎二はわざと教室内をなめるように見ながら言う。実は慎二も喧嘩の強さで有名だったりする。
「……お聞きしたいことが、あるのですけど。楯村くん、何かあったのですか?」
「いやあ。俺が知りたいぐらいだけどね。で、御子杜さん。あいつと何かあったの? あいつがあそこまで血相変えるなんて、今まで見たことなかったから」
「それは……。そ、それより、何をお話しされてたのですか?」
「心配なのかい?」
「はい」
紗夜は迷いなくはっきりと答える。その真剣な眼差しに、慎二は少々意地悪することにした。この眼差しがどれだけ本物なのかどうか確認する為に。
「分かった。それはだね……。と教えてあげたいのも山々だけど、ここじゃあねえ」慎二はそう言いながら、再び教室内に目を向ける。慎二が言おうとしていることは、ほとんどの生徒が察しており、彼らは警戒や敵意の目を向けていた。そしてちとせも、勇気を出して「駄目よ御子杜さん。そんなヤツの口車に乗っちゃ」と控えめな声で言う。
「だそうだよ? どうする?」
「私は構いません」やはり紗夜は即答する。これで、彼女がどれだけ真剣であるか確認できた。
「……まいったねえ。本当にあいつに先越されちまうとは」
「それは、どういう意味ですか?」
「こっちの話。んじゃ商談成立だな。さて、二人っきりになれる場所に移動するのもいいけど……、やっぱめんどくせえなあ。というわけで、お前らもっと離れてくんない?」
「私は別に……」
「いいからいいから。ほれ、お前らさっさと散れ」
慎二は、露払いをすべく周囲のクラスメートに命令し、別室で二人きりにさせるぐらいならと彼らは腹立たしげに廊下の方へと移動した。
「さて。とりあえず楯村の席に座って」
紗夜は言われるとおりに椅子に座り、黒板の方へ顔を向ける。そして慎二は彼女の耳元に口を寄せると、声が漏れないよう両手で隠しながら「君が今住んでいる家を教えた」とだけ言い、顔を離した。もっと長い説明があると思っていた紗夜は、きょとんとした顔で「あの、それだけ、ですか?」と尋ねた。
「ああ。これだけ。そしたらあいつ、スゲー驚いた顔して、かと思ったら鬼の形相になって、そのまま走っていっちまった」
「どうして……」
自分が今住んでいる場所を知って、武斗が何故そのような行動を取ったのか理解できないが、廊下で見た武斗の表情を思い出すと、妙な胸騒ぎがしてならなかった。故に、紗夜は「ありがとうございます」と慎二にぺこりとお辞儀をすると、鞄を取りそのまま教室を出て行ってしまった。ほとんどが呆気にとられる中、ちとせだけが後を追っていった。
「八城神社に下宿してるそうだ」
慎二からその言葉を聞いたとき、武斗の頭の中で漠然と漂っていたパズルのピースが次々とはまりだし、それらの中心にあるものに、今までにない激しい怒りを感じた。そして気が付けば走り出していた。
途中、廊下で紗夜と遭遇したとき、武斗の心境は複雑なものとなった。
きっと紗夜は何も知らない。何一つ知らされていない。それは自分と同じ。ただ、自分は隠されたものを力ずくで引きずり出すことが出来るだろう。しかし紗夜は……。
そう思うと、悔しさや怒りや憎しみが込み上がってくる。だからこそ、一刻も早く引きずり出すべく、あえて紗夜を無視し、八城神社へと急いだのだが、その移動手段に少々問題があった。神社へはバス一本で行ける。しかし三十分近く待たなければならなず、悠長にバス停で待ってなどいられるはずもない。結局、武斗は教員用の駐輪場に止めてある自転車を一台拝借し、神社へとペダルを踏み続けた。
そうして、ようやく八城神社へとやって来た。この神社は、ここ数年はほとんど足を向けていないが、昔は何度も来た場所であり、父とも何度も来た場所。
武斗は鳥居をくぐりまっすぐ母屋へと向かう。そして呼び鈴を鳴らすことなく玄関の戸を力任せに開け、靴を脱ぎ捨てて奥の部屋へと一直線に駆け込んだ。目的の人物、八城照臣はたいてい奥の座敷にいることを知っているからだ。しかし、勢いよく部屋に入るも中には誰もいない。襖で仕切られている隣の部屋にも姿はなく、くそっ、と舌打ちをすると「どこに隠れていやがる!」と怒鳴り、勝手知ったる母家の中を走り回り、片っ端から部屋を開け始めた。居間、台所、客間、寝室、書斎、風呂場、便所と、次々と調べていったが、やはり姿はなく、残り二部屋となり、その一部屋の前に立った時、武斗の表情が変わった。
その部屋は、父親が死に、身寄りのない武斗が照臣の計らいでしばらく暮らしていた、かつての武斗の部屋。独りぼっちとなり、自分はこれからどうすればいいのか、一人悩み、誰にも見られないように泣き、このまま終わるなんてごめんだと、強く心に誓った場所。そして、いつまでもここにいるべきではないと照臣に追い出された場所。その当時のことが頭をよぎり、ほんの僅かだが、懐かしさと寂しさに表情が変わった。そして、武斗は戸をゆっくりと開けた。
頭の中に描かれていた風景は、当時のままの本当に何もない、がらんとした畳み部屋。しかし今そこには、花やたくさんのぬいぐるみが並べられていた。
「そうか。今は、あいつの部屋になってんのか……」
少し寂しい気もしたが、それは仕方のないことだし、そもそも思いにふけるほどの寂しさではない。それよりも、女の子らしいそれらのぬいぐるみが、御子杜紗夜という少女の内面を表しているような気がし、紗夜のことを思うと、再び怒りが込み上がってきた。
隈無く母家の中を探したが見つからず、悪態を付きながら敷地内の別の場所を探し始めた。この神社には、本殿、拝殿、幣殿、祓殿と四つの社殿がある。本殿とは、御神体を祀った建物。拝殿とは、参拝者が拝礼する建物。幣殿とは、神様にお供え物をする建物。そして祓殿とは、身を清める為の建物。
武斗はそれら一つ一つの中まで探したが、結局見つからず、収めようのない怒りに「どこ行きやがった! クソ神主!」と怒鳴った。ここにいなければ、もう探す当てはない。残された手段は、ここで照臣の帰りを待つことのみ。やむなく、鳥居の前で待つことにした。
そういえば、と武斗は昔を思い出した。
昔、武斗がまだ小さい頃、父に連れられ何度もここに来た。武斗は照臣を八城のおじさんと呼び、照臣は笑顔でそれに答えていた。しかし、武斗が成長するにつれ、ここに訪れても父と照臣は武斗を蚊帳の外にして話し合いをするばかり。仕方なく、武斗は一人ここで遊び、鳥居の下で話が終わるのを待った。そして武斗が九歳の時、話し合いを終えた父が顔を真っ赤にして戻ってきた。以来、神社へ来る回数は激減した。
今にして思えば、武斗が知らされていないという話を二人が話し合っていたという可能性は十分にある。なにしろ、武斗が八城神社の名を聞いたとき、今回の件に八城照臣が関係していることは間違いないと思ったからだ。
化け物の存在。その化け物が言った言葉。黒い虫が見える八城照臣。そして御子杜紗夜という存在。
それらの中心が八城照臣になるのは、武斗には当然の結論。それに加えて、虫の見える父と照臣の密談。これはもう、照臣が何か知っているとしか考えようがない。
「あの野郎」
武斗は握り拳を作り、絶対に聞き出してやると唸り続けた。
そうしてしばらく待っていると、ようやく照臣が戻ってきた。その姿を見つけた武斗は、途端に顔を紅潮させ、勢いよく立ち上がると怒りの表情で照臣に歩み寄ろうとした。だが、その足は止まり、表情も驚きのものに変わった。
照臣の横に、紗夜とちとせがいたのだ。
「なんでお前が……」
武斗は、紗夜の姿に苦々しげに見つめた。