駒井沢戦線異状あり 後編
昨夜の現場で、なかなかにいいムードを醸し出していた二人だったが、巡回中の警官に水を差されてしまった。その警官は、目を真っ赤にしている紗夜を見て、側にいる駒井沢高校の男子生徒に泣かされているのかと思いつつ近付き、その男子生徒が楯村武斗だと分かると、武斗が女性を脅かしている最中だと勘違いしたのだ。
「お前、何してる!」警官は警棒を握りしめて怒鳴る。相手は楯村武斗とあっては、警棒の一本や二本持たないことには話にならない、というのが警官同士の暗黙の了解となっているので、この若い警官もそれにならったのだ。
警官のこの行動に面を喰らってしまった紗夜は、最初は戸惑うことしかできなかった。対して武斗は、うんざりするほど経験してきたことなので、慌ても怒りもしなかったが、正直、せっかくの雰囲気をと少々機嫌を悪くしていた。
「息してんだよ」
「ふざけるな! お前、この人に何をした! 乱暴でもしたのか!」
その問いにどう答えてやろうかと武斗は少し考え、こう答えた。
「助けてやったんだ」
「嘘をつくな!」
「ほんとだって。変なヤツに追いかけられてたから、しょうがねえから助けてやったんだ。どんなヤツに追いかけられてたかっつうと、額にでかいほくろを二つ付けた、警官のコスプレしたタラコ唇の若いヤツだ」
武斗は鼻で笑うように、警官の顔を見ながら言った。
「ああ、そうそう。ちょうどてめえみたいなヤツだったな」
「き、貴様あっ!」額にほくろを二つ持つ、タラコ唇のその警官は顔を赤くして怒った。
「正直に言わんと、公務執行妨害で連行するぞ!」
武斗は別にそれでも構わなかったのだが、紗夜はそうもいかない。連行するぞという言葉に、紗夜は慌てて「違うんです! 本当は慰めてくれていたんです!」と割って入った。
まさか被害者と思わしき紗夜にも、強い姿勢で威圧的に相手するわけにもいかず、激高した若い警官は、努めて冷静に「本当ですか?」と尋ねる。この顔には不信感が満ちており、紗夜にもそれがよく分かっていた。
「本当です。ちょっと嫌なことがあって、それで私泣いてしまって、そんな私を楯村くんが慰めてくれていたんです」
彼女が武斗の知り合いだとは思ってもみなかった警官は、少々驚きつつ再度「……お知り合いなんですか? この男と」と尋ねた。
「はい。ですから、楯村くんは悪いことなんて何にもしてません」
「しかし……」警官はばつが悪そうに口を濁す。すると紗夜は表情を変え、少しばかり怒った様子で「私が、嘘を付いていると仰りたいのですか?」と、逆に尋ねた。
「いえ、そのようなつもりでは……」
「ならいいのですけど、それより、おまわりさん。最初から楯村くんが何かしたと勝手に決め付けるなんて酷いです。どうして最初から、あんなに攻撃的な目で楯村くんを見るんですか?」
「それは、ですね。この男はしょっちゅう問題を起こしておりまして……」
「だからといって、いつでも問題を起こしているというわけではありませんよね」
「それはそうですが……」
「でしたら、どうして犯罪者のような目で見るのですか」
「警戒は……、必要ですから」
「警戒するのと、最初から犯罪者扱いで物言いをするのは違いますよね」
「はあ、そのとおりで……」
普段の紗夜からは想像も出来ない、まくし立てるその説教に、警官は何も言えなくなり、もはやどちらが年上か分からなくなっている。そんな光景を、武斗は半ば呆然と、そして物珍しく眺めていた。
武斗の知る紗夜は、いつもどこかオドオドしているような印象の女の子。剣道場でも、小学生剣士たちにああだこうだと言われてやっと大声で「えいっ!」と言えるような、そんな大人しい紗夜が、今目の前で、警官相手に毅然と説教している。
「なんだ、やりゃあ出来るじゃねえか」
武斗は、感心するように苦笑した。
紗夜の説教がようやく終わると、警官はこそこそと立ち去っていった。言いたいだけ言って疲れてしまったのか、紗夜は肩で息をしながら武斗の腕に寄りかかった。
「いやあ、おもろいモン見せてもらったぜ。案外、気が強いんだな」
武斗はからかうように言葉を掛ける。しかし、手が微妙に震えているのを見ると、結構無理していたことを知った。そして、紗夜が平静を取り戻したわけではないことも知ることとなる。
「なぜあんな風に言ったのですか?」少し責めるような口調で紗夜が言う。
「あんな風って?」
「おまわりさんをからかうような言動をなさったじゃないですか」
「からかいたくなったからからかっただけだ」
「あんなこと言ったら、おまわりさんだって怒ってしまうことぐらい、分かるでしょ?」
「当たり前だろ。その為に――」
笑いながら武斗がそう答えようとすると、紗夜は叱るというよりも訴えるといった表情で「でしたらどうして!」と声を上げ、悲しげな瞳で武斗を見つめながら続ける。
「……どうして、楯村くんは悪者になろうとなさるんですか。どうしてそうやって……」
「悪者になろうなんて思ってねえし、もともと俺はこういう人間で、こういう性分――」
「違います! 楯村くんは本当は、とっても優しい人で、とってもいい人です!」
「お前、頭おかしくなったんじゃねえか?」
「楯村くんの方がおかしいです!」そう訴える紗夜の目から、ぽろぽろと涙が流れ出す。
「楯村くん、意地っ張りすぎます……。私、誤解されたままの楯村くん、見たくないです……、みんなに、知って欲しいんです……」
そう言い終えると、紗夜はうつむいて涙を落とすだけとなった。
「っておい、またか? てか別にお前が泣く必要なんてねえだろ。なあ、ちょっと?」
先ほどの涙は慰めることが出来たが、今回の涙は原因が武斗にあるので、励ますことも勇気づけることもできない。武斗に出来ることと言えば、謝ることぐらいだ。ただし、こういった場面での謝り方を知らないというか経験したことがないので、ちゃんとした謝罪にはなっていなかったが。
「その、俺が悪かった。だから泣きやめ。な? これからは気をつけるから、それでいいだろ? おい、何か言ってくれ。このとおり謝るから」
そんなしどろもどろの武斗の言葉を、紗夜はほろほろと泣きながらも、少しおかしく思いながら聞いていた。楯村くんにも、こういう一面があるのかと。それで気持ちが落ち着き、顔を伏せたまま「……それじゃあ、これからは心掛けてくださいね。約束ですよ」と約束を求めた。
「おお、善処する」
武斗の善処するという回答はどうかとも思ったが、紗夜は承諾することにした。ただし、条件を一つ付けて。
「それでは」紗夜はそう言うと、笑顔で武斗に顔を向けると「その証明として、パフェを奢ってください」と言った。
まだ泣いていると思っていた武斗は、目は赤いままだが笑顔で奢って下さいと言ってきた紗夜に面食らいながら「お、おう。そんなんでよけりゃあ」と答えた。
「それでは行きましょうか。いっぱい喋って、いっぱい泣いちゃいましたから。もう喉とお腹がカラカラです。あ、泣いた半分は、楯村くんのせいでしたね」
「だからそれは悪かったって」
「それについては、おいしいパフェを食べ終わったら、その時に許してあげます」
「……お前、キャラ変わってないか?」
「そうですか?」
「たぶん、だけどな。お前のことよく知ってるわけじゃねえし」
「そうですね……」
紗夜は武斗の言葉に小さく同意すると、独り言のように話し始めた。
「きっと、楯村くんのせいだと思います」
「なんで俺のせいになんだよ」
「それはですね……。私、小さい頃から両親に厳しく躾けられて、姉と妹も、あまり私とは性格が合わないみたいで、だから、ずっと自分を抑えてきたんです。なるべく大人しくして、なるべく怒られないように、なるべく嫌われないように……。でも、私だって、ただ我慢してるだけなんて嫌だったんです。自分はもっとこうしたい、自分はこう言いたいって。でも……、それをする勇気がありませんでした。お面を外せないまま、ただただ自分の本当の気持ちを誰かに知って欲しいと願うばかりでした……。この学校に転校してきたときもそうでした」
それが自分にどう関係するのだろうと武斗は思いながら、黙って聞き続ける。
「楯村くん。覚えていますか? 私はよく覚えています。教科書を読んでたら、楯村くんが大きい音を立てて教室に入ってきて……。私、心臓が止まるかと思うぐらい、びっくりしたんですよ?」
「あれは……、悪かったな」
「まったくです。それで、最初はとっても怖い人だと思いました。私のことずっと睨んでいましたし、周りの人も怖い話しかしてませんでしたし。……でも、巻野さんに色々教えてもらって、実際にこうして同じ時間を過ごして、楯村くんの素顔に触れて……、そうしたら、なんだか楯村くんが誤解されたままのでいるのが、とても嫌になったんです。優しい楯村くんを、みんなにも知って欲しいと思ったんです」
紗夜はそう言って、武斗に微笑んだ。しかし、それと紗夜の変化にどう繋がりがあるのか皆目検討付かない武斗は「それとお前の変わりようと、どう関係あんだよ」と尋ねた。
その質問に、紗夜はくすりと笑う。
「わかりませんか?」
「わかるかよ」
「本当に巻野さんが言ってたとおりですね。楯村くん、鈍感すぎます」
「うるせえ」武斗は口を尖らせて言う。そして紗夜は、そんな武斗を楽しげに見つめると、優しい声で言った。
「私も、本当の私を知って欲しくなったからです。楯村くんに」
聞きようによっては、これは告白だ。さすがの武斗もそれは思い、そんなわけあるかと否定し、一方でまさかと期待し、期待するその気持ちの中には昨夜の紗夜の温もりや寝顔、剣道場で見た笑顔などが入っており、武斗の顔は真っ赤になっていた。そして、そんな武斗に紗夜は容赦なく追い打ちをかけた。
「お、お前、何言ってんだよ」
「『お前』じゃなくて、紗夜って呼んでいただけませんか?」
「な!? なんでだよ!」
「だって、その方が親しそうじゃないですか」
「そういう問題じゃねえ!」
「駄目、ですか?」
「いや、だから……、それだけは勘弁しろ! 『御子杜』で許せ!」
巻野から聞いた情報から、現時点においてここが妥協点だろうと判断すると「仕方ないですね。それで許してあげます」と笑顔で答えた。
こうして、駒井沢戦線の情勢は一変したのであった。そして、武斗の紗夜に対する印象も。