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黒の守護者  作者: K-JI
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駒井沢戦線異状あり 中編

 剣道場には師範と事務のおばさんがいるだけで、練習生は誰もいなかった。ただしそれは、まだ稽古時間まで一時間近くあるからで、時間になれば練習生の小学生が十数名やって来るらしい。

 それともかく、師範は紗夜を見るや否や、ここぞとばかりに武斗の昔話に花を咲かそうとし始めた。紗夜としては興味のあるところではあったが、武斗が無理矢理断ち切り、少し残念な気持ちで、借りた剣道着に着替えることになった。

 その後、入念な準備体操をし、武斗は勝手に、紗夜は師範に見てもらいながら竹刀を振った。体育の授業で数回やっただけなので最初は色々と指導を受けたが、こつを掴んでくると、師範は小学生剣士たちを迎える準備をすべく、武斗に「後は楯村に任せるから、怪我させないようにちゃんと見ててね」と言って道場を出た。

「どうだ? ちっとはすっきりしたか?」

「は、はい、でも、腕が、疲れて、きて」

 素振りを初めてまだ数分しか経っていなかったが、紗夜の息は既に上がり始めている。

「お前、ほんと体力ねえな……」

「すみ、ませ、ん」

「……ちっと休むか? いきなりギブアップじゃ、出せる汗も出てきやしねえからな」

 早々のリタイヤ、というのもなんだなと思い、紗夜を休憩させ、その間武斗は竹刀を降り続ける。そんな武斗の姿が格好いいと密かに紗夜が思っていると、小学生剣士たちがやって来た。初めのうちは小学生剣士たちは自分たちの練習に集中していたのだが、休憩時間になった途端、素振りをする紗夜にやいのやいのと指導し始めた。

「お姉ちゃんへっぴり腰だぞ」「もっと声ださなきゃ」「おへそに力入れて」などなど、それはもう容赦のない指導だった。対して紗夜はというと、律儀に言うとおりにしている。そして武斗は、その様子を少し離れた場所から苦笑しながら眺めるだけ。結局それは、そろそろ頃合いだと思い師範が止めに入るまで続いた。道場に向けて一礼して退室するときの紗夜は、腕が上がらないほどに疲れていた。

「楯村くん、酷いです……」と、道場を退室してすぐに不平を言うのも当然というもの。しかし武斗は「で、スカッとしたか?」と尋ねる。

「それはもう、スカッとしすぎて、へとへとです」と、心底疲れた声で訴えた。

「そいつは良かったな」

「良かったのでしょうか?」

「良かったんだ」

「そうですね……。良かったです。とっても楽しかったですから」紗夜は小学生剣士たちとの時間を思い出し、満面の笑みで武斗にこう言った。

「ありがとう、楯村くん」

 その笑顔は、武斗を真っ赤にさせてしまうほど、きらきらと輝いていた。


 疲れた体を更衣室でしばらく休ませ、シャワールームで汗を流し、再び体を休ませ、借りた剣道着を持って女子更衣室から出ると、武斗は事務のおばさんとお喋りをしていた。紗夜は「ありがとうございました」と言って借りていた剣道着を返し、「お待たせしました」と武斗に言うと、おばさんはにやけた顔で「ほんとに楯村くんにはもったいない子だねえ」と言った。

「これだから暇を持て余しているおばさんってのは。行くぞ」

「あ、はい。失礼いたします」

 居心地悪そうに足早に行ってしまう武斗を追って、紗夜はおばさんに一礼して道場を出た。

「たく、どいつもこいつも」

「クス」

「んだよ」

「ううん。違うんです。なんだか、学校で見る楯村くんとは全然違うっていうか」

「そりゃそうだろ。学校の連中との付き合いなんかたいしてねえし、ダチになりたいともあんま思わねえし」

「でも内原くんとは仲いいですよね」

「あいつとは中一からの付き合いだからな。最初の頃は殴り合いばっかしてたけど」

「えっ!?」

「あいつも昔はかなりとんがってたからな。そうは見えないだろ?」

「そうですね……」

 そんな会話をしながら歩いていると、スーパーマーケットの前で急に紗夜がもじもじと「あ、あの……」と言い始めた。デリカシーのない武斗は平然と「便所か?」尋ねた。そして、当然だが紗夜は顔を赤くして「違います! それに、あの、そんな大きな声で言わないでください……。恥ずかしいですから……」と声を上げた。

「あ、わりい。んで、どうしたんだよ」

「その、ちょっと買いたい物があるのですが、今お金がなくて、それで……」

「買いたい物?」

「はい……。ですから、お金を貸して頂きたくて……。すぐにお返ししますから」

「なら最初っからそう言えって。んで、なに買うんだ?」

「そ、それは言えません!」紗夜は耳まで真っ赤にして言う。紗夜のこの反応に全く理解できない武斗は「まあ、別にいいけどよ……。で、どれくらい入り用なんだ?」と流す。

「二千円あれば、たぶん……」

「んじゃあ三枚渡しとくわ。微妙に足りなかったら困るだろ? それとも四枚必要か?」

「いえ、三千円あれば十分です。ありがとうございます。それでは行って来ますので、ここで待っていて下さいね」

 そして紗夜は、まるで逃げ出すように店内に入っていった。妙に顔を赤くする紗夜が理解できない武斗は、女って生き物は理解できないと心底思っていた。

 ちなみに、紗夜が買おうとしていたのは下着。着替えを持たずに道場で大汗かき、シャワーを浴びたのち再びそれを着用すれば、着心地が悪くて早く新しいものに変えたいと思うのは、男性もそうだが女性なら尚更だろう。ただし、武斗にはあまり関係ないようだが。

 無事にリフレッシュ出来た紗夜は、どこかすっきりした顔で戻ってきたのだが、その表情が武斗をさらに混乱させた。いったい何があったのかと。

 それから二人は、ハンバーガーショップで主に水分を補給し、さて次は何処に行こうということになった。武斗は、何処に連れて行けば紗夜の気が更に晴れるかと考えるが、なにぶん、同い年の女の子を相手にしたことがまったくと言っていいほどないので、いい案が出てこない。そもそも、気晴らしに竹刀を振らせるという発想自体が、女の子を相手にした発想ではないのだから。

 すると、紗夜が「行きたいところがあるのですけど」と言ってきた。彼女が行きたい場所とは、武斗が紗夜を見つけたという場所。つまり、化け物たちが戦っていた、線路下のトンネル。記憶のない自分に不安を抱き、その不安を解消する為にこうして汗を流したりとしてきたのに、なぜその不安を呼び起こすような場所にと、武斗は「今日のところはいいんじゃねえか?」と渋った。

「楯村くんから、元気をもらいましたから。それに、楯村くんも一緒に来てくれるんですよね」

「行くってんなら、もちろん一緒に行くけどよ……」

「それじゃ決まりです」

 武斗は少々不安であったが、彼女の決意を否定することは彼女を馬鹿にすることのような気もしたので、分かったと同意し、その場所へと向かう。そしてその不安は、トンネルに近付くにつれて現実味を帯び、トンネルに付く頃には、紗夜は口を真一文字に結んだまま何も言わず、武斗の服の袖を掴む手にはぎゅっと力が込められていた。

 昨夜のトンネルは、あの異様な戦いがあった場所とは思えないほど、何の変哲もない姿をしていた。化け物の死骸が山になっていた路面も、狼のような化け物が動き回っていた天井なども、触手やら槍やらが突き刺さったはずのコンクリートも、それらの痕跡を何一つ残していない。

 あれは夢だったんじゃないのか? 武斗はそうも思えたが、頬の傷と切れた唇がそれを否定している。夢ではない。あれは現実に起きたこと。それに、あの時の異様な感覚はしっかりと体に刻み込まれている。

 そういえば、と武斗は思い出した。

 狼のような化け物は言ってた。自分が何も知らされていないということを。

 何を知らされていないというのか。

「くそっ。わかんねえことだらけだ」

 苛立ちの中、武斗は呟く。するとその声に反応してのことか、隣にいる紗夜が武斗の腕にしがみついた。紗夜の表情を見ると、瞳に涙を浮かべている。

「大丈夫か?」

「やっぱり、楯村くんみたいに、強くなれないです……」

 声を震わせながら、紗夜はそう言った。きっと、元気をもらったからというのは、いつも堂々としている武斗のように、自分もこの不安な気持ちに立ち向かおうと、自分を奮い立たせる為の言葉だったのだろう。しかし、武斗と紗夜では、歩んできた道があまりにも違いすぎるし、そもそも性格が違いすぎる。

 不安に再び怯える紗夜。

 武斗はこうなるような気がしていた。きっと紗夜もそう思っていたのだろう。それでも勇気を出してここにやって来た。その勇気を、誰が責められるというのか。だから武斗は、紗夜にこう言った。

「御子杜。泣きたきゃ泣けばいい。我慢する必要なんかねえんだ」

 ひょっとしたら紗夜は、昨夜の光景を心のどこかで覚えているのかもしれない。だからこれだけ怯えているのかもしれない。武斗はそんなことを思いながら、「泣き顔見られたくなけりゃ、背中貸すぞ?」と、必死にこらえる紗夜に言うと、紗夜は武斗の体を伝うようにしてその背中にしがみつき、咽び泣くように涙を流し始めた。

 背中に感じる紗夜は、彼女の華奢な体以上に、とても小さく、弱く、無力な存在に感じる。それはまるで、母親が死んだ日の、まだ幼かった自分のように。

 紗夜に話したからだろう、武斗は昔の自分を思い出していた。

 あの時、四歳の武斗はただ泣くことしかできなかった。悲しくて、寂しく、悔しくて、そしてこれからの日々が不安で、それらに飲まれるだけだった。そして父親が死んだときも、不思議と涙が溢れ、止まらなかった。やはり寂しさや不安などがごちゃ混ぜになって。それでも今は、こうして生きている。親しい人たちと馬鹿言ったりやったり、何かと飽きない日々を送っている。

 あれだけ泣いても。

「泣きたい時は、思う存分泣けばいいんだ。全身がカラッカラになっちまうぐらい、泣けばいいんだ。そうでもしないと、生きてくのがイヤになっちまうこともあるからな。泣いて泣いて、泣くだけ泣いて……、そのあと笑えてりゃ、こっちの勝ちだ。後で笑えれば、それでいいんだ」

 その言葉は的外れなものかもしれないが、武斗なりの、今の紗夜への精一杯の言葉。

 紗夜はその言葉に、咽び泣く中で何度か「うん」と答え、そして、胸に強く響いていた。きっと、母親が亡くなったときも、父親が亡くなったときも、彼もこうして泣いていたのだろうと。だからこそ、こうして今の自分をちゃんと受け止めてくれているのだろうと。きっと楯村武斗という人は、辛いことをたくさん経験してきたからこそ、とても優しいのだろうと。

 やがて、紗夜の涙は武斗の背中でおさまっていった。泣いて気が晴れたというものではなく、武斗の優しさに、怯えることを忘れた、と言った方が正しいだろう。どうにか喋れるようになると、背中に寄り添ったまま「楯村くん……」と穏やかな声で話し掛けた。

「気は済んだか?」

「うん。……ありがとうね」

「礼を言われるようなことなんてしてねえよ」

「ううん。いっぱいしてくれました……。楯村くん」

「今度は何だ?」

「楯村くんって、巻野さんが言ってたとおりの人ですね」

「マ……、マキさんが?」

 なかなかに感動的な場面ではあったのだが、紗夜のこの言葉に、武斗は途端にそれどころではなくなっていた。いったい何を吹き込まされたんだと、戦々恐々と「なんて、言ってた?」と尋ねる。

 しかし紗夜は、楽しげにこう答えた。

「剣道場で意地悪したから、教えてあげません」

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