The snow which falls in summer (夏に降る雪)
日々の戦況は悪化していった。
新谷が台湾にいたころに、菊水作戦が決行された。
戦史上類を見ない、艦隊による水上特攻作戦である。
制空・制海ともにない戦場へ、残った艦艇を出撃させ、敵地で固定砲台として戦闘を行い、砲弾が尽きれば敵陣に突入するという作戦だ。
これを援護するために、海軍の作戦機は391機、陸軍は133機が九州と台湾の航空基地を飛び立った。うち特攻機は海軍215機、陸軍82機であり、米軍はこれにより6隻の撃沈と37隻の艦艇に被害をうけた。
この時の特攻は、間髪を入れずに昼夜を問わずに攻撃したため、米軍の戦意はそがれたという。
所説よれば、時の天皇より「海軍には、もう船はないのか」と言われたため、水上特攻が計画されたともいわれていた。
その大和でさえ、航空機400機以上の猛攻により、大和以下6隻が沈没している。
その時の米軍の被害は航空機12機、戦死者13名だったともいわれている。
しかし、始まった菊水作戦は、1号から10号まで発令され、主とした攻撃は、航空機を使った特攻作戦であり、海軍機は940機、陸軍機は887機が特攻を実施し、海軍では2,045名、陸軍では1,022名が特攻により戦死している。特に連合軍を驚かせたのが、人間ロケットなる、桜花という特攻兵器で、BAKA というコードネームがつけられたが、これが射出される時速900km/hを超えるため追撃ができないことと、機首に取り付けられた爆薬は徹甲弾であり戦艦クラスでも楽に撃沈できると知ると、徹底的にこれをピケットラインの外での撃墜を命じた。それでも、それを乗せられる爆撃機が鈍足の一式陸攻であり初戦で18機全機が撃墜されている。
また、海でも本来駆逐艦に搭載される大型魚雷の九三式三型魚雷を人が乗れるように特攻兵器として開発し飛行兵学校の生徒を操縦要員して転科させていた。
もう、航空機も作れないほどに国力は落ちていた。
回天という名さえ、時勢を一変させる、衰えた勢いを盛り返すという意味から名づけられたともいわれている。魚雷という特性から、潜水艦に積んでからの攻撃であり、深深度の航行ができずに、駆逐艦の爆雷の餌食とされ、その成功率は、2%と言われている。
沖縄戦の終結と同時に、 海龍(特殊潜航艇) 伏竜(人間機雷)震洋(爆装特攻艇)マルレ(四式肉薄攻撃艇)剣(特攻専用航空機) 桜弾(2.9tの対艦用大型爆弾の体当たり爆弾搭載航空機)などの本土決戦用の特攻兵器が開発または、実戦に投入されている。
連合軍は、沖縄での特攻機での作戦に、厭戦感がひろまり精神科医を派遣している。
太平洋艦隊司令チェスター・ニミッツ大将は、特攻機による作戦で、ワシントンへ"もう持たない"と泣きをいれている。ペリリュー島・フィリピン・沖縄での戦闘によりダウンフォール作戦(日本本土攻略)において、400万人以上の戦死者がでると判断された。
そして、これが原爆投下の一員となり、今でももっともらしく原爆が連合軍の戦死者を救ったという理由づけにされている。
それでも、新谷は飛び続けるしかなかった。敵と会えば戦闘をした。夕飯に食堂に行くと朝食の時よりも人数が減っていた。
果敢なことを戦後言われているが、人の死に対して鈍感になっていく自分が怖かった。
燃料もなく、満足に動ける機体もないままに、出撃も一日置きになっていった。
新谷の心のどこかで、いずれマバラカットのように、特攻に志願されられるのだろうと思った。
紫電改は、零戦のように航続距離がないために沖縄の特攻にはいけないが、本土の近距離ならばそうなるだろうと思っていた。
いつかの、白菊隊のように何の迷いもなく行けるのだろうか。
マバラカットで25番を抱いて離陸したときの操縦桿の感覚がよみがえった。
そして、竹部の"死んではいけない"という言葉が響いた。
竹部の細工で、発動機のトラブルで不時着したことは分かっていた。
その竹部も消息は不明だ。
新谷は、撃墜されたとは思っていなかった。
整備された零戦は、今でも高度3000程度なら運動性能でF6FやP51に引けは取らなかった。
ましては、あの竹部である。
撃墜はされていないと確信していた。
新谷は、昨日の戦闘でF6Fの12.7mmの弾で削れた塗装にペンキを塗りながら機体を撫ぜた。
この機体の誉は発動機は癖はあるが、漏電も少なく。プラグの掃除をしてやればよく動いた。
機体も作りは雑だが、水戦譲りの頑丈な機体のため艦載機である零戦とは違っていた。
青色に航空燃料を翼の給油口にドラム缶で手まわして入れながら、次回の出撃でも無事に死んでくれるように祈った。
オイルは抜き取り、ろ紙で越したものの上澄みを丁寧にとりまた、ろ紙で越して念入りに不純物を取り除いたものを使った。
戦闘後のオイルは、真っ黒に汚れていた。
それでも、何度も越してオイルをきれいにして飛ぶことが、この発動機には良いとわかっていた。
空が急に曇りだし、そして突然整備工場の屋根を激しく叩くものがあった。
雹だった。
すぐに盛夏なのに滑走路が白く染まって雪が降ったようだった。
新谷には、それが幻のように見えた。
それは、もうすぐ来る 最初で最後の日の予兆だったのかもしれない。