三話:現状の認識
その巨体はすべて、こげ茶色の大きな岩の塊でできており体長は人間のおよそ三倍。周りの木々と同様の背丈を持っており、顔の、特に目に相当する部分には一つの黒くて大きな光がぼおっと揺れていた。どんな動力で動いているのか想像もつかないそれは、本当の生き物であるということを、微細な振動やまとう気迫などによって誠一に訴えかける。
「な、なんですかあれ!! 生きてますよ!!」
後ろ手をつき、その場から動けなくなるほどに動揺し、その恐怖を大声という形でウィルへと伝えた。
するとウィルはこちらを驚いた表情で見たあと、何をそんなに驚くのかとでも言いたげな疑問の表情を作る。
「セーティさん、もしかしてゴーレム見るの初めてだったりするんですか? まあ、あれは確かに見た目は怖いですが絶対に人を襲わないですよ?」
手を口元にやり、くすりと笑ったウィルは、まるで諭すようにそう言った。
だがそんな余裕な態度のウィルとは対照的に、誠一の心は目の前の異常にすべての意識を注ぎ、額から脂汗を噴き出させていた。
「は!? あんな恐ろしいものが危険じゃないわけがないじゃないですか! ウィルさん早く馬を戻して! あんなのに襲われたら殺されますって!!」
ウィルの握った手綱を握り、思い切り振ろうとして止められる。
それでもあきらめずに馬を操作しようとしたが、手がどんどん冷たくなり、頭から血が抜け落ちていき、やがてウィルに手綱を取り戻された。
「お、落ち着いてくださいセーティさん! ゴーレムですよ! 知ってますよね?」
知っているかと言われれば肯定する。だがそれは空想上の生物としてのゴーレムであって、本当に動いている目の前の岩の塊ではない。そんなものがいるなんて信じられないし、もしいたとしたら、生物学者もショック死してしまうレベルの発見だ。
だが今はそんな発見なんか誠一にはどうでもいいことだった。危機は刻一刻と距離という実態を持っているのだ。
そんなやり取りをしている間にも、ウィルの荷馬車はゴーレムとの距離をどんどんと詰めていく。それはまるで自分の死の訪れをじわじわと味あわされているかのようで、とうとう誠一は声を出す自由を緊張と戦慄によって奪われかける。
「そ・・・そんな・・・こんなところで・・・」
顔面は蒼白となる。隣のウィルも、誠一の血色の変化に驚き慌てている。
そしてついにその岩の巨体――ゴーレムの手の届く範囲にまで荷馬車は歩みを進めた。
近くで見るそれは、遠くで見るよりも恐ろしかった。自分の体にまで響く岩の割れる音やこすれる音、ごつごつとした体から流れる微妙な熱気。それらが誠一の感覚を通して死を宣告しているかのようだった。
おそらくは目に相当するであろう薄暗い光がこちらを見つめる。標的を見つけた獣のように、その光が横に薄くなる。目が笑っているかという表現のぴったり合うようなそれは、生物に死を与えることを快感としているものの笑みのような気がした。
「セーティさん! 大丈夫ですって! 何もしてきませんから!!」
もはやウィルの声は誠一の意識をかすめる程度のものでしかなかった。ここで死ぬのだろうというあきらめが、誠一の白い顔に柔らかな笑みを作り出す。
「セーティさん! ほら! もう通り過ぎましたから! ほんとですって!」
ウィルが誠一の肩をつかみ、前後に揺らし、そのおかげで意識を回復した。
「え・・・あ、あいつは・・・」
乾いた額を風が通り、涼しさによって誠一は冷静さを取り戻す。
「もう後ろです。ゴーレムも快く歓迎してくれたみたいですよ。もう大丈夫です」
「助かった・・・・・・?」
ウィルは大きなため息をついて返す。
「助かったも何も、最初から危険なんてありませんよ」
「そんな、じゃああれは本当に警備していただけ・・・?」
「警備しているだけです」
誠一はもはや何が何だかわからなかった。あまりにも現実離れしすぎた光景を見て、思考回路が追い付いていないのではない。考えることはできるが説明ができないのだ。誰がこんな光景を現実のものだと説明できよう。だが、見てしまったものはしょうがない。自分自身ですら信じたくないものを現実として認めてしまうことに抵抗しか感じないが、誠一はそれをいったん現実のものと認識する。
「あれは、ここら辺には普通にいるんですか」
荷馬車でさえ速度を落とさずに進み続け、体をこわばらせるといった変化を持っているのは御者台に座っている誠一のみであった。
「まあ、この国では珍しくありませんね。中小規模の村でも一体や二体起動させているなんていうのは普通の光景です」
誠一は説明を聞かされても理解できなかった。返してくれた答えをまじめに考えることを放棄してしまいそうな内容だったためだ。
「この国ではって・・・ここは日本ですよね? 今まで生きてきて見たことも聞いたこともありませんよ。生きて動いている岩山が――ゴーレムが存在するなんて」
「二ホン・・・? ああさっきの冗談の?」
「あの・・・二ホンじゃないんですか・・・ここは・・・」
誠一は初めて自分の置かれている状況についての考察がかちりと真実にはまったような気がした。
「またまたご冗談を。ここはルース公国ですよ。ついでに言えばここはローレンフッド伯爵
が治める土地でもあります。そして次に向かうのはコロキア村です。さあ、これでもうはぐらかされませんよ」
聞いたことのない国名。聞いたことのない人の名前。聞いたことのない村の名前。
誠一はある一つの考えが捨てきれずにいた。自称神の言ったセリフだ。『助けてやるのはいいが異世界に行け』という内容のセリフ。それがもし仮に本当のことだとすれば、今までの出来事になぜか納得できないこともない。聞いたことのないいろいろなもの。見たこともないような恐ろしい生物。
「俺は・・・まさか・・・異世界に・・・?」
そんなはずはない。先日はベッドの上に寝ていたはずだった。そこは日本の都市で、しばらく親と離れて一人暮らしを始めてみようと思って暮らしていた場所。それなのに起きてみれば森の中。そのあとはいつまでも続く道。
「連れてこられた・・・? 本当に・・・?」
「ど、どうしたんですか? もう乗りませんよその冗談」
「いや・・・それならば・・・」
確かめる必要がある、と思った。
誠一はウィルに向きなおし、質問をぶつける。
「失礼ですが、今は何年ですか?」
少し驚いた様子のウィルだったが、何か身構えていたらしく、即座に対応する。
「何年・・・というとサリア暦のことですか?」
サリア暦、というものはわからなかったが、とりあえずそのことについて聞いてみることにし、肯定の意を持つ頷きを返す。
「そうですね。今は確か259年です」
「なるほど・・・」
西暦というものが存在しないようだった。ウィルの様子を見ても嘘をついているといった様子はなく、全くの自然体で答えていた。
「この国は誰が仕切っているんですか?」
質問の意図が見えないといった感じに、ウィルは誠一の顔を凝視する。同じくウィルの表情を観察していた誠一と見つめあう形になり、先にウィルが視線を外した。
「難しい質問ですね。現在はトマス公が貴族会議の実権を握っていると聞きますが、その実裏ではルクシア伯がトマス公を操っているといううわさも耳にします。もしも後者だった場合、ルクシア伯は旧アルクス王国の正当な血筋の者ですからね。もしかしたら王国の再建をもくろんでいるのかもしれません・・・あ、おっとしゃべりすぎました。質問は政治の実権を誰が握っているのかでしたね」
後半からはまったく耳に入らないほどに情報量が多く、理解するにはもう少し時間がかかると思われた。
「やっぱり・・・ここは別の世界・・・」
まだ証拠はないが、頭の中はそれ以外に回答を出せないと言っている。
「さきほどから何をいておられるのですか?」
興味がある、といったように、ウィルは目を若干輝かせながら誠一の顔を覗き込む。
「い、いや、何でもないんです」
「そうですか? では、なんでもないのなら質問の意図を教えてくれても?」
「それはできません・・・」
ウィルは視線を外すことを今回ばかりはやめなかった。商人の執拗な追及。利益が絡んでいるかもしれないと勘ぐっているのだろう。それがわかるくらいにはウィルは自分を隠していなかった。相手が農民だからとたかをくくっているのか、それともまだ隠せないのか。いずれにしても事情を話しても信じてもらえる内容じゃないとわかっている以上、おいそれと話すのはこちらの頭がおかしいと思われかねない。
誠一は悩んだ末、嘘をつくことにした。
「実は俺、小さいころから農業の仕方しか教わらなかったから国の事情とか疎いんですよ。でも興味がないわけじゃなかったんで訊いてみたんです」
「・・・・・・それにしては私の知らないものの名前を知っていたりと、随分と物知りなように感じましたが? あれは嘘をついているといった感じではありませんでしたし」
疑いの目を向けられているということが痛いくらいに伝わった。だがここで目を合わせないのはうそをついていると自分から言うようなものだと、誠一はウィルの目をまっすぐに見る。
「ウィルさんは行商人ですよね」
質問の意図とだいぶ外れた返しに疑問を浮かべたウィルであったが、口の端を上げて薄ら笑いを携え答える。
「ええそうですよ。まあと言っても師匠のもとから出てきたばかりの新人なんですがね」
自分を卑下している言葉であったが、その内容とは関係なしにウィルの瞳は輝いていた。そんな瞳を見据えて言う。
「行商人は町から町へ渡り歩き、その場その場で価値の高い商品を売買して儲ける。と俺は認識しています。ですがそれはあくまで常識にすぎません。本当は行商人にもいろいろなルールややり方があるんでしょうし、その中には当然俺の知らない言葉だってたくさんある。逆に考えてみてください。農民として今まで生きてきた俺が、ウィルさんの知らない単語を知っていても不思議ではないと思いませんか?」
誠一が子供のころ、母親に説教されたものと同じ内容だった。もっともその当時の内容は『お母さんはなんにもわかってない』というものだったが。
「・・・なるほど、至極ごもっともです」
苦虫をかんだような表情を作り、ウィルは馬を動かすことに専念する。どうやら危機は脱したようだった。
その後、村に着くまでにウィル特に言葉は交わさなかったが、別段悪い空気というわけでもなかった。
平民生活というタイトルを次の話で回収したいと考えております。(申し訳ありませんがあくまでも予定です)
追伸:すみませんが酷評すると作者が悲しみます。