二話:行商人との出会い
「どこなんだよここは・・・。さっきとほとんど変わってないじゃないか」
誠一がいたのは、地面がむき出しになった道の上だった。その両端に、先ほどまでいた森とは違う、十分間隔のあいた木々と動植物が続いている。
五分ほど前に目覚め、飛び上がるようにして起き上がった誠一は、先ほどまでとは違う光景に最初はまた困惑もしたが、今度は人の手のくわえられた道があり、それによって幾分かは落ち着き、現在は神様に疑問をぶつけるまでになっていた。
確かに道があれば、いずれ道路や河川にはつける。それを見つけ、たどればきっと人のいる場所に行けるはず。そうすればもはや助かったも同然。
そう考える誠一であったが、どうも神と名乗った人物のことが気になる。
無事に帰れるのであれば、神と名乗った人物の言った要件を達成しなくてもいいことになる。その要件も異世界に転生などという訳の分からないものであったし、達成しなくてもいいのであればそれに越したことはないが、誠一はそれでは何か自分の中で納得のいかない部分があったのだ。
「神様、俺は本当に助かったんですよね・・・?」
戯れに、神に聞いてみるが、もしかしたらという思いとは裏腹に、返事は帰ってこなかった。
考えていても仕方がないと、誠一はその場から動き始めようとした。前に進むか後ろに進むか悩んだが、結局は前に進むことを選ぶ。
だが、歩みを進めようとしたとき、自分の肌に触れているものに違和感を感じた。
その時に驚きの声が出なかったのは、精神的に疲れていたせいでもあった。
自分の着ている服が変わっていたのだ。上には茶色で長めのシャツ。その上にはシャツよりも色の濃い七部丈のベストを着込み、下には麻でできたズボンをはいていた。
なぜ着替えさせられたのだろうという疑念は絶えず生まれてきたが、自称神のことを思い出すとなぜだか妙に納得できるような気がしてくる。
誠一は、元の服のことをあれこれ言ってもしょうがないと思い、かえって着替えればそれでいいと考えなおすことにした。
「この道は使われてないのか・・・」
歩みを進めはじめた誠一が始めにいったセリフはそれだった。それは、進んでいる道が、整備されているでもない、除草もされていない、ところどころで小石が地面から飛び出し、苔植物のようなものがそれにべったりと張り付いている、といった具合で、とても近代国家の道のそれとはかけ離れていたからである。
道が使われていなければ必然、人のいる場所につながっている線も可能性が薄くなる。そのことに考えを寄せると、途端に森にいたときの不安が少し心をよぎる。
「たのむぞ・・・。こんなところで助けもないまま死ぬなんて御免だからな」
だが、細かくは変わるが、大まかにはさほど変わらない道をただただ歩き続けると、誠一は気力がただ歩いている時よりもすり減ることに気づいた。
腹はまだ減っていない、喉もまだ乾いていないという状態だが、これもいつまで続くかはわからない。根気強く歩けばいつかはどこかにたどり着けるという希望と、先ほどの森と同じく、どこまで行っても同じ風景で、いつかは死んでしまうかもしれないという絶望が心を二分割する。だが希望はしぼんでいくばかりで、絶望は浸食をやめることはない。精神の疲労も相まって、先ほどの森にいたときと同じく、パニックになりそうなった。
「もうずっと歩いた気がする・・・ほんとうになんにもないのかよ・・・」
しばらく歩いたが景色に変わりはなかった。道が少し曲がったりするだけで、人工のものはまだ一つも見つかっていない。日差しが照っている今の時間だから歩くことができるが、これが夜になれば明りのないこんな場所で動くのは危険すぎる。ゆえに夜は一歩も動けない。だから今何とかしてなんでもいいから見つけないと、次の日に動く希望も無くなってしまう。
誠一は自分の考えがどんどん暗い方向にシフトしていくことに焦燥感を覚えるが、下手に走っても体力を消耗するだと自分を律する。
そんなとき、前方を斜めに曲がった先で見たものに、誠一は目を輝かせた。
そこにあったのは荷物をたくさん積んだ荷馬車だった。幸いにも荷馬車には御者がおり、ようやく人間に会えた、これで助かるという明るい気持ちが吹き荒れる。
「おおい! そこのひと!」
全力で走りながら声を荒げる誠一に気づいた御者は、体をびくうっとさせて、慌てて御者台から落ちてしまった。
誠一は息を切らせながら、荷馬車に駆け寄る。
すると、その御者台のしたから『いてて・・・』という声が聞こえ、そこに視線を向けた。
そこにいたのは、かわいらしい女の子だった。上は仕立てのいい、七分袖の白いシャツに前を閉めずに羽織っている外套、下は黒く長いロングスカートをはいていた。年齢を判別しがたい雰囲気をまとっており、外見の印象をそのまま年齢にすると十四歳がいいところだろうという感じだが、こんな場所に一人でいるという状況や、まとっている雰囲気のようなものが、その年齢よりも上、ひょっとしたら自分と同い年の十九歳くらいなんじゃないかと思わせる。
そして少女の、赤い木のみのような玉のついた髪飾りが特徴的な、金色の長い髪は、碧眼をもつ童顔にはぴったりと似合っていて、少し見とれそうになったが、状況が状況なのですぐに我に返って声をかける。
「あ、あの、大丈夫ですか・・・?」
その少女が、今はしりもちをついておしりのあたりをさすっている。おそらくぶつけたのであろうそれは、急に声をかけて御者台から落としてしまった誠一に罪悪感を訴える。
そして、こちらの声に気づいた女の子は、その蒼い綺麗な瞳をこちらに向け、にこりと笑って返事を返した。
「はい、大丈夫です。これくらいのことで音を上げているようでは行商人失格ですので」
大丈夫の一言で心にはびこる罪悪感は薄れる。そして、後半の行商人という言葉が荷馬車とくっつき、なるほどと納得する。こんな道ではろくに車も動かせないため、やむなく荷馬車を使っているのだろう。
「あの、俺、道に迷ってしまったんですけど、連絡できるもの貸していただけませんか?」
誠一の一言に、その商人は疑問を隠さずに表に出し、立ち上がりながら質問を投げかけた。
「連絡できるものですか・・・? 馬とかですか?」
「いえ、携帯はありませんか? 電話させていただけると嬉しいんですが・・・」
「ケイタイ? デンワ? 何か新しい物の名前でしょうか・・・。すみません、私、行商人なのに新情報を逃すなんて・・・」
「あ、いえいえ、新しいとかじゃなくて、携帯です。電話するやつです。持ってませんか?」
「んん・・・すみませんが私はケイタイというものについての心当たりはありません。ですが、道に迷っているというのであれば、次の村に行くまで一緒に行きますか?」
「本当ですか! ではお願いします!」
妙に話が合わないが、それでも親切に村に連れて行ってくれるという彼女の言葉に乗ることにした。見ず知らずの人間にやさしくできる人は人間的に優れているのだと、昔母親から聞かされたことがある。目の前の人物がまさしくそれであった。先ほどまでの童顔が、やたらと今は美しく見える。吊り橋効果というものは信用していなかったが、今回は危ないかもしれない。
「いえいえ、私も一人旅はさみしく思っていたところです。話し相手ができただけでも儲けですよ」
「そんな、今度ちゃんとお礼します。お名前を聞かせてもらってもいいですか?」
普段なら電話番号を聞いて改めてお礼をするところだが、今回は名前だけだ。でも行商人で日本にいる外人は珍しいだろうし、名前さえ聞けばなんとかまた会える。
「私の名前はウィル。ウィル・シーロット。そちらのお名前は?」
「俺の名前は伊藤誠一です」
「イトゥー・セーティ? 随分かわいらしい名前なんですね」
発音がだいぶ違うが、外国人ならしょうがないのかもしれないと割り切る。
「ああえっとまあ。・・・でも、日本語がお上手なんですねシーロットさんは」
「ウィルで結構ですよ。あと、ニホンゴって何ですか?」
「ははは、ご冗談を。今しゃべってるじゃないですか」
「・・・これはフリア語ですよ? 二ホン語ではありません。誠一さんは変わったご冗談がお好きなんですね」
シーロットがうすら笑いを向ける。苦笑いかもしれない。だがそれも誠一は訳が分からなかったため、外国なりのジョークなのかもしれないと困惑を振り切る。
「いや、それにしても助かりました。もうだめかと・・・」
「私もびっくりしましたよ。ここはあまり整備されていない上に人通りが極端に少ないですからね。この道はよく使いますが人に会ったのは初めてです。でもまあなんにしても大事に至らなくてよかったです」
「ほんとにありがとうございました」
誠一はウィルに深く頭を下げたが、下げられた当の本人はあわてて頭を上げてくれとお願いしてきた。確かにいきなりこれでは驚かせてしまうのも無理はないかと反省し、誠一は頭を上げて一言詫びた。
眉をハの字にくのらせ、ウィルは御者台に上り、それに続いて誠一も上る。手綱を握ったウィルは、そのまま馬を歩かせた。
誠一は先ほど驚かせてしまったようなことは、もうしないようにしようと決め、気分を変えようとウィルのことを質問する。
「ウィルさんはどうして行商人になろうと考えたんですか?」
こちらを振り向いたウィルは、思い出すように上を見つめ、少し笑いながら話す。
「単純な話です。家が貧乏だったから、お金がほしくて家を飛び出し、そしてお金も家もなく泣いていた私のことを、その時出会った行商人が助けてくれて、私もいつか行商人になって、儲けたお金でこの人に恩を返したいとおもい、そのまま流れで行商人になったんです・・・」
いい話だ。と思った誠一だったが、よくよく考えると今の状況に似ていることに気づいた。
「・・・もしかして、俺を行商人にしてお礼させる気ですか?」
それを聞いた瞬間、ウィルはいきなり肩を震わせ笑い始める。
「うーん、気づかなければいつかほんとに行商人になって私にお礼してくれるかと思ったんですけどね」
誠一は、なるほど商人とは斯くありしか、と認識を少し変える。
「行商人にならずとも、お礼はしますよ。と言っても俺の財産じゃよほど高価なものは買えませんけど・・・」
「・・・でも、あなたは農民ですよね? 生活が厳しいんじゃないですか?」
いきなり嫌味を言われたのかと思ったが、あくまで助けられている立場なので言及は控えることにした。
「俺は大学生ですよ。バイトやってるんでそれなりの物は買えます」
「学生・・・? もしかして貴族のご子息・・・ですか?」
「貴族・・・? いえ、違いますけど」
「あなたもしかして私を困惑させて遊ぼうとしてません?」
「そんなことありませんよ。学生なんてゴロゴロいるじゃないですか」
「そ、そんなゴロゴロなんていませんよ。学問を修められるなんて名誉な人間しかできませんし・・・」
そこまで聞かされ、不意に誠一は、ウィルが貧乏で家を飛び出したという話を思い出す。もしかしたらろくな教育なんて受けなかったかもしれないし、学生というもの自体、お金持ち、貴族じみた人しかできないと言われていたのかもしれない。
そう思うと携帯を知らないのもうなずけるし、会話が妙に成り立たないのも納得できる。
そしてそれまで押し寄せたことのないほどの罪悪感が誠一を襲った。知らなかったとはいえ、かなり不快な思いをさせてしまったに違いない。ここは素直に謝ってしまった方がいい。
しかし先ほど頭を下げて驚かせてしまったことを思うとおいそれと謝ることもできない。
ならばと、誠一は彼女の話に乗ることにした。
「というのは冗談だったんです。ほんとにすみません。つまらない冗談を言う男だとよく人に言われます。本当は農民です。生活が厳しいです。・・・ですが何とか働いて稼いで、いつかお礼しますから、そのつもりでいてください」
勢いで、困惑を振り切るつもりで彼女に言葉をまくしたてる。
その甲斐あって、若干苦笑い気味だったが、話を分かってくれたようだった。
「じゃあ、楽しみにしてます。あなたの村にも寄ってみるので」
あなたの村、と言われても、誠一の故郷は都市である。このギャップをどうやって彼女に合わせればいいのだろうか、と悩んだ。
いっそ頭でも打ったことにして故郷のことを忘れたという設定にした方がいいんじゃないだろうか。だがそれによって余計な心配をかけさせるかもしれない。
そんなことを必死に考えている誠一を視界の外にやり、それからウィルは目の前を指さして話を変えた。
「あ、見てくださいセーティさん! あれって村を警備しているゴーレムですよ! でも維持費が高いからってあの村じゃ使ってなかったんですけど・・・何かあったんでしょうか」
「はっはっは、ゴーレムってウィルさん何を見てそんなことを――――っえ」
ウィルのジョークか何かだと思った誠一が見たのは、前方の道をふさぐようにして立っている、グラグラと動く人型の岩山だった――――
やはり休日の暇つぶしにはぴったりですね。次回も暇があれば書きます
追伸:酷評すると作者が悲しみます。