砂漠からの呪いの影
もし私が真顔で、
「私は呪われてるんです!助けてください!」
と言ったら、あなたはどうするだろうか?
簡単に想像できる。
「あっそう。死ねば?」と
何故に太古の昔より現在に至るまで世界各国に呪いの方法があるのだろうか?
科学文明が他天体の秘密を解き明かし、AIが人間に迫っているとまことしやかに囁かれるこの時代に、何故にこの言葉はこの世界から消えないのか?
そこには人間の、いや人間だけが持つ「怨み」の感情が時代を越えて普遍的であるからだと結論づけるのは愚かな小生の頭のなかにあるまやかしだろうか?
人を殺したいほど憎むというからには、長年に渡る、あるいは短期間であっても、よほどその人の人間の尊厳を犯さない限りは芽生えない感情であろうと推察される。
しかし、呪いなどに頼らなくても人を死に追いやることは出来る。それは直接的に或いは間接的に対象者より、暴力で優ればいいだけの事である。武器を使うなり、他人でその人より暴力で優れば対象者を死に追いやることは可能であると言わざるを得ない。勿論、自分も只では済まない。この国には法律というものがあり、それに乗っ取って自らも処罰される。では、自らを絶対的に安全な領域におきながら気に入らない人間を酷い目に遭わせる方法があったなら、あなたはそんな力を行使するだろうか?何を引き換えとしてもこの世から葬りたい人間がいる時にその方法が手に入ってしまったら、あなたはその力を行使するだろうか?
私に迫り来る影は確実に私を認識し、私を見張り、そして「その時」を狙っているのだ。しかし、奴等は私をただ殺しただけでは飽き足りないという激しい怒りと怨みの感情を私に抱いている。
だから、殺すことが出来るのに今まだ殺さずにいるのだ。なぶり殺しでもまだ飽きたらず、その死後さえも苦しめてやろうと世にもおぞましき謀を張り巡らせているのだ。死が私の安楽の椅子とならないように、そして自分達を裏切り、恩を仇で返すような真似をした私をただ殺しただけでは飽き足らず未来永劫苦しめてやろうと謀を張り巡らせているのだ。
普通に考えれば、死ねば全てが終わりになるはずだ。
そこで怨みは消えて、その人間は心安らかになるはずだろう。
しかし、それは「死ねば終わり」という間違った解釈をあなたが信じているからだ。
何を言わんかとしているのかとあなたは不思議がるだろう。
肉体から魂が離れた時点で全ては終わるとあなたは思っているだろう。
しかし、もし、死さえ安楽の椅子とはならず魂さえも許さない方法で呪い続ける方法があると知ったらあなたは恐らくはその恐怖と苦痛が何を意味するものか想像できるだろうか?
肉体が無いにも関わらず囚われの身となり、永遠に眠ることを赦されず、情け容赦なく時をおかずして永遠に苦しめる方法があると知ったらあなたはその時にどうするだろうか?
「アル・アジフ」と聞いてすぐにわかる方はかなりの博学の徒であると共にその道に精通している方だ。しかし、それでわからなくても「ネクロノミコン」と言えばどうだろうか?
単なる噂だけの偽書であるにしては、何度も発刊されては禁書になるという曰く付きの本である。
その内容は固く秘密にされているにも関わらず、内容の一部が誰の手によってか漏れだし、世間を騒然とさせた歴史を持つ。
内容は多岐に渡り、その一部は失われた太古のまだ人間が誕生する前の支配者の事に触れているとか、死者を蘇らせる方法が記述してあるなど、枚挙にはいとまがない。
そんな中である学者によって、砂漠を旅するある種族がネクロノミコンの一部を今でも受け継ぎ、そして使用している事が明らかになった。彼等はお世辞にも有能な民とは言えないにも関わらず、死者の魂を捕らえて離さない恐るべき方法を受け継いでいたのだ。
最初は誰も信じなかった。そんな物はまやかしだと決めつけ、その考古学者を科学の名の元に嘲笑った。しかし、事態は沈静化しなかった。何故なら、その民は地元では間違いなく存在し、地元民に恐れられている存在であることが確認されたからだ。
彼等は砂漠を旅する旧民族であり、後から入植したアラブ人達に忌避される忌まわしき民であることがわかった。
彼等は砂漠の中を迷いもせずに、あたかも彼等には見えてるかのように、街から街へと移動し占いや魔除け、或いは男性を楽しませることと引き換えに収入を得ている民なのである。
そんな彼等は仲間同士の時は今は聞かれなくなった旧言語で話をし、金を得るときはその地元民達の言葉で話すという。
アラブ人達がどの程度、彼等の占いを信じているのかは想像するしかないが、中には永年隠してた秘密を暴露され姿を消した者もいるらしい。ともかく彼等は何者にも囚われる事なく自由に砂漠を旅する民であることは間違いないのである。そして忌避される忌まわしき民でありながら恐れられている存在でもある。
彼等はいつも、特に力の弱い女は「謎の瓶」を持っている。
それは時には何本もに及び、ある者は十本持っている者もいたという。彼女達は占いをするときにその瓶を横におきながらお客に質問をする。そして占って欲しい事を告げると、不思議と瓶の中で吊るされている円錐状の金属が瓶のへりを叩き、女達はその瓶の音に耳を傾けると驚くべき正確さで、質問に答えるという。
特に昔の事を占わせると驚くべき正確さで答えるという。
また、愛するものと死別をした者はその魂の行き先がどこであるかを知りたがる。簡単に言えばちゃんと天国に行けたかどうかを尋ねているわけである。そんな時にも的確なアドバイスが得られるという。
そんな彼等が何故に今まで世に知られなかったのか?について興味深い逸話がある。
ある男が死んだ父親と話がしたいと彼女達に申し出た。
女達は真剣な顔をして、亡くなった父親の霊を呼び出そうとしたが、一向に現れずうまくいかなかった。男は失敗したのだから金は払わないと言い残し、その場を去った。
しかし、これはこの男の詐欺だった。男の父親は死んではいなかったのだ。
男は家に帰ると愉快そうにその話を家族にした。
すると父親は怒り狂った。砂漠を旅する彼等は恐ろしい死をも許さない方法でお前を呪うだろう。そして、私も近いうちに死ぬだろうと言った。しかして、その通りになった。父親は突然と死に、からかった息子は狂い死にした。そして、彼女達の怨みと呪いはそれで終わらなかった。一年後、彼女達の一人が家を尋ねてきた。家族は嫌がったが母親は真摯な態度で対応した。
すると、彼女が言った。
「父親は罪が無かったので、魂は既に解放した。しかし、息子は私達に恥をかかせたので今もここにいる。」
彼女は腰にぶら下げた瓶の一つを出すと、蝋燭の火で瓶を炙った。すると瓶の中の円錐状の金具がチリン、チリンとけたたましく鳴り、いかにも苦しそうな音を立てた。中には何かの液体と円錐状の金具、そして何かのふわふわとした白い動く気体が入っていた。その時に母親は、その瓶の中に息子の魂が閉じ込められている事を悟ったという。そして家族は泣きながら彼女に詫びを入れたが聞き入れられず、憐れなるかな息子の魂は今も彼女の瓶の中に閉じ込められているという。
何故に彼女達はそんな力を行使する事が出来るのかはわからないが、少なくとも彼女達はシュブ=ニグラスに支える民だという。
そして、古より引き継いだ方法で呪い、自分達に仇なす者達を死後も苦しめる事が出来るのだ。
ある考古学者は偶然にも、その話を自分が雇った人夫から聞いた。聞いたというよりは盗み聞きした。そして、その話に興味を持った。何故なら、その考古学者には殺しでもまだなお殺したりない怨みがある人物がいたからだ。彼の目的は砂漠に点在する遺跡の調査だった。しかし、その盗み聞きした話が彼の目的を変えてしまった。その考古学者はなんとか砂漠の中をいく、その民に会えないかと心を奪われた。そこで砂漠の中にあるオアシスで彼等を待ちながら、遺跡の調査をする事にした。他の助手達は何故にここから動かないのかと、不思議がった。その考古学者はまずはちゃんとした基地を作り上げそこを拠点に動いた方が賢明だと力説した。そして砂漠の放浪の民を今か今かと待ち続けた。
しかして待ち続ける事、七ヶ月。ついにその時がやって来た。
放浪の砂漠の民がオアシスに現れたのだ。街の人達は嫌な顔をしたが、考古学者は違った。彼等に積極的に話しかけた。しかし、彼等はいつもの現地の人間とは違う考古学者に警戒の表情を浮かべた。考古学者は何とか彼等と仲良くなろうとまずは彼女達の占いに大枚をはたいた。質問の内容は彼女達に警戒されないように自分は考古学者であり、まだ発見されていない遺跡を探している。ついてはどこに向かうのがいいか教えてほしい等だった。
彼女達は金を受けとるとかつて聞いた死者の魂を閉じ込めている瓶を出してきた。そのうちから一本を選ぶと瓶に聞き耳を立てた。考古学者にはただのチリンチリンという音にしか聞こえなかったが、彼女達はその遺跡のある場所と方角を教えてくれた。
さらに考古学者は彼女達にご馳走したいから、今夜、自分の泊まっているコテージにこないかと金を渡しながら誘った。最初は戸惑っていたが、金を渡したのが良かったのか、なんとか了承を得た。
夜になり彼女達がやって来た。考古学者は彼女達に現地の酒やご馳走を気前よく振る舞うと共に、あなた達の先祖の事を知りたいと申し出た。最初は不思議そうな顔をしていたが、酒の力もあったのか自分達はあなたの知らない神に支えている者だと語った。
考古学者はそれはシュブ=ニグラスではないかと尋ねると、彼女達はびっくりした顔をして、あなたは何者かと尋ねてきた。
彼女達は考古学者の名前を知りたがった。しかし考古学者は知っていた。本当の名前を彼女達に知られると呪いをかけられる恐れがあると。だから、偽名を使い、彼女達を自分は考古学者で昔の伝説も研究している、だからシュブ=ニグラスを知っていても何の不思議もなく、また現地の人間達のようにあなた達を差別したりしない。むしろ、尊敬しているとまで言った。
彼女達は酔いが回ったせいか、それともご馳走を気前よくご馳走してくれる金持ちの考古学者を少しは信頼したかのように見えた。そこで、いよいよ考古学者は話の本題に入った。
彼女達の持っている瓶の作り方を教えてほしいと願い出た。
当然、彼女達は断った。しかし老獪な考古学者は金と酒とご馳走を使い、何とか作る所を遠巻きに見ることの許可を彼女達から得た。それは新月の夜に行われるという。
そして、その儀式は次の新月の夜に行われるというのだ。
考古学者は何とかしてそれを見たいと彼女達に金を握らせた。しかし、色好い返事はない。そこでさらに金を握らせた。まだ、返事はない。そこでさらに金を握らるとようやく、その儀式の行われる遺跡の場所を教えてくれた。しかし、秘密を漏らしたことが一族にばれると今度は自分達が呪われるので、遠くから見るだけにしてほしいと懇願された。考古学者は了承した。
かくして、約束の新月の夜に考古学者はこっそりと遺跡の高台から双眼鏡を使って儀式を眺めていた。
儀式が始まった。まずは全員が裸になり、何かを唱えていた。
「イア!イア!シュブ=ニグラス!」
そして瓶を取り出すとその中に自分の尿を注ぎ始めた。そして呪文を唱えながらその中に自分の血を七滴入れた。そして瓶を天に差し出すと長い呪文を唱えていた。すると瓶の入り口につむじ風のような渦が出来始め、やがてそれは白い雲のように色を変えながら、瓶の中に吸い込まれていった。そして瓶に円錐状の金具がつけられると瓶に栓をして、緑色の蝋燭でその口の周りをふさいだ。その後は半狂乱の宴が砂漠の渇いた風に乗り、どこまでもその声が届いたように思われた。考古学者は子細を見届けるとその場を後にした。
翌日になると彼女達は考古学者のところにきた。もっと金が欲しいらしかった。考古学者はこの砂漠ではすぐに金を用意できないので明日の夕方にもう一度、ここに来て欲しいと告げた。
そして、なんとかわからなかった儀式の秘密を聞き出した。どうやら魂を捕らえるには相手の体の一部が必要らしかった。爪や髪の毛などだ。そして、新月の夜に行う事が大事だと言った。
考古学者は全てを知ると、明日の夕方にもう一度来て欲しい。約束の金を渡すと告げた。彼女達は不審な顔をしたが仕方なく去っていった。
その考古学者こそ、私である。私は彼女達に絶対に本当の名前を告げなかった。何故ならばそれが彼女達の知るところとなれば自分が呪われる事はわかっていたからだ。そして彼女達に最後の金は渡してない。何故ならば、翌日の夕方までにオアシスを後にし、彼女達に教えてもらった遺跡を調査しに出かけたからだ。
その遺跡は素晴らしい物だった。まだ、誰も発見したことのない秘密と事実がそこかしこに、ふんだんに転がっていた。
私はそれらの遺跡の場所を確認して、持ち出せる僅かな宝物をポケットに忍ばせ帰国した。
そして、私は彼女達に教わった呪いの方法を実際に実践した。
それが誰なのか、何故に呪わなければならなかったかについては述べるつもりはないが、私はそいつの魂を捕らえて瓶の中に閉じ込めることに成功した。そして、腹が立った時や感情が怒りに征服されそうになった際に、その瓶の中の魂をいたぶり、苦しそうな音を聞くたびに満足していた。げに恐ろしきは人間の尊厳。それを傷つけられたのは私で、瓶の中の魂がかつて私を大勢の人の前で罵倒し、笑い者にした者の魂であることだけは伝えておこう。
しかし、私は最近になって不安に苛まれるようになった。もし、私の本当の名前を彼女達が知れば、彼女達は騙した自分の魂を瓶の中に閉じ込めることにするだろう。そして、私が今、やっているように暇をみつけてはいたぶって楽しむ事だろう。
私が雇った人夫から私の本当の名前を聞き出し、私の魂が閉じ込められてしまう日も遠くないのかもしれない。しかし、私は満足だ。殺しても殺したりない奴の魂を瓶の中に閉じ込めることに成功したのだから。そうだ。人には呪いという太古からの「武器」があったのだ。怨みをはらすには呪うしか方法はないのだ!
イア!イア!シュブ=ニグラス!
例え地獄にも行けず、瓶の中に閉じ込められても私は怨みをはらしたのだから満足だ。
私の頭のなかには今でもあの日の饗宴が鳴り響いているのだ。
あぁ。何故かいつも誰かの視線を感じるようになった。きっと彼女達が探しているのだろう。私の屋敷に迫り来る黒い影は猫を脅かすには充分な存在らしい。何としてでも彼女達の呪いから逃れなくてはならない。私が地獄に堕ちることが出来ればよいが…。
死してなお苦しめられるのは死を与えられるよりもっと辛いのは、私が瓶の中に閉じ込めた奴の魂が泣いて赦しを乞う事でもわかる。他の人間にはチリンチリンとしか聞こえないが、瓶を作った私にはわかるのだ。頼むから永遠の眠りにくかせてくれと哀願する憐れなるかな奴の魂の叫び声が!
イア!イア!シュブ=ニグラス!
魂は永遠だというのは本当だ。
参考文献
ネクロノミコン/ドナルド・タイスン/学研