ギャラリールーム
12/16 短編投稿です。
よろしくお願いします。
金持ちにありがちな趣味を一つ挙げるとするならば、きっと多くの人が『収集』と答えるだろう。書物や宝石。こと美術品については特別コレクターが多い。田舎街の領主、ジェイク・ブラックバーンもその例外ではない。
彼はご自慢の『ギャラリールーム』で酒を飲みながら絵画を眺めていた。
「僕はいつもわからなくなるんですがね」
手玉をキューで弾き、ポケットに落ちていくボールを見ながらユンはジェイクに尋ねた。
「モネとマネの区別がつかないんですよ。愛人と結婚したのは?」
「モネだ」
ジェイクはタバコを咥えるとその先端にマッチで火をつけた。
一息吸うと、タバコを持った指でモネの絵を指差す。
「愛妻家と評されてはいるがな」
「梅毒はマネですね。エドゥアール・マネは写実主義・印象派として名を馳せましたが、その派の展示会には一度も絵を出していない画家です。ユン君、それは?」
ダニエルはワインをテーブルから拾い上げると、ユンの肩越しに彼の見つめる紙を見つめた。
そこには見知った男が描かれている。
「昼にエイダがくれたんです。僕の肖像」
「よく描けていますね、とても子供が描いたとは思えない油絵だ。ジェイク様、ここに飾ってはどうでしょう?」
「確かによく描けた絵だが、それは自分の部屋に飾ってくれ。ここには俺が見るに値する画家の絵だけを飾るんだ」
ジェイクはタバコを吹かすと、キューを手に取り白いボールを弾く、一気四つもの球がポケットに収まった。
ダニエルは壁を見渡し、ワインを口に運ぶ。
「マネの『横たわるベルト・モリゾの肖像』その横はルノワールに……フェルメールですか。いくつか新しいのが追加されたようだ」
「うわ、この絵なんてまるで本物だ」
「ふふん、そりゃ正真正銘の本物さ。むしろ、この部屋には偽物なんて一つも置いてない」
「え? 全部本物?」
「世の美術館にある絵は大半がうちで作った贋作さ。本物はうちで保管していてな。そうか、お前には言ってなかったか」
「まったく知りませんでした。いいんですか、偽物なんて売って」
ジェイクはスコッチを飲み干すと不気味に笑い、足を組み替える。
煙が顔に吹きかかり、ユンはむせた。
「気づかなければ『本物』だろう?」
「エグい顔しないでください。悪魔の囁きみたいになってます」
「ふふ。気の持ちようですよ、ユン君。本物を偽物だと言う人もいますし、逆に偽物を本物だと崇める人もいます」
「わかるだろ? 『本物』か『偽物』か、なんてのは人それぞれなんだよ、ユン」
ユンは義兄の言葉を聞いてしばし口を閉ざした。
部屋に飾られた、厳重にガラスで固定されている絵画を見回す。
「でも『偽物』摑まされたら嫌ですよね?」
「スッゲェやだ」
「やっぱ嫌なんじゃないですか!」
「そりゃそうだろう! だってこっちは『本物』だと思って買うわけだろ? で、蓋開けて見たら誰だこのブサイクて。もうこっちは写真見て『コレ!』って子めがけて電話するのに、ドア開けたら、『えええ』ってなるんだ。どう思う?」
「えーと」
「嫌だろ!? 俺ああ言うの絶対許せないんだよなぁ」
「一体なんの話ですか」
「俺は写真で見たエリカちゃんが来て欲しかったのに」
「エリカちゃんって誰ですか義兄さん」
ジェイクは顔を両手で覆うと、次第にメソメソと呻いた。
ユンはダニエルを見た。彼はすでにユンの隣から去り、壁際の絵画を眺める作業に没頭していた。
○
時計針が真夜中を指し示す頃、遊戯室に入室の音がした。
見ればそれは、首からロザリオをかけた背の高いシスターだ。彼女は袋状の手荷物を持ち、こちらに歩み寄る。
「アニーさん?」
「ごきげんよう、カレンの旦那様。おや、そこで泣いているのはジェイク様ではないですか?」
「う、うう……はっ、何の用だ豪腕シスター。今、俺は本物を偽物と騙された過去を思い出していて非常に弱っているのだ。俺を痛ましく思う気持ちがあるのなら、お前のような年増ではなく、もっと若々しい、そう、ロザリンドのような気の優しいお乳もちの家庭教師を俺のベッドにだな」
「あなたが一体なにを言っているのか、私にはわかりかねます」
「お前ようなババァにわかるものか」
アニーはビリヤード台の上に転がったボールに手を触れると、それを拳で粉砕した。周囲に破裂音が響き、白い粉が舞った。彼女が腕を台から引き抜くと、木片が床に落ちていく音が聞こえた。
静寂が辺りを包む。
「お前のような妖艶で器量のある素晴らしい女性にわかるものか」
「ジェイクさん、露骨に持ち上げすぎです」
「確かに、私ほど家庭的な一面とタフネスを併せ持つ女の子には相談しづらいでしょう」
「アニーさん!?」
「しかし、きっと神はお許しになります。祈りましょう。さぁ」
「いや、祈られても困るでしょう、神様も」
「今度こそ写真のエリカちゃんと出会えますように」
「義兄さんも何祈ってるんですか! アニーさんも! 何か仕事の用があったんじゃないですか?」
「ええ、それはもちろん」
祈りのポーズのまま、アニーは左手を伸ばして手荷物をダニエルに渡した。
それは四角形でずっしりと重く、じっとりとした油の匂いがした。
「これは?」
ダニエルは尋ねる。
「絵画です。贋作の手本にするため、数日ここのギャラリーから借りていたのです」
「贋作づくりって、アニーさんがやってたんですか」
「ええ。こう見えて昔から絵は得意でして」
アニーは腕を組んで微笑み、そう返答した。
彼女は一つの絵を袋から取り出すと、それをユンたちに見せる。
「そ、そういえば娯楽室に飾られた絵はアニーさんが描いたんですよね。うわー、この絵もすごい! 二つを見比べてもどっちが本物か、僕じゃ区別がつきませんよ」
「どれどれ、うむ。やはりアニーの贋作はピカイチだな。素人目にはわからんだろうが、こっちが本物だろう?」
「いえ、そちらではありません」
「そうか。俺の観察眼も老いたものだな。では、こちらが本物だな? 今ギャラリーに加えて」
「いいえ、違います」
「……おいおい、アニーよ、君は一体何を言っているのだ。先週、絵をここで受け取ったのは君だろう?」
「ええ確かに。このギャラリーで受け取りました」
「その言い方ではまるで、本物がないと言っているようではないか」
「ですから、どちらも偽物です」
ジェイクはアニーの言葉を聞いて口をつぐむ。息は絶え絶えに、顔を青ざめていく。ユンはアニーの笑みに腰を引かしつつ、話しかけた。
「ええっと、アニーさん。ここって、本物しか飾ってないはずなんですけど」
「いいえ、いくつかは贋作です。大半は本物ですが……アレとアレ、向こうに一点、ああ、コッチのモノも贋作ですね」
「ど、どういうことなんでしょうか、義兄さん」
「ユン君、ジェイク様はもう聞こえていないようだよ」
「わー、義兄さんが、引付けを起こしてるっ!」
「おや、ジェイク様はご存知でなかったようですね」
「ジェイク様の目を騙して、本物の絵と偽物をすげ替えるなんて、相当腕の立つ人ですよ」
「ということは、やっぱりアニーさんが」
「ふふ。私に本物と贋作をすり替える理由が? そんなことをするメリットとは、一体なんでしょうか?」
「金になる……とか?」
「修道院は利益を求めません。神の愛が全てです」
「譲って欲しいと頼まれた!」
「盗まずとも私が直々に描けばいいだけの話です。ここに飾っている絵画の贋作は、みんな私が描いているのですから」
「む、むむむ……」
「もうギブアップですか? だらしのない」
「他にいませんよ、あなたほど絵が上手くて、かつ盗みができるほど手先が器用で頭の切れる人なんて」
「ふふふ。結論を出すには少し早いのではありませんか、カレンの旦那様」
アニーは袋を携えると彼らに背を向け、出口へと向かった。
その後ろ姿は上品で、どこかの姫のようにも思えた。ドアが開く。
「おや、エイダ様じゃありませんか。一体どうしたのですか、こんな深夜に」
エイダは寝間着姿だった。口に手を当てあくびをする。
とうに寝たはずだが、少し不機嫌気味だ。
「あら、アニーお姉さま、ごきげんよう。私、少し喉が乾いてしまったの」
「寝る前にお水を飲んだのでは?」
「どうやら今日の私は、寝る前のホットミルク一杯では足りないようだわ。体が『かるしうむ』を求めているみたい」
「おやおや、それは仕方ありませんね、メイドに大急ぎで、特濃ホットミルクを作らせましょう」
「ええ、そうしてちょうだい。少しぬるいくらいが私には丁度いいわ。あら、そういえば、アニーお姉さまはここで何をしていたの? トランプ? ずるいわ。私もトランプやりたいわ」
「こらこらエイダ。早く寝るんだぞ」
「あら? お父様もトランプしてたの? ずるいわ、コスイわ。私抜きでトランプするなんて。私も『せぶんぶりっじ』やりたい」
「お父さんはセブンブリッジなんてやったことないぞ? 誰に教わったんだ?」
「この前夜のお勉強の時に、下着姿のロザリンドが……いけない。これは内緒のお話だったわ。ねぇ、アニーお姉さま、これってお父様に聞こえちゃったかしら?」
「カレンの旦那様、今の、聞こえましたか?」
「わかってる。聞こえなかった」
「だそうです」
「ふう。良かった」
「ゴホン。エイダ、ここにはお前にはつまらない絵しかないから、部屋に戻ろうな」
「そうするわ、ジェイクおじ様。油絵って私、あんまり好きじゃないの。だって匂いが良くないし、筆も重くて、ちっともうまく描けない」
「上手だよ。ほらこれ。今日エイダがくれた肖像。お父さん大好きだぞ」
「その絵は気に入ってるの。でもこの前お母様がお茶を零して捨てちゃった絵はなんだか好きになれなかったわ。そうそうお父様、聞いて欲しいの。お母様ったら『おとな』なのに『こども』なのよ。お茶を零したのは自分なのに、カップは私のだからって、私に描かせるの。しかも三日で。不満足もいいところよ」
ユンは首をひねった。それを見たエイダも首をひねる。
ダニエルは肩を揺らしたものの、なんとか笑いをこらえた。
「ジェイクおじ様、首、痛くないかしら? そんなに傾げたら、私はとても痛いと思うわ」
「エイダ、それって……コノ絵?」
「やめて、おじ様。私、自分の下手な絵と体重計ほど嫌いなものはないわ」
「ソッチのとアッチに飾られた絵もですか?」
「やめてって言ってるじゃない、ダニエル先生。その絵は描いてからもう二年も経ってるのよ。今の方がもっと上手く描けるんだから。仕方ないわ。今度お部屋に飾る用に描いてあげるから。ね、それで許して欲しいのだけど」
「エイダ、お前って子は」
ジェイクはエイダに近づき頭を撫でた。
彼女の髪は、美しい黒髪で、指が淀みなく通る。まるでシルクみたいだと、彼は思った。
「そうだよな、本物だろうが偽物だろうが、わかんなきゃ一緒だよな」
「ええ、お風呂上がりに乗った体重計の針が本当か嘘か、私も分からないもの」
ジェイクはエイダを抱きかかえて言った。
「重いな、ちょっと太ったか?」
「ひどいわ」
エイダは顔を両手で覆って、しゃくりをあげる。冗談のつもりだったが予想外の反応にジェイクは取り乱す。
そんなジェイクにエイダは微笑み言葉をかけた。
「嘘よ。だからおじさまは騙されちゃうのよ」
ジェイクは一瞬ほうけ、息をついてからコツンと姪の額に自分のおでこを押し付けた。