閑話ⅩⅣ マユミVS
ちょっと長くなった…
2022/8/31 誤字を修正
マユミ・ヨウリュウはヤンフィたちが居なくなるのを見送ってから、さて、とガストン・ディリックに向き直った。
ガストンは不敵な笑みを浮かべたまま、マユミ独りであれば余裕とでも言わんばかりの態度で、無防備に中空で浮遊している。
マユミはそんなガストンの一挙一動に神経を集中しつつ、同時に、背後の建物の闇に溶け込んでいる魔族たちの気配にも注意を払った。
(……魔力探知は得意じゃないが……この強烈な気配から察するに、魔貴族が三体……いや、四体か? 上位種でもなければ、四体程度じゃ、私の相手にもならないが、果たして――)
マユミの様子を窺っている魔貴族たちは、ガストンが使役している魔族だろう。死を厭わぬ、とびきり上等な手駒に違いない。だが、たかだか四体程度では、竜種などの上位種の魔貴族でもない限りは、マユミの相手には足らない。
さて、そんなことを考えながら、マユミは現状の戦力差を冷静に鑑みた。
敵の戦力を過大評価したとしても、マユミが全力で相手する前提だと、勝率は8対2ほどだろう――勿論、マユミが8である。
(――まぁ、とはいえ、ガストンには奥の手がある……それが、どれほど強いか知らないが……少なくとも魔王属と同格程度には強者だろう。愉しめそうだな)
現時点で、彼我の戦力差は明白だった。油断しない限り、マユミが負けることはない。
けれど、ガストンはまだ全力を出してはいない。隠しているガストンの戦力は、マユミの想像では十中八九、魔王属に匹敵するはずだった。だとすれば、戦力差の天秤は拮抗するに違いない。つまり、ギリギリの死闘が味わえる。
マユミの口元が知らず知らずに悦びで歪んでいた。そんな笑みを見て、ガストンは少し困った顔になっていた。
「相変わらずだね、マユミ君。この状況で笑うかい、普通?」
「嗤うに決まっている。私は強者と相見えるためにここまで赴いた――当初の予定とは異なってしまったが、よほど【粛清のベスタ】より、貴様の方が歯応えがある」
「……これだから、生粋の戦闘狂は困るね……まったく、バルバトロス様も、厄介なお目付け役を付けてくれたもんだよ」
一触即発の空気が高まる中、二人の声の調子だけは緊迫感のないものだ。
しかしその場は、目に見えない強烈な威圧と、跪きたくなるほど重い覇気が支配しており、凄まじくキナ臭い戦場の空気に満ちていた。
「ところで、マユミ君。一応、形だけ聞こうと思うんだけど――【破滅の魔女】の復活計画に協力してくれないかい? だいぶライム君も器として完成してきたし、レーヌ様の魂も定着し始めてる。そりゃまだまだ【破滅の魔女】と呼ばれた全盛期には届かないけど――」
「――断る。貴様ら【世界蛇】の計画なぞ、私の関知するところではない」
ガストンの質問に即答して、マユミは自然な動作でマガツヒを逆手に持ち替えた。グッと、地面に切っ先を埋めて、刃先をガストンに向ける。
「……まぁ、マユミ君ならそう言うよね。分かってたよ、ボクは――――それじゃ踊ろうか」
「ああ、私を存分に愉しませてくれよ!」
ガストンがパチンと指を鳴らす。瞬間、マユミの背後から隠れていた魔貴族たちが、一斉にその禍々しい魔力を解き放ち、大通りに躍り出てきた。
現れたのは三体――どいつもこいつも、マユミより巨大な体躯をして醜悪な容姿の魔貴族だった。
「剣技――地這刃」
マユミはそんな魔貴族たちには目もくれず、しかし現れるのを見越して、マガツヒを振り上げる。マガツヒの切っ先が、壁のような土煙を舞い上げた。
けれど、それはまったく的外れの空振りである。何もいない空間を切り裂いただけの、威嚇にもならない素振りだった。だが警戒心の強い魔貴族たちは、その意図を読み切れず、一瞬だけ躊躇する。
「――ガルッ!?」
「グェ!?」
「キュルルルル!!!」
そして次の瞬間、油断していなかった魔貴族たちは、しかし足元からいきなり、全身を逆袈裟に斬り裂かれた。
地這刃――地面に溜めた剣気を対象に当てることで、対象を切り裂く剣技である。射程範囲はおよそ数キロに及び、対象が地面に立っているのであれば、放った方向は関係なく有効な追尾式斬撃である。
中空にいるガストンには当然通じないが、それはマユミの狙い通りだ。最初からマユミは隠れていた魔貴族を的にしていた。
「ギャギャギャ、ギャギャギャ!! コイツ、ヤバい。ヤバい!! 魔術じゃなくて、物理でこの威力は、歴代勇者に匹敵!! 少鷲、相性悪すぎる!! 敵わない。闘わない!!」
「……打ち損じ、と言うより、飛翔型が一体居たか……しかも、東方語を喋るとは、貴様、有象無象の雑魚じゃないようだな」
背後から現れて、地這刃に切り裂かれた魔貴族は三体だけ。その三体とも醜悪な容姿で、巨大な体躯をもった魔貴族だが、気色悪い声音で東方語を叫んだ魔貴族は、それとは別、四体目の魔貴族だった。
ギャギャギャ、と叫び続けるその魔貴族は、三本足で巨鳥の形状をした魔族である。
どこから現れたのか、マユミでさえ認識できなかったが、ふと見れば、ガストンの後方で飛翔しながら喋っていた。
「ん? よく見れば、貴様……確か、ラガム族の女と一緒に居たな――上位種の魔貴族だったのか。そいつは重畳だ。けれど、貴様は時空魔術を扱うらしいからな、後回しにしてやる」
マユミは言いながら、愉しげな表情を浮かべて、その巨鳥とガストンに背を向けた。相対するのは、地這刃の直撃を受けて平然としている醜悪な容姿の魔貴族たち三体だ。
一対多数の戦闘で最も優先すべきは、敵の数を減らすことであり、弱者から刈ることである。となれば最優先で倒すべきは、ギリギリの死闘を邪魔するだけの雑魚――つまり地上を這う三体だろう。
一対一ならば、マユミにとっては魔貴族如きさして苦労せずに斬り伏せられる相手である。実際、マユミが改めて眺めてみると、醜悪な容姿の魔貴族たちは、脅威を感じるほどの魔族ではなかった。
「牙獣種【キングウーフー】、触蟲類【帝王スライム】、甲鎧種【ゴッドゴキ】か……なんとも見栄えの悪い魔貴族を集めたな。感心するよ、ガストン」
マユミは並んでいる魔貴族を一体一体名指ししながら、ふぅ、とリラックスするように吐息を漏らす。この程度の魔貴族であれば、やはり目算に狂いはない。勝率は8対2で、マユミ有利である。
「ありがとう。存分に愉しんでくれよ、マユミ君。ああ、ちなみに当然、そこに居る魔貴族たちは、ボクの強化付与がされているよ。だから、簡単に仕留められると思わない方がいい……それこそ、本気で相手しないと、足元を掬われるからね? ま、ボクとしては油断して怪我の一つでもしてくれれば嬉しいし、あっけなく死んでくれても問題ないよ?」
「強化付与された魔貴族程度で、私が怯むはずがないことは承知しているだろう? それよりサッサと、貴様は奥の手を召喚した方がいいぞ? 貴様、噂じゃ獣界に棲息する神獣を召喚出来るんだろう? 無駄口を叩く暇があれば、準備をしろ。しなければ、貴様こそあっけなく死ぬことになるぞ?」
マユミは挑発しながらクルリと振り返り、ガストンに背中を向けた。だが同時に、全身から煙のような闘気を放ち、握り締めたマガツヒに魔力を篭める。すると、マガツヒから毒々しい濃緑色の瘴気が溢れ出して、周辺の空気を腐らせ始めた。特性【暴食】を発動させたのだ。
本気になったマユミの背中を眺めながら、ガストンは、仕方ないとばかりに溜息を漏らして瞳を閉じる。一見すると、背中を見せるマユミは無防備で隙だらけだが、これは誘いであり罠だ。ここで不用意な攻撃をしようものなら、カウンターで即死するだろう。
それを予見しているガストンは、マユミの挑発通り、召喚する為に精神集中を始める。ガストンの全身からも魔力が溢れ出して、空中に複雑怪奇な召喚魔法陣が出現した。幾重にも折り重なる巨大な魔法陣は、まるで防御魔術の如くガストンを中心に展開する。
ガストン・ディリック――彼は普段、幻惑系の魔術を主体として合成魔術師を思わせる戦闘スタイルを採っているが、実のところ、天性の魔物使いであり、テオゴニア大陸全土でもほとんど存在しない召喚士である。
つまりガストンは、召喚した魔獣や魔族を己の意のままに操って闘わせる戦闘スタイルこそが本気であり全力だった。
それを承知のうえで、マユミはガストンの召喚魔法陣を完全に無視して、まず雑魚を蹴散らすことに集中する。
(……ギリギリの愉しい死闘に、横槍を入れられたくはないからな)
いっそう愉快そうに顔を歪めながら、マユミはマガツヒにより強く魔力を篭めた。寝坊助の【暴食】がそろそろ本格的に覚醒してきた。これで魔貴族の装甲でも一太刀で切り裂けるだろう。
ここからが本番だ――と、マユミは笑みを張り付けたまま、爆発するようなスタートダッシュで、三体の魔貴族に向かって斬り込んだ。
数十メートルほどの距離をマユミは大きく一歩で距離を詰めて、まずは牙獣種【キングウーフー】を頭から両断する。
キングウーフーは眼が四つ、腐って異臭を放つ耳を持ち、半開きの口から巨大な牙と蠢く触手を伸ばした四足獣である。2メートル半ほどの白い巨躯をしており、外見はどことなく狼を思わせる容姿をした魔貴族だ。最大の特徴は、音速で動けるほどの敏捷性である。ただし耐久性、防御力は非常に低いので、覚醒したマガツヒの一振りを防ぐ術はない。
「ガゥッ!? グォゥ―ッ!!?」
マユミが放った斬撃は、直撃したキングウーフーだけが反応出来た。だが、反応したところで、避けるまでには至れない。それほどマユミの剣技が疾く見事だった。
バツン、と頭部から綺麗に真っ二つに切断されて、キングウーフーはあっけなく即死した。巨体を二つに両断されて、死骸が勢いよく吹っ飛んだ。
「――次は、貴様だ!」
そのままマユミは流れる動作で、キングウーフーの左側に立っている甲鎧種【ゴッドゴキ】の腹部を横薙ぎに切り裂いた。
ゴッドゴキは、黄金色の翅を持ち、ダンゴムシみたいに丸みを帯びた形状をした2メートル弱のゴキブリである。後ろ脚二つで不気味に立ち、長い触角とカマキリを思わせる前脚を四つ持っている。非常に防御力が高く、強烈な酸を吐くのが特徴的な魔貴族だ。
けれど如何に防御力が高いとはいえ、覚醒したマガツヒの前には無意味に等しい。
まともに反応さえ出来なかったゴッドゴキは、腹部を大きく切り裂かれて、激臭を伴う白濁の液体と、ブツブツした白い粒を飛び散らす。気色の悪いその粒は、地面に落下すると異臭を放ちながら土を溶かして、建物に付着すると壁面を腐食させた。
ちなみに、マユミの強烈な横薙ぎは、ゴッドゴキに重傷を負わせたが、即死させるには至らなかった。ゴッドゴキは腹部を裂かれたまま、嫌な羽音を鳴らしながらその場から飛び退く。
「キュルキュルキュルル!!!」
一方、ゴッドゴキが攻撃されたタイミングで、触蟲類【帝王スライム】が、キュルキュル叫びながら触手を伸ばして、マユミの手足を掴んできた。
流石のマユミも攻撃した直後で避ける余裕がなく、甘んじて帝王スライムの触手に捕まる。途端に、ジュワ――と、肌の焼ける音がして、嫌な腐臭が辺りに漂う。
帝王スライムは、全身が緑色の水の塊のような魔貴族だ。全長4メートルを超える球体の形状をしており、球体の表面から無数に手の形をした触手を生やしている。触手は変幻自在で、伸縮も思いのままの攻撃器官で、触れた物の表面を腐食させる効果を持っている。
「チッ――厄介な」
帝王スライムの触手に捕まれて、マユミの手足は表面が焼かれて壊死し始める。
マユミはすぐさま触手を返す刀で切り払う。痛みはそれほどでもないが、このまま放置すると神経が冒されて再生できない危険性がある。
「――起きろ、竜骸甲!」
マユミは装備している【竜骸甲】に魔力を注ぎ込み、防具としての真髄を発動させる。
竜骸甲もマガツヒ同様、魔力を注ぎ込むことで覚醒する魔力武具だ。消費魔力はマガツヒの比ではないいが、一度覚醒させれば、注いだ魔力が尽きるまでは強力な防具として機能する。
魔力を注いだ竜骸甲は、黒いコルセットベルトから形状を魔力糸に変化させて、瞬く間にマユミの全身を包み込んだ。黒い魔力糸は、漆黒の鱗で覆われた全身甲冑を形作る。
竜骸甲の真骨頂――竜帝ベルセルクの外殻を模した全身甲冑である。
この覚醒状態の竜骸甲を身に纏うと、装備者は、超再生、発狂、精神異常の効果が付与される。また同時に竜眼が発動して、あらゆる魔術の真髄を見通す力を得られる。
この竜骸甲ならば、帝王スライムの毒性も全て浄化できる。
「キュルキュル――キュル!!」
マユミが漆黒の全身甲冑を纏った瞬間、帝王スライムが捨て身のつもりで襲い掛かってきた。全長4メートルを超えるその巨躯が軽やかに跳躍して、マユミを圧し潰さんと頭上から降ってくる。
帝王スライムの強み、一番の脅威は、水の塊にしか見えない体躯なのに、その質量と硬度が自由自在に変化することである。体表を硬質化すれば、魔力鋼の硬度を凌駕するし、質量を増加させれば、最大100トンまで重くなる。
そんな帝王スライムの飛び掛かりは、単純ながらも致命傷となり得る破壊力がある。まともに受けることは出来ない。
「――――ぉおおおぉっ!!」
とはいえ、帝王スライムの捨て身の圧し掛かりから逃げると、必然、マユミは宙を舞うゴッドゴキに隙を見せることになる。それは危険だった。
宙を舞うゴッドゴキは、腹部から白い液体と粒状の何かを垂れ流しながら、魔力の塊を螺旋型の槍状に練り上げていた。魔力特性を付与した物理攻撃として、その槍でマユミを貫こうとしている。
ゴッドゴキのそんな思惑など当然把握しているマユミは、故に振ってくる帝王スライムを避けるわけにはいかない。
マユミは裂帛の気合を叫びつつ、頭上の帝王スライムに向けてマガツヒを振るう。それは今までで最速の一薙ぎだったが、斬撃の残像がハッキリと見えており、逆にスローモーションのように見えた。
「奥義――【氷雪腕】!!」
ヒャイン、という風切り音が、残像の後に聞こえる。同時に、白く巨大な腕のような形状をした魔力が、落ちてくる帝王スライムの巨体を張り飛ばした。瞬間、その巨体が爆散する。
「グォゥ――ガァッ!?」
よもや4メートル超の帝王スライムが見るも無残に爆散するとは思わず、ゴッドゴキが驚きの声を鳴らしていた。その驚きを確認して、マユミはマガツヒをもう一振りする。
すると、白い巨大な腕状の魔力が、高密度の魔力槍を練っていたゴッドゴキの背後に現れて、その巨躯をグッと握り潰す。
「【天空閃】――」
漆黒の全身甲冑を纏うマユミは、更にその場で回転して、マガツヒを上段から袈裟に振り下ろす。それに呼応するように、ゴッドゴキを握り潰した白い巨大な腕がパックリと縦に割れて、グチャグチャに潰されたゴッドゴキの破片が、パラパラと地面に落下する。
「ギャギャギャ、ギャギャギャ! こんなの、魔王属じゃないと、闘えない! コイツ、化物! ガストン、言ってたこと違う!! 少鷲、役に立てない! もう戻る!! 手伝う不可!」
「――いやいや、逃がさないよ。次は貴様の番だ」
そうして、あっという間に三体を斬り伏せたマユミは、ガストンの後方で飛翔する三本足の巨鳥に顔を向けて、くぐもった声でそう告げた。
次の獲物は、上位種と思われる巨鳥の魔貴族だ。
マユミはグッと腰を落としたかと思うと、ワイヤーで強引に吊り上げられたような不思議な挙動で、空に向かって跳び上がった。それは背中で魔力爆発を起こして、衝撃を推進力にして飛び上がる技だ。吹き飛ばされたような状態の為、跳躍姿勢は不格好だが、飛翔速度は音速に近いほどである。
マユミはそんな高速で跳び上がりながら、マガツヒを振りかぶる。マガツヒからは大量の瘴気が溢れており、吸収しきれない魔力が渦を巻き始めていた。そんな魔力を制御しつつ、慌てふためく巨鳥――少鷲目掛けて、マガツヒを振り下ろした。
「【雪薙】ッ!!」
慌てふためく無防備な少鷲の頭部から脚部まで、マユミは一息に一刀両断した。斬撃は、紫色の瘴気を振り撒きながらも、雪が降るような白くゆっくりとした一閃だった。
断末魔の叫びさえ上げる暇なく、少鷲は無音のまま、鏡がズレるような切り口で切り裂かれる。
「思ったより、あっけなか――なにッ!?」
マユミはマガツヒを振り下ろした姿勢のまま、空中で一回転して姿勢を整えた。視線の先には、召喚魔法陣に囲まれたガストンが浮遊していて――次の瞬間、切り裂いたはずの少鷲が五体満足で現れた。
「そんな、馬鹿な……」
手応えはあった。マユミは確信を持って、少鷲を斬り殺したと自負していた。幻術が利かない体質をしたマユミが、しかも竜眼でもって少鷲の魔力核ごと魔力体を両断した。
だというのに、少鷲は平然とガストンの前で飛翔していた。
「ギャギャギャ――強過ぎる!! ガストン、少鷲、助けろ!! 死ぬッ!!」
「死ねっ!!」
驚愕するマユミを正面に、しかし少鷲は攻撃する気がないようで、騒いだと思ったら、いきなり背を向けた。当然、そんな隙を見逃すマユミではない。
いっそう禍々しい魔力を振り撒くマガツヒを強く握り締めて、すかさず少鷲の背中に向けて横薙ぎに振るう。それは剣技ではない。ただただ力任せに振るっただけだが、その斬撃の威力は、空間を切り裂いて少鷲の胴体をも横に両断した。
紙を切り裂くようなあっけなさで、少鷲の破片が地面に落ちていく。
「貴様、どういうことだ? 確実に、魔力核ごと喰らったはず……なのに、状態が戻っている……時間操作系かとも思ったが違うようだし……生命補充でもなさそうだ……どんな能力を使っているんだ?」
マユミは自由落下しながら、三度、夜空に現れた少鷲の姿を見上げて、ボソリと呟いた。着地した地面には、今までに切り裂いた少鷲の胴体が都合二体分転がっている。
三体目としか思えない少鷲は、無傷のまま先ほどと同じ位置で、ギャギャギャ、と騒いでいた。
マユミは竜眼で三体目の少鷲を睨み付けた。握り締めるマガツヒがひっきりなしに瘴気を吐き出して、凄まじい重さの魔力が纏い付いている。
(……そろそろ、限界か……これ以上は、堪えられないな……)
心の中で冷や汗を流しながら、マユミは震え始める右腕を必死に抑えた。
筋肉の内側を走る魔力回路が、感電したかのようにさっきからビリビリ痺れていた。握力こそまだ失われていないが、あと数振りするだけでマガツヒを握れなくなるだろう。
けれどそれも仕方ない。都合、五体もの魔貴族を断ち切り、その魔力核を喰らっているのだ。そろそろマユミの魔力許容量が限界だった。
マガツヒの持つ特性――【暴食】は、あらゆる魔力を喰らうだけではなく、物理・魔力の両属性に対して、防御力無視の効果を持っている。その特性ゆえに、こと攻撃力においては、暴食こそ最強の能力、特性であると恐れられている。しかし一方で、暴食の特徴である全ての魔力を喰らうという利点が、最大の欠点ともなっている。
暴食の発動に代償はない。けれど暴食というその名が示す通り、あらゆる魔力を際限なく喰らうのだ。それは使用者の意思に依らず、強制的に無差別に、限界を超えても喰らい続ける。
その為、暴食を発動させれば最強の攻撃力を得られる反面、攻撃すればするほど使用者に魔力負荷が掛かっていき、やがて限界を超えた時、使用者の魔力核が自壊する。ちなみに、暴食発動中は空気中に漂う魔力さえも自動的に喰らい続けている為、マガツヒを振ることがなくとも、いずれ限界に達して自爆出来る危険な代物だ。
特に、マユミなど魔力許容値はそれほど高くない。雑魚とはいえ、魔貴族を五体も喰らってしまうと、竜骸甲に注ぐだけでは魔力を消化しきれなくなってしまう。事実、魔力の過剰保有により、神経のいくつかが焼き切れている感覚がある。
「……ひとまず、貴様の正体を看破しないことには、話にならないか」
マユミは地面にマガツヒを突き立てて、一瞬だけ手を放す。そうすることで、強制的に魔力の供給を遮断する。一旦これで、暴食の特性は収まる。
マユミが地上から夜空を見上げると、無傷の少鷲は慌ただしく旋回しながら飛翔していた。少鷲との距離は目算で40メートルほど、マユミの剣技ではギリギリ射程外の距離である。
「ギャギャギャ――少鷲、闘う気ない! 少鷲じゃ、お前に勝てないッ! レーヌ様の命、ガストンの監視! 少鷲、手出さない! だから、無視するお勧め!!」
少鷲がマユミの視線に気付いて、騒がしく羽ばたきながら、そんな世迷い事を叫んだ。マユミは甲冑の下で苦笑を浮かべながら、マガツヒを一振りする。地面に1メートル前後の亀裂が走る。
「生憎だが私は、敵対した相手を許すつもりはない。しかも貴様は、この私が本気でマガツヒを振るっても殺せない手強い相手だ。歯応えがある相手を前に、手を出さないなどあり得ないだろ?」
「ギャギャギャ、ギャギャギャ――ガストン!! お前、なんとかしろ! 少鷲、もう逃げる!」
少鷲は露骨に狼狽しながら、マユミに無防備な背中を見せた。大きく羽を羽ばたかせて、さらに上空へと逃亡する。
しかしそれを見逃すほど、マユミは甘くはない。
「――逃がさない」
マユミは目にも留まらぬ速度で空に跳び上がり、あっという間に少鷲の高さを追い抜いた。そして振り返り、少鷲を迎え撃つ姿勢でマガツヒを振りかぶる。
実のところ、マユミには魔術適性がない。下級魔術さえ満足に行使できず、当然ながら飛翔の魔術など扱えない。だがその驚異的な身体能力にあかせれば、数十メートルを超える垂直跳びさえ容易だった。
「ギャギャギャ!!! 来るな、化物っ!!!」
「貴様に言われたくはない――」
少鷲はいきなり眼前に現れたマユミに驚き、悪態を吐きながら急停止して、方向転換を図ろうとする。けれど、それよりも早くマユミのマガツヒが振り抜かれた。
「――風雪流絶技【雷帝鞭】」
振り抜かれたマガツヒの剣筋は一条の光となり、雷鳴の如き風切り音を鳴らしながら、地表に特大の雷を落とす。
雷帝鞭――鞭の如き剣戟が、雷となり対象を切り裂くマユミの秘奥義である。物理属性の攻撃でありながらも魔力属性が付与されており、その破壊力はマユミの持つ剣技の中でも随一だった。
ギャー、と不気味な叫びを上げながら、少鷲は感電したまま落下する。それに付き従うように、マユミもまた自由落下にて着地する。
「殺してはいない――だが、もうこれで、身動き取れないだろう?」
マユミの着地と同時に、2メートルを超える少鷲の巨躯が地面に激突して埋もれた。黒い巨躯は一部が炭化して、焦げた嫌な臭いが漂っている。だが、その全身はビクビクと痙攣しており、まだ生きている様子が窺える。
マユミは、痙攣しながら地面に埋もれている少鷲の背中を斬り付けて、その翼を撥ね飛ばす。
「――これで前菜は終わりだ。そろそろ準備は整ったか、ガストン?」
「マユミ君。キミは本当に狂ってるよ。想定通りではあれど、本当に召喚を終えるまで待ってくれるなんて――その自惚れは、身を滅ぼすよ?」
マガツヒを強く握り締めて、マユミはスッとガストンを見上げる。すると、ガストンの周囲に展開していた召喚魔法陣がいつの間にか消えており、代わりとばかりに、3メートルを超える漆黒の体毛をした一尾の狐が浮かんでいた。
その狐の姿を認めて、その威圧を感じて、マユミは全身に震えがくるほどの歓喜を味わっていた。
「素晴らしい。それが、貴様の切り札か?」
「強がるねぇ、マユミ君? そうだよ、これがボクの切り札で、奥の手だ。ボクの命を一回分使用してさえ、一時間しか召喚できない神獣であり、魔王属を超える力を持つ美しき魔獣――【空狐】クロエだ」
「――御託はいいさ。強いのは見て取れる。私が望んでいるのは、その強さが果たして、私の想像を超えるほどかどうか、その一点だけだ」
マユミは泰然と中空に鎮座する漆黒の狐を睨み付けながら、静かに深呼吸を繰り返す。ヤンフィを前にした時のような高揚感と、心躍る緊迫感に思わず武者震いが出ていた。
そんなマユミと対峙して、しかし漆黒の狐――空狐クロエは、これ見よがしの溜息を漏らしていた。空狐クロエが垂れ流す威圧は、魔王属であるヤンフィにも匹敵しており、ただそこに居るだけと言うのに死を強く意識させた。
「さあ、存分に愉しませて――」
「――貴女が竜帝の鎧をどの程度まで扱えるのか、少し試してみましょうか」
マユミが腰を落として飛び掛かろうとした瞬間、空狐クロエが流暢な東方語で呟いた。
「――なっ!?」
空狐クロエが喋れたことに別段の驚きはないが、直後に展開された白銀の輝きの数を眼にして、マユミは驚愕していた。竜眼が警鐘を鳴らしている。
頭上に広がっていたのは、夜空を埋め尽くさんばかりの星の如き光球であり、それは一つ一つが聖級魔術に匹敵する威力を秘めていた。
「気弾の雨よ、降り注ぎなさい」
空狐クロエは冷めた声で吐き捨てるように言って、一斉にその光球を落下させる。怒涛の勢いで降り注ぐ白銀の弾丸に、マユミは一瞬だけ戸惑った。
避けるべきか、受けるべきか――判断を誤れば、もしかしたら致命傷を受けるやも知れない。
マユミは一秒にも満たない刹那だけ逡巡して、攻撃を甘んじて受ける防御を選択した。とはいえ、漫然と受けに回って防御に徹するのではなく、正面から迎え撃ち、攻撃を相殺する防御態勢を取る。グッと腰を落として態勢を整えると、攻撃を迎え撃つべくマガツヒを構える。
「――剣舞【雹舞】」
一秒間に数千を超えて頭上から降り注ぐ白銀の弾丸の豪雨。その悉くを、マユミはマガツヒを振るって切り払う。聖級魔術程度の威力ならば、暴食を起動していなくとも、剣技だけで何とか弾き返せる。
それでも切り払えない弾丸は多く、マユミの全身にチラホラと直撃するが、まばらに被弾する程度では竜骸甲の装甲を貫くには至らず、ダメージはほとんどなかった。
「相変わらず、マユミ君は化物だなぁ。神力で操ってる気弾の雨を、ただの剣技で撃ち落とすなんて芸当、まったく信じ難いね……ま、けど、マユミ君には通じないだろうとは思ってたから、この結果は当然だけどね」
「……ガストン。貴様こそ、そんな強がりを言う暇があれば、もっと気合を入れたらどうだ? 小手調べにしても、この攻撃は緩いんじゃないのか?」
「うんうん、確かにそうだね。でも、これを緩いって言えるのはマユミ君だからこそだよ? ああ、ちなみにね。この攻撃は、マユミ君を狙ったんじゃないんだ――ねぇ、少鷲?」
「ギャギャギャ、ギャギャギャ。助かった、助かった!! ガストン、お前、良い仕事する!! 少鷲、もう戻る!! さらば!!」
白銀の豪雨は絶え間なく続くが、マユミは軽口を叩きながらそれを切り払い続ける。すると気付けば、ガストンの隣で四体目の少鷲が飛翔していた。
マユミはマガツヒを振るいながら、横目でチラっと三体目の少鷲を見る。そこには、白銀の弾丸に撃ち抜かれて、グチャグチャになって絶命している少鷲の死骸があった。
それが狙いか――と、マユミは唇を舐めてから、攻撃を迎え撃つ手を止めると、マガツヒを逆手に握り締めた。この攻撃の意図が明確になった今、空狐クロエの次の手を警戒する必要はない。
マユミはスッとマガツヒを下ろして、全身に無数の白銀の弾丸を浴びた。凄まじい衝撃にタコ殴りにされるが、覚悟さえすればダメージはない。実際、竜骸甲の装甲には傷さえ付かない。
「もう少鷲など、どうでもいい――奥義を見せるが、これで死ぬなよ?」
途切れることなく降り注ぐ白銀の弾丸を浴びながらも、そんなのはどこ吹く風と、マユミは自らを中心に魔力爆発を引き起こした。暴食で喰らった魔力を背後で爆発させたのだ。その威力は、竜骸甲に傷が付くほどで、マユミの身体は勢いよく押し上げられる。
「奥義【氷雪腕】――合掌!」
白銀の弾丸の間を抜けて夜空に飛び出したマユミは、暴食を起動せずにマガツヒを振るう。けれど、この奥義は、暴食を起動しなくとも魔貴族を一撃で葬れるだけの破壊力を秘めている。
マガツヒが白い軌跡を描きながら空を裂き、風切り音が軌跡に遅れて夜闇に響き渡る。その風切り音に呼応するように、魔力で形作られた白く巨大な掌が二つ顕現して、空狐クロエを叩き潰す。
「グッ!?」
パン、と小気味良い音が空狐クロエから鳴り響いたが、その瞬間、マユミの鳩尾を空気の塊が貫いた。魔力付与も何もされていない空気弾だが、その破壊力は凄まじく、たった一撃で竜骸甲に穴を空けるほどだった。
マユミは甲冑の内側を血反吐塗れにしながら、勢いそのまま吹っ飛ばされて、十数軒先にある庭付きの豪邸の屋根に落下する。
「……これは……嬉しい、誤算……だ」
三階建ての豪邸を落下の衝撃で全壊させたマユミは、吐血しながらも瓦礫を退かして這い出た。
「貴女は、かなり竜帝の鎧を使いこなしているようですね。しかしやはり、物理には弱い……」
豪邸の庭に命からがら這い出たマユミに、その時、頭上から冷めた声が降ってくる。マユミはハッとして顔を上げると、正面にはピンと背筋を伸ばした空狐クロエが鎮座していた。
無様な恰好のマユミだが、手の届く距離に突如現れた空狐クロエを認めた瞬間、ダメージを感じさせない素早さで立ち上がり、間髪入れずに斬り掛かった。
「奥義【吹雪舞】――がぁ!?」
「召喚主が我を呼び出さざるを得なかったことに納得しています。それほど、貴女の技量は歴代勇者と比べて卓越しています。素直に称賛いたしましょう。けれどその程度では、我には勝てませんよ」
吹雪を思わせる苛烈で美しいマユミの剣舞は、しかし空狐クロエの体毛に触れる寸前で、ふたたび放たれた空気の塊に阻まれた。
先ほどよりも小さく鋭い二連撃が、マユミの両肩と両足を貫き、その動きを止めさせる。さらに一瞬遅れて、壁のような空気の膜がマユミにぶつかってきた。
マユミは踏ん張ることさえ出来ず、紙が風で吹き飛ばされるように宙を舞い、勢いよく弾き飛ばされた。周囲の家屋を数十軒以上破壊しながら、豪速球を思わせる速度で地面を転がり、最後は中央通りのど真ん中に叩きつけられる。
「……ぐ、ぅっ……最高、だ……この、ギリギリの……死闘……」
肩と脚部に穴を空けた状態の竜骸甲を砂塗れにしながらも、マユミは嬉しそうに呟いた。
甲冑の中では自身の血の臭いが充満していて、骨と言う骨が軋んでいる。それでも気力は充分で、口元は歪んだ笑みが張り付いていた。
ガストンの切り札――空狐クロエは、マユミの想像通りに強かった。
竜眼で攻撃の芯を逸らさなければ、恐らくとっくに致命傷を受けていたに違いない。単純に個体性能の点では圧倒的に負けていた。
けれど、勝ち目がない訳でもなければ、絶望的な戦力差でもない。むしろこれこそ、マユミの待ち望んだ展開である。
「……勝率は、恐らく4対6か、3対7……気合を入れないと、私の勝ちはない、な」
マユミは呟きながら、自身の血反吐の異臭に辟易して、甲冑の頭部を解除する。途端、ドバ、と甲冑の内側に溜まっていたマユミの吐血が溢れ出た。
現れたマユミの顔は酷く腫れており、血と吐瀉物でグチャグチャになっていた。その額と頬もパックリと割れている。だが、その表情はとても愉しそうで、口元には歪んだ笑みが張り付いていた。
「世迷い事を――貴女のどこに、我に勝てる算段がありましょうか?」
空狐クロエが、影のように音もなく現れた。その姿には勝者の余裕が感じられる。自らが負けるとは露ほどにも思っておらず、確信めいた自信が滲み出ていた。
そんな空狐クロエを前に、マユミはいっそう嬉しそうな笑みを向ける。
「確かに、貴様は強い。だが、私の想像を超えるほどじゃ、ない……実際、私との戦力差は、それほど大きな開きはない」
「――なんとも面白いことを言いますね。我の実力がこの程度と思っているのでしょうか?」
マユミの露骨な挑発に、空狐クロエは少しムッとした様子で、さらに強烈な威圧を放った。大気が震えて重苦しい緊張で、周囲が張り詰めた。
「いいや、思ってないさ――だから、愉しいんだ」
「勇者かと思いましたが、貴女は戦狂いでしたか。戦狂いであれば、戦力差を語っても仕方ありませんね。それではさようなら――気弾の渦よ、逆巻け」
空狐クロエが眼を細めて、前脚をマユミに向けた。
その途端に、無数の白銀の弾丸が前脚を中心に浮かび上がり、螺旋状に回転を始めた。同時に、無色透明の高圧縮された空気の塊が、空狐クロエの周りに幾つも現れる。
空気の塊は、竜骸甲を貫くほどの高威力を持つ物理攻撃である。一方、螺旋状に回転する白銀の弾丸は冠級にまで昇華された強力な魔力攻撃である。空狐クロエはその異なる属性の攻撃を、二つ同時に操り、マユミに向けて放とうとしていた。
流石にそれは、竜骸甲を完全に使いこなしても防ぎ切れないだろう――と、マユミが寒気を感じたその瞬間、期待通りに、空気の塊と螺旋回転する白銀の弾丸が襲い掛かってきた。
マユミはこの死ぬほどのシチュエーションに歓喜しながら、竜骸甲に己の魔力を全て注ぎ込んで、即死しないことだけ考えて防御に徹する。これで死ななければ、勝率はグッと上がる。
マユミの魔力を吸った竜骸甲は仄青く光を放ち、鎧の内側では超速再生を発動させた。
物理防御、魔力耐性が最大限まで強化されて、一度だけならば、冠級魔術の直撃さえも耐えうるほどの強度に防御力を引き上げる。
果たして、空狐クロエの攻撃がマユミに直撃した。
不可視の透明な空気の塊が、一秒間に一万を数える連撃でマユミにぶつかった。一撃一撃が聖級魔術の威力を持つ高速連射が、無尽蔵に途切れなく続くのだ。この連射は、冠級魔術と言っても過言ではない破壊力となる。
またその連射に併せて、螺旋状に回転した白銀の弾丸が、槍の形状になって投擲された。それは威力に重きを置いた攻撃であり、一撃が冠級魔術に匹敵する魔術攻撃だ。そしてその槍は、二秒に一撃の頻度で、何度も何度も空狐クロエから投擲される。
「ぐぎぎ、ぎ、ぎっ――――ッ!!」
ドドドドド、と言う高速連射の物理攻撃。
ドガンドガン、と高速連射の合間合間に飛んでくる凄まじい破壊力の魔術攻撃。
それらを同時に正面で受け止めながらも、マユミは歪んだ笑みを浮かべ続けた。苦し気な声を漏らしながらも、即死だけ避けてひたすら耐える。周囲の建物は余波で次々と吹き飛んでいく。
空狐クロエの放つこの攻撃は、踏ん張って耐えるマユミを一秒ごとに南の方角に押し出した。まるでブルドーザーが道を作っているかの如く、アベリンには新しい大通りが出来ていく。
そうして、気付けばマユミは、アベリンの外壁をも破壊して、街の外の荒野にまで辿り着いていた。
そこでようやく、空狐クロエが攻撃の手を止めた。どうやら息切れしたようだ。
空狐クロエは疲れたように吐息を漏らしてから、前脚を下ろした。そして軽く跳躍すると、マユミの居る街の外まで一息で移動する。ちなみに、空狐クロエの纏っている魔力は、先ほどよりも明らかに希薄になっていた。だいぶ魔力を消耗したらしい。
「――我の攻撃をここまで耐えられるとは驚きです。よくぞ、そこまで竜帝の鎧を使いこなしていますね」
とはいえ、空狐クロエはまだまだ余裕そうだ。圧倒的に格上の威風を放ちながら、鋭い視線でマユミと対峙する。
マユミは顔面蒼白、息も絶え絶えで、竜眼からは血涙を流している。その全身甲冑はもはや原形を留めないほど破壊されており、ところどころ肌が露出している。身に纏う覇気も魔力もなく、今にも崩れ落ちそうなほど疲労しているのが見て取れる。
唯一無傷なのは、顔の前に構えたマガツヒだけだった。
「しかしながら、もはやこれまででしょう、戦狂いよ。そろそろ抵抗は諦めて絶命なさい」
満身創痍のマユミを前にして、空狐クロエは油断していた。何の警戒もせず、もはやマユミが何をしても脅威にはなり得ないと判断して、魔力を回復する為に一息吐いていた。
絶好の好機である――しかしマユミは、あえて空狐クロエに攻撃しなかった。理由は単純である。これから、死闘の第二幕が始まる。
ギリギリの死闘を味わう為にも、空狐クロエが全力を出せなければ意味がない。お誂え向きに、周囲は何もない荒野になっている。これで被害を気にせず暴れまわれる。
「……抵抗を、諦める……? 嗤わせる……ここから、更に面白く、なるのに? ようやく……私の魔力が枯渇するのに?」
「魔力が枯渇するか、何でしょう? 強がりはもう聞き飽きました。さて、再装填完了です。今度こそ、さようなら――気弾の嵐よ、竜巻となれ」
空狐クロエは充実した魔力を前脚に集めて、指揮するように横に振るう。すると途端、マユミを中心に空気の塊が渦巻いた。
竜巻のようだが、先ほどとは決定的に状況が違う。マユミは蒼白な表情のままニヤリとほくそ笑んで、マガツヒになけなしの魔力を注ぎ込んだ。
これで完全に魔力枯渇だ。貧血に似た症状が襲い掛かってきて、意識が飛びそうになり――【暴食】が再び目を醒ます。
「――互いに、必殺を撃ち合う死闘……やはり、これじゃないと、愉しめない」
マユミは誰に言うでもなく呟きながら、全方位からの降り注ぐ気弾にマガツヒを振るう。その無造作な一振りは、一瞬でマユミを取り囲む竜巻を霧散させた。
「――ッ!? 我の神力が!?」
「奥義【氷雪腕】――」
油断しきっていた空狐クロエは、気弾の嵐が霧散したのを見て驚愕の声を上げる。それと同時に、マユミの奥義――巨大な雪の腕が空狐クロエに殴り掛かった。
先ほど防がれた氷雪腕は、暴食を発動せずに振るった純粋な剣技だ。それでも威力充分であろうと思ったが、それは空狐クロエには届かなかった。だから今回は、暴食を発動させて振るった。暴食が起きた状態の奥義は、攻撃力が桁違いに跳ね上がる。それこそ、冠級魔術でさえ相殺できるほどの破壊力を持っている。避けなければ、如何に空狐クロエでも致命傷になり得るだろう。
果たして空狐クロエは、左前脚を突き出し空気の楯を展開して、氷雪腕の直撃を防御する選択を採る。それは紛れもなく悪手だった。
「――頼むから、これで終わるなよ?」
幾重にもなった高圧縮の空気を楯に、空狐クロエは氷雪腕を受ける。けれど、あらゆる防御を喰らい尽くす暴食の前では、それは紙よりも薄い装甲にしかならない。繰り出された氷雪腕の拳は、空狐クロエの左半身を弾き飛ばした。
「……莫迦な……神力が、喰われた?」
半身を吹っ飛ばされても空狐クロエは即死せず、あまりダメージを受けた様子もなく驚いていた。とはいえ、ノーダメージではない。体力と魔力が三割ほど、暴食に喰われていた。
マユミは空狐クロエから喰らった魔力を全身に循環させて、すかさず竜骸甲を復活させる。一瞬にして漆黒の鱗を持つ全身甲冑が元通りになった。
「それにしても、さすが神獣を名乗るだけある。喰いきってもないのに、腹一杯になりそうだ……この魔力量を考えると、マガツヒはあと七振りが限度か――分かり易くて良い。私の次の攻撃を耐えれば貴様の勝ちで、耐え切れなければ私の勝ちだ」
マユミは半身状態の空狐クロエの背後に回り、マガツヒを振り上げた。
一方で空狐クロエは、意識だけ背後に向けて、ジッと半身のまま立ち尽くしていた。為すがまま、されるがまま、身を任せているようにも思える。
「――絶技、雷帝鞭」
宣言と共に振り下ろされるマガツヒは、雷速で地面もろとも全てを切り裂いた。
ドォン――と、爆撃にしか思えない衝撃波と爆音が鳴り、空気がビリビリと震える。地面には大きな窪みが出来て、キノコ雲じみた土煙が上空一キロ近く舞い上がる。
「貴女を侮ったことを詫びましょう――確かに、彼我の戦力差は、それほど大きくありませんね」
首だけになった空狐クロエが、中空で浮遊しながらそう呟いた。
空狐クロエの魔力核は心臓部にあり、その魂も半分マガツヒが喰らっている。だと言うのに、空狐クロエは弱った様子がなかった。
マユミはいっそう歪んだ笑みを浮かべてから、露出していた頭部も甲冑で覆った。互いに、最大火力をぶつけ合う心積もりだった。
「――神力よ、応えよ」
「竜骸甲よ。空間隔絶魔法陣、展開――」
首だけの空狐クロエは、夜空を仰ぎ見た。途端、空を埋め尽くさんばかりに白銀の星が無数に瞬いた。それは幾度もマユミを襲った空気弾だ。
マユミはマガツヒを地面に突き立てて、竜骸甲に全ての魔力を注ぎ込んだ。途端、マユミを中心に、半径1キロにも及ぶ巨大な魔法陣が浮かぶ。その魔法陣は外側と内側を隔絶する魔力壁を創り上げて、内側を別空間と結びつけた。これで逃げ場はもうどこにもない。
「――白刃、舞い踊る。剣舞の極致、奥義【吹雪舞】!!」
「全てを滅ぼす神の嵐よ。此方の戦狂いに降り注がん!!」
マユミと空狐クロエが、裂帛の気合を叫びながら互いの必殺を繰り出した。
それは美しい剣舞から伸びていく六筋の剣閃であり、それは降り注ぐ白銀の流星群だった。
マユミの放った六筋の剣閃は、降り注ぐ無数の流星群を喰らいながら、首だけになった空狐クロエに迫った。一方、空狐クロエの放った白銀の流星群は、蟻一匹逃げられないほどの密度で、全方位から同時にマユミに襲い掛かった。
どちらも冠級の威力を誇る必殺であり、絶対不可避の攻撃である。あらゆる防御を貫通して、存在を消滅させ得る破壊力を秘めた攻撃だった。
それゆえに、決着はあっけなかった。
無音で静寂なる爆発が巻き起こり、魔法陣の内側、魔力壁の中が真っ白に染まった。マユミを中心にして眩い閃光が瞬く。
「見事――この世界で、我を三度も滅せる存在に逢ったのは初めてです。戦狂いよ。まだ貴女が生きているのであれば、この勝負、貴女の勝ちです。先ほどの攻撃により、召喚主の命が尽きてしまいました。契約に従い、我はもう、この世界に影響を与えることができません」
「――ふ、ふふ、ふふふ……このギリギリ、幾度味わっても……至高、だ……それにしても、マガツヒを覚醒させても、殺し切れない、なんて……神獣は、不死、なのか?」
無音の爆発が終わり、景色が元に戻ると、パリン、と音を鳴らして魔法陣が掻き消える。
そこに居たのは、漆黒の全身甲冑を纏って跪いているマユミと、ふわふわと宙に漂う拳大の光だった。空狐クロエの声は、その光から聞こえてくる。ちなみに、周囲の荒野は見渡す限り、草どころか岩一つない砂地になっていた。
「まさか――不死の存在など、神以外にはいませんよ。そもそも、貴女は、殺し切れない、と言いますけれど、我は貴女の攻撃で三度も死んでいます。神力の加護により、召喚主の命を代用して、身体と魂を再構築しただけですよ? ちなみに、この程度の不死性は、一部の【魔王属】も保有しているので珍しくはないでしょう」
光は虚ろに揺れながら、そんな言葉を吐いてパッと消えた。瞬間、入れ替わったように、中空にガストンの身体が現れて地面に落下した。
ガストンは虚ろな瞳であらぬ方を向いたまま、口は半開きに、心臓を押さえた格好で硬直していた。
生気がないどころか、呼吸もしておらず、魔力波動さえ感じない。肌は燃え尽きたような灰色になっており、頭から地面に落ちて、首をあり得ない方向に折っていた。
「……く、ははは……命が尽きた、ね……そういうことか……」
マユミは一瞬だけ警戒したものの、地面に転がるガストンが絶命していることを認めて、心底愉しそうに嗤った。
張り詰めていた緊張の糸が切れて空気が緩くなり、辺りには静謐とした夜風が吹き抜ける。
「……久しぶりに……ギリギリの、死闘だった……感謝するよ、ガストン。世界の果てに、呼んでくれて……貴様は、私の経験の中でも、上位に値する強者だった」
マユミは満足気に呟きながら、パタリと俯せに倒れ込んだ。同時に、漆黒の全身甲冑が霧散して、半裸のマユミが現れる。
「……もう、身体が……動かないな……」
既にその手からマガツヒは離れているものの、先の攻防で吸い取った空狐クロエの魔力は、マユミの身体中を暴れまわっていた。消化しきれない魔力が暴走を始めており、蓄積した疲労も相俟って、マユミは指一本動かせないほど満身創痍である。
暴走する魔力は、マユミの身体から紫電となって周囲に飛び散っており、地面のあちこちを掘り起こしている。
「当分……ここで、魔力を発散させないと……無様だな」
マユミはそんな自嘲を漏らしながら、爆発しそうになる魔力を抑え込み、少しずつ魔力放出して発散させる。抑えながら発散しなければ、風船が破裂するようにマユミも爆発してしまう。
夜明けまで掛かるかな――と、マユミは悔しそうに嗤った。
その時、偶然マユミの身体から放たれた一筋の紫電が、ガストンの死体に直撃する。
ガストンの死体はビクンと跳ね上がり、しかし復活することもなく、干からびたミイラみたいな脆さで崩れ去った。
火葬された骨を砕く時にも似たあっけなさで、ガストンだったモノは、そのまま細かい灰に変わり、直後、吹き抜けた強い夜風で巻き上げられて荒野に散った。