第八十話 マユミという女
文字数19000超えてた……もっと絞れば良かった。
「――さて、小生の頼みは単純だ。今の話に出ていたラガム族の娘、『ライム・ラガム』というラガム族の娘を、生捕りにして欲しいのだ。生け捕りにして、小生のところに連れてきてくれるだけで良い。そうすれば、ラガム族の娘と引き換えに、この小娘を解放してやろう」
ゴライアスの頼みを耳にしながら、煌夜が少しの罪悪感を覚えていると、タニアが空気を読まず、全ての流れをぶった切るような発言をする。
「にゃあ――にゃんで、あちしがお前の頼みを聞かにゃいといけにゃいにゃ? 交渉の余地にゃんて、一切あるわけにゃいだろ? むしろ死にたくにゃければ、今すぐウールーとの契約を破棄するにゃ」
タニアの台詞はただの脅しである。しかも、有無を言わせぬ本気の威圧を放っている点が、特に質が悪いだろう。
ゴライアスは一瞬、何を言われているのか理解できず、きょとんとした表情を浮かべていた。だが、すぐさま脅されていることを理解して、ふたたび気持ち悪い笑い声を漏らし始める。
「……くくく……くく、大災害タニアよ。小生は親切心から、この条件で頼んでいるのだぞ? 別に小生は、この小娘を性奴隷にしても――」
「――うるさいにゃ。お前のことにゃんか知らにゃいにゃ。あちしたちと交渉したいにゃら、今からあちしが言う条件に合致した奴隷を用意するにゃ。そしたら、考えてやるにゃ」
「……ほぅ? なんだ奴隷が欲しいのか?」
苛立つゴライアスを挑発するように、タニアは強気に続ける。さりげなくタニアたちの都合が良いように交渉しているところは、なかなかしたたかだ。
そんな煌夜の感心を横目に、ゴライアスはニヤリと汚らしい笑みを浮かべながら首を傾げた。
「英断だな。奴隷のことなら、小生に任せるのが正しい――で? どんな奴隷を所望するのか?」
「あちしたちは、これから【竜騎士帝国ドラグネス】に向かう予定にゃ。にゃけど、ドラグネス領に入っても、住民票がにゃいから、不法入国扱いされちゃうにゃ――にゃので、ドラグネス領の住民票を取得出来る奴隷で、且つ、そこそこ強くて、あちしたちと同行しても目立たにゃいのを用意するにゃ」
「……な、るほど……ほぅ、ほぅ……【竜騎士帝国ドラグネス】出身の……奴隷、か」
タニアの要求に、ゴライアスは突然、明らかな動揺を見せた。目が泳ぎ始めて、どう答えるべきか、悩まし気な表情になっている。どうやら心当たりがある様子だ。
「ふむ――心当たりがあるようじゃのぅ?」
「なッ――!? い、いや……心当たり、なぞない……しょ、小生の、コレクションの中には……ドラグネス領、出身者は……居ない、ぞ……」
「ほぅ? 居ないのは真実のようじゃが、心当たりの何某かは、タニアの条件に合致する奴隷のようじゃのぅ――なんとも僥倖じゃ。アベリン到着早々に、奴隷の目途が立つとはのぅ」
ヤンフィがギラリと睨みを利かせながら断言すると、ゴライアスは慌てて、心当たりなんかない、と必死に首を振っていた。しかしそれが嘘であることは、ヤンフィのように魔眼を使わない煌夜でさえも分かった。ここまで露骨に反応されると、むしろわざとかと疑いたくなる。
「……あ、あの、姫様。【竜騎士帝国ドラグネス】領、出身とのことであれば、ライムが、そうです……ライムはドラグネス領の【軍都ペンタゴン】出身で……だから、ただでさえ狐耳獣族は希少ですけど……輪を掛けて珍しいって、豚――もとい、そこのゴライアスが言ってました……ちなみに、ライム自身も、出身地がペンタゴンだって、言っていましたし……」
ふと、アールーが弱々しく挙手しながらそう告げる。瞬間、ゴライアスが泳がせていた視線を天井の方に固定して、ピタリ、と身体を硬直させた。
なるほど、と煌夜は頷く。同時に、神託の言葉が頭に浮かんだ。『始まりの街に手掛かりがある』とは、まさにこのことのようだ。
常に何かに巻き込まれるのはデフォルトかも知れないが、それを加味しても、恐ろしいくらい順調に、煌夜の都合でトントン進んでいる。
「にゃんだ。じゃあ、そもそもお前の頼みにゃんて、聞く必要にゃいじゃにゃいか――にゃるほど、分かり易いにゃ。あちしたちは、『ライム・ラガム』を捕まえて、アベリンを解放させて、仲間に引き込むついでにウールーに掛けた禁呪も解いてもらえばいいだけにゃ。しかもにゃ、ライム・ラガムは、ベスタを倒したにゃ? ってことは、あちしたちが求める強者にゃ!」
「くく……くくく、ちょ、ちょっと待て、大災害タニアよ……小生は、正式な手続きで、この小娘を――」
「――奴隷売買に、正式にゃ手続きにゃんてにゃいにゃ。正式にゃ手続きって言うにゃら、裏社会の正式にゃ手続きとして、力尽くで奪わせてもらうにゃ」
予想外の展開に慌てふためくゴライアスに対して、タニアが上から目線で強気に即答した。
途端、ゴライアスの顔が見る見ると苦渋に歪み、その表情は無言ながらも雄弁に、タニアに協力を求めたのは間違いだったのか、と語っている。
だが、そんなことはタニアを知る人間からすると当たり前である。ご愁傷様、と煌夜は静かに同情した。まさに後悔先に立たず、だろう。
「定められた運命か、はたまた、強運で引き寄せたのか――どちらにしろ、コウヤの持つ巡り合わせの力は凄まじいのぅ」
ヤンフィがしみじみとそんなことを呟きながら煌夜を眺めてくる。
ヤンフィの感想は煌夜も同じように思っている。ここまで偶然が続くのは、もはや奇跡かご都合主義かのどちらかだろう。だからきっとこれが、煌夜の特権で、異世界補正に違いない。何一つチート能力がない代わりに、もしかしたら煌夜は、幸運だけで全てを解決できる超人のような加護を与えられているのかも知れない。
――などと、煌夜がヤンフィの言葉に頷いていると、ふいにゴライアスの連れの一人が立ち上がる。
立ち上がったのは、ゴライアスの護衛と思しき四人組の中で唯一の女性だ。彼女も他の連中とお揃いの黒いスーツジャケットを羽織っていて、内側にはキッチリした礼服を着ていた。
その女性は、タニアと同じくらい高身長だ。凛々しい顔立ちをしており、男装の麗人という表現がまさに似合いの美女である。
腰元まで長く伸びた艶のある黒髪に、スラっと引き締まった体躯をしており、氷のように冷たい表情をしていた。眼光が鷹のように鋭く、その瞳は血のように朱かった。
凄まじい覇気を隠す気もなく垂れ流して、タニアに喧嘩を売るような威圧を向けながら口を開いた。
「大災害タニア。何故、貴様たちは【竜騎士帝国ドラグネス】に向かうのだろうか?」
その女性の威圧と質問に、タニアは不愉快そうに眉根を寄せて、返答せずに舌打ちを返す。
「なぁ――何が目的で、【竜騎士帝国ドラグネス】に向かうのだろうか?」
タニアが返答しなかったからか、それともあえてか、女性はもう一度同じ台詞を吐いた。タニアも女性もお互い喧嘩上等な態度で、一瞬にしてその場の空気が殺伐としたものに変わる。
「――にゃんで、それをお前に教えにゃいといけにゃいにゃ?」
「いや別に、教えないといけないわけではないさ。ただの好奇心だからな――だが、逆に問おう。何か教えられない理由でもあるのか?」
女性のその受け答えで、いっそう室内に緊張が走る。同時に、タニアの不愉快指数もどんどん上昇していくのが見て取れた。
タニアは女性に負けじと全身から凄まじい覇気を放ち、のみならず魔力を垂れ流し始めながら、いつでも飛び掛かれるとばかりに戦意を漲らせた。
そんなタニアの一触即発の反応を見て、ゴライアスの横に座っていた老紳士が慌てて立ち上がり、女性の眼前に回り込んだ。
老紳士は喧嘩するなとばかりに、タニアと女性の間に立って両手を広げた。
「……マユミ殿。不必要に大災害タニアを挑発するのは止してくれ。ゴライアス様に迷惑が――」
「――迷惑など知らん。それに、挑発なぞしていないさ。ただ、興味本位で聞いているだけだ……なぁ、大災害タニア。貴様たちはどうして【竜騎士帝国ドラグネス】を目指している?」
けれど老紳士の言葉など気にも留めず、『マユミ殿』と呼ばれたその女性は、三度タニアへ同じ質問を繰り返した。その口元はよく見れば、愉しげに歪んでいる。明らかに挑発している。
女性のそんなふざけた態度に、タニアはさらに怒りのボルテージを上げる。次いで、椅子から立ち上がり、殺すぞ、とメンチを切る。
「あちしたちの予定を、お前が知る必要にゃい――そもそもお前、何者にゃんだ?」
「何者、ねえ――それこそ、私の素性なぞ貴様たちには関係ないと思うが?」
「ああ、関係にゃいにゃ!! お前の素性にゃんか、あちしたちは興味もにゃいにゃ――にゃので、あちしたちがお前の質問に答える必要はにゃいにゃ!」
「私の素性と、貴様らが【竜騎士帝国ドラグネス】に向かう理由こそ、何の関係もないだろ? 私はただ興味本位で聞いているだけだ。ま、あわよくば、ドラグネスに向かう際に同行出来やしないか、という私都合もあるのだがね」
「ふざけるにゃよ? お前みたいにゃ無礼者を、あちしたちが連れてくと思うにゃか!?」
「――さあ? それこそ、貴様らがどんな理由で【竜騎士帝国ドラグネス】に行こうと思っているのか、その理由次第だと思うぞ? 私は、その理由次第で貴様らにいろいろと提案できるからな」
ああ言えばこう言うとばかりに、女性はタニアと烈しく言い争う。
一つも建設的でないその口論に挟まれながら、間に居る両手を広げた老紳士は、リング上の審判よろしく女性の肩を掴んで、いったん席に戻れ、と声掛けしている。
「ああ、分かった。戻るよ」
老紳士の強い押しに根負けしたのか、女性は、はいはい、と頷きながら、優雅な動きで自席に戻る。その様を見てから、タニアは、ふん、と鼻を鳴らして席に座る。
ちなみに、女性が自席に戻るが否や、蚊帳の外だったゴライアスが顔を真っ赤にして憤慨した。
「お、おい! さっきのは、ど、どういうことだ!! 小生との、契約がまだ終わって――」
「――安心しろ。反故にはしないし、ちゃんと遂行する。だが、貴様との契約は『あらゆる状況において、ラガム族の女から貴様を護る』だろ? 裏を返せば、ラガム族の女が死んでも貴様を護れるし、大災害タニアたちの仲間にされて連れ去られても、どちらも、結果、貴様を護れることは同じだろ。そうなれば、私の任務は完了じゃないか」
自らの雇い主であろうゴライアスに、女性はしれっとそんなことを言って、涼しい顔で目の前のジョッキに口をつけていた。
そのやり取りを見る限り、女性とゴライアスの関係は、少なくとも主従関係ではなく、ドライなビジネスライクな関係に思える。どちらにしろ煌夜たちには関係ないが。
さて、ゴライアスは、女性のその台詞に、くくく、とまた気持ち悪い笑いを浮かべながら、怒りに身体を震わせていた。そんなゴライアスを見て、黒いスーツジャケットを纏った四人組のうち、一番年若い金髪の青年が、憤慨した様子で抜き放った短刀を女性に突きつける。
疾風のような速度で繰り出されたその突きは、洗練された流麗な動きで、煌夜は思わず目を見開いて息を呑んだ。知らずに、凄い、と感心の言葉が漏れるほど見事な一撃だった。
金髪の青年のその手練は、刹那に、女性の白い首筋を薄皮一枚だけ切り、赤い線を浮かび上がらせた。
「おい、お前。臨時の雇われのくせに、あんまり調子に乗るなよ!? ゴライアス様の命令は、ラガム族の女を手に入れることだ! そんな屁理屈で、仕事を終わらせようとするんじゃ――」
「――私は雑魚を相手にしないが、喧嘩を売られて買わないほど穏健ではないぞ?」
青年の罵声に冷静に返しつつ、瞬間移動にしか思えないほどの動きで、女性は青年の背後に回り込んでいた。
「は――ぐぎゃ、ぇ!?」
そのまま、ガシャン、と女性の持っていたジョッキが金髪の青年の後頭部で爆散する。直後、当然のように白目を剥いて、青年は血を流しながら床に倒れ伏した。
青年が繰り出した刹那の突きよりも圧倒的に疾い動きで、女性は青年を一撃で昏倒させた。
「ほぅ……強いのぅ」
「――っていうか、なんで仲間割れしてるの?」
倒れ伏した青年を眺めながら、珍しくヤンフィが素直に感心していた。同時にその横で、セレナが唖然としつつ当然の疑問を呟いた。
とはいえ、煌夜もセレナと同意見で、突然何をしているのか、である。とりあえず、そんな疑問符を浮かべながらも展開を見守る。
ちなみに、語るまでもなくディドやクレウサ、タニアもみな唖然とした様子で、女性とゴライアスの内輪もめに口出しできず、無言で眺めていた。
「失礼、給仕さん、店内を汚してしまった――お代わりで、同じ果実酒を頂きたい」
そんな注目の的になっているにも関わらず、女性は何事もないような自然さで、血を流しながら倒れている青年を足でどかして、また同じ席に着座した。
「……ん? お代わりを頂きたい」
「――あ、は、はいっ!?」
いきなりの状況に追い付かず、ただボーっと眺めていたウールーだったが、女性が割れたジョッキを差し出して催促した瞬間、ハッと我を取り戻すと、慌てた様子で割れたジョッキ片を片付ける。視線でアールーにヘルプを求めて、お代わりの用意も始めた。
「――マユミ殿。今のコーザの行動は、確かに軽率で申し訳なかったろう。己の分を弁えず、マユミ殿に喧嘩を売ったのだ。これは当然、自業自得だと思っている。だが、ゴライアス様と交わした契約にはもう一つ、『ゴライアス様の目的達成における助力』の項目があったはずだ。先の発言と、今の行動は、それを反故にするつもりと思えるぞ?」
怒り心頭の老紳士が言いながら、女性の真横に立っていた。
老紳士は威圧しながら女性を見下ろして、返答次第では許さん、という強烈な殺気を放つ。さりげなく腰元に吊るした小剣には手が添えられていた。
そんな老紳士をチラと見てから、女性はこれ見よがしの溜息を吐いて、ゴライアスに顔を向ける。
「『目的達成における助力』だったか? そちらも反故にするつもりはない――ま、とはいえ、私の任務遂行意思が疑われているのは事実のようだし、雑魚とはいえ、貴重な部下を私の短気で再起不能にしてしまったのも事実だから、お詫びとして、一つ提案しよう。例えば……達成報酬を前払いしてくれるのであれば、貴様が所望するラガム族の女を、私が単独で生け捕りしてこようか?」
女性は真横に立つ怒り心頭の老紳士を完全に無視して、ゴライアスにそんな提案をしていた。その態度はかなり横柄で、上から目線の言い振りだ。
どこがお詫びなのだろうか、と煌夜が首を傾げた瞬間、傍観していたタニアが憤慨して怒鳴った。
「お前ッ! にゃに、勝手にゃことを言ってるにゃ!! あちしたちのやり取り、聞いてにゃかったにゃか!? ラガム族の女、ってライム・ラガムのことにゃ!? さっき言ったにゃ? ライム・ラガムは、あちしたちが力尽くで仲間にするにゃ――」
「――聞いてたさ。だから提案している。大災害タニア率いる異種族混成パーティよりも先に、私があのラガム族の女を生け捕りにして見せるよ。非常に困難な依頼だと思うが、むしろそれくらいじゃないとお詫びとは言えないだろうからな」
タニアの怒号に、しかし女性は冷静な表情、口調でどことなく茶化すように答えた。その返答に、いっそうタニアが憤った。
「マユミ・ヨウリュウ!! お前が何様か知らにゃいが、あちしたちを馬鹿にしてるにゃ!! たかが140前後の魔力量――セレナより残念にゃ魔力量のくせに! このあちしたちを相手に、喧嘩売って、ただで済むと思ってるにゃか!!? お前にゃんか、一捻りにゃ!!」
「…………ちょっと、なんであたしと比べるの、そこで」
さりげなくセレナを引き合いに出して馬鹿にしながら、タニアは烈火の如く叫んだ。名乗っていないのに、フルネームを言われたからか、女性――マユミ・ヨウリュウは、朱い双眸を見開いて、心底愉しそうに笑みを浮かべた。
「そうか、なるほど、ね――【鑑定の魔眼】持ちか。これは失礼。もったいぶって名乗っていなかったが、意味はなかったらしい」
マユミは笑みを浮かべたままスッと立ち上がり、タニアと相対して丁寧に頭を下げた。その所作は随分と洗練されており、礼服と相俟ってまさに執事の鑑に思える。
「今更だが、自己紹介しよう。私は、マユミ・ヨウリュウ。剣神会所属、剣仙のうち『雪』の号を冠した剣士だ。冒険者登録はしていないので、ランク制度には疎いが、控えめに言っても、SSランク相当の実力を持っている自負はある」
「……こ……ちょ、おい、待て! 小生を無視して、何を自己紹介している!! この場で、主導権を握っているのは、この小生――」
「――黙らないなら、永遠に黙らせるぞ、ゴライアス?」
マユミが自己紹介していると、ゴライアスが自己主張するようにテーブルを叩いて口を挟んだ。だがその瞬間、マユミの凄まじい眼光に射竦められて、ゴライアスは蛇に睨まれた蛙よろしく、その動きを硬直させて押し黙った。
マユミの放つその威圧は凄まじく、直接向けられたわけでもないセレナとクレウサは顔面を蒼白にさせて身体を震わせた。また、タニアとディドに至っては瞬間的に身構えてもいる。ちなみに、ヤンフィは静かに席から立ち上がり、真剣な表情で煌夜の前に移動していた。
「――と、失礼。つい力を入れてしまったが、これだけは伝えておこう。私は任務に関連する以外での戦闘を禁じている。だから、ゴライアスの護衛という任務中の現在、この任務遂行を阻まれない限り、貴様らと闘うことはない。ま、裏を返せば、貴様らがゴライアスを殺そうとしてくれたなら、喜んで阻止できるわけだが……ああ、あと、私は強者との戦闘こそを生きがいにしているし、強者にしか興味がない」
マユミは先ほどまでの無感情な表情を愉悦に歪ませながら、煌夜の前で立ちはだかるヤンフィの全身を嘗め回すように眺める。
「――だから、貴様らに興味津々で、特にいまは、貴様のことが知りたくて仕方ない。まさかこんなところで、こんな可憐で強力な魔王属と相対するとは思わなかった。いやはや、世界の果ても捨てたもんじゃあない」
「タニアよ、妾たちも無意味に闘うべきではない。今は何より、情報を集めるべきじゃ――のぅ、コウヤ?」
マユミと向かい合ったヤンフィが、振り返らずにそんな問いを投げてくる。ヤンフィにしては珍しく緊張した風なその声に、煌夜は、ああ、と力強く頷いた。
煌夜の返事を聞いて、あっそ、と少しつまらなそうに、マユミは腕を組んで席に座る。そこにちょうど、ウールーがお代わりの果実酒を持ってきた。
「さて、だいぶ場を乱してしまった。半分は私のせいだろうから、ここらでまとめ役をやらせてもらおう――問題ないな、ゴライアス?」
「……くく……くくく……」
「問題ないようだ。タニアたちも大丈夫か?」
マユミは言いながら、タニアとヤンフィを交互に見た。
タニアは耳をピンと立てて明らかに怒っている状態だったが、ヤンフィがスッと手を挙げて制したので文句も云わず黙って頷いていた。
「では脱線したところを戻して――ゴライアス。先ほどの提案だが、どうする? タニアたちに助力を求めた結果、断られている以上、私がラガム族の女を生け捕ってくる方が、どう考えても貴様の得だと思うのだが、どうか?」
マユミがお代わりのジョッキを片手に、ゴライアスに問い掛ける。しかし、ゴライアスが答える前に、ヤンフィが口を挟んだ。
「――のぅ、マユミとやら。汝の提案じゃが、それは、妾たちと話し合う余地があると解釈して好いのかのぅ?」
「おや? ああ、当然だ。ゴライアスはまだ、私の提案を承諾していないからな。まだ私の任務は、ゴライアスの目的を助力しつつ、ラガム族の女から警護することだ」
「なれば――ゴライアスよ。タニアが断った汝の頼みを、少しまともに聴いてやろう」
ヤンフィはそう言いながら頷き、煌夜を背にして椅子に腰掛けた。その台詞に、突っ立っていた老紳士が下がってゴライアスの傍に腰を下ろす。
「ヤンフィ様、どういうことにゃ!? にゃんで、わざわざ面倒にゃこと――」
「――もう一度だけ云うぞタニア。妾たちも無意味に闘うべきではない。無意味に、コウヤを危険に晒せぬ」
「ぐっ――にゃぅ……」
ヤンフィの強い口調に、タニアは押し黙った。タニアの反応を見て、いっそう愉快そうに口元を歪めたマユミは、ジョッキの半分ほどを一息に飲み干す。
すると、蚊帳の外だったゴライアスが、気色悪い笑みを浮かべたまま口を開いた。
「……くく、く……頼み、を聞くとは……どういうことだ、餓鬼?」
「妥協してやる、と云うておる。タニアの条件、竜騎士帝国ドラグネスの住民票が取得出来て、妾たちに従順な奴隷を提供するなら、ライム・ラガムは諦めて、汝に渡しても好いぞ?」
ヤンフィのその提案に、煌夜は思わず聞き返したくなるほど驚いた。ヤンフィにしては、珍しく穏便に事を運ぼうとしている様子が感じられる。
それほどまで、このマユミ・ヨウリュウという女性が恐ろしいのだろうか――と、煌夜は畏怖の念を浮かべながらマユミを見詰めた。
「ん? 何だ、青年? 私には魅了系の魔眼も特性も効かないぞ?」
煌夜の視線に気付いて、マユミがそんなことを言いながら首を傾げる。ギラリと赤い眼光が鋭くなり、その眼力で煌夜は思わず気圧された。
そんな煌夜とマユミのやり取りは無視して、ゴライアスが重々しく口を開く。
「……アデット翁……小生の、コレクションの中に、ドラグネス出身者、もしくは、ドラグネスの住民票を取得できる者は居たか?」
「申し訳ありません、ゴライアス様――お調べしましたが、在庫には存在しません」
「……やはり取り寄せか……だがまぁ、あれが手に入るなら安い、か」
アデット翁と呼ばれた老紳士が、胸元にあった手帳をパラパラと捲っていた。だがすぐにパタリと閉じて、残念そうに首を横に振る。
ゴライアスは頷いて、仕方ない、とヤンフィに向き直る。
「小生の奴隷の中に、ドラグネス出身者は居ない。だが、四色の月一巡で手配しようではないか」
「――遅過ぎる。待てても、五日じゃのぅ」
「は――? い、五、日――だとッ!? 無茶、いや、無理だ!! 小生が保有していれば、すぐに差し出すことは吝かではないが、保有していないだ。時間が掛かるのは仕方あるまい! そもそも竜騎士帝国ドラグネスは、奴隷禁止を国是としている。そんなドラグネス出身の奴隷は、種族問わず希少なのだ。取り寄せるだけでも七日は掛かるだろうし、それさえ非常に難しいというのに――」
ヤンフィの即答に、ゴライアスは語気荒く反論する。けれどその反論は、下らない、とヤンフィに一蹴された。
ゴライアスはいっそう顔面を紅潮させて、タニアに向かって指差しながら怒鳴った。
「――おい、大災害!! この餓鬼は何様――うっ!?」
「止めろ、ゴライアス。そんな態度を取って、機嫌を損ねられたら、貴様の命を護り切れないだろ? 気付いていないのかも知れないが、その餓鬼――失礼。その幼い容姿の可憐な少女は、かなりの年季を重ねている魔王属だぞ? どうしてかだいぶ弱っているようだが……それでもここの全員を虐殺するに足る実力はありそうだ。私の全力が、果たして通じるかどうか……」
ゴライアスが怒鳴った瞬間、その首筋に白刃が突き付けられていた。突き付けているのは、薄笑いしているマユミである。
いつの間に抜刀――いや、その刀を出現させたのか。煌夜には何も見えなかった。
まるで最初からそうだったかのような自然さで、マユミは1メートル50センチほどの反りの緩い刀を構えている。煌めく白刃とその形状は日本刀を思わせる。
ゴクリ、とゴライアスが喉を鳴らして唾を呑む。
「冷静になったか?」
マユミが刀の切っ先を、少しだけ首筋に押し付ける。ツー、とゴライアスの首に血が滲んだ。その脅しにすぐさま屈して、ゴライアスは、ああ、と弱々しく頭を縦に振る。
「疾い、にゃ」
「……人界には、化物しかいないかしら……」
「凄まじい技量じゃ」
マユミの抜刀の見事さは、タニア、ディド、ヤンフィがそれぞれ感心するほどだった。この三人が声を揃えて絶賛するくらいに、マユミは強いようである。
「――マユミ殿。刀を下ろして、くれないか」
「ああ、分かってるよ」
老紳士が震える声で懇願すると、マユミは頷くと同時にゴライアスの首筋から刀を下ろした。瞬間、手品か何かのように、刀が掻き消える。
え、と煌夜は目を凝らすが、一瞬のうちに、その刀は存在を消失させていた。
「なあ、魔王属よ。貴様らにも提案があるのだ、その前に――どうして【竜騎士帝国ドラグネス】に向かうのか、理由を教えてないか? 教えてくれれば、貴様らの条件、『五日以内に』『【竜騎士帝国ドラグネス】領内で住民票を取得出来て』『従順で強い人材』の提案が出来るぞ?」
「それを、何故に知りたがる?」
「ただの好奇心だよ。だから別に答えなくてもいいが――その場合は、貴様らとゴライアスの交渉は決裂して、結局、私がラガム族の女を生け捕ることになるのだろうな」
ヤンフィの威圧に真正面から向かい合い、マユミは愉しそうな表情でそんな駆け引きをした。
そのやり取りを、タニアは不愉快そうに、煌夜たちは恐ろしい光景を見るような顔で眺めていた。
「……ふむ。まぁ好かろう。別段、隠しだてすることでもあるまい――妾たちはとある童を捜しておるじゃが、どうやらその童は、竜騎士帝国ドラグネスに居るらしい」
「童――子供か? ふぅん? 冒険者ギルドの依頼、か何か?」
「いや、依頼ではない。生き別れの弟妹じゃ――事情は説明せぬが、竜騎士帝国ドラグネスに居るようじゃが、それがどこかまでは分からぬ。じゃから、虱潰しに捜す必要があるのじゃよ」
「生き別れ……? ん、ああ、なるほど――そうか、そういうこと。生き別れの弟妹ってのは、貴様が庇ってる青年――その異世界人の弟妹のことか?」
マユミは少しばかり思案したかと思うと、途端に全て察したとばかりに頷き、ズバリ正解を推測して見せた。察しが良過ぎる、と煌夜は驚きに目を見開いて、マジか、と呟いていた。
煌夜のそんな動揺を見て、マユミが嬉しそうに笑いながら続けた。
「そこまで露骨に反応されると、逆に疑いたくなるが――ま、それくらい察せる。ああ、ちなみに青年よ。私には貴様の特殊能力は一切効かないぞ? 私は特殊な体質――先天的な状態異常無効体質を持っている。だからどんな強力な魅了も、即死するような猛毒も、一瞬で狂人になるほどの精神汚染も、あらゆる状態異常が効かない体だ」
マユミは自慢気に言ってから、お代わり、と空のジョッキをウールーに差し出す。その要求に、ウールーは素早くジョッキを受け取って、次の果実酒を用意し始めた。
「しかし、なるほど。人探し、ね。確かに、今のドラグネス領の状況を考えれば、難儀なことだな。それなりに愉しそうでもあるが」
マユミは愉悦の表情を崩さず、そんなことを独り呟きながら、ゴライアスに向き直った。
「ゴライアスよ。貴様はとても運が良い。偶然にもここに、竜騎士帝国ドラグネス出身者、且つ、任務に従順で、とても強い人間がいる」
マユミが自らの胸元に手を当てて、ニヤリと口角を吊り上げた。それからヤンフィに顔を向けると、両手を広げて唄うように続けた。
「可憐な魔王属よ。私は、マユミ・ヨウリュウという人材を提案しよう――竜騎士帝国ドラグネスの住民票どころか、栄誉市民権まで取得しているし、契約期間さえ定めてくれれば、その間は、絶対に裏切らない仲間になって見せよう。実力も、先ほどのやり取りで充分理解頂けていると思うが――念のためだ。手の内も見せようか」
高らかに自己PRしながら、マユミは突然、黒いスーツジャケットを脱いだ。その脱衣に、ヤンフィとタニアが一瞬だけ緊張したのが見て取れる。
「私が本気を出せば、自惚れではなく、一騎打ちでタニアも倒せると思うぞ?」
ヤンフィたちの緊張を苦笑しながら、マユミはスーツジャケットに押さえられていたそこそこ豊満な胸を張って、身に付けている装備を見せてくる。
ジャケットの下には、灰色と黒色のチェック柄のシャツを着ており、腰回りにコルセットみたいなベルトを巻いていた。
煌夜は、どうしたどうした、とその脱衣にビックリするが、違う理由で、ヤンフィが眼を見開いて驚きの声を上げる。
「――それは、五種の神器【竜帝骸】の一つ、【竜骸甲】ではないかッ!?」
ヤンフィの驚きに、マユミが物凄く嬉しそうに破顔する。その愉悦が満面に現れた顔は、同好の士を見つけた時のオタクが如き喜びようだった。
「流石だ、可憐な魔王属。よくご存じで――そうさ。これが私の自慢の逸品。神話の時代、生物最強を誇った魔王属【竜帝ベルセルク】の死骸から創った五種の武具。その一つ、現代における最強の防具に数えられる逸品――竜骸甲だ」
マユミは愉しそうに説明しながら、スーツジャケットをゴライアスに畳んで渡す。そして、先ほどの刀をふたたび右手に出現させた。
またもや何もない空間から現れる刀。二度目になるマユミのその動きを見て、煌夜はようやくそれが時空魔術の収納と理解できた。
時折、ヤンフィが見せる武器の顕現方法と同じ要領だ。しかし、それはヤンフィよりもずっと自然で素早い展開である。
「ちなみに、これも自慢の逸品だ。私のとっておき――最強と呼ばれる特性【暴食】が付与された妖刀で、銘を【マガツヒ】と言う。あらゆる魔力を喰らい、種族に関係なくその霊魂を喰らい、果てには魔王属の魔力核さえも喰らう妖刀で、喰らった全ての力を意のままに操ることが出来る。ただ代償として、マガツヒを振るう者は、混乱、恐怖、視覚異常、聴覚異常が付与されるし、持っているだけで、五感を狂わす呪いに冒される――だがその点は私には効かないから、すこぶる相性が良い武器だよ」
意気揚々とそう続けながら、マユミはヤンフィに寝かせた状態のその妖刀を見せ付ける。
ヤンフィはどことなく嬉しそうに口元を歪めつつ、食い入るようにその白刃を見詰めてから、ふむ、と一つ頷いた。
「控えめに言ってもこれだけの人材は、ラガム族の女よりずっと得だと思うが、どうだろうか? ゴライアスも、臨時の用心棒と、ご執心のラガム族の女、交換に躊躇する理由はないと思うが、どうだろうか?」
マユミはゴライアスとヤンフィの二人を交互に眺めつつ、運ばれてきたお代わりを受け取り、ゴクゴクと美味しそうに一気飲みする。
しばしその場に沈黙が流れた。全員がマユミを注視しながら、無言になっていた。
とりあえず状況を整理しよう――煌夜は、深呼吸してから、ここまでの話を脳内で咀嚼する。
まず現状のアベリンについて考える。
アベリンはいま、ライム・ラガムの手によって平穏が乱されているようだ。魔族を引き入れたり、逆らう者を強制的に奴隷にしたりと、武力で支配されており、秩序のない無法地帯と化しているらしい。
そんなライム・ラガムに抵抗するのは、冒険者たちが集まった治安維持軍で、街の各所ではその治安維持軍と奴隷解放軍が抗争しているらしい。
なるほど、穏やかではない状況だろう。解決できるのならば、解決したいとは思う。
しかし正直なところ、勇者でも何でもない煌夜からすると、アベリンで起きているこの問題を解決する必要は勿論、その義理もない。そもそもアベリンは煌夜たちにとって、竜騎士帝国ドラグネスに向かう途中の通過点であり、療養と準備の為に寄っただけの街である。わざわざ面倒ごとに首を突っ込む理由も、そこまでの思い入れもない。
そう考えると、煌夜たちの最善手は無視して先に進むことだろう。
旅路に必要な準備だけ整えて、アベリンの問題には介入せずに、竜騎士帝国ドラグネスに向かうこと――それが出来れば、だが。
さてここで、アベリンの問題を無視できない要因を考える。
要因は、大きく二つ。一つが、アベリンに寄った理由でもあるが、竜騎士帝国ドラグネスの住民票が取得できる奴隷を捜さなければならないこと。そしてもう一つが、煌夜がこの世界でお世話になったウールー・ガルムを奴隷から解放することだ。
とはいえどちらも、実のところ解決自体は単純で簡単――首謀者であるライム・ラガムを仲間にするだけで、全てが解決するのだ。
話に依れば、首謀者ライム・ラガムがドラグネス出身のようだし、アベリンを支配出来るほどの実力者である。ヤンフィたちと比べても遜色ない強さだろう。しかもそのうえ、ウールーの奴隷契約を破棄することも出来るらしい。
そう考えると、煌夜たちが取るべき行動は、ライム・ラガムを仲間にすることだろう。その過程で、結構な大ごとにはなるのだが、そこは致し方ない。
どう転んでも、巻き込まれる運命には違いない。
煌夜は一旦そこまで整理してから、ところが、と先ほどの提案を思い浮かべながら、マユミの姿を見詰める。
マユミは煌夜の視線に気付いて、ニヤリと愉しそうに笑う。
ここで悩ましい問題に変わった原因を考える。
単純明快な全ての解決策であるライム・ラガムを仲間にするという方法は、しかし、このマユミ・ヨウリュウと言う女性の存在のせいで拗れているのだ。
マユミは、ウールーの主人であるゴライアスの護衛で、どうもヤンフィでさえ戦闘を回避したがるほどの強者のようだ。そんな彼女の提案が、単純な解決策を悩ましい問題に変えている。
マユミの提案は、ライム・ラガムを仲間にするのではなく、自分を雇わないか、という売り込みだった。その売り込み自体は別にどうでも良い。同行させるかどうかはこちらの胸三寸だろう。
けれど厄介なことに、マユミを同行させるには、ライム・ラガムをゴライアスに譲る必要があるということだ。また逆に、マユミを同行させない場合は、彼女が敵に回るらしい。
端的に、マユミ・ヨウリュウかライム・ラガムの二者択一。どちらかしか仲間に出来ないが、どちらが同行しても、竜騎士帝国ドラグネスに向かうことは出来る。
ちなみに、煌夜の目的が果たせなくなるから、どちらも仲間にしないという選択肢はない。
煌夜は腕を組んで、うーん、と唸った。
ライム・ラガムがどんな女性だか知らないが、マユミ・ヨウリュウも大概、面倒な女性である。
どう振舞うのが最善で、後悔しない選択なのか――悩んでも答えは出ないので、煌夜は答えを求めるように、沈黙するヤンフィに視線を向けた。
「あちしは反対にゃ。こんにゃ胡散臭いヤツの提案にゃんて――」
「――コウヤが同行を許すのであれば、妾はマユミの提案を呑もう」
煌夜がヤンフィに視線を向けた瞬間、タニアが猛然とマユミの提案に反対した。けれどその反対意見を最後まで言わせず、ヤンフィはマユミに強く頷いて見せる。
マユミがニヤリと口角を吊り上げて、傍らのゴライアスに顔を向けた。
「……ラガム族の女が手に入るのならば、小生も同意しよう。だが、契約金は先払いではなく、達成してからの後払いだ。そうでなければ、安心できん」
ゴライアスはマユミの視線に悩まし気な顔を浮かべたものの、チッ、と舌打ちしてから、渋々と了承の言葉を吐く。
それに対してマユミは、よし、と頷きながらジョッキをテーブルに置いた。
「それじゃ決まりだ。私は一旦、大災害タニアたちと行動を共にして、ラガム族の女を捕まえてこよう。ラガム族の女を連れてきたら、それで任務達成だな?」
「ああ、そうしたら契約金を全額支払ってやろう。その後は知らん。どこへとなり消えてくれ」
了解、と愉しげに言ってから、マユミは席を立ちあがり、ヤンフィの前へと歩いてきた。それを制するように、メンチを切ったタニアがカウンター席から腰を上げて、マユミの前に立ちはだかる。
向かい合った二人は、凄まじい覇気をぶつけ合いながら顔を突き合わせる。
「お前、さっきから黙って聞いてれば、ちょっと調子に乗ってるにゃ? 舐めたことばっかり言うんじゃにゃいにゃ! 剣神会だから何にゃ? 剣王とか名乗った奴らは、全員、雑魚だったにゃ。お前も肩書だけの雑魚にゃ?」
「ひどい決め付けだし、剣王と比べられるのも心外の極みだが、ま、仕方ない――なあ、可憐な魔王属。私は貴様らに同行したいのだが?」
タニアの憤慨した怒号を、マユミが飄々と受け流しながらヤンフィに問い掛ける。その問いに、ヤンフィがタニアを押し退けて前に出た。
マユミと向かい合うヤンフィは、身長差の関係で見上げる姿勢になるが、その存在感の大きさは引けを取っていない。
「妾は、ヤンフィじゃ。マユミ・ヨウリュウ。『ヤンフィ様』と呼ぶことを許可しよう。それと、一つだけハッキリ云うておくぞ? このパーティのリーダーは――」
「――知ってる。後ろのなよなよした異世界人の青年だろ? 貴様らが自覚してるのか、してないのか知らないが、魅了系の特殊能力を持っているのだろ?」
マユミは冷徹な表情になって、煌夜の顔を指差しながら断言した。
何か勘違いしているようだが、とりあえず煌夜は小声で、リーダーです、と挙手しながら呟いた。するとマユミは、ディドとセレナをチラと見てから、いっそう凍り付くような視線で煌夜を睨んだ。
「異世界人の青年よ。私は強者にしか興味がなくてね。貴様と寝ることは出来ない。だが、貴様たちの旅に同行させてくれよ。貴様たちの旅路は、きっと多くの強者が現れるはず――もし断るのなら、ここで死ぬことになるぞ?」
「――ヤンフィ様、コイツ危険にゃ! 殺すにゃ!!」
マユミが体温を感じさせない声で脅してきた瞬間、タニアが凄まじい魔力を迸らせながら飛び掛かろうとした。ガタガタガタガタ、と魔力の暴風が店内を吹き荒れる。
しかしそんなタニアを片手で制して、ヤンフィがカラカラと笑いながら言った。
「マユミよ。汝はいくつか勘違いしておるのぅ――まず大前提じゃが、コウヤは魅了や催眠の類の特殊能力は一切持っておらぬ。つまり妾たちは、各々事情はあれど、自らの意思でコウヤと旅しており、コウヤをリーダーとして認めておる」
「……へぇ? じゃあ、貴様らは全員、無自覚、ってことか?」
「信じられぬのも無理はない――それと、コウヤを殺すことは出来ぬ。妾が居るからのぅ。妾を殺せぬ限り、コウヤに手出しは出来ぬぞ」
ヤンフィはカラカラと笑いながら、真剣な表情のマユミを茶化すように言った。その台詞に、タニアとディドも強く頷いていた。
ついでにディドは、煌夜を護るように身体を寄せてきて、マユミの一挙一動に目を光らせる。
「……強力な魅了のようだな。とはいえ、安心しろ。私は青年に手を出すことはしない。弱者に興味などないしな。さて、それでは契約を――」
「――マユミよ。汝の最大の勘違いは、それじゃ。妾が汝の提案に乗ったのは、汝と無意味な戦闘をした場合、コウヤを危険に晒す可能性があったから、じゃ。決して、汝の実力を認めて退いたわけではない。じゃから別段、汝の思惑通りに話が進んでいるのではない。いまこの場の主導権は、汝ではなく、妾にある」
ヤンフィの全身から凄まじい瘴気と魔力が放たれて、一瞬の間に、オルド三姉妹亭の店内がおどろおどろしい魔力に満ちた。
まるで深海に沈んだような錯覚がして、呼吸するのも困難になり、身体には何倍もの重力が掛かる。その場の誰もが、顔を顰めてヤンフィを注視する。
そんな中で、マユミだけが愉悦の表情を浮かべた。
「……弱ってて、これか。舐めたつもりはないが、想像以上で嬉しいね」
「汝をここで殺すのは吝かではないが、妾たちの目的を考えると、汝の提案は魅力的じゃ。じゃから当面の同行は許そう」
カラカラと笑いながら見下す視線を向けるヤンフィと、愉悦の表情で相対するマユミは、そんな噛み合っていない台詞を言い合い、見えない殺気を激しくぶつけ合う。
重苦しい空気の中で、しばし向かい合う両者だったが、唐突にヤンフィが覇気を霧散させた。煌夜でさえ分かるほど明らかに、室内の空気が柔らかくなる。
「――しかし、契約を結んで汝を仲間にするかどうかは、ライム・ラガムを捕らえた後で検討する。万が一、汝よりもライム・ラガムの方が有用であれば、わざわざ有用でない汝を同行させる意味がないからのぅ?」
ヤンフィは言って、フッと身体を捻り――次の瞬間、先ほどマユミがゴライアスにして見せた早業と同じくらいの素早さでもって、マユミの首筋に木製の杖みたいな剣を突き付けていた。
マユミは愉悦の表情を崩さず、ヤンフィの剣を冷静に見ていた。
「道理だな――有用な人間を同行させるのは当然だろ? この私より、あのラガム族の女が有用と感じたのならば、それは致し方ない。承知した。可憐な魔王属――いや、失礼。ヤンフィ、様?」
「とりあえず、妾たちは先ほどアベリンに着いたばかりで、長旅で疲れておる」
ヤンフィはそう言いながら、一瞬のうちにその木製の剣を手から掻き消して、カウンターで戦々恐々と状況を見守っているオルドとアールーに向き直る。
「妾たちに部屋を用意しろ。食事が終わったら、一旦、休憩する」
「は――はい!」
「畏まりました、ヤンフィ様――最上級の六人部屋で宜しいですか?」
ヤンフィの命令に、アールーがビシっと敬礼して即応する。その反応に苦笑しつつ、オルドが優雅に頷いて、同意を求める。
ヤンフィがチラリと煌夜に振り返った。煌夜はその視線に一瞬たじろいだが、ああ、と強く頷いて、オルドにも同じように頷いて見せた。
「ヤンフィ。私たち、と言うよりゴライアスだが……アベリンがこうなってから、ずっとここを根城にしている。だから、私も基本的にはここに居る。ラガム族の女を捕らえに行く際には、声を掛けてくれ」
「――誰が声にゃんか掛けるか! 勝手に付いてくるのが筋にゃ」
マユミの台詞にタニアがそんな嫌味を口にする。だが、マユミはタニアに返すことなく、苦笑したまま席に戻った。
ヤンフィもマユミに背を向けると、そのまま煌夜の正面へと座る。
「ねぇ、ヤンフィ様。あのマユミとか言う胡散臭いヤツを、本当に同行させるの? 絶対アイツ、タニアと同じタイプよ? 我儘で、自分勝手で、自己都合と直感で動くはた迷惑な厄介者じゃないの?」
ヤンフィが席に着くと、小声でセレナがそんなことを口にした。その台詞に、ヤンフィはチラとタニアの顔を見て、次いでマユミの顔を一瞥する。
「ふむ、そうじゃろぅ。じゃが他の思惑や含みはないようじゃし、裏表を持たぬ性格であるようじゃ。まぁ、何よりタニアと同格の戦力じゃからのぅ。同行を検討する余地はある」
のぅ、とヤンフィがタニアに首を傾げると、タニアは不愉快そうに口をへの字に曲げつつ、あちしの方が強いにゃ、と捨て台詞を吐いていた。
煌夜は無関係を装って、そんなやり取りを食事しながら眺めていた。とりあえず生きた心地はしなかったが、オルドたちが作った食事は美味かった。
「……僭越ながら、ヤンフィ様。ワタクシ、あのマユミと言う人族は、ソーン・ヒュードの二の舞になる気がしますかしら。コウヤ様に危害は加えないかも知れませんけれど、ヤンフィ様の指示を無視して、ワタクシたちの旅路の障害となる気がするかしら」
煌夜の肩に、ピタリと肩を当てて密着しているディドが、囁くような音量でヤンフィに忠言する。
煌夜はソーンの名前に、一瞬だけピクリと身体を震わせた。脳裏に気色悪いブーメランパンツ姿の筋骨隆々半裸男の姿が浮かぶ。
だが確かに、言われてみればディドの懸念も理解できる。
というか、どちらかと言えば、タニアもヤンフィも同じタイプに違いない。よくよく煌夜の周りにはそういう人種が集まるらしい。
「汝の危惧はその通りじゃ――じゃからこそ、見極める必要がある。それに先も告げたが、ライム・ラガムと云う狐耳獣人の方が有用であれば、差し替えるだけじゃ」
ヤンフィはそう言うと、食事に集中している煌夜に向き直り、ジッと見詰めてきた。そのつぶらな瞳に不安を覚えながらも、何だよ、と問い掛ける。
「――コウヤよ。反応せずに聴け。マユミ・ヨウリュウの装備じゃが、アレは妾の全力でも破壊出来ぬ代物じゃ。しかも彼奴、妾を殺し尽くす条件を満たしておった。のみならず、実際に妾を殺し尽くすだけの実力も備えておる。もしこの場で戦っておったら、恐らく妾は、相打ちで殺されたじゃろぅ。非常に悔しいことだが、それほどに厄介じゃった」
「……え? マジか?」
「マジじゃ――とはいえ、実力はタニアの方が上じゃろぅ。三英雄キリアほどではない」
ヤンフィがハッキリとそう断言する。
化物の中の化物であるヤンフィをして、ここまで言わせるとは、マユミ恐ろしい子、と――煌夜は、恐怖の浮かんだ視線で、食事を摘まんでいるマユミを一瞥した。
途端、マユミはすぐさまその視線に気付いて、冷めた視線で見つめ返してくる。
「あまり露骨に反応するな、コウヤよ。いま妾が口にしている言語は、汝にしか理解出来ぬ言語じゃ。ほかの連中は何を喋っておるか分からぬ。悟らせるでない」
「へ、あ……そ、そうなのか?」
「うむ――のぅ、ディド? 汝はどう考える?」
唐突にヤンフィは話の矛先をディドに振った。何が、どう考える、なのか何の脈絡もない質問だった。恐らく意味もないだろう。
だが、これで正しい反応を返せなければ、ヤンフィの言葉通り、誰もいまの煌夜とヤンフィのやり取りを理解出来ていない。
「……ヤンフィ様。今の言葉は、魔神語、かしら? 何と仰られたのか分からないので、申し訳ありませんけれど、何の意見も出来ませんかしら?」
「ほぅほぅ――と云うことじゃ、コウヤ。理解出来たろぅ? 話はこれで終わりじゃ」
ヤンフィはそう告げると、もう何も語らず口を噤んだ。
「にゃあ、コウヤ。ヤンフィ様、いま何を喋ってたにゃ? 流石のあちしも魔神語は習得してにゃいから、何を言っていたか分からにゃかったにゃ――『マジか』とか、どういう意味にゃ?」
押し黙ったヤンフィを見て、タニアが疑問符を浮かべつつ煌夜に質問してくる。その反応に、デジャヴを覚えつつ、なるほど、と頷いた。
とりあえず適当に誤魔化しつつ、煌夜は食事の手を進めた。