表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
神隠しに遭ったら、異世界に居ました。  作者: 神無月夕
第十一章 原点回帰

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

91/114

第七十七話 それぞれの事情

 

『コウヤと頼りになる愉快な仲間たち』の一行が部屋を出て行ったのを確認してから、エーデルフェルトは緊張を解いて深く溜息を漏らした。

 傍らのセリエンティアを見れば、彼女は少しだけ心配そうな表情を浮かべていた。


「ねぇ、エーデルフェルト……彼らは、本当に信用できるの?」

「――ええ。信用出来ると思います。少なくとも、彼らは【世界蛇】ではありません」


 エーデルフェルトは言いながら、テーブルの上に置かれていた石棒を持ち上げると、適当に放り投げて部屋の中に転がした。

 ガツン、ゴロン、と床にぶつかり無造作に転がる。

 その扱い方は、とても国宝に対するそれではない。しかし、エーデルフェルトもセリエンティアも何ら無関心で平静な態度だった。


「これを【王剣ロードドラグネス】と伝えた時、何の反応もありませんでした」


 エーデルフェルトはそう言って、セリエンティアに向き直る。

 実のところ、彼らに見せた石棒は【王剣ロードドラグネス】ではなく、市販されている大剣を石化させただけのガラクタだった。

 本物の【王剣ロードドラグネス】は、エーデルフェルトの身体の中に封印されている。

 けれど、そんな重要な情報を、無関係な第三者である『コウヤと頼りになる愉快な仲間たち』に教える義理はないだろう。


「彼らが【世界蛇】に所属していれば、このガラクタに対して、何らかの反応を見せたはず――ですが、話題に出すことも触れることもありませんでしたし、そもそも無関心でした。つまり彼らは、世界蛇ではないでしょう」

「……それで断定するのはどうかと思いますけど、確かに、少なくとも私たちの当面の敵とは言えないでしょうね……」


 セリエンティアは頷きながら、どちらにしろ信じるしかないしね、と続けて、祈りを捧げるように手を合わせた。


「……確かに、不安はあります。竜騎士帝国ドラグネスに忠誠があるわけでもなく、ましてや、依頼をこなす理由さえない彼らが、果たして素直にドラグネス領へと向かってくれるのか、否か――」


 エーデルフェルトは一旦そこで言葉を止めて、ゆっくりと深呼吸してから、自らに言い聞かせるようにセリエンティアに語る。


「――けれど、この出逢いこそ、守護竜の加護に違いないのです。彼らのように、圧倒的な実力を持っており、しかもどこの国家にも属していない異世界人が、偶然、私たちの前に現れるなんて、奇跡としか言いようがないでしょう」

「……相手は、あの【ドラグネスの雷帝】――【三英雄】と同じ【SS】ランクの冒険者だけど……大丈夫だと思う?」

「ええ、問題なく戦えるでしょうね。彼ら――特に、あの小生意気な幼女ヤンフィですが……恐らくアレは魔王属です」


 エーデルフェルトは先ほどのヤンフィの姿を思い出して、あの容姿に不相応過ぎる威容に鳥肌を立てた。会話の合間合間に放たれた殺気を思い出すと、よくも無事に切り抜けられたものだ、と我ながら感心する。


「ロ、魔王属(ロード)っ!? まさか、そんな――っ!?」


 セリエンティアは驚愕の表情で口元を押さえて、信じられないと目を見開いた。その気持ちは痛いほどよく分かるが、エーデルフェルトは、間違いありません、と首を振った。


「でも、だって――ッ!! 魔王属は、全ての生物の天敵で……誰にも従うことなく、あらゆる存在を滅ぼす為だけに生きる悪魔でしょ!? それが人族と一緒に行動してるなんて、あり得ないっ!」

「仰りたいことは分かります。ですが、アレが始終放っていた瘴気は、並の魔貴族を軽く凌駕するほど濃厚な瘴気でした。それに、リーダーであるコウヤが話していたのは統一言語(オールラング)です。統一言語が扱える存在は、魔王属以外にあり得ません」


 キッパリと断言するエーデルフェルトに、それでもセリエンティアは、あり得ない、と疑っていた。

 とはいえ、セリエンティアの反応こそ常識的であり、魔王属と人族が一緒に行動していることを現実だと理解しているエーデルフェルトこそ非常識だ。

 エーデルフェルトは、自らの理解が非常識であることを知ったうえで、根拠となる説明を続ける。


「コウヤは異世界人です。そして、異世界人は世界を跨ぐ際に、特別な異能を神から授かります――彼は恐らく、神から授かったその異能で、魔王属を使役しているに違いありません。彼の【三英雄】ウィズ・クロフィード様が、魔王属フローラを使役しているのと同じように……」

「……魔王属を使役する異能なんて、そんなのあり得るの? だって、ウィズ様は特別な才能でも、異能でもなくて、魔王属フローラに実力を認められたうえで、盟約を交わしたから使役しているのよ?」

「充分にあり得る異能だと思いますよ? 実際、いま竜騎士帝国ドラグネスに滞在している【隻眼の天騎士】こと【救国の五人】――コタロウ殿も、ある意味、似たような異能をお持ちです。彼は確か……倒した魔族を強制的に従属させて、自らの兵士として戦わせることが出来る異能、でした。それを考えれば、驚くに値する異能ではないでしょう」


 エーデルフェルトの説明に、セリエンティアはようやく納得して、そうね、と神妙な顔で頷いた。


「まぁ、しかし、先ほどのやり取りや、あの雰囲気を見ていると、使役しているというよりも、盟約を結んでいるだけかも知れませんね。もしかしたら、コウヤの異能は、何らかの条件を満たしさえすれば、あらゆる種族からの好意を得られる、とか、なのかも知れません」

「…………ああ、なるほど。そう言われると、より納得できるわ」


 その憶測に、セリエンティアが何度も頷いていた。エーデルフェルト自身も、自らで語った内容に至極納得できてしまい、根拠もなく間違いないと確信していた。

 エーデルフェルトはそのまま、ご安心を、と言葉を続ける。


「守護竜の加護であるこの縁は、彼らを間違いなく竜騎士帝国ドラグネスに誘うはずです。そして、竜騎士帝国ドラグネスに足を踏み入れてくれさえすれば――もはや、バルバトロスとの直接対決から逃れることは出来ないでしょう」


 ええ、と申し訳なさそうに頷くセリエンティアに、エーデルフェルトは優しく微笑んだ。結果的に、彼らを騙すような依頼になってしまったわけだが、それはもはや瑣末なことである。


 エーデルフェルトたちは、先ほどの依頼の場で、あえて告げていなかった事柄が三つあった。


 一つ目が、国宝である【守護竜の泪】の所有者が、宰相ダーダム・イグディエル――世界蛇バルバトロスであることだ。彼は常に肌身離さずそれを身に付けている。

 つまり、依頼を達成する為には、必然、バルバトロスと直接対決する必要がある。


 二つ目が、一部の王族にしか伝わっていないが、竜騎士帝国ドラグネス領の【帝都オーラドーン】の地下には、【破滅の魔女】の亡骸が封印されていることだ。

 ちなみに、その秘密は既に【世界蛇】が知るところとなっている。

 何故【世界蛇】が竜騎士帝国ドラグネスという国を手中に納めようとしているのか――決定的な理由が、これである。


 三つ目が、現在、竜騎士帝国ドラグネス領に滞在する為には、宰相ダーダム・イグディエルが発行する滞在証明書がなければならず、滞在証明書なしで滞在した場合には、如何なる身分、理由であろうと処刑対象となるということだ。

 当然、滞在証明書は渡していないし、エーデルフェルトたちでは発行手続きが出来ない。

 要するに、『コウヤと頼りになる愉快な仲間たち』は、不法入国したうえで依頼を達成しなければならず、恐らくその過程で様々な問題を引き起こすことだろう。


「もし仮に、彼らが【守護竜の泪】を奪取できず、しかもバルバトロスが世界蛇であることを暴けなくとも――隙さえ作ってくれれば、【白の聖騎士】ワイトがバルバトロスを殺す手筈になっています。最悪、どんな状況になろうとも、諸悪の根源であるバルバトロスさえ殺せれば、セリエンティア様が王位継承できます」

「……そうして、彼らには『宰相殺し』の汚名だけ背負ってもらうのね……少しだけ、心苦しいわ」


 本当に心苦しそうに顔を伏せるセリエンティアに、エーデルフェルトは無言で頷いた。

 だが、その頷きはセリエンティアの心情と同じものではなく、事実としてそうする段取りである同意の頷きだった。エーデルフェルトは、最初から『コウヤと頼りになる愉快な仲間たち』を捨て駒として使い潰すつもりでいる。

 とはいえ、約束は果たさねばならない。エーデルフェルトは、さて、と気持ちを切り替えて、セリエンティアに向き直る。


「それでは私は、彼らの昇格手続きに着手することにいたします」


 非常に面倒だが、【S】ランク手続きの代理申請を速やかに行い、一刻も早く『コウヤと頼りになる愉快な仲間たち』がSランク冒険者にならなければ、エーデルフェルトが思い描いている絵図の展開にはならないだろう。


「――セリエンティア様は、念のため時間を置いてから、本来のお部屋に戻って頂けますでしょうか?」


 エーデルフェルトは部屋から出る直前、言い忘れたと立ち止まり、セリエンティアにそう告げた。

 セリエンティアは、ええ、と力強く頷いて、鞄一つ分の荷物を足元に転がしていた。


「分かってます。そう言われると思って、もう支度は済んでるので、一時間ほど後になったら戻ります」

「くれぐれも姿を見られないように――」


 エーデルフェルトは厳しい視線で睨み付けながら、くれぐれも、と注意を繰り返す。若干うんざりした様子のセリエンティアが、分かってると強く頷く。

 実のところ、エーデルフェルトたちが居るこの部屋は、本来借りている部屋ではなかった。

 煌夜たちを呼び出す為に、エーデルフェルトが事前に用意した別室である。万が一、彼らが敵であった時、自室を知られるのは危険だから、という配慮のうえでの保険だった。


「一応、保険として、アジェンダにも話をしておきますか……」


 エーデルフェルトは廊下に出ると、誰に言うともなくそんな呟きを漏らした。

 何とかこうして、打倒バルバトロスの計画は動き出したわけだが、少なくとも要となる囮――『コウヤと頼りになる愉快な仲間たち』が、竜騎士帝国ドラグネスに至るまでは後追いすべきだろう。


 唯一信頼に足る【青の聖騎士】アジェンダ・ラ・ドーンに依頼を出そう、とエーデルフェルトは考えながら、足早にギルドに向かった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 エーデルフェルトの部屋から出て、向かい側の自室に戻ってきた煌夜は、ソファに深く腰掛けて足を投げ出したヤンフィに開口一番不機嫌そうに問い掛ける。


「なぁ、ヤンフィ。それで? 何がどうなって、あんな面倒ごとを引き受けたんだよ? 俺が納得できるように説明してくれよ」


 部屋に戻ってきたクレウサが、パタン、と後ろ手に扉を閉めたのを見届けてから、ヤンフィは溜息交じりに煌夜の質問に答える。


「納得、するかどうかじゃが……どうせ引き受けずとも、結果は変わらないじゃろぅ。今から話すことを聞けば、コウヤは間違いなくこう云うはずじゃ――」


 ヤンフィはもったいぶった言い回しをしながら、ほかの全員に視線を向けて、煌夜の声音に似せた声音を出した。


「――『どうしてそれを早く言わないんだ! アベリンなんて後回しで、すぐに竜騎士帝国ドラグネスに向かおう!』と、のぅ?」


 ドヤ顔で煌夜を見詰めながら、ヤンフィはそのまま淡々と言葉を続ける。


「コウヤの弟妹の情報じゃが、どうやら三人とも別々の場所に居るらしい。ほれ、この間、クダラークで入手した【神の羅針盤】とやらがあったじゃろぅ? アレをタニアに使わせて、コウヤの弟妹の居所を探ってみたのじゃが、汝の妹と眼鏡の弟は【王都セイクリッド】周辺に居り、もう一人の弟は【竜騎士帝国ドラグネス】領に居るようじゃ――のぅ、タニア?」


 ヤンフィの言葉にタニアがすかさず頷いて、話の続きを口にする。


「そうにゃ。あちしの魔力でかろうじて捉えられるほど距離が遠かったにゃけど、この写真の子が、ドラグネス領内に居るにゃ――」

「――どうして、それを早く言わないんだよっ!?」


 煌夜はタニアの台詞に被せて、怒鳴るように叫んだ。ヤンフィの告げた通りの台詞を口走っていることに気付くこともなく、慌てた様子でタニアに詰め寄る。


「誰が、どこに、居るんだっ!! リュウは!? サラは!? コタは!?」

「お、落ち着くにゃ、コウヤ――ちょ、せ、説明するにゃ――」


 周りの視線など構わず、タニアにキスするくらい顔を近付けて、その困り顔に唾を飛ばす。タニアは珍しく及び腰になりながら、見た目と反した物凄い力で煌夜の肩を抑え付ける。

 そんな剣幕の煌夜を横目に、ヤンフィが愉しそうに続ける。


「冷静になれ、コウヤよ。ほれ、この記憶紙に写っておる妹と眼鏡の弟――これがサラに、リュウかのぅ? この弟妹たちは【王都セイクリッド】周辺じゃ。一方、この弟、コタ――此奴が【竜騎士帝国ドラグネス】領じゃよ」


 そう言いながらヤンフィは、煌夜とタニアの眼前に記憶紙を投げてよこした。うっ、と煌夜はいきなり目の前を通り過ぎたそれに顔を背けるが、タニアは易々とそれを指でキャッチした。

 キャッチした記憶紙を見事なカード捌きで裏返して、煌夜に表面を見えるように二枚を並べた。

 写っていたのは、屈託なく笑う月ヶ瀬サラと、どこかませて見える眼鏡の天見竜也である。


「……この二人は、移動速度と規則性から考えて、王都セイクリッドの周辺、小さな集落間を移動しているようだったにゃ。距離感的に、別行動ぽいにゃけど、恐らく合流したうえで、示し合わせて動いてる感じだったにゃ」

「――どういう、ことだ?」

「多分、推測にゃけど……この二人もコウヤと同じように、このコタロウって子を探してるんじゃにゃいかにゃ。拠点を少しずつ移しにゃがら、移動してる気配だったにゃ」


 タニアは言って、ヤンフィが時間差で投げてきた記憶紙を華麗にキャッチして、クルリと表面を煌夜に見せた。

 そこに映るのは少し不貞腐れたような顔をした谷地虎太朗である。


「ちにゃみにこの子は、単独でドラグネスに居るにゃ。移動速度や感覚からすると、普通に生活してそうにゃ感じにゃ。何かに拘束されてるって感じじゃにゃかったにゃ」


 タニアのその説明を聞き、煌夜は無言で記憶紙を奪う。


「……よく分からないんだが……リュウと、サラは一緒に行動してて……コタが別行動、してるってこと? そもそも、セイクリッドとドラグネスって、どれくらい距離があるんだ?」


 爆発しそうになる感情を必死に抑えつつ、煌夜は静かな口調でタニアに問い掛ける。国の名前を言われただけでは、地理を理解しない煌夜では距離感が掴めない。

 さして難しくない質問なのだが、タニアは煌夜のその質問に困った表情を浮かべながら、ヤンフィに許可を求めるような視線を向けた。


「――妾も詳しくはないが、このベクラルを起点にすると、だいぶ遠いようじゃぞ? 何せ、東西に別れておるようじゃからのぅ」

「セイクリッドにゃら、このベクラルから測ると、西におよそ二千八百キロ前後にゃ。ドラグネス領だったら、ベクラルから北東に三千五百キロ前後で、アベリンから北進すれば、三千キロ超かにゃぁ」


 ヤンフィの言葉を引き継ぐように、タニアがサラリと距離を答える。しかし、あまりにも桁違い過ぎるその距離に、煌夜はすぐには理解できなかった。

 一瞬思考停止してから、目をパチパチさせて驚愕の表情を浮かべた。


「……日本列島の長さより遠い、ってこと?」

「ニホンレットウ、とはコウヤの居た国かのぅ? 妾にはそれがどれほど広い場所かは分からぬが……少なくともつい先日向かった【インデイン・アグディ】よりも遠いのではないかのぅ?」


 煌夜の呟きに、ヤンフィが苦笑を浮かべながら答える。

【インデイン・アグディ】と言えば、ソーンが操る飛竜に乗って、二日ほど掛けた遠方ではないか。

 ヤンフィのその回答が真実であれば、飛竜のような移動手段を用いても、最短で二日近く掛かるほどの長距離ということだ。想像以上に遠すぎる。

 なぜにそんなに遠い場所に、しかも別々で居るのか謎だ――


「霧の街インデイン・アグディって、【魔法国家イグナイト】領にゃ? 安心するにゃ。物理的にゃ距離を考えると、この街からにゃら、王都セイクリッドもドラグネス領もイグナイト領ほど遠くにゃいにゃ――けど、どちらに向かうにしろ、移動手段が限られてるにゃ」

「――っ! どっちに向かうのが……近くて、何日くらい、掛かるんだよ……?」


 叫び出したい気持ちをグッと堪えて、煌夜は補足説明してくれたタニアに鋭い視線を向ける。その双眸には、それほど遠くない、という言葉が額面通りであることを期待する気持ちが浮かんでいる。

 しかし、タニアの回答は煌夜のそんな期待を当然のように裏切る。


「物理的にゃ距離で近いのは【王都セイクリッド】にゃけど、ここから向かうとにゃると、だいたい月一巡――三十日前後は見込んだ方がいいにゃ。王都周辺は街が多くて、いちいち移動手段を変えにゃいと通れにゃいにゃ。一方でドラグネス領にゃら、一般的な正規の道順で向かっても、王都セイクリッドより短い日数……具体的には、二十日から二十五日前後で辿り着けるにゃ。特に今回は、アベリンからの最短距離を踏破する前提にゃら――そうにゃぁ……おおよそ五日で【断崖の街キュール】に辿り着けて……そこから飛空艇を利用するから……にゃんだかんだで、八日から十日前後で辿り着けるんじゃにゃいか?」


 脳内で何やら計算しながらのタニアの台詞に、ほぅ、へぇ、とヤンフィとセレナが感心の吐息を漏らしている。


「……あの、一つだけ宜しいでしょうか?」


 その時ふと、難しい表情をしたクレウサが小さく挙手した。タニアが、何にゃ、と首を傾げる。


「私の浅薄な知識だと、その……【王都セイクリッド】とは、【聖王国テラ・セケル】と言うテオゴニア大陸三大大国の首都ですよね?」

「そうにゃよ? 常識にゃ」

「……【竜騎士帝国ドラグネス】も、同じく三大大国の一つですよね? 領土のほとんどが山岳地帯の大国――領土の端から端までは、七千キロほど距離があったかと記憶しておりますが……そんな広大な領土のどちらに、コウヤ様の弟君は居るのですか? 先ほどから、ドラグネス領内のどこを目指すのか明言を避けているようですが――」


 おずおずとクレウサが発言すると、ディドがそれを引き継ぐように口を開いた。


「――そう言えば、タニア。先ほどギルドの方と会話している際に、【帝都オーラドーン】、【軍都ペンタゴン】と口走っていたかしら? 目指すべきは、そのどちらか、なのかしら?」

「耳聡いにゃぁ――そうにゃよ」

「……ワタクシが知る限りでは、その二つの街は互いに、直線距離で数百キロは離れていたと認識しておりますけれど?」

「博識にゃ――その通りにゃ」


 ディドの質問に、タニアが素直な頷きを見せる。

 はて、と煌夜の頭にはクエスチョンが浮かび、怪訝な表情でタニアを見た。


「……おい、タニア。その……オーラドーン? ペンタゴン? どっちに、コタが居るって?」

「分からにゃい――感覚として、そこら辺にゃ。流石のあちしも、ドラグネス領に明るくはにゃいにゃ。大陸図から推測した限りにゃら、距離感的にはどっちかにゃ」

「…………数百キロ離れてるんだろ? どっちに居るのか、分からないのか?」


 数百キロは誤差で済ませられる距離ではない。煌夜は、嘘だろ、とタニアに目で問う。


「申し訳にゃいけど、本当に分からにゃいにゃ。けど、確実に【竜騎士帝国ドラグネス】領内であることは間違いにゃいにゃ。にゃので、近付きさえすれば正確な座標が判明するにゃ」

「そんな適当な――っ!」


 タニアが苦笑交じりに告げた瞬間、思い切り怒鳴り付けそうになった煌夜だったが、それをグッと堪えた。ふざけるな、とタニアに怒るのはお門違い過ぎる。

 煌夜は瞼を閉じて二度三度と深呼吸すると、傍らのヤンフィに顔を向けた。

 ヤンフィはニンマリとしたドヤ顔を浮かべており、その瞳は、云うた通りじゃろ、と語っている。


 なるほど、確かに――ヤンフィの言う通り、今すぐ【竜騎士帝国ドラグネス】に向かおう、と主張したくなる。というか、実際に主張する訳だが、今の今まで教えてくれなかったことが非常に腹立たしい。


(……けど、そもそも、気付けなかった俺が、一番ムカつく……)


 煌夜は口を突いて出そうになる八つ当たりの言葉を呑み込んで、悔しそうにヤンフィを睨み付けた。


「のぅ、コウヤよ。これで妾が、無策で依頼を引き受けたのではないことが理解出来たかのぅ? どうせドラグネス領に往くことになれば、コウヤもタニアも何がしかの問題に巻き込まれる――それら予期せぬ事態を考慮するならば、先ほどの依頼は、引き受けるのが一番効率的じゃろぅ?」


 どうじゃ、と説明するヤンフィに、煌夜は素直に頷けず無意味な反論をする。


「……俺が、その……リュウとサラを先に迎えに行く、って言ったらどうするんだ? 王都セイクリッド、だったか? そっち先に行こうって言いだすかも知れないだろ?」

「ふむ? それはそれで別に、妾はどちらを先に迎えに往くでも構わないぞ? じゃが、先のタニアの台詞を聞いたうえで、コウヤがそれを口にすることはなかろう? 汝は弟妹に優劣を付けておらぬ。となれば、タニアの推測とは云え、合流しておる可能性が高い弟妹二人より、孤立している弟を迎えに往くに決まっておる。汝らから見れば言葉も判らぬ異世界で、孤独であることの恐怖は、コウヤが身を以て体験しておるじゃろぅ?」


 そのヤンフィの言葉に、煌夜はぐうの音も出なかった。まさにその通りである。タニアから、リュウとサラが行動を共にしている、と聞いた時点で、煌夜の頭には、別行動のコタと一刻も早く合流することしか考えていなかった。


「……まぁ、その通りだ。うん。ヤンフィの言う通りだよ――皆、自分勝手で悪いんだけど、アベリンに戻らず、このままコタを迎えに【竜騎士帝国ドラグネス】に行こう。出来れば、今すぐにでも」


 煌夜はパンと握った拳を掌に当てて、ヤンフィ、タニア、セレナ、ディド、クレウサと順番に視線を動かした。

 ヤンフィ、タニアは当然のような顔で頷き、セレナ、クレウサは、はいはい、とおざなりに同意してくれた。しかし、ディドだけが眉根を寄せた難しい表情で口を開く。


「コウヤ様。ワタクシも勿論、ドラグネスに赴くことは賛成かしら――けれど、今すぐに、と言う点に関して、反対いたしますわ。本日はこのままお休みになって、明日以降で、準備を整えてから出発するべきかしら」


 普段であれば、煌夜の意見に追従してフォローしてくれるはずのディドが、珍しくそんな提案をしてくる。煌夜はそれを自らの身体を慮っての提案だと思い、大丈夫だよ、と力強く頷きながら答えた。


「心配しないでくれ。ヤンフィにしごかれて疲れてはいるけど、俺の体調は問題ないよ。まだ外も明るいし、山越えすることになるんだから、出来る限り早めに出発したいんだ」


 煌夜は脳裏に、崖から飛び降りた過去と、雪山の異空間を思い浮かべながら言った。道中の鬱蒼とした森の中を歩くことを考えると、日が落ちる前に通り抜けるべきだろう。幸いにも、まだ夕方と呼ぶには早い時間帯である。

 けれど、そんな煌夜の言葉に首を振りながら、ディドは反論を続けた。


「コウヤ様の体調面に関しても、確かに心配ではあるかしら。けれどそれよりも、ワタクシは無計画に行動すべきではないと思っているかしら。コウヤ様が弟君を一刻も早く助けたい気持ちは存じておりますけれど、その為にも行き当たりばったりではなく、しっかり計画すべきかしら」

「……移動だけでも、結構な日数掛かるだろ? なら、移動しながらどうするか話せば良くないか?」


 ディドの意見は最もだろう。感情のまま無計画に突っ走るのは愚行でしかない。

 とはいえ、少なくとも、山越えからアベリン近くまで向かうだけでも二日は掛かる行程だ。その間、一切休憩を取らず、なんてことはしない。だから、休憩中などで当面の行動指針を話せば良いだろう。

 煌夜はヤンフィとタニアに、なぁ、と賛同を求めようと顔を向ける。すると、ヤンフィは頷いてくれたが、タニアが難しい表情で押し黙っていた。


「タニア。貴女、理解したうえで黙っていますわよね? 龍神山脈を踏破する為に必要な準備と、飛空艇を利用する為の手続き――どちらも当てはあるのかしら?」

「…………」


 ディドの質問に沈黙で返すタニア。それを横目に、二人以外の全員が首を傾げた。


「え? それ、どういうことだよ?」

「――どういう意味じゃ、ディドよ?」

「龍神山脈の剣が峰には、聖王ランドルフが施したとされる冠級の空間結界、通称【世界の壁】があるかしら。越える為には、越境許可証がなければ不可能だったはずかしら」


 ああ、とセレナが思い出したとばかりの声を上げる。


「それ、あたしも聞いた覚えがあるわ。魔神黄竜を幻獣界に逃がさない為に、龍神山脈の頂上に存在していた異界への扉を封印した奇跡の魔術でしょ。妖精姫エリザの渾身の禁術と、聖王ランドルフの冠魔術を組み合わせた究極の合成結界魔術――六百年以上経った今でも、現役なのね」


 セレナが感心した声でそう呟くと、タニアが少し難しい顔をしながら頷いた。


「……当ては、にゃいにゃ。けど、ヤンフィ様にゃら突破できるんじゃにゃいか?」

「もし仮に【世界の壁】を破壊出来てドラグネス領に辿り着いても、ドラグネス国民を証明する住民票が発行出来なければ、不法入国者扱いされるでしょう? そもそも住民票を取得出来なければ、【飛空艇】を含めて、あらゆる交通機関が利用出来ないのではなかったかしら? もしかしてそれも強引な力業で、強奪なり乗っ取りなりするつもりなのかしら?」


 ディドは嫌味っぽい口調でタニアに問う。その場の空気が重くなり、タニアから不機嫌そうな圧が放たれた。


「確かに、あちしは当てがにゃい、けど――じゃあ、お前には当てがあるにゃか? にゃいだろ、どうせ! 大体にゃぁ、別にあちしは考えなしに、無計画で突貫するつもりにゃいにゃ。道中で、妙案を思い付く手筈にゃ!」

「――何を根拠に、妙案を思い付くと言っているのかしら? そういうのを考えなし、無計画と言うのではないかしら?」

「否定するだけして、何の提案もしにゃいヤツに言われたくにゃいにゃ」


 タニアとディドが、バチバチと火花を散らしながら言い争いを始める。言い分の正当性は、明らかにディドにあるが、とはいえタニアの指摘も最もだ。


「のぅ、タニアよ。その【世界の壁】とやらを安全に突破するには、越境許可証だかが必要とのことじゃが――それはどうやったら入手できるのじゃ?」


 ふむ、と思案顔をしたヤンフィが質問を挟む。すると、タニアが渋い表情のまま答えた。


「越境許可証は、冒険者ランク【SS】ににゃるか、三英雄の誰かから貰うしか方法がにゃいにゃ」


 タニアの言葉に、ヤンフィが、なるほど、と頷く。しかし直後、拍子抜けしたような声でセレナが続けた。


「――その越境許可証、あたしの集落に一つだけあるわよ? 以前、キリア様が来訪なさった際に、集落が危機に陥った時用として、預けて下さったものだけどね」


 セレナの台詞に、タニアとディドが目を丸くして固まった。それは予期せぬ僥倖である。


「ほぅ? では、問題は一つ解決じゃのぅ。さて、ディドが懸念しておるもう一つ、ドラグネス国民を証明する住民票じゃが、これはどうやって入手するのじゃ?」

「――ドラグネス領内で出生届の登録がされてにゃいと無理にゃ。しかも住民票は、発行から十日で有効期限が切れる証明書にゃ。有効期限がすっごく短い代わりに、発行は何度でも可能で、しかも数時間で発行できるにゃ」

「出生届――とは、何じゃ?」

「あ、ヤンフィ様とコウヤは知らにゃくて当然にゃ。出生届は、竜騎士帝国ドラグネスが独自に行ってる人口を把握する仕組みにゃ。ドラグネス領内で産まれた子供は、任意で王立管理局ってとこに魔力波動を登録するにゃ。王立管理局はその登録数を管理して、人口を算出、国力の目安にしてるにゃ」


 タニアの説明にヤンフィは首を傾げていた。理解出来ない、とその顔が語っている。しかし、煌夜にとっては出生届という制度は馴染みがあるので、難なく理解出来た。むしろ出生届を出すという仕組みがドラグネス独自と言われたことの方が驚きだった。


「人口を把握したところで、何が出来ると云うのか理解出来ぬが――まぁ、好い。その住民票が無ければ不法入国と云うておるが、そうなると、他国の人間はドラグネス領に入れぬと云うことかのぅ?」

「入れるにゃ。ただし、入る為には通行証が必要にゃ。通行証にゃら、闇市辺りで売ってると思うにゃ。にゃけど、住民票は本人限定の権利にゃ――あ、その手があったにゃ」


 ヤンフィに説明しながら、タニアは閃いたとばかりに顔を輝かせる。


「流石ヤンフィ様にゃ。住民票の当てが出来たにゃ!!」

「妾は何も云うておらぬが……どんな当てじゃ?」

「アベリンの奴隷市場で、出生届の登録をしてる奴隷を買えばいいにゃ! 奴隷の保有者は、奴隷の持つ権利を全て擁するにゃ。にゃので、奴隷を連れていれば、住民票問題は解決にゃ!」


 ドヤ、と親指を突き立てるタニアに、ディドが溜息交じりで水を差す。


「それは、足手纏いを増やす、ということかしら? 奴隷市場で売買されている程度の実力で、龍神山脈を踏破出来るとは到底思えませんけれど? タニアが責任を持って護るのかしら?」

「カチン、と来る言い方にゃ。にゃけど、その懸念は当然にゃ――にゃので、強い奴隷を買えばいいだけのことにゃ」

「「…………」」


 ディドの冷めた台詞に力強く断言するタニアだったが、その場の全員がそれを聞いて閉口してしまう。

 タニアの言葉は理解出来るが、そも大前提として、ディドの懸念通り、奴隷として売買されている時点で強いヤツなどそうそう居ないだろう。

 しかも条件はドラグネス出身、である。果たしてそれは、運任せの出たところ勝負以外の何物でもないのではないか。


「――のぅ、タニアよ? 妾は弱者を旅の連れにするつもりは毛頭ないぞ。妾も認めるほどの強者が、果たして奴隷市場で売りに出される可能性はあるのかのぅ?」

「零ではにゃいから、見つかるはずにゃ――だって、今までもそうだったにゃ? あちしたちには、凄く運があるにゃ!」


 力強く断言して、豊満な胸を張るタニアに、誰ともなく溜息が漏れた。

 しかしその台詞を聞いて、煌夜の脳裏にはエイルが残した神託――『始まりの街に手掛かりがある』という言葉が思い出された。手掛かりが何を指しているのか分からないが、ここはタニアの無計画な提案に乗るのが最適解かも知れない。

 煌夜はタニアの案に賛同しようと口を開きかけて、ヤンフィが呆れた声で宣言した。


「タニアよ。それでは不確定要素が多すぎるぞ――まぁ、じゃが、どちらにしろ好かろう。アベリンで妾が認めるほどの奴隷が手に入っても好し。見付からなければ見付からないで、ドラグネス領に辿り着いてから、現地で奴隷を手に入れれば好い」

「……にゃるほど。確かに、そうにゃ――コウヤもそれでいいかにゃ?」

「あ――うん。ま、いっか」


 ふむ、と頷くヤンフィに、タニアを含めて一同全員、納得した。もの言いたげだった煌夜だが、話の方向性は希望通りなので、取り敢えず発言せずに押し黙る。


「さて、段取りはこれで好かろう。改めて整理するぞ? 妾たちはまず、【オーガ山岳地帯】だかにあるセレナの集落――ちょうどアベリンに戻る道すがらじゃが、そこに寄って越境許可証を入手する。次に、アベリンに一旦戻り、妾たちの旅に同行出来る条件を備えた奴隷を入手する。これは見付からなければ、それでも好い。どちらにしろアベリンで装備を整えるなどしてから、龍神山脈の踏破に挑む――となれば、コウヤの意向に沿って、すぐさま出発するのが好いかのぅ、ディド?」

「……ええ。そういった段取りであれば、ワタクシに異論はありませんかしら。コウヤ様の体調さえ宜しければ、どこまでもお供いたしますわ」


 どうじゃ、とヤンフィが煌夜に顔を向けてくる。ああ、と煌夜は力強く頷いた。

 全身はまだ痛いが、そんなのは覚悟のうえだ。コタを一刻も早く助け出す為なら、それこそ身体が壊れても構わない心持である。

 ヤンフィは全員を見渡して、誰も反論しないことを確かめると、好し、と呟きながらソファから立ち上がった。


「そうと決まれば、コウヤの提案通り外が明るいうちに出発じゃ。準備は好いか?」


 有無を言わせぬ威圧を放ちながら、ヤンフィは問い掛ける。

 煌夜は、ああ、と短く頷き、タニアとセレナは、はいはい、とおざなりに、ディドは無言で煌夜の傍に寄り添って、クレウサは、畏まりました、と姿勢を正す。

 満足気にヤンフィは頷いて、往くぞ、と先頭を切って部屋の出口に向かった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 ここから向かうのが近道という案内に従って、煌夜は鉱山都市ベクラルの西坑道入口にやってきた。西坑道から見上げる切り立った崖は、まさに断崖絶壁と呼ぶに相応しかった。

 ゴツゴツとした岩肌を見上げながら、煌夜は、さてどうするのか、とヤンフィに振り返る。


「……ここに来たときは、暗かったってのもあるけど、こんなに高い崖とは思ってなかったな……ところでヤンフィ。ここ、どうやって登るんだ?」


 見渡す限り崖上に行けるような道はなく、ロッククライミングするか、空を飛ぶかの選択肢しかないように思えた。

 前者は不可能だが、後者はディドに助けて貰えれば全く問題ないだろう。傍らのディドにチラと視線を向けると、彼女は無表情ながらも煌夜の意図を汲んだ様子で、飛びますか、と問い掛けてくる。


「ディドよ、汝がコウヤを上まで運べ。妾たちは……まぁ、各々好きに往けば好かろう」


 ヤンフィが、出来ないはずあるまい、と続けながら、挑発的な視線をタニアとセレナに向ける。それを尻目に、すかさずディドが煌夜を真正面から抱き締める。


「うぇ!? ちょ、ディド!?」

「舌を噛んでしまいますから、しばし黙って頂けると幸いかしら」


 突然のハグに恥ずかしくなって混乱する煌夜に、ディドは優しく呟いて、直後、音もなく地上から浮かび上がる。ふわりと風に乗ってディドの甘い匂いが漂ってくる。


「にゃっ!? おい、ディド! お前、ドサクサに紛れて、にゃに羨ましいこと――」


 地上からタニアの怒鳴り声が聞こえたが、それも一瞬のうちに遠ざかる。煌夜は不思議な浮遊感と、ディドの柔らかい身体の感触に心奪われて、気付けば崖上に辿り着いていた。


「コウヤ様――お体は、本当に大丈夫かしら?」


 煌夜が地面に足を下ろした時、ギュッと抱き締める腕に力を込めて、ディドが不安げな声音で囁いてきた。耳元に当たるこそばゆい吐息に、思わず顔を赤らめる。


「だ、大丈夫、だよ? 心配してくれて、ありがとう――」

「――ディド。お前、いい加減離れるにゃっ!!」


 わたわたと慌てた様子で答えた煌夜の背後から、タニアの鋭い怒鳴り声が響いてくる。

 背後は断崖で足場などない。どうやって――と振り返ろうとした瞬間、ディドが舌打ちと共に、煌夜の身体を優しく押しながら、くるっと態勢を変えて森に押し出す。


「ぉ、っと――っ!?」


 よろめきながら森の方へと動いた刹那、ディドの立っていた場所を凄まじい烈風が駆け抜ける。どうやらそれは、タニアが放った風属性の攻撃魔術のようだった。

 味方に対して何という暴力的な行為だろうか――煌夜は思わず目を点にして唖然としてしまう。

 タニアの攻撃は多くの木々と崖の一部を削り、しかしディドには何ら傷を負わせることなく霧散した。爆心地では、涼しい顔を少しだけ苛立ちに歪めたディドが立っている。


「……タニア。貴女、今ので万が一にもコウヤ様が傷付いたらどうするつもりだったのかしら? ワタクシが反応しなかったら、どうなっていたか分かっているのかしら?」

「はぁ? にゃにを馬鹿にゃことを――声掛けたにゃ? これで反応出来にゃいにゃら、お前にゃんざ端から要らにゃいにゃ。それに、コウヤを盾にしにゃい限り、コウヤが傷付くこともにゃいにゃ。ちゃんとあちしは、コウヤを巻き込まにゃいように操作したにゃ」

「――本当に話が通じませんわね。とはいえ、ここで言い争っても時間の無駄かしら……」


 ディドはこれ見よがしに溜息を漏らして、パッパッと服に付いた埃を払った。そんなディドに強烈な睨みを向けながら、タニアが煌夜の傍に寄ってきて地べたに座り込んだ。

 タニアはディドほどボディタッチしてこないので、気が楽と言えば気が楽だった。


 ほどなくして、透明な風の階段を優雅に歩いて登ってきたヤンフィと、セレナが現れて、その後ろから飛行してきたクレウサが崖上に降り立つ。これで全員揃った。

 案内役はオーガ山岳地帯を熟知しているセレナが申し出て、獣道さえない鬱蒼とした森の中を迷わず真っ直ぐと進んでいく。


「あ、そう言えば、ヤンフィ様。今度もまた魔神の通り道を使うの? それとも、最短距離で雪の世界を突っ切って向かうの?」


 ふと、先頭を行くセレナが振り返りながら、確認だけど、と首を傾げた。


「ふむ。そうさのぅ――確かに、今のコウヤの魔力量と装備ならば、【凍雲(いてぐも)】環境下でも保つじゃろぅし、魔力を身体に馴染ませるうえでは程よい訓練になるか……どうする、コウヤ?」

「どうする……って?」


 ヤンフィがよく分からない質問をしてくる。煌夜は首を傾げて聞き返した。


「来る時に使用した魔神の通り道じゃが、アレを通るよりも近道がある。じゃが、かなり過酷な環境でのぅ。命の保証は出来るが、恐ろしく体力と精神力、魔力を削られるじゃろぅ」

「……って、命の保証は出来るんかい――まぁ、死なないなら、別にいいよ。つうか、そっちのが近道なんだろ? なら、近道で行こうぜ」


 煌夜は一瞬だけ逡巡したが、死なないならどれほど苦しくても堪えればいいだけだ、と割り切った。そもそも、来た時のことを思い出すと、ひたすら長いあの直線を走り続けるのも相応に苦しかった。つまりどう転ぼうと、山越えする以上、決して楽な道はないということだ。

 煌夜の返事に、ヤンフィは頷いた。


「それではセレナよ。最短距離を往け――道は判るかのぅ?」

「あたしを馬鹿にしないでよ?」


 ヤンフィが挑発的な視線をセレナに向けた。するとセレナは、不愉快そうな表情を浮かべながら、舐めるなよ、とばかりに薄い胸を張った。


「このあたしが、歩き慣れたオーガ山岳地帯で迷うわけないでしょ――っと、じゃあ、こっちね」


 セレナは何を目印にしたのか、不意に進む方向を右手に変える。途端、勾配がきつくなった。

 見渡す限り暗澹たる森の中を、勝手知ったる何とやら、セレナは迷わず突き進んだ。

 途中何度か、狼に似た魔族【ワーウーフ】や、木に擬態した魔族【トレント】などが襲い掛かってきたが、煌夜たちの足を止めることもなく、まるで虫を払うように蹴散らされる。

 そうして四時間ほど歩き詰めて、そろそろ日が暮れかけた頃、唐突に周囲の森が途切れた。


「ようやく、着いたわ――ここを突破すれば、向かい側は、妖精族の集落よ。一応、向こう側には結界が張ってあるけど、あたしなら解除できるわ」


 ビュウビュウ、と白い雪混じりの強風が吹き荒れる草一つない斜面。

 周囲の空気は重々しく、吐いた息がたちまち白くなるほどの低温環境。先ほどまで見えていた黄昏は雲に隠されて、辺りはこの世の終わりみたいにどんよりとした灰色だった。


「……なぁ、ヤンフィ。どうして寒くないんだ? 魔術か何かで、俺を護ってくれてるのか?」


 雪が舞い踊る白銀の世界。

 恐らく富士山より高いであろう標高に居て、しかし煌夜の身体には何の違和感もなかった。まるで温室で休んでいるような錯覚をするほど良好で、頬に当たる冷風さえ気にならない。

 煌夜の質問に、ヤンフィが、そんなことしていない、と首を振りながら説明する。


「コウヤの魔力が、肉体の強度、耐性を高めておるからじゃよ。魔力値が高ければ高いほど、悪環境に耐えられるようになる――今のコウヤは、魔力値だけならば、タニアに比肩するほどじゃ。巧く操作出来ておらんでも、この程度の環境で体調に影響はせぬじゃろぅ」

「魔力のおかげ、なのか、これ? 凄いな、魔力……」

「ああ、それと妾との契約の影響もあるじゃろぅ。妾の加護には寒冷耐性があるからのぅ」

「……ま、そっか。死ぬほどの経験も何度もしたしなぁ」


 煌夜は言いながら自らの掌に視線を落として、グーパーと開いたり握ったりして調子を確かめる。実感は全くないのだが、知らず知らずのうち、この異世界に身体が馴染んだらしい。


「――さぁ、行くわよ。心の準備はいい? ちなみに、あたしの後ろを外れると、道に迷って死ぬから気を付けてよ」


 セレナが気合の入った声で全員に発破をかける。煌夜はその発破を聞いて気を引き締める。この面子に向かって、迷って死ぬ、と言わしめるほど危険なところに立ち入るようだ。


「コウヤよ、汝は魔力視を駆使して、妾の往く道を辿れ。集中するのじゃぞ? ディド、タニアよ。汝らはコウヤが道を逸れぬよう注意しておれ」

「畏まりましたわ。コウヤ様、ご安心なさってくださいませ。ワタクシが御守りいたしますかしら」

「ディドにゃんか頼る必要はにゃいにゃぁ――あちしに任せとけにゃ!」


 ヤンフィの言葉に二人の力強い返答が来た。それを聞いたセレナは、はいはい、と適当な相槌を打って何の躊躇もなく目の前で吹き荒れる豪雪の世界に足を踏み入れる。セレナの姿は一瞬で白い壁のように吹き荒ぶ猛吹雪に呑まれて見えなくなった。

 そんなセレナの背中を追うように、ヤンフィが不敵な笑みを浮かべたまま踏み出した。


「――うし、行くか」


 煌夜は一つ深呼吸してから、覚悟を決める。

 そして、ヤンフィの背中を見失わないよう、少し駆け足で猛吹雪の中に足を踏み出した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ