第七十五話 公主セリエンティア
今回、ちょい長いです。
魔動列車からの景色に高い山々が顔を覗かせ始めたとき、警笛と共にアナウンスが響き渡った。
『――乗客の皆様、長旅お疲れ様でした。まもなく【鉱山都市ベクラル】に到達いたします。なお、当列車は、到達し次第、整備点検の為、車庫へと格納されますので、お忘れ物等なきようご注意下さい』
警笛が終わると、そんなアナウンスが流れる。そして、また警笛、アナウンス、と三度繰り返してから、ガクン、と大きく部屋が揺れた。
「――――ぅ?」
煌夜は大きな揺れを感じて、失っていた意識を取り戻す。
瞼に当たる柔らかい日差しと、どこからか吹いてくる土臭い風が朦朧とした意識を刺激する。ぼんやりした思考が徐々に鮮明になってきて、ゆっくりと頭を振った。
「ぐっ――ぃ、つ!?」
身体を起こそうとして、しかし凄まじい激痛が全身を走った。
バラバラになりそうなほどの痛みに、煌夜の頭は否応なく覚醒した。
「おや? 起きたか、コウヤよ。ちょうど好いのぅ――そろそろベクラルじゃぞ」
ヤンフィの軽やかな声は、部屋の隅、日差しが差し込んでくる窓際から聞こえてくる。だが、そんなヤンフィに対して返事をする余裕なぞ、いまの煌夜にはない。
煌夜は激痛に顔を歪めながら、ひとまず身体を起こすことを断念して、パタリと寝そべった。柔らかく温かい何かが後頭部に感じられる。
「大丈夫かしら――コウヤ様?」
目を閉じたままの煌夜の頭上から、ディドの優しい声が降り注ぐ。けれど生憎、ちっとも大丈夫ではなかった。
煌夜の全身は、筋肉という筋肉が悲鳴を上げており、関節部分どころか身体中の骨が軋むような痛みを発している。ズキンズキンと鼓動のたびに身体の内側を鈍痛が走り、正直、呼吸するのさえ厳しい状態である。
「大丈夫には視えぬが、心配は不要じゃろぅ。セレナの治癒で、傷は癒えておる。いまはただ、全身に激痛が残っておるだけじゃよ。いずれ慣れるはずじゃ」
「……慣れ、る? んな、わけないだろ……っ!?」
「――ほれ、もう返事が出来るまで回復しとるわ。ディドは相変わらず過保護じゃのぅ」
ヤンフィの好き勝手な意見に、思わずノリツッコミした途端、目も眩むほどの激痛が胸を襲う。煌夜は奥歯を噛み締めて痛みを堪えた。
「ヤンフィ様。コウヤ様が感じている痛みとは、どういった類の痛みなのかしら? 内傷、ではないのでしょう?」
煌夜は後頭部に感じる柔らかい感覚に身体を預けたまま、激痛を訴える神経を落ち着けるよう努めた。
これが五体満足の状態であれば、ディドの膝枕を堪能できたかも知れないが、いかんせんそんな心の余裕はない。
「ふむ……コウヤがいま感じておる激痛は、魔力と肉体のズレじゃ。内在する魔力に、骨格と筋肉が追い付いておらぬのじゃろぅ。コウヤの保有する魔力量が、それだけ凄まじいという証左じゃ」
「ズレ――それは通常、器が完成していない子供で発生する症状ではありませんかしら?」
「コウヤの身体は、まだ魔力の器として不十分、子供のようなもんじゃ」
ヤンフィとディドのそんな意味の分からないやり取りを意識の外で聞きながら、煌夜は取り敢えず呼吸を整えることに成功する。
ゆっくりと目を開ければ、頭上にはディドの美しい顔がある。ほんの数十センチの距離にあり、長時間眺めていても飽きないその美貌は、まるで絵画に描かれた女神のようだ。
そんなことを考えた瞬間、ふとディドと目が合う。
ディドは無表情を少しだけ緩ませて、煌夜の頬を愛おしそうに撫でた。ひんやりと冷たい感触が、激痛に火照った身体に心地よい。
「…………おい、ヤンフィ。俺……いま、身体が全然動かないんだけど……どうすれば、いいんだ?」
煌夜は落ち着いた激痛がぶり返さないよう細心の注意を払い、視線だけヤンフィに向ける。ヤンフィは窓枠のところに背を預けていた。
「何を甘えておる。動かそうと思えば動くじゃろぅ? 痛みはすれども、痛いのは動き始めの最初だけじゃよ。取り敢えず身体を起こしてみるが好い」
ヤンフィは他人の気など知らず、簡単に言ってくれる。その台詞に、ディドだけが心配そうな顔を浮かべてくれた。
「――コウヤ、ヤンフィ様、着いたにゃ!! サッサと降りるにゃぁ!!」
そんな時、ふと部屋の扉から元気よくタニアが現れる。
バーン、と効果音が聞こえてきそうなほど勢いよく入ってきて、膝枕されている煌夜を見つけると、途端、不愉快そうな顔になった。
「……ディド。お前、誰の許可を得て、コウヤを介抱してるにゃ? あちしを差し置いて、そんな役得、許されると思ってるにゃ?」
「――許すも許さないも、訓練を終えたコウヤ様の介助は、ワタクシの当然の責務かしら。タニアに口出しされる覚えはありませんかしら」
唐突にバチバチと火花を散らす二人に挟まれて、煌夜は居た堪れない気持ちになる。
とはいえ、激痛で身体を動かすのも億劫な状態では逃げられない。しかもさりげなく、ディドが煌夜の身体を押さえ付けていて、なおさら動きようがなかった。
「ディド姉様。コウヤ様が困っていますよ。タニア様と言い争っていないで、早く降りましょう。この列車はどうやらこのまま、車庫に格納されるようです」
ふとその時、タニアの後ろからクレウサが呆れた顔で入ってきた。クレウサは煌夜の顔を眺めてから、これ見よがしに溜息を吐いてディドに告げた。
ディドは実妹であるクレウサの忠言を受け止めて、不承不承の空気を放ちながらも頷いた。
「コウヤ様、起き上がれますかしら? ワタクシが支えますわ」
「…………あ、ありがとう――ッぐ、っ」
ディドは煌夜の後頭部を優しく持ち上げて、背中を支えるようにしながら起こしてくれる。煌夜は痛みに顔を歪めながらも、ディドに手伝ってもらい何とか起き上がる。
その光景を眺めるタニアの顔が、見る見る不愉快そうに歪んだが、あえてそれは無視した。
「さて、忘れ物がないよう確認してから出るぞ――コウヤ、遅れるなよ」
ヤンフィは愉しげな声でそう言いながら、サッサと列車から降りていく。それに続いて、クレウサが降りていく。
「こっちはあちしが支えるにゃ――ディドは不要にゃ、離すにゃ」
「……コウヤ様が動き難いでしょう、タニア? 貴女が不要ですよ、離しなさい」
一方で、タニアはディドに負けじと煌夜の左肩に回り込み、肩を貸してくれた。同時に、グイと奪うように煌夜を引っ張り、右肩を支えているディドを振り切ろうとする。しかしながら、ディドは引っ張られた分だけ間を詰めて、しっかりと右肩を支え続けてくれる。
「コウヤが動き難そうにゃ。離れるにゃ!」
「その言葉、そっくりタニアにお返ししますわ。コウヤ様が大変なので、離れて頂けないかしら?」
煌夜の肩を優しく支えながら左右でいがみ合う二人を見て、なんとなく微笑ましい気持ちになる。
まるで、お気に入りの玩具を奪い合う子供のようだ――この場合、玩具が煌夜なので、多少複雑な気分にはなるが。
「……とりあえず、耳元で怒鳴り合うのは、止めてくれ……」
煌夜はボソリとそう呟いた。途端、タニアが耳を逆立てて、キッとディドを睨み付けた。
「にゃ!? 怒鳴ゃらせてるにゃは、ディドのせい――」
「――失礼いたしました、コウヤ様。黙って頂けないかしら、タニア?」
怒鳴り声で抗議するタニアを、けれどディドは軽くあしらい、さりげなく煌夜により密着する。するとタニアも、苛立ちながら、煌夜の腰に手を回してくっ付いてきた。
煌夜は苦笑しながら、まさに三人四脚状態のままで列車を降りる。ちなみに、不思議と歩き難くはなかった。
さて、そうしてベクラルの魔動列車乗り場に降り立つと、そこには、既にセレナも含めて全員揃っていた。煌夜たちが最後である。
「ようやく揃ったわね――ところでねぇ、タニア。コウヤを呼んでくるだけなのに、なんでこんな時間が掛かるのよ?」
「あちしのせいじゃにゃいぞ。ディドがグチグチと……」
「下らぬ問答は時間の無駄じゃ――セレナ、タニア。コウヤは訓練の疲れがまだ抜け切っておらぬ。サッサと宿屋に向かうぞ」
セレナの嫌味に反論するタニアだったが、それを一刀両断して、ヤンフィが断言する。一応、煌夜の体調は気にしてくれているようだった。
そんなヤンフィの言葉に、タニアはムッとして口を噤み、傍らのディドがどことなく勝ち誇った表情になっていた。
そうして煌夜たち一行は、以前も利用したギルド指定の宿屋へと向かった。
「お、いらっしゃい――ぅお!? て、テメェらはッ!?」
煌夜が宿屋に入ると、カウンターで給仕していたスキンヘッドにちょび髭の店主が驚きの声を上げた。その視線はタニアとセレナに向いている。
煌夜は、何事か、と不安になった。テメェら――と、言われた後の展開は、今までの経験上、嫌な予感しかしないからだ。
だが、そんな煌夜の不安は杞憂だった。
「テメェらとは、にゃんにゃ? 失礼極まるにゃ――」
店主の反応にいきなりキレそうになるタニアだったが、次の瞬間、店主は満面の笑みを浮かべつつ、平身低頭中腰になりながら、セレナとタニアに駆け寄ってきた。
その突拍子もない店主の行動に面食らい、キレそうになったタニアを含めて、煌夜たちは全員が動きを止める。
「――ようこそ、いらっしゃいました!! この街を救った立役者、スーパールーキー『コウヤと頼りになる愉快な仲間たち』のタニア様、セレナ様! 本日はご宿泊ですか?」
凄まじい圧を発しながら、煌夜の肩を支えるタニアに迫る店主に、さすがのタニアも驚いて一歩引いていた。
しかしなるほど――どうやら店主は、煌夜たちと別行動中に活躍したタニアとセレナのことを知っており、媚びを売った方が良いと判断したようだ。だから、こんなに全力でゴマすりしてきたのだろう。
少しだけ気持ち悪いな、という感想は胸に秘めて、煌夜は店主を眺める。
「お食事であれば、腕によりをかけて今すぐ用意いたしますぜ! 如何いたしますか!?」
「……にゃにゃ、にゃ」
店主の圧にタジタジのタニアは、意味のない音を出して助けを求めるように煌夜を見た。そんなタニアの様子を鼻で笑って、ディドが口を開いた。
「泊まらせて頂けないかしら?」
「――そちらは、タニア様のお仲間、ですか?」
「ええ。タニアと同じパーティですわ。ワタクシはディド、コウヤ様の右腕、かしら?」
「にゃっ!?」
店主が向ける胡散臭い視線を無表情で返して、ディドは毅然とそう告げる。瞬間、タニアがその台詞に物申すとばかりに睨み付けてきたが、それは無視して、もう一度質問を繰り返していた。
「泊まらせて頂けないかしら? ワタクシたち、長旅で疲れているわ」
嫌味っぽく言葉を付け足して、ディドは上から目線で店主を睨み付ける。店主はひょうきんな顔をすると、畏まりました、と元気よく頷いて、カウンターの向こうに戻った。
カウンターの上に宿泊台帳のようなものを置いた店主を見て、煌夜たちもカウンターに向かう。
「それでは、ご宿泊……お連れ様も含めて六名で宜しいですかね? ちなみに、何人部屋をご所望でしょうか?」
店主は、電話帳みたいに分厚い宿泊台帳をパラパラと捲り、白紙のページを開くと首を傾げる。
その質問は煌夜たち全員に対して向けられたものだが、ヤンフィと煌夜を除く四人は一斉に、煌夜へと視線を集中させた。
決定権が煌夜にあると察した様子で、店主は煌夜に向かって首を傾げた。だが、煌夜に決められることはではない。
煌夜は助けを求める視線をヤンフィに向ける。ヤンフィは堂々たる姿勢で店内を見渡していたが、煌夜の視線に気付いて、ああ、と頷いた。
「ふむ? 部屋、か――そうじゃのぅ。六人全員が泊まれる広い部屋はあるかのぅ?」
ヤンフィは一瞬だけ思案して、店主に要望を投げる。途端、その台詞を聞いたタニアとディドが、同時に不愉快そうな空気を放った。
どうやら別々の部屋でないことが不満のようだ。けれど、ヤンフィの決定に逆らうつもりはないようで、二人とも口を挟むことなく黙っていた。
そんな不愉快そうな空気とは裏腹に、店主は喜色満面の笑みを浮かべながら、もちろん、と頷く。
「ございますとも――ちょうど最上級部屋が一室、空いております!」
店主は自信満々に言いながら、媚びを売るような声で続ける。
「こちらの最上級部屋は、まさに貴女方に相応しいお部屋だと存じますよ。値段は、本来であれば一泊アドニス金貨三枚のところ――勉強いたしまして、アドニス金貨一枚で、如何でしょうか?」
タニアが、やるにゃあ、と呟いたことから、それが破格であることだけは理解できた。相場は分からないが、店主はだいぶ勉強してくれたようだ。
しかし、ヤンフィはその台詞に不満そうな表情を浮かべて、悪魔の如き交渉を始める。
「アドニス金貨一枚、のぅ――それは当然、滞在期間不問じゃろぅな?」
「…………は?」
ヤンフィのその発言に、店主は目をパチパチとさせてキョトンとした。けれどそれも仕方ない。
今の会話の流れからすれば、誰がどう聞いても一泊の話だろう。何が当然か煌夜には分からないが、宿屋に泊まる際に、滞在期間不問などあり得ないだろう。それは宿泊ではない。
「……あ、えと――長期滞在のご予定でしょうか?」
しばらくキョトンとしていた店主は、しかしヤンフィの背格好を見て、それを冗談か子供の戯言だとでも思ったようだ。何か察した風に頷き、苦笑いを浮かべながら、タニアに視線を向けた。
そんな店主に、けれどヤンフィは真剣な表情のまま言葉を続ける。
「いや? さして長居するつもりはないのぅ。じゃが、何泊するか今のところ分からぬ。じゃから、先払いでアドニス金貨一枚だけ支払ってやろう。充分じゃろぅ?」
何を馬鹿な、と店主はヤンフィに怪訝な顔を向ける。そして、困り顔に苛立ちを浮かべて、諭すような口調で言う。
「……なぁ、お嬢ちゃん。いくらキミの仲間が凄いって言っても、そんな無茶は通らないぞ? 次期【S】ランク冒険者との呼び声高い『愉快な仲間たち』が後ろに居るから、態度が大きくなるのは分かるけども……不可能なことを言って、大人を困らせるもんじゃないぞ」
ヤンフィに首を傾げる店主の態度は、なるほど当然の対応だろう。ヤンフィの外見は、どれほど風格があろうとも、ただの子供である。
一方、そんな何も知らない店主の態度に、煌夜以外の全員が押し黙って成り行きを見守っていた。どことなく表情には恐怖が浮かんでおり、何が起きても大丈夫なよう身構えてもいる。
煌夜は、はぁ、とこれ見よがしに溜息を漏らして、ヤンフィに注意した。
「――ヤンフィ。俺は相場を知らんから何とも言えんが、滞在期間不問は非常識だろ。せっかく勉強してくれてるんだから、言い値でいいんじゃないか?」
煌夜の提案に、ヤンフィはさして怒った様子もなく反論してくる。
「コウヤよ。アドニス金貨一枚であれば、相場は四日ほどじゃ。じゃが、妾たちは四日も滞在するつもりはない。であれば、滞在期間不問で支払った方が、宿にとって得じゃろぅ?」
そのヤンフィの発言を聞いた店主が、四日だと、と驚愕していた。見れば、タニアも同じような反応をしている。ということは、その相場もだいぶピント外れのようだ。
店主は露骨に苛立った様子でヤンフィを睨み付けてから、セレナ、タニア、煌夜の順で視線を向ける。
「……申し訳ありませんが、一泊アドニス金貨一枚でも、ウチとしては赤字覚悟です。コウヤ様御一行が街を救った偉大な冒険者なのは理解していますが、ウチも商売なので――」
「――妾は別に騒ぎを起こしたいわけでない。じゃが、交渉が出来ないと云うのであれば、それは致し方ないのぅ。店主よ、死ぬよりも後悔することになるぞ?」
店主の言葉に被せて、ヤンフィがカラカラと笑いながら物騒なことをのたまう。
完全な脅しであり、もはやこれは威力業務妨害だろう。流石にこれ以上はマズイと判断して、煌夜は慌てて提案した。
「ヤンフィ。別にいま、俺らは資金に困ってないんだろ? 何をそんな頑なに無茶振りするんだよ?」
「法外な宿代を払うのが気に食わぬ、と云うておる。別段、無茶ではなかろう?」
「常識外れの要求をすることは、一般的に無茶って言うんだよ――だいたい宿代なんて、宿屋側が決めることだろ? それに納得できないなら、泊まれない。それが常識だよ。だから、これ以上ゴネるのは止めて、言い値で泊まろうぜ」
「……コウヤよ。じゃからこそ、価格交渉をしておるのじゃ。宿屋を納得させれば、妾たちの云い値で泊まれるのじゃぞ?」
ヤンフィの超理論は、まさにクレーマー理論である。煌夜は呆れて言葉を失くした。間違っているのはヤンフィだ。しかし、何が何でも主張を押し通して、自らを正しくしようとしている。
「にゃぁ、ヤンフィ様――あちしが、交渉するにゃ」
煌夜が沈黙した時、タニアが胸を反らしながら挙手する。ヤンフィはしばしタニアを見詰めて、それから一つ頷くと引き下がった。
「……タニア様。いくら子供の我儘でも、限度ってもんがありますよ? これ以上、理不尽な要求をするようであれば、冒険者ギルドに訴えざるを得ません。だいたい、交渉も何も、ウチはどれだけ脅されようと一泊アドニス金貨一枚が限界――」
「――店主。あちしたちは、ベクラル滞在中に、Sランク冒険者としての申請を行う予定にゃ。とにゃれば、ここはSランク御用達の宿屋ににゃるにゃ。宿屋ランク、上がるんじゃにゃいか? 逆に、いまここで、あちしたちを門前払いしたにゃら、今後一切、あちしたちは、ここを利用しにゃいと宣言するにゃ。そうにゃると、最悪ギルド指定が外されるだろうにゃぁ……あちしたちは、別にここに泊まらにゃくても良いにゃけど、本当に、それでいいにゃ?」
タニアは早口にそんな論理を展開した。それはヤンフィとは違うアプローチの脅しである。
泊まらせた場合のメリット、泊まらせない場合のデメリットを告げて、店主に選択を迫っているが、これは論点ズラしの思考誘導である。泊まらせた場合のデメリットをあえて言わないことで、どちらが正しいのか誤認させている。
煌夜はもはや口を挟めず、ただ黙って成り行きを見守る。
「……上級の六人部屋であれば、御用意できますが……」
「最上級以外認めにゃいにゃ――けど、仕方にゃいにゃぁ。そこまで言うにゃら、滞在期間不問じゃにゃくて、アドニス金貨一枚で六泊にゃらどうにゃ?」
一見折れた風を装い、その実、無茶な要求であることは少しも変わっていなかった。相場を逸脱したその泊数に、店主はどう切り返すべきか悩み始めてもいる。
「どうにゃ? 最上級の六人部屋、アドニス金貨一枚で、七泊――」
タニアは、さりげなく一泊多く話しながら、全身から凄まじい魔力を迸らせた。一気に店内が重苦しい空気になり、店主の顔は見る見ると蒼白になっていく。
結局、最後はヤンフィと同じ物理的な脅しだった。煌夜は、蒼白な店主に同情を禁じえない。
「――五、五泊では、どうでしょうか!? それ以上は、流石にお許しを!!」
「許すって何にゃ? あちしたちは、別にここで泊まらにゃくても――」
「――アドニス金貨一枚で、五泊。ぜひ、ご宿泊頂きたくお願いいたします!!!」
威圧を強くしたタニアに、店主はもう戦う意思を失くしてタニアの言い値で折れていた。
さて、こうして借りた最上級部屋だが、最上級の名に相応しい豪華さだった。日本のホテルで言えばスイートルームであり、このレベルの部屋に泊まれるならば、一泊数十万は下らないだろう。
アドニス金貨一枚が約十万円であることを考えると、これを六人が五泊出来るのは破格過ぎた。
そんな豪華な最上級部屋で食事を摂りながら、煌夜たちは今後の予定を話すことにした。
「のぅ。ところで、タニアよ――先ほど、Sランク冒険者の申請、云々と口にしておったが、どういうことじゃ?」
食事を終えた後、リビングで寛いでいた際にヤンフィが切り出した。
煌夜はいまだに激痛を堪えながらも、けれど沈むソファに身体を預けて、先ほどの豪勢な食事の満足感に浸っている。
ヤンフィの問いに、分厚い絨毯でゴロゴロと寝転んでいるタニアが答える。
「にゃ? どうもにゃにも……Sランク冒険者の申請をして、あちしたちは【S】ランクににゃるにゃ」
さも当然のしたり顔で、タニアは引き締まった腹を見せながら言った。非常にだらしない恰好である。
ヤンフィはそんなタニアに胡散臭い視線を向けながら、吐き捨てるように問う。
「Sランク冒険者、のぅ――その申請は、直ぐに終わるのかのぅ?」
「……どうかにゃ。そんにゃに時間は掛からにゃいと思うけど、四、五日は掛かるんじゃにゃいか?」
「ほぅ? その間は、ベクラルに足止め、と云うことかのぅ?」
ヤンフィは含みを持たせた言い方で、試すような視線をタニアに向ける。タニアはその台詞に一瞬ビクつき、質問の意図を察したかのように弁明し始めた。
「あ、そのにゃ――ここのとこ、強行軍だったにゃ? ディドとクレウサも旅路に加わったばかりにゃから、一旦、療養してもいいんじゃにゃいか?」
「妾に弁明しても仕方あるまい――コウヤ、汝は数日間、ここで足止めされても問題ないかのぅ?」
ヤンフィが会話の矛先を煌夜に向けてくる。途端に、全員が一斉に煌夜を注目した。
煌夜はぐったりとした体勢のまま、疲れた声で答える。
「……問題は、ないけどさ……その、【S】ランクの申請って、この街で待機していなきゃいけないのかな? とりあえず申請だけして、アベリンに向かうのは無理なの?」
正直なところ、煌夜個人の本音としては、冒険者ランクを上げることに価値を見出していない。そもそも、煌夜本人にSランク相当の実力はない。【S】ランクという称号は、非常に興味がそそられるところではあるが、煌夜には分不相応過ぎるだろう。
だから、いまは一刻も早くアベリンに戻りたい気持ちだった。
煌夜がいま一番気にしているのは、エイルが消え去る時に残してくれた神託である。
『始まりの街に、手掛かりがある』
始まりの街、とはイコール【城塞都市アベリン】で間違いないだろう。手掛かり、が何を示すかは分からないが、十中八九、竜也、虎太朗、サラの情報であるはずだ。
「ほれ、タニアよ。コウヤ本人が乗り気ではないぞ? 汝の都合で、悪戯に時間を浪費するのは如何なものかのぅ? Sランクになるのは、それほど重要なことかのぅ?」
「にゃ、にゃにゃぁ……いやぁ、そこまで言われちゃうと……そんにゃに、重要じゃにゃいにゃ」
タニアが困った表情でしどろもどろに答える。それを見て、セレナが喰い付いた。
「いやいや、タニア、結構重要でしょ!? えと、ヤンフィ様、コウヤ。冒険者ランクが【S】になるってのは、世間的には物凄いことなのよ? しかも、冒険者として活動を始めて四色の月一巡もしない間に到達するなんて――これは歴史に名を刻むくらいの偉業なのよ!?」
「ふむ? じゃから、どうした?」
「だから、数日の足止めくらい我慢しても損しない――って話よ、コウヤ!!」
猛然とまくしたてるセレナの剣幕に、冷めた態度でヤンフィが返す。そんなヤンフィの威圧に、セレナは煌夜に矛先を変えて訴えた。
正しい判断だろう。結局、なんだかんだ言いつつ、煌夜が頷いてしまえば、ヤンフィ含めて誰も文句は言わないのだから――
「……そんな強く言われても……いや、ダメってことじゃないよ。申請するのに文句はないし」
「文句ないなら、いいわよね? Sランクに昇格してから、アベリンに向かうってことで――」
「――セレナ。貴女、コウヤ様の問いに答えてないかしら? 貴女たちの口振りだと、申請をすると数日間、この街に滞在することになるようですけれど――それはどうしてかしら?」
煌夜がセレナに押し切られた時、傍らのディドが鋭い指摘をする。ディドの指摘に、セレナはこれ見よがしの舌打ちをして視線を逸らす。
「……Sランク申請は、登録するパーティメンバー全員が、手続き完了まで毎日、申請した冒険者ギルドに通わなければならないらしいわ。各メンバーの経歴審査、ギルド番付『百傑』に載せる内容の精査、号外記事の内容確認……聞いた話だと、申請が完了する前に、別の街に移動した際には、手続きは無効となるみたい。そしたら、また一からやり直しですって」
セレナはそっけない言い方で答えた。
なるほど、納得だ。申請手続きを始めたら、完了するまでギルドに通い詰めなければならず、別の街に移動するのも禁止なのか。随分と仰々しい手続きである。
そんなセレナの説明を聞いたディドは、無表情ながらも目を細めて、糾弾するような口調で言う。
「セレナ――滞在するか、先に進むか。それを決定するのは、いったい誰なのかしら? 確かに貴女の言う通り【S】ランクになるのは素晴らしいことなのでしょうね。けれど、いま優先すべきは名声を得ることかしら? そもそもコウヤ様の弟妹を探すのに、冒険者ランクを上げる意味はあるかしら?」
「――ぐ、むぅ」
セレナは言葉に詰まって神妙な顔で押し黙る。ディドの指摘は正論だった。
「ディド姉様の仰る通りです――コウヤ様、話がこじれておりますので、御裁可を」
その時、話に全く関わっていなかったクレウサが、仕方ない、とばかりに口を挟んだ。煌夜に責任を丸投げしつつ、室内の全員を一瞥する。
ヤンフィ、タニア、セレナ、ディドは、クレウサの視線に納得した風に小さく頷いてから、次いで、煌夜に視線を集めた。つまりは結局、煌夜の決断に従うという流れらしい。
煌夜は、はぁ、と溜息を漏らしてから、セレナの懇願するような表情を見て、もう一度深く息を吐く。
「……Sランクの申請手続きを先にしよう。ここまで来るのに、なんだかんだずっと強行軍だったし。アベリンに急ぐ具体的な理由はないし……申請手続きは、四、五日程度だろ? なら、その間、ここで養生しよう」
煌夜はそう言ってヤンフィに顔を向ける。ヤンフィは、異論はない、と頷いた。
ヤンフィの頷きを見て、セレナは安堵の表情で吐息を漏らし、タニアは小さく、やったにゃ、と喜んでいた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
煌夜たち一行は、宿屋で一休みしてから冒険者ギルドに赴いていた。
「――おぉ!? 見た顔と思ったら【緑髪の悪魔】セレナに【大災害】タニアじゃねぇか!! んん? って、こたぁ……後ろの優男は、『コウヤ』……か? なんか、前と纏う雰囲気っつか、印象が違う気がするが……」
冒険者ギルドに入った矢先、ちょうど二階から下りてきた様子の三人組が声を掛けてくる。煌夜は声の主に視線を向けた。
声の主は、ふくれっ面に赤ら顔、恰幅の良い体型をした七福神のエビス様みたいな冒険者だった。
エビス様は、左右に金髪の青年を連れて、どことなく偉そうに階段を下りてくる。煌夜はしばしエビス様の顔を眺めて、見覚えがあるなぁ、と首を傾げる。
「にゃんにゃ? あちしたちは、お前に用にゃんかにゃいにゃ」
煌夜が首を傾げていると、タニアが威嚇するように言った。その反応に、エビス様は両手を挙げて、降参のポーズを取る。
「おいおい、噛み付くなよ、タニア。知ってる冒険者同士、顔を合わせたから、挨拶しただけじゃねぇか。なぁ、アールボール。エルボウ」
「……アジェンダ団長。下手に関わると面倒です。行きましょう」
おどけた様子のエビス様が、左右の金髪青年にそう声を掛けると、左手側の短い金髪青年が鬱陶しそうな視線を煌夜に向けながら、そんな呟きを漏らしていた。
「分かってるよ、アールボール――っと、そうそうタニア、セレナ。お節介かも知れないが、もしお前らがSランクの申請手続きに来たのなら、ギルドマスターに直接、申請手続きをして貰いな」
エビス様は、そんな捨て台詞を吐きながらひらひらと手を振り、視線さえ向けずに、煌夜たちの脇を通って冒険者ギルドから出て行った。
煌夜を含めたその場の全員は、何だったのか、と去っていったエビス様を見送り、気を取り直して受付へと足を運ぶ。
当然、あのエビス様の捨て台詞は無視である。
「ようこそ、冒険者ギルドへ。本日はどのようなご用件でしょうか?」
受付に行くと、五十代くらいの眼鏡おばさんが、笑顔と丁寧な口調で問い掛けてくる。すると、タニアが前に出て、にゃあ、と口を開く。
「あちしたち、Sランク申請をしたいにゃ――資格は、充分にあるにゃ」
タニアはドヤ顔で言いながら、煌夜から預かっていたパーティの徽章の首飾りを受付に出す。
受付の眼鏡おばさんは首飾りを受け取ると、少々お待ちを、と一言だけ告げて、裏手に下がった。その対応はとても事務的で、タニアのドヤ顔が完全に空振っていた。
「お待たせしました――確認ですが、貴女方が『コウヤと頼りになる愉快な仲間たち』御一行で、間違えありませんか?」
「そうにゃ!」
「ええ、そうよ」
受付に戻ってきた眼鏡おばさんは、まったく平然とした様子で、事務的に確認してくる。その確認に、タニアとセレナが即答して、後ろで控えている煌夜が頷いた。
「それでは、パーティリーダーのコウヤ様。こちらの書類に署名をお願いします。宣誓・同意書です。今回は、冒険者個人が【S】ランクに昇格するのではなく、パーティ全体が【S】ランクに昇格する手続きとなる為、リーダーであるコウヤ様には同意頂きたい項目がございます」
眼鏡おばさんに促されるまま、煌夜は書類を覗き込んだ。だが当然、何が書いてあるのかサッパリである。当然ながら、署名も出来ようはずはない。日本語であれば書けるが。
「――コウヤ、東方語か標準語、書けにゃいか?」
煌夜が困って固まっていると、状況を察したタニアが書類を覗き込んでくる。
「……ああ、申し訳ないけど書けない。その場合、どうすれば?」
煌夜は素直に告白して、ポリポリと頭を掻いた。
そんな煌夜に笑顔を見せてから、タニアは凄まじい速度で書類の文字を流し読むと、うにゃ、と一つだけ頷いて、眼鏡おばさんに元気よく挙手する。
「大丈夫にゃ――にゃあ、あちしが、リーダーの代筆、してもいいかにゃ?」
「問題ございません」
「じゃあ、これでお願いするにゃ」
タニアはサラサラと一筆書きみたいな文字を記入すると、それを眼鏡おばさんに差し出す。
眼鏡おばさんは、眼鏡のズレをクイっと直してから、承りました、と小さく呟くと、書類を持って後ろに下がっていった。
「……これで、手続き終わり?」
「まだにゃ――これから、資格確認と適性試験があるみたいにゃ」
煌夜が首を傾げると、タニアはそんなことを断言する。その台詞に、煌夜とヤンフィが同時に疑問符を浮かべた。
「資格確認、適性試験って、何すんの?」
「なんじゃ、その確認やら、試験とやらは?」
「――とりあえず時間掛かりそうにゃから、そっちで説明するにゃ」
煌夜とヤンフィに柔らかい微笑みで返しながら、タニアは受付に背を向けて、ギルド内に用意されている待合用の六人掛けテーブルに移動した。
六人掛けテーブルは円卓になっており、受付を正面に見据える位置にタニアが座る。その隣にセレナ、ヤンフィが座り、煌夜はヤンフィの横、タニアとちょうど対面になる位置に腰を下ろした。
ディドは煌夜の隣に座って、クレウサだけ当然のように立ったまま控えている。さりげなくディドが視線で、座るな、と目配せしているようで、クレウサは涼し気な表情のままギルド内全体を見渡していた。
「タニアよ、それで? 確認やら試験とは、何のことじゃ?」
「資格確認は【S】ランク認定を受ける際、必須の項目にゃ。経歴、経験を確認することにゃ。書類を準備しにゃいとにゃらにゃいのが面倒にゃけど……まぁ、あちしに任せるにゃ。バッチリ手続きして見せるにゃ。で、適性試験にゃけど、にゃんかこのギルド規則だと、実力を確認する為、特別にゃ依頼を受注するか、ギルドの試験官と戦って、実力を示す必要があるらしいにゃ」
「ほぅ? 実力を示す、ねぇ?」
タニアの言葉に、ヤンフィがニンマリと愉しそうに笑う。
ヤンフィの笑みがどことなく嫌な予感がするのだが、取り敢えず命の心配はないだろう。煌夜は少しだけ口寂しくなって、水でも飲めないか、とギルド内を見渡した。
すると、ギルドの二階から見覚えのある顔の女性が下りてくる。
彼女は確か、と記憶を手繰りながら名前を思い出そうとした時、バッチリと視線が合った。途端、女性は煌夜に向かって急ぎ足に近寄ってくる。
「――ワタクシたちに、何か御用かしら?」
女性の接近に、ディドがすかさず立ち上がり、鋭い眼光と威圧でもって牽制した。
女性はディドの威圧を真正面から受けても表情を崩さず、セレナとタニアを交互に見た。
タニアは椅子に座ったまま、首だけ反り返らせて、セレナは興味なさげな表情で女性を見る。
(……あ、そうだ。彼女は、ギルドマスター、セリエン、ティア? あれ? エーデル、ワイス、だっけか? いまいち思い出せない……)
煌夜は近寄ってきたギルドマスターの名前を思い出そうと必死に思考を巡らせるが、いまいちしっくりくる名前が出てこなかった。
しかし、そんなことは顔に出さずに黙っていると、ヤンフィが口を開いた。
「【赤の聖騎士】エーデルフェルト、じゃったのかぅ? 妾たちに何用じゃ?」
ヤンフィの質問に、エーデルフェルトと呼ばれたギルドマスターは、顔を顰めながらタニアとセレナに強い殺気を放った。
その殺気に気付いて、クレウサが流れる動作で剣を抜くと、ピタリとエーデルフェルトの首筋に刃を当てた。エーデルフェルトは冷静に首筋の刃を一瞥して、静かに両手を上げながら口を開く。
「……ここでは、私のことは『ギルドマスター』もしくは『セリエンティア』と呼んで頂くようお願いいたします。タニア、セレナ、コウヤ。パーティ内で私のことを喋る分には構いませんが、保護している子供にまで教えるのは止めて頂けないでしょうか?」
硬く厳しい声音で、エーデルフェルトはヤンフィに視線を送る。どうやらヤンフィの姿を見て、保護した子供と勘違いしたようだ。
それは当然の感性である。ヤンフィの容姿は、誰がどう見ても九歳のませた子供だ。パーティメンバーと思う人間はそうそう居ないだろう。
エーデルフェルトの言葉に、ヤンフィが苦笑いを浮かべながら、タニアとセレナに発言しないよう目線で釘を刺す。
「――のぅ、エーデルフェルト。汝の都合を囀る前に、妾の質問に答えよ。何用じゃ?」
ヤンフィは凄まじい威圧と魔力をぶつけて、エーデルフェルトの全身を撫でまわすように眺める。エーデルフェルトはその迫力に圧されて、分かり易く顔色を変えていた。
「……くっ……失礼、しました……用事、というほどではありませんが、ギルド内に期待のスーパールーキーが勢揃いだったので、挨拶に――」
「――おべんちゃらは不要じゃ。本題を述べよ」
「…………」
エーデルフェルトが全員を見渡しながら頭を下げると、ヤンフィは即座にそれを嘘だと否定した。けれどヤンフィの指摘は図星のようで、エーデルフェルトは二の句が継げずに押し黙る。
途端に周囲の空気が重くなり、呼吸すらしにくいほどの沈黙が支配した。
「あ、えと……エーデ、いや……セリエンティア、さん? 俺ら、Sランクの手続き待ちなんですけど、どうかしましたか?」
息苦しい空気に耐え切れず、煌夜が空気を読まないテンションで問い掛けた。すると、露骨に怪訝な表情を浮かべながら、エーデルフェルトが煌夜に目線を合わす。
「その言葉……統一言語……貴方、コウヤ?」
エーデルフェルトの疑問の声に、場の空気がいっそう重たくなる。けれど、それを払拭せんとばかりに煌夜は続けた。
「あの――紹介します。その着物姿の子供は、ヤンフィ。俺の隣に居るお姫様がディドで、そこの剣士がクレウサです。なぁ、クレウサ、剣を下げてくれ」
努めてにこやかに、煌夜はクレウサに微笑んだ。クレウサはチラとディドに目線を向けて、小さく了承されたのを確認してから剣を下ろす。
煌夜はホッと胸を撫で下ろしてから、威圧を続けているヤンフィに両手を合わせた。
「……まぁ、無駄に騒ぎを起こすのは本意ではない……ふむ。コウヤはもう黙っておれ」
ヤンフィは仕方なしとばかりに溜息を吐いてから、放っていた威圧をパッと解放する。まるで電気が点いたかのように、周囲の空気が明るくなった。
「さて――エーデルフェルトよ。コウヤに近付いた理由を嘘偽りなく答えよ。理由によっては許さぬぞ?」
「申し訳ありませんが、場所を変えませんか? ここで話せる議題ではありませんので――」
「――それは無理じゃ。妾たちはいま、Sランク手続きで忙しくてのぅ」
ただ待って雑談しているだけだが、ヤンフィは足元を見るような物言いでエーデルフェルトの要望を突っぱねた。
すると、エーデルフェルトはこれ見よがしの溜息を吐いてから、踵を返して受付へと向かう。
「なんじゃ? 随分素直に引き下がるのぅ?」
受付の奥に消えていったエーデルフェルトを眼で追ったヤンフィは、拍子抜けとばかりに、少しだけ驚いた声で呟いた。
ヤンフィの感想には煌夜も同意見だった。もっと粘ってごねると思っていたのだが――と、そんなことを考えていると、すぐに受付奥から戻ってくる。
エーデルフェルトは手元に何やら分厚い書類を持って、煌夜たちの前に立ち止まり、丁寧に頭を下げてから口を開く。
「Sランク申請の手続きに関しては、ギルドマスターである私が責任を持って引き継ぎました。そのうえで、今後の手続きに関して相談があります。内容が少々複雑ですので、場所を変えさせて頂けないでしょうか?」
エーデルフェルトは真っ直ぐと煌夜に視線を向けてくる。その真剣な表情に圧されて、思わず頷いてしまった。
煌夜の頷きを見てから、エーデルフェルトはヤンフィたちにも同意を得ようと視線を向けた。
「……好かろう。希望通り、場所を変えてやるわ」
ヤンフィはエーデルフェルトの態度に、ふむ、と一つ頷いてから、肯定以外認めない口調で、タニアとセレナ、ディド、クレウサに告げる。誰も反論はなかった。
「ありがとうございます――それでは、こちらに」
エーデルフェルトは安堵の吐息を漏らしてから、ギルドの出口へと歩いていく。各々椅子から立ち上がり、セレナを先頭にして、エーデルフェルトの後に付き従った。
ギルドを出てから、しばし黙々と歩き続けて、エーデルフェルトが入った建物は、煌夜たちが宿泊しているギルド指定宿屋だった。
まさか場所を変える、というのは、煌夜たちの宿屋で話すということか――と、煌夜が疑問符を浮かべた時、エーデルフェルトが立ち止まって振り返る。
「ここから先の事情は、コウヤたちを信頼したうえで明かすことです。この秘密は、私の正体よりも、もっと重大な国家機密レベルの事情となります」
エーデルフェルトは真剣な表情でそう前置いて、深く深く懇願するように頭を下げた。
何が何やら分からず、煌夜はヤンフィに視線を合わす。するとヤンフィは、何かを察したように返答した。
「信頼云々は汝の勝手じゃが、一つだけ断言してやろう。妾たちは、汝の事情とやらに何ら興味なぞない。故に、それを知ったところで、覚えておかぬわ」
ヤンフィの言葉は、遠回しに秘密は聞かなかったことにする、という意味であろう。
意外だ、と煌夜は感心しつつ、エーデルフェルトに向き直る。
「――ありがとう。それでは、私が宿泊している部屋にご案内します」
エーデルフェルトはそう言うと、周囲を警戒しつつ、宿屋の階段を上っていく。なるほど、同じ宿屋に泊まっていただけのようだ。煌夜は納得して、エーデルフェルトの後を付いていく。
向かった先は、煌夜たちが泊まっている最上級部屋がある階だった。
「……こちらです」
しかも、エーデルフェルトが案内したのは、煌夜たちの部屋の向かい側である。ここまでの偶然に、煌夜を含めて全員が多少驚きを隠せずにいた。
「赤の聖騎士、竜姫の元にただいま帰還しました」
エーデルフェルトは小声でそう呟くと、コンコンコン、と素早く三回ノックをする。
「客人が居ます、開けてください」
「――解除します」
パキン、と。扉の内側からの声と同時に、硝子の割れるような音が聞こえる。そして、ぐにゃり、と扉が歪んだかと思うと、ガチャリと内側から開いた。
扉の隙間からは、おどおどとした様子で可愛らしい顔を覗かせる金髪の美女が居た。
金髪の美女は、エーデルフェルトの背後にいる煌夜たちを認めた瞬間、好奇心と恐怖が半々のような瞳を見せてから、すぐさま顔を引っ込める。
その仕草に微笑を浮かべたエーデルフェルトは、煌夜たちを一瞬振り返り、そのまま部屋の中へと入っていった。
「転移系の上級時空魔術ですね。解除せず、強引に開けた場合、どこかに飛ばされるようです」
ボソリと、クレウサがディドに耳打ちしている。
それを聞いて、随分と物々しい用心具合だな、と思いながらも、煌夜たちはエーデルフェルトに続いて部屋の中に入った。
「どうぞ、寛いでください」
煌夜たちを招き入れたエーデルフェルトは、扉に置かれた宝玉に手を触れて魔力を篭めた。瞬間、宝玉が光を放ち、扉を包み込んだ。何かの魔術が展開された様子である。
その光景を見て、ほぅ、とヤンフィが感心した声を漏らしていた。
「のぅ、エーデルフェルトよ。それは何じゃ?」
「――起動型の【封魔晶珠】です。使い捨ての発動型と違い、起動時の魔力さえあれば半永久的に使える魔晶珠です。その代わり、破壊力がある魔術は封印できません」
ヤンフィの質問に即答しつつ、エーデルフェルトはリビングに戻ってきて、寝室へと入っていった。そんなエーデルフェルトを見送り、タニアはゴロンと自室の如く床に転がる。
セレナとクレウサは、そんなタニアに呆れた視線を向けて、寛いで、の言葉に従わず、警戒しながら部屋の壁に背を預けていた。
煌夜は取り敢えず言われた通りにソファに座り、ディドも隣に腰を下ろす。
一方でヤンフィは、扉のところに置かれた魔晶珠に夢中で、興味津々と眺めていた。
そうしてしばらく経って、寝室からエーデルフェルトが現れる。
現れたエーデルフェルトは、灼熱の赤色をした全身甲冑姿で、その手に、2メートルはあろう石の棒を持っていた。
そんなエーデルフェルトに遅れて、野暮ったいローブに身を包んだ金髪の美女が出てくる。
「お待たせいたしました。改めて名乗らせて頂きます――私は、竜騎士帝国ドラグネス、王族直下ドラグネス正規軍、元将軍――【赤の聖騎士】エーデルフェルト・ラ・クロラです。そして、こちらが正真正銘本物の、ベクラル公主セリエンティア様です」
エーデルフェルトは突如名乗りを上げると、金髪の美女を振り返り、さぁ、と煌夜たちに紹介する。
金髪の美女はおどおどした様子だが、背筋を伸ばして自己紹介を始めた。
「あ――わ、私は、この【鉱山都市ベクラル】を治める領主の娘で――ドラグネス王家直系の血筋を継ぐ公主、セリエンティアと申します」
おどおどとした態度の割には、ハッキリとした物言いで言うと、セリエンティアは優雅にローブの裾を持ち上げて挨拶した。その仕草は慣れており、堂に入っている。
そんなセリエンティアに対して、しかし誰も敬う態度はしなかった。煌夜でさえも、はぁ、と素っ頓狂な顔をした。
「……案外、皆様、驚かないのですね?」
セリエンティアが全員の無反応を見て逆に驚き、傍らのエーデルフェルトに小声で訊ねていた。それに対して、エーデルフェルトは複雑な表情である。
「にゃあ、セリエンティア。あちし、こう見えても【獣王国ラタトニア】の皇女にゃ――地位は剥奪されたにゃけど……」
ゴロゴロと床を転がりながら、つまらなそうにタニアが呟いた。途端、なんとも言えぬ空気と沈黙が流れる。
すると、魔晶珠に興味津々だったヤンフィがリビングに戻ってきた。
「――わざわざ紹介ご苦労じゃ。それで? 場所を変えて、衣装を変えて、結局、妾たちに何用かのぅ?」
ヤンフィは言いながら、セリエンティアの顔を一瞥して、エーデルフェルトを射竦める。
「失礼いたしました。本題に入りましょう――『コウヤと頼りになる愉快な仲間たち』の実力を見込んで、一つ依頼をしたいと思っております」
「残念じゃが、妾たちは先を急いでおる。この街で【S】ランクの申請手続き以外の些事に係り合うつもりはない。諦めるのじゃな」
ヤンフィは取り付く島もなく即断する。けれど、それは想定内のようで、エーデルフェルトは煌夜の瞳を真っ直ぐと見詰めて、真剣な表情で言葉を続けた。
「【S】ランク手続きは、ギルドマスター特権でもって、このまま処理を進めさせて頂きます。コウヤたちは旅を急いで頂いて構いません――ああ、それと勘違いなさらないで欲しいですが、この依頼は【S】ランクであれば断れない依頼です」
分かりますよね、とエーデルフェルトはタニアに目配せした。タニアは、にゃ、と何かに気付いて、まさか、と呟く。
「……冒険者ギルドからの直接依頼かにゃ?」
タニアの答えにエーデルフェルトは力強く頷いた。しかし、その場のタニアとエーデルフェルト以外は誰も理解できず、どういうことだ、と二人を注目した。
「Sランクのパーティは、通常依頼を受諾しにゃくても資格を剥奪されにゃくにゃる代わりに、冒険者ギルド、及び国から直接依頼されるにゃ。そして、その依頼は断れにゃい規則にゃ」
その説明に、ああ、と煌夜は納得する。
エーデルフェルトはどうやら、ギルドマスターの地位を使って、Sランク冒険者になった煌夜たちに、ギルドからの直接依頼をするというのだろう。
わざわざ場所を変えて、断れない依頼をする――明らかに面倒な内容に決まっていた。
煌夜は人知れず頭を抱える。これでまた、アベリンに戻るのが遠ざかるのだろう。