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神隠しに遭ったら、異世界に居ました。  作者: 神無月夕
第十章 魔神召喚陣
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第七十二話 保留案件

 

 タニアたちと別行動をとった後、クダラークの尖塔で起きた出来事から始まり、道中の紆余曲折を経て、ふたたびクダラークの尖塔に戻ってくるまでの経緯。


 その長く濃密な出来事が、ヤンフィの口から脚色も誇張もなく語られた。


 クダラークを脱出する際のソーン・ヒュードと護衛団のいざこざ。

 飛竜に乗って、向かった先は霧の街インデイン・アグディという辺境の街で、異世界人が囚われていた場所は、その街の上空に浮遊する神殿ヘブンドームであったこと。

 そこから、浮遊神殿ヘブンドーム内部での大立ち回り。

 世界蛇の幹部『エルネス・ミュール』や、【魔道元帥ザ・サン】こと『タイヨウ』との連戦。

 その過程で、煌夜のお人好しにより、助け出すことになった天族――『クレウサ』と『ディド』、『リューレカウラ』たちとの出逢い。

 浮遊神殿ヘブンドームを墜落させて、結果的にインデイン・アグディを滅ぼしてしまったことや、タイヨウとの戦闘の影響で、煌夜の身体が限界に達してしまったこと。

 煌夜を癒す為やむなしと、極彩色の街ヒールロンドという街に寄り道をしたところ、偶然か必然か、そこで【聖女スゥ・レーラ・ファー】と出逢ったこと。

 この聖女との出逢いで、煌夜の身体は一安心かと思いきや、けれど出逢った聖女は残念なポンコツだった。しかもどうやら命を狙われていたようで、不本意ながら、ヤンフィたちはそれに巻き込まれてしまう。結果、なぜか魔貴族の竜族との戦闘する羽目になった。

 とはいえ、そんな紆余曲折の末に、聖女の死と引き換えにではあるが、煌夜を完全回復させることに成功した。

 その後はディドとクレウサ以外の天族たちと別れて、クダラークまで戻ってきたところ、なぜか【妖精族キリア】と再会して、なんだかんだと裏切り者ソーンを始末することに成功したのである。


 はてさてそうして、一旦アベリンに戻る方針を決めて、別行動中のタニアたちと合流を果たすべく、封鎖されたクダラークからディドの特殊能力を使用して脱出――今に至る。


 そこまで説明されたヤンフィの経緯は、正直、ヤンフィという存在と同じくらいにぶっ飛んだ内容だった。それこそ三英雄譚として謳われている伝説よりも、なお苛烈な旅路と言えるだろう。

 どうしてこの数日のうちに、そこまで弩級な厄介ごとを引き寄せられたのか――昔から厄介ごとを引き寄せる体質と言われてきたタニアをして、脱帽せざるを得ないほどの悪運だろう。

 そんなトンデモな冒険活劇を繰り広げてきて、よくもタニアのことを『厄介ごとを引き寄せる』と言えたものだ。あまりにも自分のことを棚上げし過ぎである。


 ヤンフィの語りを最後まで聞いて、タニアは心の中でそう毒づいた。同時に、そんなツッコミどころ満載の冒険を経たヤンフィに、どう反応するべきか迷った。


「…………大変、だったんだにゃぁ」


 タニアはしばらく反応に窮した末、窓から見える白んだ空を眺めながら、ただただ深く相槌を打った。傍らで話を聴いていたセレナも、絶句したまま何度も頷いている。

 とりあえず、ここで深く話を掘るのはやめよう。タニアはそう決断して、浮かんだあれやこれやの疑問や質問を呑み込んだ。

 ひとまず煌夜とヤンフィの事情、現状の状況は理解できたのだ。後日、煌夜と合流した際、時間に余裕があるタイミングで、改めて詳しく聞けばよいだろう。


 いまは取り急ぎ、残り六つほどあると思われる【魔神召喚】の立体魔法陣を破壊するのが優先である。

 急がないと、森の入口にあの変態天族ディドが迎えに来てしまう。


「さて、ではそろそろ立体魔法陣の浄化に取り掛かろうかのぅ――タニアよ、案内せよ」

「にゃにゃ――畏まりました、にゃ!」


 そんなタニアの思考を見透かすように、ふとヤンフィは立ち上がり、そう切り出した。

 タニアはその宣言を聞いて、グッと身体を伸ばしながら頷いた。一方で、セレナはいかにも寝耳に水のような表情で、え、と声を上げつつ、恐る恐ると挙手する。


「もう、出発するの? あ……その……休憩とか、取らないの?」


 そのセレナの主張は理解できる。実際、タニアたちは不眠不休である。だが、たかだか一日徹夜した程度で、ヤンフィが休憩を取るわけがないことも理解している。

 そしてそのタニアの認識はまさしく正解で、ヤンフィは不思議そうに首を傾げた。


「充分、休息は取れたじゃろぅ? 汝らは、ただ妾の話を聴いておっただけではないか?」

「え……あ……や、そうだけど……」

「そも、汝らは屍竜と闘っておらぬじゃろ――体力も魔力も温存できておるのに、何が休息じゃ。時間の無駄じゃ」

「……まあ、確かに……そうね」


 セレナの進言は、当然ながらヤンフィに即答で却下された。セレナは、ぐ、と言葉を呑み込んでから、強く反論せずに潔く引き下がる。

 気持ちは分かる、とタニアはそのやり取りに、言葉なく頷きだけ返して、ヤンフィに催促される前に小屋から出た。


 森の中は、微かな朝靄が立ち込めており、静謐な空気がほんの少し肌寒い。


 タニアは白んだ空を見上げて、太陽が昇る位置を確かめた。同時に、頭の中で現在地点と、魔神召喚の設置図を思い返して、次の目的地がどの方角かを確認する。


「次は……こっちにゃ」


 ヤンフィとセレナが小屋から出てきたのを見計らって、タニアは森の奥深くを指差した。


「次の目的地までの距離は、どれくらいじゃ?」

「だいたい……2キロくらいにゃ。けど、この小屋みたいにゃ目印があるにゃか不明にゃ。地図上だと、この小屋ともう一箇所だけが、にゃんか四角い記号があったにゃ。にゃので、拠点の一つと思われるにゃ、けど……それ以外の赤丸は、にゃにも記号にゃいにゃ」


 タニアは設置図を出して確認しながら説明するが、そんな説明にヤンフィは興味がない素振りで、そうか、と頷いただけだった。

 そんなヤンフィの後ろから、セレナが興味津々に設置図を覗き込んでくる。


「……へぇ、よく見ないと分からないけど、確かに目印っぽい◇が書かれてるわね」


 目敏い、とセレナがボソリと呟くのを無視して、タニアは先導役として森の中を進みだす。


「――嗚呼、ところでタニアよ。そういえば、【神の羅針盤】を起動した際に知り得たコウヤの弟妹の情報じゃが、まだ詳しく聴いておらんかったのぅ? 歩きながらで好い、説明せよ」


 しばらく深い森の中を歩いていたとき、ヤンフィがそんなことを口にする。

 タニアは、にゃ、と返事をして、足を止めずに背後を振り返った。すると、ヤンフィが興味津々の表情を浮かべている。

 はいにゃ、と頷いてから、タニアは殿のセレナにも聞こえるほどの声量で説明を始める。


「――ヤンフィ様は知ってると思うにゃが、【神の羅針盤】は、注ぎ込んだ魔力量に応じて、検索範囲が広がって、検索範囲に対象が居れば、その座標が頭に浮かぶ仕組みにゃ。で、対象を頭に思い浮かべて起動しにゃいと、そもそも指針が動かにゃい。にゃのであちしは最初、この色黒の子を思い浮かべたにゃ。そしたら、結構にゃ量の魔力が消費されて、かにゃり遠くの座標が頭に浮かんだにゃ。座標と指針の方角から推測すると、色黒の子は【竜騎士帝国ドラグネス】領に居ると思われるにゃ――」

「――のぅ、タニアよ? その点じゃが、妾も一度使用して経験しておるが、脳裏に浮かんだ座標……いまいち理解できなかったぞ? あの座標数値は、どこを起点としておったのじゃ?」

「にゃ? 起点は知らにゃいにゃ。にゃけど、起点の位置にゃんて、知る必要にゃいにゃ。この色黒の子を検索してすぐ、あちしとヤンフィ様、セレナの位置も検索して、それらの座標から、位置を再計算したにゃ。三点の座標比較があれば、色黒の子の座標を導き出すのに苦労にゃいにゃ。そしたら、距離感的には、四千キロくらい離れてたにゃ」

「……四千キロ、とは、だいぶ距離があるのぅ? ちなみに誤差はどれほどじゃ?」

「座標の誤差、にゃぁ……多めに見積もっても、恐らく数百メートルかにゃ?」


 ヤンフィの質問に、タニアはこともなげに応える。

 暗算は得意ではないが、それでも三桁同士の四則演算程度で間違えることなどないので、羅針盤の座標と、実座標との相違を考慮しても、それほど距離がかけ離れることはないだろう。

 自信満々のタニアの発言に、ヤンフィは眼を見開いて驚いていた。何を驚くことがあるのか、逆にタニアとしては疑問である。

 そんなタニアとヤンフィの反応を横目に、セレナが一人、はぁ、と小さく溜息を吐いていた。


「……無駄なところで、案外、能力高いのよね……」


 セレナが嫌味っぽくそんな呟きを漏らす。その台詞には、一瞬だけカチンときたが、反論する前にヤンフィが口を開いた。


「――で? 生きている、と云っておったが、それは間違いないのか?」

「あ……はい、にゃ。えと――生きている確信にゃけど、色黒の子もそうにゃが、調べた時点で移動してたにゃ。移動してるってことは、生きてるにゃ?」

「ほぅ? 移動している、と?」

「そうにゃ。それも徒歩レベルの動きにゃ……にゃので、次に眼鏡の子を頭に浮かべたにゃ。そしたらにゃんと、座標が全然違かったにゃ」


 タニアは過剰に驚きを表現しながら、二枚の記憶紙を取り出す。

 一枚目には、色黒で刈り込んだ頭髪をしたヤンチャ坊主という印象の少年――『谷地虎太朗』が写っている。

 二枚目には、色白で線が細く短髪で中性的な印象をした眼鏡の少年――『天見竜也』が写っていた。

 タニアは、その二枚目をヤンフィとセレナに見せる。


「この眼鏡の子にゃけど、座標から計算すると、【聖王国テラ・セケル】領の中心部――【王都セイクリッド】近辺に居るにゃ。ちにゃみに、この眼鏡の子も移動してて、しかも移動速度は高速だったにゃ」

「……高速、って、どれくらいよ?」


 セレナがポツリと呟く。タニアは、にゃ、とひとつ頷いてから答えた。


「早馬くらいの速度にゃ。で、向かう方角から推測すると、行き先は十中八九、この女の子にゃ。女の子の位置は、セイクリッド周辺の自由都市群――座標から推測すると、恐らく【行商の街ラクシャーサ】辺り、かにゃ? 三人の中じゃ、このデイローウ大樹林から、一番近いにゃぁ」


 タニアは言いながら、三枚目の記憶紙を取り出した。

 三枚目の記憶紙に写っているのは、ウェーブした金髪と澄み渡る碧色の双眸をした美少女――『月ヶ瀬サラ』である。

 ヤンフィは三枚目の記憶紙をチラと眺めると、なるほど、と頷きを返して目線を切る。セレナはその記憶紙を受け取ると、マジマジと観察しながら、ふとした疑問を口にした。


「……この子、『ツキガセサラ』だっけ? コウヤの妹さんにしては、全然似てないわよね? 髪の毛は金色だし、眼は碧眼だし……というか、なんで三人ともそんなに離れてるの?」

「知らにゃいにゃ――けど、羅針盤ではそう表示してたにゃ」


 セレナの疑問にそっけなく答えながら、タニアはヤンフィに視線を向ける。


「女の子は移動してにゃかったけど、動いてるのは分かったにゃ。にゃので、この一帯に設置された【魔神召喚】の生贄には、にゃってにゃいにゃ」

「――それが判れば、重畳じゃ。心置きなく、破壊出来るのぅ?」


 ヤンフィが満足気に頷くのを見て、タニアはグッと親指を立てる。タニアも、何かを護るより壊すほうが得意なので、気兼ねなく破壊出来るのであれば、随分とやりやすい。

 そんなタニアたちの考えを読んだか、セレナが呆れた顔で溜息を漏らしていた。言葉には出していないが、付き合わされる身にもなれ、とでも言いたげな表情である。


「のぅ、タニアよ。ちなみにじゃが、その童たちの身体状況は判るか?」

「……身体状況、にゃ?」


 タニアは唐突に振られたヤンフィの質問に、思わず素っ頓狂な声を上げて、首を傾げる。ヤンフィの質問がうまく理解できなかった為である。

 そんなタニアの無理解を察したか、ヤンフィはすぐさま質問を繰り返す。


「童たちの、現在の身体状況――すなわち、精神状態や肉体状態、魔力値がどうなっておるか、じゃ。正常な身体状況なのか、など童たちの個体情報は、何か判らなかったかのぅ?」


 その質問に、タニアは申し訳ない表情を浮かべながら、首を横に振る。


「分からにゃいにゃ……あちしの力じゃ、【神の羅針盤】で把握出来たのは唯一、対象の座標だけだったにゃ」

「そうか……ふむ。ならば、好い――っと、アレは何じゃ?」


 ヤンフィが少し残念そうな声を上げたその時、ふと森が開けて、正面に石造りの遺跡が現れた。

 壁もなく屋根もなく、だだっ広い石舞台に思えるその遺跡は、四隅に蔦塗れになった巨大な石柱が立っており、石舞台の中心部には円状の台座が野晒しになっていた。その円状の台座には、古ぼけて崩れかけた木造の祭壇が設置されている。


 タニアはすかさず設置図を取り出して、遺跡の位置と、昇りかけている太陽の位置、角度を測る。


「……立地的に見ると、ここが赤丸のある場所にゃ……にゃけど、何もにゃいにゃぁ」


 眉根を寄せて難しい表情を浮かべながら、タニアは何度も、設置図と太陽の位置、遺跡の位置を見比べた。やはりどう計算しても、地図上に記載された赤丸は、この遺跡を示している。

 しかし、正面の遺跡には見るからに怪しいものは何もない。

 てっきりここにも、【魔神召喚】の立体魔法陣があると思っていただけに、見事に空振った感があった。

 すると、拍子抜けしているタニアとヤンフィの横を通り過ぎて、セレナが遺跡の石柱に手を触れながら口を開いた。


「何もなくはないわよ。タニア――ここたぶん、妖精族が使っていた武舞台ね。ほら見て? 石柱に刻まれた紋様……妖精族の証と同じでしょ」


 セレナが石柱をなぞると、パラパラと砂が落ちて、石柱表面に彫られた紋様の一部が見える。それは確かに、セレナの頬に浮かぶ魔術紋様と似通っていたが、タニアもヤンフィも、それが妖精族の証かどうかなぞ知る由もない。

 とはいえ――仮にここが、セレナの言う通りに、妖精族の武舞台だとして、だから何だというのか。

 タニアは苛立った表情でセレナを睨んだ。


「にゃあ、セレナ。そこが妖精族の武舞台だと、何にゃ? 何もにゃいのは変わらにゃいにゃ」

「ああ、そっか。そりゃ、知らないわよね……武舞台には、地下があるのよ。ちょうど、この辺が――ほらね?」


 タニアの問いに、セレナは勝ち誇ったような訳知り顔を見せながら、木造の祭壇に近付き、それを破壊した。

 そして、祭壇があった位置の台座に手を触れて、魔力を流し込む。途端に、ガガガ、と音を立てながら、台座が沈んでいき、地下への階段が現れた。


「……なるほどのぅ。隠し階段か」


 ドヤ顔のセレナを見て、ヤンフィが感心した風に頷いていた。


「ええ、盗賊対策にこういう仕掛けを用意してるの。ちなみに、この隠し階段は、妖精族の魔力じゃないと反応しないのよ?」


 どう凄いでしょ、と勝ち誇るセレナに、タニアは無表情で知らん顔を浮かべる。こんな下らないことでマウントの取り合いなど無意味だ。

 本音では少しだけ悔しく、セレナの態度には腹が立っていたが、それらは飲み込み、我先にと階段に足を踏み入れた。


「――それじゃ、サッサと先に進むにゃ。ヤンフィ様、あちしが先行しますにゃ」

「うむ。往くぞ」


 タニアは、ドヤ顔のセレナを一瞥してから、迷わずに地下への階段を下りていく。それに続いて、ヤンフィ、セレナも階段を下りる。


 地下への階段は横幅が広く、螺旋状になっており、しかも底が見えないほど深かった。

 まったく先の見えない真っ暗な地下階段からは、時折、生暖かい風が流れてきた。だが、その生暖かい風に、腐臭や異臭は混じっていない。どころか、階段の底から、何者かのプレッシャーや、何らかの気配も感じず、異界化している様子もなかった。

 地下階段は不気味なほどに静まり返っており、三人の足音だけが響いていた。


 そうして、少なくとも階数にして十階以上は潜った頃、ようやく地下の底に辿り着いた。慎重に歩いていたこともあるが、底に着くまでに、軽く五分近く時間が掛かった。


「ふむ。ここには何もないのぅ……さて、セレナよ? この奥は、何があるのじゃ?」


 階段の底には、それほど広くはないが、天井が非常に高いドーム状の空間があった。ヤンフィはその空間をグルリと見渡して、正面奥にある小さな扉を見ながらセレナに問う。

 確かにヤンフィの言う通り、部屋の中には何もなく、奥に小さな扉が一つあるだけだった。しかしその扉には複雑な紋様が刻まれており、何らかの魔術式が施されているのが判る。


「武舞台の奥には――」


 セレナはヤンフィに問われると、迷わずその扉に手を触れて魔力を込めた。


「――妖精族の英霊が眠る御神体が安置されてるって聞くわ……まぁ、とは言っても、ここが【魔神召喚】に使われてるってことは、御神体なんかとっくにないでしょうけど」


 諦めたように吐き捨てながら、セレナはヤンフィとタニアに振り返る。すると、パァーと扉が光を放って消失した。

 瞬間、ムワッとした腐臭が、扉の内側からドーム状の空間内に漂ってくる。

 タニアはその腐臭に誰よりも早く反応して、うぉ、と唸りながら顔を顰めた。次いで、セレナが不愉快そうなしかめっ面で、鼻を手で覆う。

 一方、ヤンフィだけは涼しげな表情で、腐臭漂う小部屋に足を踏み入れた。


「……なるほどのぅ。ここはまだ熟成中か。怨嗟を蓄えて、不浄に満たそうとしておるのぅ」


 ヤンフィは愉しそうにそう言いながら、小部屋の中を散策していた。

 タニアは顔を顰めながらも、腐臭の元がどこかを探るように、小部屋を注意深く観察する。

 その小部屋は、十二畳程度の広さをしており、セレナの言う通り御神体と思しきモノはどこにもなかった。代わりに、百人単位の人骨と、蛆の湧いた獣の腐肉、微弱ながらも瘴気を放つ呪物があちこちに散乱しているのが見える。

 どうやら腐臭の元は、腐肉と混じった呪物から放たれる瘴気のようだ。


「これは……ずいぶんと程度が低いのぅ。触蟲類の魔貴族の腕か? 臭いだけじゃのぅ」


 ヤンフィが顔を顰めながら、足元に転がる呪物を拾い上げて、さも当然のようにその小さな手で握りつぶした。呪物は凄まじい勢いで爆散するが、一瞬にして空中で灰と化す。


「タニアよ、この部屋は不愉快じゃ。塵芥も残さず、全てを土中に埋めよ」


 タニアに振り返ったヤンフィは、さも当然のようにそう命令して、もはや用はないとばかりに小部屋から出ていく。

 タニアは、随分と簡単に言うにゃぁ、とポリポリ耳を掻いた。

 まあ、破壊するだけならばさして難しくはないので、簡単と言えば簡単である――しかし。


 タニアはチラと傍のセレナを見た。タニアの視線は、セレナに許可を求める視線である。

 ここが妖精族にとって特別な場所である可能性を考えて、一応、セレナに気遣ったのだ。けれどセレナは、そんなタニアの意図に気付かず、何よ、と首を傾げて睨んできた。


「察しが悪いにゃ……セレナ、ここ破壊するにゃが、いいかにゃ?」

「はぁ? ――ん? ああ、もしかして、あたしに気遣ってるの? ああ、はいはい。大丈夫よ。別に妖精族の遺跡だけど、何の思い入れもないから」


 タニアの直接的な質問に、セレナが呆れ顔で答えた。すると、既に階段を上り始めていたヤンフィから叱責じみた命令が飛んでくる。


「――タニア、セレナよ。無駄口を叩くでない。サッサとここを出るぞ? タニア、汝は妾たちが地上に出たらすぐに、ここを吹き飛ばせ」

「あ……はい、すいません」

「畏まりましたにゃ」


 ヤンフィの命令に、タニアはビシっと敬礼して、目線でセレナに、早く行け、と合図した。同時に、全力の【魔装衣】を身に纏う。

 タニアの本気を見て、セレナはそそくさとヤンフィの後について階段を上り始めた。


「――んじゃ、ぶっ飛ばすかにゃ……【魔槍窮(まそうきゅう)】ッ!!」


 タニアはたっぷり五分待って、ヤンフィたちが完全に地上に出た頃合いを見計らい、渾身の魔槍窮を小部屋に放つ。

 魔槍窮は、散乱していた人骨や腐肉を一瞬のうちに焼却させると、小部屋の壁を貫いて爆発した。受け止めきれない衝撃はタニアを押して、地下全体と螺旋階段には爆風が踊り狂う。

 タニアはその爆風と衝撃を受け流すと、いっそう強く魔力を拳に篭める。

 爆風はすぐに収まった。もうもうとした煙が失せると、正面の壁には巨大な穴が穿たれており、胸糞悪い腐臭が漂っていた小部屋は、もはや瓦礫と土砂で埋まっていた。

 しかし、この程度では終わらせない。


「続けるにゃ――【魔槌牙・収斂】ッ!!」


 タニアは拳を突き出した姿勢のまま、掌を開いて素早く張り手を繰り出した。刹那、眼前に巨大な魔力の牙が現れる。

 魔力の牙はどうしてかその場で留まって、少しずつ少しずつ形を縮めながら、凄まじい威圧を小部屋に向けていた。

 タニアは魔力の牙をそのままに、すかさず踵を返して階段を駆け上る。自らの魔術に巻き込まれてしまうと、最悪、地下に埋まってしまう可能性がある。


「――そろそろ、衝撃が来るにゃ!」


 全速力で螺旋階段を駆け上り始めて十数秒後、タニアのその宣言と同時に、地下から凄まじい爆音が轟いた。

 限界まで収斂した魔力の牙が、もはや魔術としての形を保てずに暴発して、自らを中心に重力場を形成したのである。

 ちなみに、これで発生する重力場は、一時的ではあるが、ブラックホールにも等しい引力を持つ。あらゆるものを巻き込み、飲み込み、凄まじい圧力でもって圧し潰すのだ。

 必然、地下の底で発生したそれは、地上へと伸びている螺旋階段ごと崩れさせる。


「急がにゃいと――埋まるにゃ!」


 雷鳴の如き轟音が足元から迫ってくる中、タニアは一心不乱に螺旋階段を駆け抜ける。ガラガラと、下層の螺旋階段が崩れていくのが見えた。


 果たしてタニアは、ものの一分も掛からず、地上へと飛び出した。地上では、武舞台から離れているヤンフィとセレナが待っていた。


「そのまま離れてるにゃ、二人ともっ!!」


 タニアは地上に飛び出すと同時にそう叫んで、両手を頭上に高々と掲げる。そして、過剰にも思えるほどの魔力を漲らせて、思い切り両手を振り下ろした。


「――これが、全力全霊の【魔槌牙】にゃ!!」


 タニアの叫びに呼応するように、武舞台上空に巨大な魔槌牙が現れて、円状の台座を目掛けて一直線に落下する。

 巨大な魔槌牙は空気を切り裂き、爆音を轟かせながら、螺旋階段入口に激突する。瞬間、何もかもを圧し潰す強烈な重力場が発生して、武舞台の地盤を沈下させたうえで、数十メートルほどの深い穴を穿った。また、衝撃波により四方の石柱は崩れ去り、あっという間にそこは、隕石でも落ちたかの如き、巨大なクレーターが穿たれた廃墟と化す。


「…………相変わらず、この破壊力には閉口するわ」


 そんな光景を前にして、セレナが呆れた声を出していた。その台詞にドヤ顔を浮かべながら、タニアはヤンフィに近付いた

 

「ヤンフィ様、どうにゃ? 完璧に吹き飛ばしたにゃ」

「ふむ……まぁ、これだけやれば充分じゃろぅ。よくやった――さて、それでは次に向かうぞ」


 タニアのドヤ顔を、ヤンフィは当然の様子で流して、すぐさま次を催促してくる。

 タニアは、んにゃぁ、と少しだけ褒められ足りない気持ちで鳴いたが、気持ちを切り替えてすかさず設置図を広げた。


「次、次……ぁあ、にゃるほど……んにゃぁ」


 タニアは設置図を見た瞬間にあることに気付いて、難しい顔で悩まし気な声を上げた。


 現在地から最も近い赤丸に注目したとき、最終的な終着地を変態天族ディドとの合流地点に定めるとすると、最短行路と呼べる道順が三つ存在したのである。

 まぁ結局は、全拠点を潰すことに変わりはないので、どの道順を選ぼうとも同じではある。けれども、例えば【屍竜】が居るような激戦が発生する場所があれば、それは後回しにすべきであり、つい今しがたのような破壊するだけの場所を先に潰すべきである。

 しかしそうなると、つまりはどの道順が正解なのか――そんな下らないことで、タニアは即断しかねていた。

 

 タニアがしばしそんなことで悩んでいると、横合いから顔を出したセレナがこともなげに最寄りの赤丸を一つ指差した。


「何を悩んでるのか知らないけど、ここが一番近いんじゃないの? 今、あたしたちが居るのはこっちでしょ? ここが最初のところ……なら、次はここで、その次はこっちに行けば、最短じゃないの?」


 セレナはそう言いながら、ヤンフィにドヤ顔で説明をしていた。

 それは確かに、最短の一つである。セレナの主張は間違いではない。

 タニアは、んにゃぁ、とだけ唸り、最短が複数あることは明言せず、ヤンフィの反応を窺う。よくよく考えれば、決定権はヤンフィにある。タニアが悩むべきではない。


「……ふむ。妾は地図が読めぬ。セレナの云う道順が、最短で間違いないかのぅ?」


 すると、ヤンフィはそんな風に言って、タニアに同意を求めてきた。ドヤ顔のセレナも、タニアに視線を向ける。

 タニアはポリポリと耳を掻いてから、にゃ、と一つ頷いた。

 嘘ではない。間違いなく最短であることは事実である。


「ならば、セレナの云う通りに進むぞ。道案内は任せる――迷うなよ?」

「――任せるにゃ」


 タニアはヤンフィの決定に力強く頷きを返して、セレナのドヤ顔を小突いてから、次の目的地へと足を踏み出した。


「ちょ、痛いわね……最短行路が見付けられなかったからって、あたしに八つ当たりしないでよ?」

「八つ当たりじゃにゃいにゃ。あちしは、そのドヤ顔がムカついただけにゃ」

「…………立派な八つ当たりよ、それ?」


 タニアは、セレナの捨て台詞を聞き流しながら、迷わぬ足取りで森を進んでいった。



 ◆◇◆◇◆◇◆◇



 二つ目の赤丸を潰してから、体感でおよそ九時間が経過した。

 太陽は空の頂点をとっくに過ぎており、時刻はだいたい十四時を回った頃だろう。

 ヤンフィたちは無言のまま、次の目的地へと歩みを進めている。

 ふと見上げた空は雲一つない快晴で、降り注ぐ日差しは強かった。しかし、深い木々のせいか、その日差しは森の中までは降り注がず、ヤンフィたちの往く手は、始終薄暗い。

 正面だけ見て歩くと、まるで曇っているような風景に思えた。


「にゃぁ、ヤンフィ様。流石のあちしも、ちょい疲れてきたにゃ……ここらで休憩しにゃいか?」


 ふいに先行するタニアがそんな弱気を口にする。それはセレナも同意のようで、ヤンフィの背後から力強く頷く気配が感じられた。


「何を馬鹿げたことを云うておる? 残りあと二つではないか――現状、至極、順調じゃろぅ? この調子で往けば、あと三時間もせず、全ての【魔神召喚】の立体魔法陣を破壊出来るはずじゃ」

「……順調にゃので、休憩しても問題にゃいにゃ? この調子にゃら間違いにゃく、合流場所に遅れず到着できるにゃ」

「遅れずに到着できるから何じゃ? わざわざ休憩を挟む意味がないじゃろぅ?」


 ヤンフィはタニアの意見を吐き捨てるように却下し、射殺すような目線を向ける。その視線に気圧されて、タニアはションボリと項垂れてしまった。


 ヤンフィたちは順調すぎるほど順調に、【魔神召喚】の立体魔法陣を、残り二つに至るまで潰してきていた。

 実際、魔貴族が居たのは最初の一つだけであり、それ以外は妨害されることもなく、また強敵が居るわけでもなかったのだ。しかも、既に破壊した三つは、どれも【瘴気の繭】が出来上がるほどにも濃い異界に成長していなかった。

 結果、さしたる苦労もなく破壊出来ていたのである。


「――休憩なんぞ、全てが終わってから存分に取らせてやるわ。今、何より優先すべきなのは、予期せぬ妨害が入る前に、何もかも終わらせることじゃ」


 ヤンフィは強い口調でそう告げて、先行するタニアの背中に威圧を向ける。はぁ、と背後でセレナがため息を漏らしたのが分かったが、それは無視である。


「……次は……ここ、にゃ?」

「――木、しかないわよ?」


 そうしてしばし歩いていると、六つ目の設置場所に到達したようだった。

 タニアは立ち止まり、正面に聳え立つ巨木を見上げながら首を傾げている。遅れてやってきたセレナもタニア同様、ポカンと巨木を見て不思議そうにしていた。


「厄介、じゃのぅ……」


 一方で、ヤンフィだけがそれを見て仰天した様子になり、素早く周囲を一瞥する。


 辿り着いた六つ目の設置場所には、一見して何百年も経ていると思われる巨木があり、その巨木を中心に、森は開けて、ぽっかりと開けていた。

 周囲には、木々のほかには何もない。それこそ二つ目の武舞台ほどにも、怪しい箇所はなかった。


 こんな光景を前にして、タニアとセレナは、ここには【魔神召喚】はないのだろうと、どこか確信めいた考えを持ち始めていた。

 二人は、神々しいまでの空気を放つその巨木の精気に当てられて、ただただ無言になっている。


「……これを破壊するのは、骨じゃのぅ」


 ところがそんな中で、ヤンフィだけは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて、吐き捨てるようにそう呟いていた。


「――そも、今の妾には、手に余るのぅ」


 ヤンフィは巨木を見上げながら、太い幹を触りながらグルリと一周する。すると巨木の背面には、タニアでもスッポリ入れるほどの大きさをした樹洞があった。

 樹洞は、覗き込めばどこまでも続くような暗闇に満たされており、暗闇からは、仄かな瘴気が漂ってきていた。

 ヤンフィはその樹洞を見て溜息を漏らしてから、タニアとセレナを手招きする。


「……にゃんにゃ? 深い洞にゃ?」

「ちょっと待ってよ、タニア。これ、どう考えても、この木の幹よりも広い空間よ?」


 タニアとセレナはその樹洞を覗き込んで、そんな感想を漏らす。ヤンフィは、仕方ない、と頷きながら、二人に事情を説明した。


「この巨木は、異界を取り込んだ生贄の柱じゃ。一見、巨木にしか視えぬじゃろぅが――これ自体が、数百年モノの【魔神召喚】の立体魔法陣じゃ。永い永い年月を経て、立体魔法陣の足元に生えていた若木が、立体魔法陣の瘴気と魔を帯びたことで、魂を宿さぬ大樹の魔貴族と化した。そして、それさえ取り込んで、立体魔法陣が巨木と同化したのじゃ」

「「――は?」」


 ヤンフィの台詞に、タニアとセレナが同時に素っ頓狂な声を上げた。

 二人は慌てた様子でヤンフィを見て、それが嘘や冗談の類でないことを読み取ると、いっそう仰天した表情を浮かべる。

 ヤンフィは疲れたように息を吐いてから、独り納得した風に頷いた。


「……これまでに潰した【魔神召喚】は、この立体魔法陣を模倣したようじゃのぅ」


 巨木を見上げて、頭上に生い茂る青々とした緑葉を眺めた。緑葉は太陽の光を浴びて、仄かに魔力の緑光を放っていた。


「にゃぁ、ヤンフィ様……この木が魂のにゃい魔貴族、しかも立体魔法陣って本当にゃ? あちしの魔眼じゃ、そんにゃ風には視えにゃいにゃ。それに、だとしてにゃぁ、生贄はどこにゃ?」


 タニアが恐る恐ると問い掛けてくる。その問に、ヤンフィは、足元の盛り上がった地面に視線を落とすことで答えた。

 ヤンフィの視線の動きを追って、タニアとセレナが足元を見る。そして、まさか、と表情を曇らせて状況を察した。


「生贄は地面に埋まっておる。この巨木の魔貴族は、木の根から童たちの養分、血肉を吸って成長したのじゃ……タニアの魔眼で見破れないのは単純に、汝の魔眼が未熟だからじゃ――覚醒すれば、看破できるじゃろぅ」


 ヤンフィの台詞に、タニアは恥ずかしそうにちょこんと頭を下げる。

 そんなタニアの反応など意に介さず、ヤンフィは生贄に捧げられたであろう数えきれないほどの子供の命を思って、そのあまりの悪趣味さに反吐が出そうになっていた。

 この巨木を成長させる為には、子供を生きたまま巨木の幹に縛り付けておいて、ゆっくりと外側から溶解させるか、地面に生き埋めにしておく必要がある。

 どちらにしても、生贄は徐々に身体の表面から咀嚼される感覚を味わいながら、衰弱死するか、発狂死するまで苦痛を味わうのだ。これを悪趣味と云わず何と表現するのか。

 ヤンフィは、自らが過去に味わった咀嚼される感覚を思い出しつつ、胸糞悪いのぅ、と吐き捨てる。


(まぁ……唯一の救いは、この立体魔法陣がもう魔神を召喚出来ないことか……これの召喚主は、とっくに亡くなっておるようじゃ……)


 ヤンフィは表情を曇らせているタニアとセレナに向き直り、パン、と一つ手を叩いて、巨木を背にして少し距離を取った。

 タニアとセレナはその拍手にハッとして、ヤンフィに付き従い巨木から離れる。


「さて、タニアよ。この巨木――【魔神召喚】の立体魔法陣を破壊したいとは思うが、正直、今の妾ではちと攻撃力が足りぬ。これを安易に斬り伏せれば、内側の異界が解放されてしまい、たちまち大樹林全体が呑み込まれるじゃろぅし、一方で、内側の異界を消滅させようと思えば、この大樹林を一瞬で蒸発させるほどの冠級(クラウン)程度の威力が必要じゃ」

「……冠級程度って、それは不可能と言うのでは?」

「……にゃぁ、ヤンフィ様? 流石のあちしでも、この大樹林を一瞬で蒸発させるくらい破壊力がある魔術は持ってにゃいにゃ……」


 ヤンフィの台詞に、すかさずセレナとタニアが呆れ声でツッコミを入れてくる。ヤンフィは不敵に笑いながら、ふむ、と一つ頷いて、タニアに向かい合う。


「――なので当面、この【魔神召喚】はこのまま保留とする。これは既に魔神を呼ぶことが出来ないハリボテの立体魔法陣じゃ。放置しておいたところで、何ら支障はないからのぅ。じゃから、ここは飛ばして、最後の【魔神召喚】を潰すぞ」


 ヤンフィはそう決断すると、タニアたちに先に進むよう顎をしゃくる。タニアは、にゃるほど、と頷き、セレナも、ああそうなのね、とあっさり納得した。


「じゃぁ、えと……次の場所を潰したら、そのまま合流地点に戻るにゃか?」

「うむ。じゃが、いずれ破壊するのは決定事項じゃ――じゃから仕込みをしておく。仕込みが上手く機能して、巡り合わせが良ければ、妾の手を煩わすことなく崩壊するじゃろぅ」

「……仕込み、って……何するにゃ?」


 ヤンフィのにこやかな発言にしかし、タニアとセレナは途端、顔を顰めた。仕込み、という不穏当な単語に対して、嫌な予感がしたからである。

 ヤンフィはタニアたちのそんな怯えを見て、意地悪く、わざとからかうような含み笑いを浮かべる。


「ふっ――汝らに、犠牲を強いる訳ではない。その点は安心せよ。ただ、ちょいと簡単な魔術を頼むだけじゃよ?」

「……簡単な……魔術って、何よ?」


 セレナの問いに、ヤンフィは笑顔のまま無言で、離れた巨木に掌を向ける。すると、眼前の中空に【無銘目録】が顕現して、パラパラと頁がめくられる。


「そう警戒するな。本当に、容易いことじゃ。この付近一帯を対象に【隠遁】の魔術と、出来得る限り強力な結界を張って欲しいだけじゃ」


 ヤンフィは云いながら、とある頁に格納されていた剣の柄を取り出す。

 それは、蔦の巻き付いた握り部分以外が砕けている()()()()()()()である。何の意匠も施されていない鍔の部分と、くすんだ銀色をした剣身部分は、ものの見事に砕け散っており、もはや武器として用を為さない物体だ。しかも、何ら特殊な能力もなく、既に魔力も脅威も何一つ宿っていなかった。

 ヤンフィは、その剣の成れの果てを、巨木の根本に投げつけた。それは地面に突き刺さることもなく転がって、まるで打ち棄てられたように転がった。


「――――また、いずれ逢おう【魔剣グラム】よ」


 ヤンフィは誰に云うでもなく、感慨深い声でそう囁いて、転がった剣の成れの果ての周辺に衝撃を与えた。ドン、と小さな爆発が起きて、土が掘り起こされる。

 剣の成れの果ては、小さな爆発により掘り起こされた土を被って埋まり、すぐさま見えなった。


「それでは……どちらでも構わぬ。一帯に【隠遁】と結界を張れ」


 ヤンフィは事も無げにそう告げて、タニアたちに振り返った。どうしてか二人は、難しい顔をしていた。


「……何をしておる? サッサとせよ」


 ヤンフィは当然のように催促する。すると、意を決したようにセレナが挙手した。


「ヤンフィ様、あたし、属性関係なくで良かったら、聖級レベルの結界が張れます。けど【隠遁】の魔術をこの一帯に張るのは難しい……というか、無理です」

「うむ、属性は気にするな。では、結界はセレナに頼もう――必然、タニアが【隠遁】を施すのじゃな?」

「んにゃ!? にゃにゃにゃ……それは……無理にゃ……」


 ヤンフィの命令に、タニアはビクンと震えて、すぐさま項垂れる。その様はまるで幼子が叱られた後のような反応だった。力なく垂れた耳が弱々しさを演出している。


「ふむ……出来ない、と?」


 ヤンフィは、あえて無機質な声音で、確認するように問い掛けた。

 タニアは、いっそう怯えた様子で身体を縮こませた。一方、セレナはとばっちりを受けないよう、二人のやり取りを見て見ぬ振りしていた。


「……ご、ごめんなさいにゃ……」

「――であれば、隠遁は良い。結界だけで充分じゃ」


 タニアが観念した風に謝った瞬間、ヤンフィはカラカラと笑いながら、軽い調子でそう言った。

 そもそもヤンフィは初めから、タニアとセレナが【隠遁】を詠唱出来ると思っていなかった。

【隠遁】とは、上級魔術に分類されている合成魔術で、対象範囲、対象空間を認識しにくくする五感阻害系の魔術である。だが、上級に属しているが、非常に複雑な魔術式を用いる為、聖級以上が扱えなければ使用不可能と言われるほどの高等魔術だった。

 更に言えば、不特定多数の対象に幻を視せる【幻視】、広範囲の空間を対象に感覚を乱して惑わす【幻惑】、あらゆる対象の認識を阻害させる【隠遁】は、幻想系と呼ばれる特殊な合成魔術に区分されており、大前提として、才能ある術者でなければ修得さえ出来ない。


(……セレナならよもや、と思うたが、まぁ、そう上手くは往かぬか)


 ヤンフィは、落胆ではないが、内心残念に思いながらも、仕方ないと頷いた。【隠遁】は仕込みではなく、仕込みを発見し難くくする意図しかない。


「――【光牢】」


 その時、セレナが巨木を中心にして結界を展開した。

 巨木の周囲が一瞬にして、凄まじい量の光で満ちた。その光はやがて鏡のような形を成して、巨木を囲むように四方に壁を作った。

 それは思わず見惚れるほど洗練された光牢だった。

 しかし、それは非常に強力ではあるが、光属性の上級結界だ。聖級レベルには到底及ばない。

 ヤンフィはそれを見て、これでは弱いのぅ、と残念そうに呟いた。


「にゃんだ、セレナ。聖級レベルって言ったくせに、馬鹿の一つ覚えの【光牢】じゃにゃいか。どこが聖級にゃ? 嘘吐くにゃよ」


 ヤンフィの呟きを耳聡く拾ったタニアが、ここぞとばかりにセレナに野次を飛ばした。セレナはそんなタニアを一瞥して、無言のまま全身に魔力を漲らせた。

 途端に、フォオオ――と、セレナの足元から清涼な風が吹き荒れる。また、白い霧が巨木を包み込み始めた。


「なんじゃ?」

「にゃんにゃ?」


 ヤンフィもタニアも、その光景に首を傾げていた。

 そんな二人を尻目に、セレナは詠唱を続ける。

 吹き荒れる風は見る見ると激しさを増して、セレナを包み込む竜巻と化した。竜巻は土埃を巻き上げつつ荒れ狂う。

 巨木を包む白い霧はどんどん色濃く立ち込めだして、あっという間に、巨木全体が隠れて見えなくなった。

 そんな光景を前に、ヤンフィがいち早くセレナの思惑に気付いた。


「よもや、これは風属性と水属性の合成魔術――複数属性の結界魔術を合成するつもりか!」


 ヤンフィは目を見開いて、驚嘆の声を上げた。その嬉しそうな驚きの声を耳にして、野次を飛ばしたタニアもセレナの意図に気付いた。


「……にゃるほど……にゃかにゃか、やるにゃ、セレナ」


 タニアは悔しそうにそんな捨て台詞を吐いていた。


「ッ――【風水陣】!」


 セレナは見事に詠唱を完了させて、その合成魔術の結界を展開した。キーン、と辺りが緊張で張り詰める。

 すると、竜巻と化した暴風は、巨木に向かって飛び掛かり、一瞬のうちに白い霧を吹き飛ばした。暴風はそのまま巨木に纏わりつき、分厚い空気の壁で巨木を囲い込む。

 かたや吹き飛ばされた白い霧は、四方を囲む光の鏡壁に張り付き、表面を半透明な膜で覆った。その半透明な膜は見れば、厚さ5センチほどの薄青の水の層であり、絶えず上から下へと流動していた。


「素晴らしいのぅ――想像以上じゃ。【風水陣】とは、セレナのオリジナルかのぅ? まさか、ここまでの結界魔術を展開できるとは……汝の実力を見誤っておったわ。好くやった、セレナ」


 ヤンフィはセレナの結界の完成形を見て、珍しく絶賛の言葉を投げる。


 合成魔術は、文字通り複数の魔術を合成する技術だ。複数の単一魔術を多重展開するのとは全く異なり、魔術操作が極めて高度な技術である。

 ――とはいえ、それ自体は別段驚きには値しない。ただの合成魔術ならば、上級魔術が扱える術者ならば誰でも出来る技術だ。

 セレナの合成魔術で、驚嘆すべき点は一つ。

 常在型――常時展開して効果が継続する類の結界魔術を、破綻させずに合成したことである。

 一般的に合成魔術は、即時展開型に分類される攻撃魔術や防御魔術において使われる高等技術である。常在型に使えないわけではないが、即時展開型を合成するのと比べると、その操作性は天地の差にもなる。

 ましてや常在型の魔術は、合成したところで魔術式が綻び易くなる傾向が強く、短時間こそ強力かも知れないが、結果として合成しない方が効果が長持ちすることが多い。それこそ常在型の合成魔術を展開するなら、複数の異なる属性を持った結界魔術を多重展開した方が、よほど魔力消費の節約になるだろうし、技術面においても苦労はないだろう。

 ところが、セレナが展開した合成魔術は、一目見てそれらの危惧がないことが判るほど、完璧に合成された結界魔術だった。


(……器用とは知っておったが、結界魔術さえ合成できるとは――これでまだ十六の童。しかも治癒術師と云うのじゃから、末恐ろしい才能じゃ)


 ヤンフィは声に出さずに、心の中でセレナのポテンシャルに寒心した。現時点では、まだ未熟だが、いずれは三英雄キリアは過言としても、タニアほどの実力には成長するだろう。

 そんな感想を抱くヤンフィに背を向けたまま、セレナは、ふぅ、と疲れたように息を吐いた。


「お褒めに預かり光栄です、ヤンフィ様……ねぇ、タニア。アンタ、さっきあたしに『馬鹿の一つ覚えの光牢』とか言ったけどさ。そもそも【光牢】は上級魔術だからね? それをここまでの精度で展開できるのだって、結構凄いのよ? 馬鹿にされるのは心外だわ」


 セレナはホッとした表情を浮かべると、ヤンフィに頭を下げて、タニアにジト目を向けている。タニアはその視線に顔を背けて、ところでにゃぁ、と露骨に話題を変えてきた。


「ヤンフィ様。結界は、これで充分じゃにゃいか? 次が最後にゃ。そろそろ向かわにゃくて良いにゃか?」

「……はぁ、この馬鹿猫はまったく……」


 そんなタニアの態度に、セレナがボソリと毒づく。一瞬、タニアの耳がピクリと動いたが、特に反論もせずに、ヤンフィに首を傾げてくる。

 ヤンフィはそのやりとりを微笑ましい顔で眺めつつ、うむと一つ頷いた。


「タニアの云う通りじゃ――これで充分じゃ。さて、最後の立体魔法陣に向かうとしよう。早々に仕事を終えて、ディドの迎えを悠々と待つのが好いじゃろぅ」

「はい、にゃ!」

「……ええ、そうね」


 ヤンフィの言葉に、タニアは元気よくセレナは疲れた風に返事をした。


 次に向かう【魔神召喚】の立体魔法陣が、都合七つ目、最後の魔法陣だ。

 太陽の傾き具合から見るに、まだ日没まで三時間はあろう。このペースであれば、万が一にもディドとの待ち合わせに遅れることはないはずである。

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