閑話Ⅻ 緑髪の悪魔/顛末・裏側
閑話Ⅺの裏側の話
「――ご武運をお祈りいたします」
イリスは無機質にそれだけ告げて、プツリ、と遠隔魔術の映像を切った。転移先の映像から、三十八名全員が無事に転移できていることを確認できた。
転移魔法陣が発動するまでかなり不安だったので、成功して良かった、とイリスは人知れず胸を撫で下ろしていた。
これほどの大人数を一度に異界へ送り出すなど、かなりの大仕事だ。しかも失敗は許されない。正直とんでもないプレッシャーが掛かっていたのだ。
けれど、そんな重要案件も見事に成功した。これでイリスは役目を果たせた。
緊急依頼の名目を用いて、『勇敢な生贄たちを暴食鬼の餌とする』という重要任務は達成である。
さて、これであとは、全滅という吉報を待つばかりだ。
「……とはいえ、昔から『運命は気まぐれな竜』とも言います。油断は禁物……」
イリスは安堵の息を吐きながらも、誰にも聞こえない声量でボソリと呟いた。
ここまでは万事、【世界蛇】が描いた絵図の通りとなっている。現状、この計画が妨害される要素は思いつかず、懸念事項も存在していない。
とはいえど、まだ事を成していないのも事実である。
この計画には、少しの綻びも許されない。
本当に問題はないか、最後の最後まで気を抜いてはいけない――イリスはそう自戒する。
「イリス――転移魔法陣は、成功しましたか?」
すると、二階から優雅な歩調で、【赤の聖騎士】エーデルフェルトが下りてきた。
イリスは内心で勝ち誇った笑みを浮かべつつ、エーデルフェルトにやや疲れた顔を向けて、恭しく頭を下げる。
「――ええ、セリエンティア様。無事に、参加者三十八名を送り出すことに成功いたしました。あとは彼らが、暴食鬼を討伐してくれることを祈るばかりですね」
「そうね……期待、出来ると思いますか?」
「もちろんです。Sランク冒険者アジェンダ様も居られますし、冒険者登録してすぐにパーティランクAになった『コウヤと頼りになる愉快な仲間たち』も参加しています。むしろ当初の想像以上に、強力なメンバーが用意できたと思っています」
イリスはエーデルフェルトの問いに、力強く頷いて見せた。微塵もそうは思っていないが、エーデルフェルトを安心させる為に、耳触りの好い言葉を選んで答える。
「確かに、そうね。私が戦力として役に立たない以上、考え得る限り最強の布陣になったと思います。まぁ、欲を言えば、一足違いでクダラークに旅立ってしまった【三英雄キリア】様も参加して欲しかったところですが……」
「……それは、確かに。【自由騎士】の称号を持つ妖精族キリア様が参加してくれれば、万に一つも、魔貴族如きに遅れは取らないと思いますが……緊急依頼程度では、手を貸してくれないかと存じます」
「緊急依頼程度、ね。そうかも知れませんね」
エーデルフェルトの問いに、一瞬だけギクリと動揺しつつも、そんな気持ちはおくびにも出さず、事前に用意していた台詞を吐いた。
イリスの台詞に、エーデルフェルトは少しだけ表情を曇らせてから、賛同の頷きを返す。
いまエーデルフェルトが口にしたことは、この計画を立てる前段階での最大の懸念事項だった。いやむしろ、その問題こそが計画の成否を握る最重要課題でもあった。
しかしそれは、既に解決している。キリアはもう参加することはない。
そもそも、三英雄キリアなんて化物が参加してしまったら、せっかくこの為に用意した魔貴族三体が無駄になってしまうではないか。
イリスはエーデルフェルトの発言に内心で反論しながらも、同じ気持ちです、と言わんばかりの表情で頷いた。
「イリス――敵は、暴食鬼のみ、とのことですが、それは間違いないのですよね?」
エーデルフェルトはそう言いながら、イリスと入れ違いで受付に座る。イリスは当然のように一歩引いて、受付嬢を代わり、力強く頷きを返した。
「ええ、セリエンティア様。まず間違いないと思われます。暴食鬼以外に、異空間内に魔貴族の気配は感じません――何か、気掛かりでも?」
「気掛かり、と言えば、気掛かり、ですね。誰が、いつ、どうやって、あんな広大な異空間を創り上げたのか……それが、いまもって疑問で……いくら魔貴族の上位種とはいえ、たかだか暴食鬼如きで、果たして、そんなことが可能なのでしょうか……」
エーデルフェルトの疑念は、なるほど確かに正論である。伊達に、テオゴニア大陸で四人しかいない【聖騎士】の称号を持つだけはあるようだ。
「……そうですね。よくよく考えれば、裏で糸を引いている黒幕が居る可能性もありますね……けど、それにしては、あまりにも簡単に、異空間に干渉できましたよ? 誰かが意図して創り上げた異空間であれば、私如きの時空魔術が干渉するのは難しいのですが……もしかしたら、異空間を創り上げるという能力こそが、暴食鬼の持つ異能なのでは?」
イリスは深刻な表情を浮かべつつ、もっともらしい言葉を並べて、とぼけた問いで返した。
実際のところ、あの異空間を創造したのは【魔道元帥】ザ・サンであり、その権限はイリスに譲渡されている。だからこそ簡単に干渉できるのだ。
まあ、この真実をエーデルフェルトに告げるのは、エーデルフェルトがどこかに隠した【王剣ロードドラグネス】を奪った後である。
(それを告げたときのエーデルフェルト様の絶望的な表情を思えば、今のこの不愉快な瞬間も堪えられるというものです……)
エーデルフェルトはイリスの問いにしばし沈黙してから、小さい声で、そうね、と呟いた。
イリスは話が続くかもしれないとしばらく待機したが、特にエーデルフェルトが何も口にしないので、失礼します、と頭を下げつつ、裏手に下がろうとした。
その時、イリスを引き留めるようにエーデルフェルトが質問してくる。
「――ところで、イリス。暴食鬼を討伐しても、異空間が閉じない可能性はどれくらいありますか?」
瞬間、ありません、と即答しそうになる。可能性など、皆無である。
あの異空間はイリスの意思で開閉しているので、イリスが死ぬか、閉じようと思わなければ封鎖することは出来ない。むろん、許可を出さなければ、異空間から出ることも叶わない。
まあ万が一にもあり得ないことだが、冒険者たちの中に、魔道元帥ザ・サンの実力を大きく超える時空魔術の使い手が居れば、無理やりこじ開けることは出来るかも知れない。
しかし、そんな真実を言うわけにはいかない。
イリスは少しだけ悩んだ素振りをしてから、指を一本だけ立てた。
「可能性……であれば、おそらく一割ほど、かと――理由としては、二つ。一つは、最悪の可能性ですが……異空間を創り上げた別の術者が存在する場合です。その場合、術者を特定して倒さなければ、閉じることはないでしょう。もう一つは、この可能性の方があり得ますが、異空間自体が、常時展開型の魔術結界の類ではなく、空間に紐付けられた時空魔術の場合です。空間に紐付けられているので、その時空魔術自体を消去しなければ、閉じることはありません」
「なるほどね……そして、後者の可能性は薄い、と? イリスから見て、あの異空間は空間に紐付けられたものではないのよね?」
「はい、その通りです、セリエンティア様。より正確には、少なくとも私の実力では、空間に紐付いているように見えない、異空間です」
イリスの力強い肯定に、エーデルフェルトは残念そうに頷いた。
その横顔をたっぷりと眺めてから、もはや会話は終わったようなので、イリスは裏手に引いた。
今度は、エーデルフェルトに引き留められることはなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇
イリスが裏手に下がってから、エーデルフェルトは腰掛けた椅子に深くもたれかかった。
はぁ、とため息を漏らしつつ、先ほどのイリスとのやり取りを反芻する。先ほどのイリスの発言に、少しだけ違和感があった。
とはいえ、それだけで確証は持てない。だが、裏切り者が居るとすれば、それはイリスの可能性が高いのは事実だ。
(……私の直属の部下になって、およそ二年……何度も一緒に死線をくぐり抜けてきた戦友です。疑いたくはありません……けど……)
エーデルフェルトは、つい先日のイリスの言動を振り返った。
三英雄キリアが山から降りてきた時、どうしてイリスは、わざわざクダラークからの緊急依頼を取り次いだのか――それがずっと、シコリのように消化できずにいる。
確かにあの時は、『ソーン・ヒュード』という【世界蛇】のレベル3が起こした大虐殺に対して、ギルド全体が騒々しくなっていた。
ちなみに世界蛇の中でレベル3という位階は、【選定者】と呼ばれる地域管理者を指し示して、その実力は最低でも、単独で魔貴族を打倒できる強さがなければ務まらないと噂されている。
実際、過去に起きた大事変【世界蛇の役】では、レベル3を名乗る魔術師一人に、竜騎士帝国ドラグネスの精鋭騎士五十名が全滅している。
それほどの強さを持つ化物が、街中で自由気ままに大量殺人を行っているというのだ。
クダラークの住民からすれば、恐怖でしかない。状況だけ聞くに、いまのベクラルの状況よりもずっと酷いだろう。
しかしだとしても、それをわざわざ【三英雄】キリアに告げる必要がない。残酷な考えかもしれないが、そんな事情は、このベクラルとは無関係である。
「……緊急依頼、程度……ねぇ。けどキリア様はそれを、二つ返事で受諾していたのでしょう?」
エーデルフェルトは誰に言うでもなくそんな呟きを漏らす。
後日アジェンダから聞いた話に依れば、イリスはその時、ギルドに訪問したキリアに対して、非常に熱心にクダラークの緊急依頼を説明していたらしい。
別段それが悪いこととは思わないし、そこだけを切り取って見れば、ギルドの受付としてはおかしい対応ではない。おかしいのは、そのあとエーデルフェルトに報告してきた内容だ。
エーデルフェルトはイリスからこう聞いていた。
『三英雄キリア様が来訪なさって、クダラークに向かう手段を聞かれました。なので魔動列車を案内して、クダラークに連携しました』
その内容に、アジェンダから事前に状況を聞いていたエーデルフェルトは、強い違和感を覚えた。
イリスがどうして、キリアに緊急依頼を紹介したことをエーデルフェルトに隠すのか、意味が分からなかった。
エーデルフェルトとイリスの仲で、そんな嘘に何の意味があるのか分からなかった。
「……私が敵勢に囲まれた時、イリスは己の身を顧みず、庇ってくれました。私の魔力が封印された時も、イリスは死に体でした……けど結局、いかなる危機的な状況下でも、イリスと私だけが生き残っています……」
一度疑いを持つと、竜騎士帝国ドラグネスの内乱時に、常にイリスが傍に居たことさえ怪しくなってしまう。
イリスは常にエーデルフェルトの傍に居て、エーデルフェルトの盾となり、幾度も死線を越えてきてくれた。掛け替えのない戦友であり、命の恩人でもある。
しかし――裏を返すと、イリスが傍に居る時には、死を覚悟するほどの重大事が発生することが多いのも事実だった。
「……でも、イリスが裏切る理由が分からないです……何が目的か……それが分からないと、何の対策も取れませんね」
そう思考して、エーデルフェルトはお手上げとばかりに両手を上げた。すると、受付に気弱な新米冒険者が恐る恐ると近づいてくる。
「あ、あの……依頼を受けたいんですけど……」
エーデルフェルトはギルド受付にやってきた新米冒険者をチラリとみて、これ見よがしにため息を漏らす。そのため息に、新米冒険者はビクリと身体を震わせる。
基本的に、受付には座っているがまったく仕事をしないのが、エーデルフェルトの基本スタイルである。とはいえ、さすがに無視はしない。
やれやれ、と肩を竦めてから、エーデルフェルトは新米冒険者に向き直った。
「かしこまりました――ちなみに、これは難易度【C】ランクですが、貴方のランクで、大丈夫ですか?」
「え、ええと……挑戦、してみようと……」
「挑戦は宜しいのですが、この特殊なオーク、実際の脅威度は未知数となっています。確かに、エンディ渓谷にはそこまで強力な魔族は現れることがありませんけど……」
エーデルフェルトは新米冒険者の心を折るような言い回しで、無感情な視線を向ける。新米冒険者はその視線に、う、と一瞬たじろいだ。
けれど、しばしの沈黙の後、新米冒険者はゴクリと唾を呑んでから、力強く頷いた。
「……挑戦、します。受注するので、契約書を――」
「――かしこまりました。それでは資格証をご呈示ください」
エーデルフェルトはとりあえず、イリスへの疑念を振り払い、ギルド受付の手続きに思考を切り替えた。正直、幾度行っても、この事務手続きに慣れることはない。
◆◇◆◇◆◇◆◇
イリスは必死の形相をして、慌てた様子でその部屋に駆け込んだ。
その姿はギルドの受付をしている時の服装――お嬢様風のワンピースであり、いかにも仕事中に抜け出してきた雰囲気である。
まあ、事実として仕事中に抜け出してきたので、その表現は適切ではないが――
「――バ、バルバトロス様に、い、急いで、取り次いで……下さいッ!!」
「イリス様ッ!? こんな時間にそんなに慌てて、どうなさったのですか!?」
「いいから……早く、しなさいっ!!」
イリスは語気荒く焦りながら叫んだ。イリスを出迎えた全身黒ずくめローブの老人は、その剣幕にたじろぎつつ、ノロノロとした動作で、二十面サイコロのような水晶球を運んでくる。
イリスが駆け込んできたこの部屋は、ベクラルの街中で最も高級な宿屋の最上階にある隠し部屋だった。宿屋のオーナーが私室として使用している部屋だが、実際は【世界蛇】のレベル4以上の幹部と連絡を取り合う為に用意された部屋である。
ちなみに部屋の中にいるこの老人は、世界蛇の連絡役であり、上級の時空魔術を扱える元Aランク冒険者である。
「……定時連絡ではなく、緊急連絡、で間違いございませんか?」
「うるさいわよッ!! とにかく、つべこべ言わず――いいから、サッサとしてッ!!!」
老人の確認に、イリスは余裕なく口汚い口調で怒鳴る。それほど事態は逼迫していた。一秒でも早く判断を仰がなければならないほど、現状は緊急である。
老人はイリスのその明らかに異常な剣幕に、すぐさま水晶球を起動させる。それは魔力で繋がった水晶球同士で、遠距離会話を可能としている通話装置である。時空魔術を応用しており、術者が時空魔術を扱えないと起動しない特殊な装置だった。
「……早く、早く、早く……」
祈るように呟くイリスの様子を横目に、老人は無言のまま水晶球に魔力を注いだ。すると、たっぷり一分ほど経ってから、ボゥ、と朧気な映像が水晶球に浮かび上がる。
「こちら、ベクラル――『全ては【破滅の魔女】の為に』」
「…………『【破滅の魔女】は我らを救う』、こちら【オーラドーン】、定時報告には早いが、何があった?」
互いに合言葉を交わして、世界蛇の所属であることを確認する。水晶球に映った朧気な像は、老人と同じような黒ずくめのローブを纏っていた。
繋がった交信先は、間違いなく【竜騎士帝国ドラグネス】である。ドラグネスの【帝都オーラドーン】に潜伏している世界蛇の連絡役だった。
イリスは水晶球に噛み付かんばかりの勢いで近づいて、懇願するように叫ぶ。
「私は、元ドラグネス王家所属【赤の聖騎士】エーデルフェルトに仕えている世界蛇の一人、レベル2【先駆者】のイリスでございます。バルバトロス様は居られますかッ!?」
「……イリス様、申し訳ありませんが、レベル4【洗礼の長】バルバトロス様は、まだ公務中です。ご用件があれば、時間を改めて――」
「――緊急事態です。進行中の重要案件B『転覆計画』に、想定外の異常が発生いたしました。取り急ぎご指示を仰ぎたく――」
凄まじい早口で、イリスは唾を飛ばしながら告げた。それを聞いて、老人も水晶球先の連絡役も、同時に息を呑むのが分かった。
重要案件B『転覆計画』は、世界蛇の中でもトップシークレットの案件の一つである。
その内容は、テオゴニア大陸で三大大国と称される【竜騎士帝国ドラグネス】を、【世界蛇】の手中に収める計画だ。
準備期間に五年、実行に移すのに更に二年ほど掛けている重要計画であり、現在その計画は最終ライン、佳境に達している。
既にドラグネス王家の上層部、重要役職のほとんどは【世界蛇】が掌握出来ており、あとは最後の大詰めとして、ドラグネスを【竜騎士帝国】足らしめている絶対的な旗印――【竜騎士】と【帝王】を手に入れるだけという状況だ。
ところがその最終段階の計画に狂いが生じてしまった。
ありていに言えば、計画が頓挫してしまったのだから、イリスはもはや気が気ではなかった。
「……少々お待ちください。確認いたします」
イリスの真剣さに、水晶球先の連絡役は事の重大さに気付いたようで、慌てた様子でどこに駆けていった。一方、部屋の中に居る老人は、首を突っ込まないように無言で連絡役に徹する。
およそ十五分ほどの沈黙が経過して、ようやく水晶球の向こう側に人の気配が戻ってきた。イリスは耳を澄ませる。
「――バルバトロス様付き秘書、レベル2【先駆者】アルファード・ロアでございます。イリス殿、お久しぶりです」
「ロア様ですか? バルバトロス様は、対応できませんか?」
「公務中です。けれどバルバトロス様は、わたくしに判断の全権を委任されましたので、状況の説明をお願いします」
アルファード・ロアの台詞に、イリスは一瞬言葉を失くした。
古株とはいえ、先日まで同列と思っていた人間が、最高責任者から全権を委任されたと言うのだ。絶句して当然だろう。
アルファード・ロアのことは、よく知っている。
イリスがドラグネスに来る前から、王家に取り入っていた古参の一人である。何度か情に流されて、寝床を共にしたことのある老け顔をした三十代前半の優男である。
イリスはしばし逡巡してから、誤魔化しても仕方ないか、と説明を始める。
「……ベクラルで発生させた緊急依頼ですが、冒険者間で解決してしまい、英雄案件にはなりませんでした。用意して頂いていた三体の魔貴族は、全滅です」
「――【三英雄キリア】は、ソーン様を捕らえる為に、クダラークに向かった……と報告を受けていましたが、嘘偽りだったのですか?」
「いえ、討伐したのは、三英雄キリア、ではありません」
「馬鹿な――それでは、いったい誰だと言うのです? 暴食鬼、吸魔鬼、毒吐き竜……三体の魔貴族を相手にして、勝てる冒険者など、そうそういるはずがないでしょう?」
アルファード・ロアは訝しげな声音で問い掛けてきた。その疑問は至極当然である。同じ立場であったなら、イリスも同様に突っ掛かるだろう。
「事前報告で聞いていた限りでは、そちらにいる最高戦力は、パーティランク【A】の『アジェンダの夜明け団』ですよね? 個人で見たとしても、Sランク冒険者は二名――【青の聖騎士】アジェンダ、【赤の聖騎士】エーデルフェルトしかいないはず……それとも、偶然に【SS】ランク冒険者でも滞在していましたか? だとすると、事前報告に誤りがあった、もしくは、事前調査が甘かったのでしょうか?」
アルファード・ロアは厭味ったらしい口調で、矢継ぎ早に次々と質問をしてくる。イリスはアルファード・ロアの嫌味に唇を強く噛みながら、違います、と小さく首を振る。
「……いえ、事前報告に誤りはございません」
イリスの返答に、水晶球の向こう側でアルファード・ロアの空気が冷たくなったのが分かる。
誤りがないのならば、どうしてそんな結果になったのか――いかにも、そう言いたげな空気である。
確かにそう言われても仕方ないが、事前報告に誤りがないのは事実だ。
事前報告では、『コウヤと頼りになる愉快な仲間たち』というパーティランクAのルーキーが居たことも報告していたし、そこに【大災害】タニアが居ることも伝えている。
イリスの誤算だったのは、リーダー不在の『コウヤと頼りになる愉快な仲間たち』が、あれほどの化物揃いとは思っていなかったことであり、さらに言えば、【大災害】タニア、妖精族セレナの強さを甘く見積もってしまったことだろう。
あの二人は間違いなく、三英雄に匹敵するほどの危険度になる――後悔先に立たず、だが。
イリスはそんな逡巡をしてから、言葉を選びつつ話を続けた。
「魔貴族を討伐したのは……【大災害】の異名を持つ『タニア』と、妖精族の『セレナ』……『コウヤと頼りになる愉快な仲間たち』のメンバー、です」
「……『コウヤと頼りになる愉快な仲間たち』? 登録後すぐにパーティランクAになったという、若い青年がリーダーのルーキーパーティですよね? なるほど、ルーキーとは名ばかりのSランクパーティだったというわけですか?」
アルファード・ロアが、はぁ、と呆れたような溜息を漏らした。その態度は、口にこそ出さないが、『見る眼がない』『強者の実力さえ見抜けなかったのか』『だから貴殿はレベル2なのだ』と、あからさまにイリスを馬鹿にしている風だった。
その侮辱はしかし、些か心外である。
今回の想定外に関して、イリスの誤算があったことは事実であり、強者を見抜けなかったのは落ち度だろう。しかしながら、こんな結果を予見できる者が果たしているだろうか。
これが例えば、イリスではなくアルファード・ロアだったとしても、結果は変わらなかったに違いない。
「……【S】ランク、という評価は妥当ではなく、【SS】ランク……いえ、三英雄レベルの危険度として扱うべきです。今後はヤツらの動向を監視すべきです」
イリスは真剣な面持ちで力強く断言した。けれどアルファード・ロアの反応は淡白だった。
「監視? なにを大袈裟な……『タニア』と『セレナ』でしたか? 魔貴族を倒したことは確かに脅威でしょうが、その場には【S】ランク冒険者のアジェンダも居たわけでしょう? その点も含めて、イリス殿の目算が甘かっただけではありませんか?」
アルファード・ロアの態度は、自分ならばもっと上手く立ち回れた、という自信に満ち溢れたものだったが、イリスはそれを鼻で笑いながら、厭味ったらしく切り返す。
「ええ、目算が甘かったのは認めます。その結果として、【剣神会】からお越し頂いていた【剣王】リュウ・ライザをも失いました」
「……【剣王】リュウ・ライザを失った、とはどういう意味ですか?」
「そのままの意味です。状況を確認するため、リュウ・ライザには現場に赴いてもらいましたが、黒幕とでも思われたのか、タニアたちとの戦闘になり、あっけなく殺されてしまったようです」
イリスの厭味ったらしい切り返しに、アルファード・ロアは息を呑んで言葉を失った。
開いた口が塞がらない様子で、驚愕に彩られた顔のまま身体を震わせている。しきりに、まさか、あり得ない、と呟き続けていた。
その反応に少しだけ溜飲を下げる。イリス自身も、つい先ほどまったく同じ感想を抱いていた。こんな話、到底信じられるはずがないだろう。
「ロア様、非常に申し上げ難いのですが、今回の被害は甚大です。用意して頂いた三体の魔貴族だけではなく、お借りしていた貴重な戦力である【剣王】リュウ・ライザを失い、成果は何一つない。しかも【王剣ロードドラグネス】の所在すら、判明していない状況――これからどうするべきか、至急、ご指示をお願いいたします」
イリスは砂を噛むような表情で、ゆっくりとそう報告する。
正直、こんな失態は報告したくはない。けれど、準備期間二年を掛けて、関係各所と綿密な連携をしていたこの計画が頓挫する憂き目に遭っているのだから、イリスの私情で情報を捻じ曲げるわけにはいかない。
結果としてこれでイリスが処罰されるとしても、それは仕方ないことである。
しばしの沈黙、アルファード・ロアが悩んでいる雰囲気が漂う。
即断できないのだろう。それも仕方ない。
「ベクラルは……西方【選定者】ガストン・ディリック様の管轄、ですね……今回の責任は、管理者であるガストン様を糾弾するとして……」
アルファード・ロアは弁解するような口調で、ひとまずこの大問題の責任の所在が誰かを口にした。そうしなければ、この報告を聞いている時点で、アルファード・ロアにさえ責任が生じる可能性がある。のみならず、ここで誤った指示を出そうものならば、完全に戦犯扱いとなるだろう。
イリスは、そんなアルファード・ロアの葛藤が手に取るように分かった。
「イリス殿……ガストン様はいま、どちらに?」
「先日、【剣仙】マユミ・ヨウリュウ様と共に【城塞都市アベリン】に向かいました。【奴隷解放軍】リーダーの『ベスタ・ガルム・オースラム』を消すのが目的と仰っていました」
「……ああ、資金提供者からの依頼、ですか……そういえば、ガストン様にはもう、直属の部下に【管理者】が一人もいなかった、ですね……」
だからあの時更迭すべきだったのに――と、小さく続けたアルファード・ロアの言葉に、イリスは反応せず、押し黙ったまま指示を待つ。
いっそう重苦しい空気が漂った。
「――遅いぞ、ロア。余を待たせるとは、いつからそれほど偉くなったか? 報告を受けるだけで、何を時間が掛かっているのか?」
ふと、アルファード・ロアの背後で、凛とした声音が聞こえてくる。その喋り方と口調から、イリスは誰が現れたのか理解して、誰よりも早く頭を下げた。
「バルバトロス様、ですかっ!! 公務中のお忙しい中、わざわざご足労頂きありがとうございます。私は、元ドラグネス王家所属――」
「――余は忙しい。長ったらしい自己紹介など不要だ。それで? ロアよ、なぜこんなに時間が掛かっているのか説明せよ」
イリスの台詞を最後まで言わせず、バルバトロスは沈黙しているアルファード・ロアに強烈な威圧と共に命令する。水晶球越しでさえ震えが来るほどの圧力に、イリスは声にならない声で、失礼しました、とだけ呟き、押し黙った。
「申し訳ありません、バルバトロス様。たったいま、緊急事態の報告を――」
「――緊急事態であることは知ってる。案件Bのことだろう? それで、内容は?」
「…………ベクラルで英雄案件を発生させる計画が失敗したようです。これでは、大義名分を持って【騎士王】サーベルタイガー様が、現地に向かうことができません。しかも【王剣ロードドラグネス】の所在も不明のまま、のようです……」
アルファード・ロアの言葉に、バルバトロスは一瞬だけ沈黙して、しかしすぐさま呆れたようにため息を漏らした。
「下らん。そんな程度か……では【帝王】の方は、いったん諦めろ。速やかに抹殺計画に移り、王家の血筋に連なるベクラル家の残滓を滅ぼせ」
「そ、れ……えっ……し、しかし……バルバトロス様。そうすると、エーデルフェルトが逃亡する可能性が……それに、三英雄キリアも、動く可能性が……」
「――おい、ベクラルの【先駆者】よ。貴様、直属の上司は誰だ?」
同様してしどろもどろになるアルファード・ロアの言葉を無視して、バルバトロスはイリスに問いかけてきた。
イリスは突然振られたその質問にビクッと身体を震わせてから、慌てて答える。
「ソーン・ヒュード様です! で、ですが、ここのところ、月四巡ほどは、何の指示も頂いておりません。今回の案件B『転覆計画』に関しては、光栄にも直接【魔道元帥】ザ・サン様より――」
「――案件Bの正式名称を口走るのはよせ。ふむ、ソーンか……あの変態め、部下の育成も満足に出来ないとは……まあ、いい。貴様はいまこの瞬間より、余の部下となれ」
「…………え? あ、え? バルバトロス様の、部下、ですか?」
「そうだ。拒否権はないが、拒否したいのならば処罰対象になる。何か文句でもあるのか?」
唐突なバルバトロスの宣言に、イリスは混乱の極致だったが、拒否する理由は何もなく、すかさず首を横に振る。
アルファード・ロアは唖然として、声もなく思考停止していた。
「それでは次の任務を申し渡す。貴様は速やかに抹殺計画を執行しろ。ベクラル公主と、血族すべてを殺し尽くせ。可能であれば、聖騎士も道連れにしておけ――【帝王】に関しては、ガストンの間抜けにやらせる」
「――――か、畏まりました」
バルバトロスの指示は明瞭で、ハッキリ言って拍子抜けしてしまった。
イリスはこの大失態をどれほど責められるか、と覚悟していたが、責められるどころか、光栄にも部下にまでしてもらえたのだ。イリスにとっては、想定外すぎる僥倖である。
一方で、バルバトロスの指示を耳にしたアルファード・ロアは、正気を取り戻した様子で、猛然と噛み付いた。珍しく感情的になっている。
「バルバトロス様ッ、何を仰っているのですか!? 案件Bを狂わせた原因は、そもそもこのイリスの目算が甘かった――」
「――ロアよ。いつから貴様は、余に意見できる立場になった? とはいえ、貴様の主張も理解はできるし、ただただ頭ごなしに命じるだけでは、上司としての器が浅く見られるな……二つ、貴様たちに情報を開示してやろう」
アルファード・ロアの立場をわきまえぬ物申しに対して、バルバトロスはしかし、苛立ちさえ見せずに説明を始めた。
「一つ、浮遊神殿【ヘブンドーム】が落とされて、インデイン・アグディが消滅した。現場には【魔道元帥】ザ・サン、東方担当【選定者】エルネス・ミュールが居たが、二人とも重態でいまは療養中となっている。神殿を落とした相手は単独――『ヤンフィ』と名乗る黒髪の青年で、その身に魔王属を宿している人族らしい」
バルバトロスがそこでいったん言葉を区切る。けれど、その内容があまりにも衝撃的過ぎて、イリスもアルファード・ロアも正しく咀嚼できなかった。
世界蛇の中で、最強の一角を誇る【魔道元帥】が居たのに関わらず、本部拠点が落とされた。それはもはや、信じられないどころか、夢物語にしか思えない内容だ。
「結果として、【魔道元帥】が独自に行っていた案件Dが潰えた。当然ながら、その『ヤンフィ』とやらは、最危険人物として世界蛇全体に発布されている。ちなみに、手引きしたのは『ソーン・ヒュード』らしい。むろん『ソーン・ヒュード』は【選定者】資格剥奪と、最危険人物認定された……とまぁ、そんな大問題が余の与り知らぬところで発生しているのでな。【帝王】の取得に関しては、思うほどに大問題とはならぬ」
「「………………」」
イリスもアルファード・ロアも、もはや言葉なく唖然としていた。そんな二人にお構いなく、バルバトロスは続ける。
「そして二つ目、これは喜ばしいことだが……エルネス・ミュールが、ソーン・ヒュードから【竜騎士】の鍵を手に入れた。おかげで、案件Bが大幅に進展する――最優先事項が変わった、と言ったほうが貴様たちには分かり易いか? 【帝王】の取得より先に、【竜騎士】が準備できたというわけだ」
バルバトロスのその言葉に、イリスは目を見開いて驚いた。
イリスの失態が帳消しになることはないが、確かにそういう事情ならば、今回の失態はさして問題とはならないだろう。
そもそも今回の計画の肝は、緊急依頼を失敗させることで英雄案件とするのが前準備であり、英雄案件になったことに便乗して、ベクラルを滅ぼすことが目的だった。さらに詳しく言えば、ベクラルを滅ぼすどさくさに紛れて【帝王】――【王剣ロードドラグネス】を奪取して、ベクラル公主を含めた王家の血筋を根絶やしにするのが目的である。
竜騎士帝国ドラグネスの慣習では、王位継承権を持てる条件は三つあり、このどれかを満たさなければ、王位継承権を主張できない。
一つ目が、王家の正統な血筋であること。しかしこれは既にほとんど根絶やし状態であり、残るはベクラル公主とその弟だけである。
二つ目が、【竜騎士】の称号を持つ者だ。つまり、帝国の守護竜に見初められて、守護竜を乗りこなすことが出来る英雄である。
三つ目が、【帝王】の証とされる【王剣ロードドラグネス】に認められた者。つまりは、ロードドラグネスを振るうことが出来る勇者である。
それら条件のうち、今回の失態は【帝王】奪取に関わる内容だった。
だが、【竜騎士】の称号を手にしたのであれば、大勢に影響はないだろう。これならば、王家の血筋さえ絶ってしまえば、後はどうとでもなる。
「――畏まりました、バルバトロス様。私の命に代えても、抹殺計画を遂行いたします」
「ああ、そうしろ。報告はロアにしておけ……余も忙しい。報告が以上ならば、もう行くぞ?」
「お忙しい中、大変申し訳ありません。報告は以上となります。それでは失礼いたします」
イリスは丁寧にお辞儀をした。それに対して、もはや興味もないとばかりに、バルバトロスはアルファード・ロアを連れて部屋から出ていく。
しばらくそのまま頭を下げていると、連絡役の老人が魔力供給を断って、水晶球の通信が途切れた。
「……それでは、本日は定時報告には来ませんので、悪しからず」
イリスはそんな台詞だけ吐いて、足早に部屋を出て行った。向かう先は、冒険者ギルドである。
ギルドで不慣れな事務処理をしているだろうエーデルフェルトに、本物の『セリエンティア』とその弟『ディムロン』の所在、可能であれば【王剣ロードドラグネス】の在処も、なんとか聞き出さなければならない。
(……エーデルフェルト様のことだから、おそらくはどれも困難でしょうね……まあ、目星は付いているので、最悪、可能性のある場所を虱潰しで当たれば、大丈夫でしょう)
うん、と力強く頷いて、イリスはどんな方法でエーデルフェルトから聞き出そうか、と得意な拷問手段を一つ一つ考える。
報告前の慌てていた気持ちはどこへやら、いまは目先の喜び――エーデルフェルトを苦しませて殺すという愉しみで、胸いっぱいになっていた。
ようやく、苦痛に歪むエーデルフェルトをイリスが独占できる。これに勝る褒美など、世界のどこにも存在しないだろう。
歪んだ愛情を自覚しつつ、イリスは禍々しい笑みをその整った顔に浮かべていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇
「おう、ギルドマスターさんよ。たった今、異空間が閉じてることを確認してきたぜ? 西坑道奥の転移魔法陣はそのまま使えるみたいだが、まぁ、魔貴族も居ないから、そっちはもう放置しても、大丈夫だろうな」
エーデルフェルトが借りている宿屋の私室に、赤ら顔に酒が入って、いっそう真っ赤になったアジェンダが姿を現した。その手には、まだ中身が入っているワインのボトルが握られている。
エーデルフェルトはアジェンダに鋭い視線を向けてから、入り口を閉めるよう促した。
「異空間の解析は出来ましたか?」
「ああ、もちろん――イリスのお嬢ちゃんの魔術式で、間違いなかったぜ」
アジェンダが言いながら、エーデルフェルトの腰掛けたソファの向かい側に座る。その言葉に、エーデルフェルトは、つい数時間前にギルドで起きた惨劇を思い出すように瞼を閉じた。
イリスはあの時、間違いなくエーデルフェルトごと、あの場の全員を殺そうとしていた。
結果としては、セレナとタニアにより返り討ちとなったが――二人が居なければ、エーデルフェルトは死んでいただろう。
そう思考しながらも、脳裏に浮かんだ倒れ伏して血を流すイリスの無残な亡骸を思うと、寂しさと悲しさが襲い掛かってくる。
裏切られていたと知った今でも、この気持ちは変わることがない。
戦場で、私生活で、いままで心を支えてくれた掛け替えのない戦友であり、部下であるのは間違いないのだから――
「しかし、イリスのお嬢ちゃんが裏切ってるかも知れないって、いつから疑ってたんだよ? アンタとイリスのお嬢ちゃんは、かれこれ数年来の付き合いだろ?」
アジェンダの言葉に、エーデルフェルトは閉じていた瞼を開く。いつ、という言葉が、嫌が応にも、魔力を封印されたあの瞬間を思い出させた。
「……ドラグネスを脱出する際、私が魔力を奪われたというのは話しましたよね? あの時から、疑っていました」
「ほぅほぅ、どうして? その時って確か、イリスのお嬢ちゃんも、瀕死の重態だったって聞いた覚えがあるんだが?」
「ええ、瀕死でしたよ。けれど思い返せば、決して死ぬことはない傷でした。しかし私は、イリスが庇ったおかげで、魔力を奪われました。そして運が悪ければ【王剣ロードドラグネス】も奪われていたかも知れません」
過去の嫌な思い出を話しながら、エーデルフェルトはアジェンダの注いだワインを一口だけ口にする。芳醇な味わいの中に、独特の苦みが感じられて、少しだけ眉を顰めた。
エーデルフェルトの顔を見て、アジェンダが苦笑しながらワインを一息に呷る。
「まぁ、それでなくとも今回の緊急依頼は露骨だったよな――転移させた後で、呼び戻しが出来なくなるなんざ、嘘くさかったしよぉ。本当、肝が冷えたぜ。偶然でも、『コウヤと頼りになる愉快な仲間たち』が居なけりゃ、間違いなく俺らは全滅してたろう」
「…………ええ、本当にそれは僥倖でした。まだ守護竜の加護はあるのだと、感謝いたしました」
エーデルフェルトは祈るように目を閉じて、もうとっくに滅びてしまった竜騎士帝国ドラグネスの守護竜を悼む。
「――アジェンダ? 無事だったのね?」
その時、寝室からネグリジェ一枚の煽情的な姿をした金髪の美女が顔を出した。赤ら顔のアジェンダは慌てて視線を逸らす。
エーデルフェルトは呆れたように溜息を漏らした。
「はしたない恰好ですよ、セリエンティア様。そのお姿では、アジェンダがまともに喋れません」
現れたのは、正真正銘本物のセリエンティアである。彼女は、エーデルフェルトの借りている宿屋の一室に隠れて生活している。
「…………これでいいかしら?」
エーデルフェルトの指摘に、セリエンティアは可愛らしく頬を膨らませてから、寝室の毛布を羽織って全身を覆い隠した。
とりあえず肌の露出は減ったので、アジェンダは視線を合わせる。
「ええ、御心配頂き光栄ですが、無事でしたよ。と言っても、無事に済んだのは、以前にもお話ししましたが、スーパールーキー『コウヤと頼りになる愉快な仲間たち』のおかげですがね」
「ああ、『頼りになる仲間たち』ね……確か、つい先日、冒険者登録をしたばかりなのよね? それでいて、アジェンダたちの力になれるなんて、救国の五人並なのかしら?」
「いやいや、力になれるなんてもんじゃないです。俺らが束になっても、メンバーの一人『セレナ』って妖精族にも勝てやしないでしょう。ちょっと規格外の強さをしてる連中ですよ」
アジェンダの本音に、セリエンティアが目を丸くして驚いている。それを微笑ましく見詰めてから、エーデルフェルトは口を挟んだ。
「ところで、アジェンダ。イリスの背後関係は、分かりましたか?」
「…………いや。結局、そっちは分からず仕舞いだ。とはいえ、遺品の中から【世界蛇】と思しき道具が何点か出てきたから、やっぱ十中八九、世界蛇に染まったんだろうな」
世界蛇、という単語をセリエンティアとエーデルフェルトは同時に呟いた。危惧していた通りの展開である。
やはり王家の人間はもう誰も当てにできない――エーデルフェルトは悔しそうに唇を噛んだ。
「ねぇ、エーデルフェルト。その……私とディムロンは、いったいいつまで、こうして部屋に閉じ籠っていれば良いのかしら? せめて普通に外に買い物に出たいわ」
「…………申し訳ありませんが、当分不可能と思ってください。けれど、近いうちに何とか出来るかとは存じます。一つだけ当てが出来ました」
セリエンティアの我儘に、エーデルフェルトは頭を下げつつも、決して譲らなかった。その台詞を聞いて、アジェンダが首を傾げる。
「おい、ギルドマスター。当てってなんだよ? 悪いが、俺ら『アジェンダの夜明け団』が総力を発揮しても、今回の騒動の発端となった術者を特定できてねぇんだぜ? セリエンティア様に期待を持たせるような――って、まさか!?」
「お察しの通り、そのまさか、です」
エーデルフェルトはニコリと頷いた。
アジェンダはその当てに驚き、しかし同時にこれ以上ないほど納得もしていた。目を見開いたかと思うと、ワインを豪快に直呑みして、口元を拭う。
一方で、セリエンティアだけが付いていけていない。可愛らしい顔に眉根を寄せて、どういうこと、とエーデルフェルトを見詰める。
「偶然かも知れませんが、タニアとセレナは、私たちに利する行動を取っています。しかもよくよく調べたところ、世界蛇とも何やら揉めている様子で、そもそもベクラルに来たのも、世界蛇と繋がりがある奴隷商人【子供攫い】を追って、という話です。これはもはや、守護竜の導きとでも言うべきでしょう。彼女たちならば、期待できます」
エーデルフェルトが自信満々に頷くと、アジェンダは愉しそうに賛同する。
「え……え? どういうことかしら?」
「――つまりね、セリエンティア様。エーデルフェルトは、【S】ランクになった『コウヤと頼りになる愉快な仲間たち』の最初の依頼を、ドラグネス王家の調査にさせるつもりなんだよ。【S】ランク冒険者ってのは、相応の地位と引き換えに、冒険者ギルドからの直接依頼、もしくは国からの勅命は、断れない規則になるんだ」
「あ――ああ、なるほど、ですね」
「ドラグネス王家に乗り込んで、内部の世界蛇を潰してくれれば――セリエンティア様も、ディムロン様も、こんな不自由な生活からは解放されるはずです」
少なくとも刺客は来なくなるだろう、とエーデルフェルトは続けた。
「まぁ、一つ懸念があるとすれば、『コウヤと頼りになる愉快な仲間たち』が依頼を受けてくれる前に、【隻眼の天騎士】――【救国の五人】の一人である『コタロウ』殿が、ドラグネスの【竜騎士】になっちまったら、終わりだがな」
その台詞に、エーデルフェルトも頷いた。
「それは懸念事項ですが、守護竜の代わりなどそうそう見付かるはずはありません――だから、それよりも重要なのは、【王剣ロードドラグネス】が奪われないように努めることでしょう」
「……違いないなぁ」
アジェンダとエーデルフェルトの会話を、傍らのセリエンティアは難しい顔で聞いていた。
はてさて、そうして夜は更けていき、翌日には、勘違いしたタニアとセレナが、意気消沈した顔で冒険者ギルドにやってきた。
とっくに異空間は閉じているのに、それに気付いていなかったことに、エーデルフェルトは一抹の不安を感じた。しかもリーダー不在なのに【S】ランク申請の手続きを始めようとした時なぞ、このまま期待するのは大丈夫だろうか、と心底不安になったものだ。
ちなみに、タニアとセレナは結局、イリスが殺されてしかるべきだったことを知ることはなく、エーデルフェルトの脅しに罪悪感を覚えながら、クダラークに旅立って行った。
割と今後のネタバレが差し込まれてる話です